晩酌
夕食の献立は、スープ、サラダと……、バチ肉のロースト、バチ肉のから揚げ、赤紫色のたぶんマッシュポテト。
女の子が捕まえたバチだが、あれはオオバチではなく、ヒメバチあるいはネムリバチと呼ばれる、まず自分からは攻撃しないおとなしい種類なのだそうだ。
本来なかなか味はよく、それなりに脂も乗っているのだが。
「無理っ」
メグミと部長は食べていなかった。
主な原因はどう考えても、原料を見てしまっていることだろう。最初は獲物なしで帰って来た罰ゲーム的なものかと思ったが、結果を知らせる前に女の子がヒメバチを捕まえていること、全員分のおかずとして食卓に載っていることからして、日常的食材だと思われる。
それでも食欲の湧かない原因がメグミには他にあった。
ひとつ。午後いっぱい、オオバチと引っ張り合いを演じているので肩と腕がパンパンに張っており、腕が持ち上がらないこと。
とにかく、スプーンが持てないのだ。よく幼稚園児がスプーンを握りしめて食べ物を掻っ込んでいるが、もし今スプーンで食えと言われたら、あんな食べ方になるだろう。
ふたつ。クロバニを捕まえて食おうとしていた=下手をすればサメの餌になっていたかもしれないかと思うと気分が悪いこと。
腕が疲れているのはオオバチと格闘したからだが、もしあいつが居なければ、何とかして穴を掘り返し、クロバニを捕まえていたに違いない。農学部だったメグミは動物の解体など躊躇しないのでそのまま食べていたろうが、毛皮は剥いでいたはずだ。タイミング的に出会っていたであろうヒロにそれを見せていれば、あの善人のことだ。メグミがクロバニをどうにかしたのはバレていたとしか考えられない。
せめて他のものを食べようと思っても、芋は何かとんでもなく鮮やかな色をしており、もはや主食どころか食材の色ではない。
サラダの野菜は部長が耕していた畝に生えていたものなのだが、良く見るとヒメバチの返り血がついているのだ。滅多なことはないと思うが、野生動物の生血は寄生虫が怖い。この場合、寄生虫症的に怖いのではなく、体内に異物が存在することで元の世界に戻れないことが怖いのだ。
スープは多分昨日と同じ内容で、魚のだと思いたいすり身が入っている。しかし、メグミはこのすり身の原料を知らないのである。そこはかとなく不安になり、一旦疑問を持つと疑心暗鬼を生ずというやつで手が出ない。
『ギブアップ、食べられそうにないので先に寝ます』
そう言い残して、メグミはソファへと向かった。
ソファに横になっては見たものの、本来クロバニを食べてやろうと思ったほど腹が減ってはいたのである。その上、オオバチと格闘もしている。疲れてはいるが、メグミは空腹で眠れなかった。頭ばかり冴え、毎日バチ料理なら自分は外で何か食べてくれば、部長は餓死してくれるのではないだろうかなどと考える。
『メグミ様、一杯いかがですか』
ソファの上で寝返りしつつモゾモゾしていると、イヲキが瓶とグラス、皿に盛った料理を持ってやってきた。皿の料理は当然、食べなかった者が二人もいたバチ料理である。体長1m弱のツチノコから取れる肉の量は結構多い。
『ありがとうございます。でもっ』
と言いかけた所でイヲキがから揚げを一つつまんでメグミの口の前に差し出した。所謂「はい、あーん」状態である。
美女がやると非常に良い絵面になり、リア充爆発しろと言いたくなるが、貰っている方は中身女だし、差し出されているのはヘビ肉なのだ。うらやましくなんかないんだからねっ。
どうもヘビ肉からは逃げられないようだと悟ったメグミは、思わず口に入れてしまった。どうせなら先に酒を飲んで酔っ払っておきたかったと思いつつ、から揚げを咀嚼する。
「むぉ?」
と、淡白な白身に旨味と脂が乗っており、香辛料も効果的で意外に旨い。適度に残された骨の歯ごたえもアクセントになっていい感じだ。
『どうぞ』
イヲキがさらにグラスに入った酒を勧めてきた。グラスだと、握るだけで良いので何とか持てる。
『くおぉぅ』
飲んでみると香りは甘いが、かなり強い蒸留酒である。
メグミはから揚げの原料が何か考えないで済むように、お代わりを重ねた。こういうところでは男前な飲みっぷりだ。イヲキもそれに付き合ってぐいぐい呑んでいる。
『メグミさまぁ』
だいぶ遅い時刻になり、から揚げも酒も粗方なくなった頃、イヲキがメグミを見据えながら甘ったるい声を出す。声は甘ったるいのだが、何と言っているかは頭に響いているという状態である。
『昼間はオオバチとの格闘れお疲れとか。こんなところれ寝ていたらいては疲れが取れないれしょうから、私のベッドで良ければお使いくらさいぃ』
一角カバは翻訳の難しさを説いていたが、呂律のまわっていないところを再現するとは中々の翻訳機能である。
『いえ、イヲキさんを(部長の危険もある)こんなところで寝かせるわけにはいきませんから』
『大丈夫れすぅ、私も同じところで寝ますからぁ、さ、そうと決まれば行きましょぅ』
酔った二人はやや覚束ない足取りでイヲキの寝室に向かい、ベッドに倒れこんだ。
『んふぅっ』
イヲキはメグミにのしかかるように顔を近づけていく。
『ちょっ、イヲキさん、近い、近いっす』
そこで酔った頭ながら、男の顔が大きく映るイヲキの瞳を見て、ようやく思い出す。
「うおおぅ、そうだ私今男じゃん。やっば、森で何度も苦労してしゃがみこんでるんだから忘れるなよ私!」
自分の現在の性別を失念しており、心の中で「女同士なのだから」という油断があったようだ。メグミが自分を責めている間にも、イヲキの顔は容赦なく近付いてくる。
『んーっ』
ついにキスされてしまった。
だが、人間思考が大混乱すると冷静になれることもあるらしい。
(この腕の状態では軽く退かすのは無理だ。それに、拒絶してしまえば欲求不満で残る唯一の男である部長に迫るかもしれない。そうすると、あのエロ爺が自重するわけがない。いっそこのまま……幸い、おそらくどんな男よりも女の体に詳しいし……いやいや……ん?)
「スー、スー」
ふと気づくと、イヲキはメグミの胸の上で寝息を立てていた。
「よしっ、今のうちにソファに」
と、イヲキを傍らに移動しようとしたのだが、
「う、腕が動かんっ」
オオバチとの格闘で想像以上に腕を酷使していたようだ。イヲキを押しのけることもできず、メグミもほどなく祈りも忘れて眠りについたのだった。
今回の芋は紫系ですが、たまたまキャベツが無くて紫キャベツで作ったヤキソバの色と言ったら……あれも食べ物の色ではありませんね。