8節 知ッテルカイ?
紫遠は小型の端末をポケットに戻し、私に言う。
「今から戸無瀬へ戻るよ。いい? 一気に走るから、何が出て来ようとも僕の手を離さないで」
わからないがとりあえず私は頷き、差し出された手をしっかりと掴んだ。
地下防空壕から這い出て、地中に埋もれた1階廊下を走る。
「姉さん、君こそどうやってここの存在を知ったんだい」
私の手を引きながら、紫遠が問う。
「清花にも言ったけど――」
「……清花??」
「戸無瀬が建てられる前、ここには第一桜木高等学校があったってことを常盤先生から聞いた。しかも、その場所は未だ存在すると。でも戸無瀬のどこを探しても旧校舎なんて無い。そこで桜を見た。桜木の名の由来となった桜は、現存する。でもかなり低い上に根元が見えない。これはかなり地中深くから生えてるな、そういえば戸無瀬の校舎は小高い山の上に建ってるよな――って考えたら、おのずと答えは出た」
「そう。姉さんもなかなか良い洞察力を持っているね」
「馬鹿にすんな。あと、うちのクラスの前に立ってる女の子もヒントだった」
「誰それ」
「幽霊」
「へぇ」
「桜木第六番目の不思議、屋上の女子生徒。――飛び降り自殺をした女子生徒の霊が屋上に現れるらしいんだけど、戸無瀬の校舎の1階ってさ……桜木の上に建てられてるから、実質、桜木の屋上も同然なんだよな」
「ああ……」
「女子生徒は話しかけても無言で、ただジッと地面を見つめている。何か落ちてんのかとも思ったけど、そうじゃない。あの子は、自分が死んだ場所を――第一桜木高等学校の校庭を見つめてたんだよ」
順に当てはまってゆくパズルのピース。だが、最後の一片が揃わない。
「桜木に人を喰らうバケモノが出現したから、そいつらを閉じ込める為に校舎ごと封印したことはわかった。おそらく桜が散らない理由もそこにある。でも、どうしてそんなバケモノが出現したのか……それがわからない」
私の疑問に、紫遠が答えにならない答えを提示する。
「そういうバケモノが出現することに、大した理由は必要無いよ」
それよりも――と、紫遠は走りながら左右の教室を鋭く睨む。紫遠が感じた嫌な気配は、私も感じていた。ああ……来る。そう察知するより前に左右の教室の窓ガラスが一斉に割れ、待ち構えていたバケモノたちが次々と中から飛び出してきた。
「あっ……」
あれだけ放すなと言われていた紫遠の手。私の身体は、左方向よりバケモノと化した桜木生の体当たりを食らい、壁へ叩きつけられていた。
「いった……!」
左側頭部に衝撃が走り、意識が飛びそうになる。私は両手を床に着け、頭を振って顔を上げた。
「ひっ」
その一瞬だ。目のすぐ前を緑色に変色した桜木生の<頭部>が掠め、壁に衝突してぐちゃりと潰れたのは。
「えっ? えっ?」
こいつらは、私たちを攻撃する為に来たんじゃ――一体、誰に殺やれて……。
「姉さんっ、何やってるんだ! 早く立って!」
脇を掴まれ、私は半ば引きずられるようにして廊下を走る。背後からは、あのバケモノたちが追ってくる。
「頭は大丈夫?!」
「うん……バケモノの頭は大丈夫じゃなかったけど」
私は、紫遠の手が新しい血液によって滑っていることを感じる。
「…………」
紫遠は黙って走っている。だから私も黙って走る。でも黙っていられたのも少しの間だけ。前方より現れたバケモノがこちらへ向かって突撃し、私の手を掴む紫遠の腕に噛みつき、その鋭く発達した牙で白い肉を食いちぎった様を見て私は甲高い悲鳴をあげていた。
「きゃぁああああ!!」
離れる手と手、吹き出す血潮。
「紫遠っ――!!」
「――っ……小癪な」
しかし紫遠は噛みつかれて肉を食べられたことよりも、手を離されたことに対して苛立ちを感じていた。
ゆらりと立つ紫遠の目が、一瞬だけ、氷のように冷たくなる。そして噛みつかれたその左腕で、吹き出す血も垂れ下がった血管も気にすることなく、肉を咀嚼するバケモノの頭を鷲掴みにした。
ああ……あの時と同じだ。飛鳥先生を蹴り飛ばした時と。殴打力はそんなになかったようなのに、床に叩きつけられたバケモノの頭は頭蓋骨ごと破壊され、動かなくなった。
私の目は次に、紫遠へ向けて飛びかかる3体のバケモノを追う。
「紫遠!!」
バケモノは加速した勢いを利用し、反撃の隙を与えぬまま紫遠の両肩を掴んで突き倒す。そのまま馬乗りになり、口を開け、汚い口内をさらけ出す。赤い血が、紫遠の左腕から流れる赤い血が、瞬時に血溜まりを形成する。
紫遠! 紫遠! ああ、助けなくちゃ。私は反射的に床を蹴るけども、天井からぶら下がっていたバケモノの手に首を捕らえられる。
「うぐっ……」
私の身体は宙に浮かび、両足をバタバタと闇雲に動かす。苦しい。息が出来ない。殺される。でも、それが何だって言う? 戸無瀬の操り人形だなんて馬鹿げた芝居をうち、誰が生け贄になろうが無関心だった弟が、こんな危険を犯してまで私を助けに来てくれた弟が、今にも喰われてしまいそうなのに私は諦めてバケモノに成されるがままになるっていうのか?
ふざけんなよ――これは、私の台詞なんだ。
私は、自分の首を掴むバケモノの手を利用して上へ這い上がり、天井に備え付けられた長い電灯を掴んで取り外す。それでバケモノの首を貫き、怯んだ隙に手から逃れて廊下へ着地した。
「私の弟から離れろ! このクソ共が!!」
確実性を狙ったわけではない。しかし私はこの時、無我夢中で電灯を投げつけていた。電灯は紫遠に群がる3体のバケモノのうち2体を串刺しにし、残る1体は紫遠の手により首の骨を折られた。
「紫遠、逃げるぞ!」
私は紫遠の右手を掴みあげ、走る。
「姉さん、それ、一体どこで習った格闘技なの」
「わかんない! 紫遠を助けたい一心だったから! 火事場の馬鹿力ってやつ?!」
「……そう……ありがとう」
紫遠はほくそ笑む。
「でもさ」
私は足を止めた。背後からバケモノが迫っているにも関わらず。何故なら、前方からそれ以上に多いバケモノが迫っていたから――。
なんで急にゾロゾロと出てきてるんだ。来た時は静かだったのに。それとも生け贄を悪趣味な方法で食べていた女が、何か命令でも出したのか? クソ。こんなところで終わりなのか。結局、戸無瀬と桜木に隠された秘密を暴けないまま。
「でもさ……姉さん。君が僕の知らない間に低レベルな体術を会得していたとしても、結局のところ、第三者は影人の前では無力なのさ」
立ち止まる私の前に、紫遠が立ちはだかる。まさか私を庇うつもりなのかと悲鳴をあげそうになったが、紫遠の冷徹な微笑みを見て、そうではないと確信した。
「紫遠……? お前……こんなバケモノたちを見てさ……どうして……」
違う。それは違った。私の知る弟ではなかった。
「どうして――笑ってられるんだ?」
紫遠は呆れたような、困ったような、諦めたような……よくわからない声色でこう言った。
「姉さん。シャドウ・コンダクターって、知ってるかい」