父親
「ななな、なんだとうっ」
メグミが他ならぬ部長の都合で出社して戻ってくると、赤ん坊を抱いているとは。
こちらの世界に部長のDNAは残してはいけないことになっている。
「さて、困った。部長が子どもを作ることのないようにと言うのは部長を消す前提条件だ。もし子どもを作ったら、子どもも殺さなければならないのだったな」
メグミは再びカウンターの奥の赤ん坊を見た。憎たらしい部長とは似ても似つかない愛らしさである。
「かわいいな、あれを殺さなければいけないのか」
部長には散々恨みがある。その恨みを、再確認してきたばかりだ。しかし、あの赤ん坊には何の恨みもない。メグミは居たたまれなくなってその場を離れた。
「うーむ、直接手を下すのをためらって放置しすぎたか。もっと早くに部長をぬっ殺しておくべきだったかも……」
メグミは歩きながら、どうすべきか考えた。
どう考えても、罪のない赤ん坊を殺す気にならない。
「かわいいし、消さなければならないことはわかっていてもできない気がする」
人死にを願うとはこういうことか。
方法としては、赤ん坊を殺すのは難しいことではない。
抱かせてもらってうっかり落っことすか、何かの角にでもぶつければおそらくひとたまりもないであろう。
「うーん」
2人を消さなければならないことは理解できるし、方法も思いつく。実行する気にならないことが問題なのだ。
「神様仏様、部長を消すにはどうすれば良いでしょうか」
「今回はどうしたのですか」
「いや、人を殺すとどうなるのかなと思って」
「場合によってはやむを得ず人を殺すこともあるでしょうが、罪のない人を殺すことは大きな罪です。地獄に落ちますよ」
「自分が死んだら地獄に行きっぱなし?」
「そうですね、殺すことが必要だと考えることができなくはないにしても、長く地獄に行くことになります。それとも、死んでから地獄に行く日数を短縮するために今のうちに行っておきますか」
「生きている人間は地獄に送れないんじゃなかったっけ」
「本人が承諾すれば可能です。連休の残りの日数分ほど行っておくのはどうでしょう」
「あと、3日ほどしかないけどいいの?」
「なに、地獄の1年はそちらの1時間、それなりに過ごすことになりましょう」
「ほえ?」
そちらというのが今いる世界だとすると、そもそも地球の1日がこっちの1年である。
地球の1日=こちらの1年 で、こちらの1時間=地獄の1年 だとすると、24×365=8760だから
地球の1日=地獄では8760年になる。それを地球時間で3日ということは……
のんびりしたい人もいるだろうに、なぜお盆にわざわざみんな帰って来るのか疑問に思っていたが、地球で1年経つ間に地獄ではざっと320万年経っているのか。そりゃあ偶には帰りたくなるわ。
「それに、母はどんなことをしても子どもを守るものです」
殺意がばれれば、当然コハクさんはそれを阻止しようとするだろう。
「まとめて殺しちゃったらどうなりますか」
「先に3日行っておくくらいでは、死後の滞在時間があまり変わらないでしょうね」
疑問は解消できたはずだが、悪夢だった。
部長と子どもをぬっ殺すにしても、素早く慎重にしなければならないようだ。
朝、メグミの所に隊長がやって来た。
「おはようさん、アンビーに帰ってたんだって。全く、連絡くらいしていってくれよ」
そう言えば、まだ隊長には帰還を報告していなかった。
「あ、報告が遅れました。戻ってます」
「そんなもん、知ってるわ」
知っているからやって来たのだろう。隊長はメグミの前に、分厚いハン札の束をドサッと置いた。
『年金を預かっていたが1年間も受け取らないからとんでもない大金になって困ったぞ』
こちらには金融機関としての銀行とかないのだ。金の保管は自己責任である。
いろいろ不安もあるだろうに他人の大金をきっちり預かってくれるとは、この隊長は非常にいい人である。
「あっ、ありがとうございました」
『これで肩の荷が下りた、お前も気を付けろよ。金を持っているのが判るとベビーラッシュで祝いだなんだと言って集りに来るやつが多くてよ』
『え、ベビーラッシュですか』
『そうだ、お前がアンビーに行く前にお見合いがあったろ。あれでくっついた連中のところでは今どんどん子どもが産まれてるんだ』
「あ、ありがとうございましたっ」
メグミは思わず思いっきり頭を下げていた。そう言えば、見合いをいくら繰り返しても部長は相手がいつまでも決まらなかったはずだ。だとすると、あれが部長の子どもと決まった訳ではないのではないか。女性店員だって当時は独身だから、お見合いに参加していても不思議はないのだ。
「よし、まずは情報取集だ」
子どもを見ても誰の子かわからない以上、情報として調べるしかない。しかし、母親に向かって、「誰の子どもですか」と聞くのは問題がある気がする。
いや、気がするどころか場合によっては修羅場である。
だからと言って、周囲に聞いて回るのもいよいよ変である。
「くそう、こんなことなら誰の子どもかわかる機能を付けてもらうんだった」
昨夜はそれが可能なところにいたはずなのだ。しかしそれはそれで、帰ってから大問題になりかねない機能だということにメグミは気付いていない。世の中には知らない方が良いことと言うのはたくさんあるのだ。
だが、何か大きな存在の力でも働いたのだろうか。メグミが情報を集めようと菓子店の近くに行くと、子どもの父親を推定できる事態に遭遇したのである。
「ん? あれは」
昼休み、昼食休憩に相当する時間、女性店員は店の外にいた。今日、赤ん坊を抱いているのは部長ではなく、大きな若い男である。
あの男は確か1回目の見合いパーティの時に一緒になった奴だ。デカいなと思ったから覚えている。
『とーたーん』
2人には分からないだろうが、そう言って赤ん坊が男に手を伸ばしている。日常的に父親と認識するような接し方をしているのだろう。だとすると、あれが父親か。
ということは、あの子は部長の子ではない?
実際に夫婦なのだろうかと続けて会話を聞いていると、聞き取れた範囲では女性店員は部長の話をしているようだ。ゲンズォがどうとか言っている。
最近はセクハラをしなくなったとか言っているようだ。
赤ん坊の前で母親にセクハラしたら最低である。しかねない奴だが。
コハクさんが授乳を始めようとしたので、メグミはその場を離れた。こちらでは男なのだ、このまま話を聞いていたら自分がセクハラ野郎になってしまう。




