両替
翌日の午後、水平線の向こうに陸地が見えるところまで来た。ハンスラ国である。
帝国―ハンスラ間は帝国のフラカグからハンスラのオノマというルートが主で、ケイジョーにはアンビーからしか常設航路がないらしく、ホバーは水平線の向こうにハンスラを見ながら進んで行く。
さらに次の日の午前、ケイジョーに着いた。
桟橋を降りて、地図と見比べる。登って行った先に、乗合車が10台くらい停まっているのが見える。あちらが港の出口になる筈だ。
「行く」
部長がわかる言葉は「はい」「いいえ」とあと少しなので身振りを併用し、そちらに登って行こうとすると、くいくいと袖を引かれた。部長も同じように取り囲まれている。言わずと知れた、街娼のお姐さんたちである。
鼻の下を伸ばした部長が、早速ついて行こうとしている。
「あっ、コラ待て」
言ってから、メグミは自分の失敗に気付いた。
部長が驚いたような顔でメグミを見ている。それはそうだ、こちらに来てもうすぐ1年、忘れかけていた日本語を聞いたのだから。
「お、おい。あんた今……」
「オルラ、コンマテ、金はないぞ、払ってくれるならいいが」
メグミは咄嗟に適当な語をでたらめに叫びつつ、アンビー語で付け加える。さらに、
『その男を連れて行くんじゃないっ』
と話しかけた。口にした言葉と異なる考えを伝えられるとは、メグミも器用になったものだ。
部長を、おそらく営業部屋に引っ張って行こうとしていたお姐さんたちは、ビクッとなって部長を放した。アンビーからの航路があるという場所柄、アンビー語を理解できるお姐さんもいただろう。この流れなら部長には言葉を聞いてお姐さんたちが理解したように聞こえたはずで、何とかごまかせたと信じたい。
それでも、メグミに纏わりついているお姐さんたちの何人かは離れようとしない。
『あらん、お兄さんなら只でいいわよぉ』
『そんな爺さん、放っときなさいよ』
「ねぇちゃん、こいつのケツを思いっきり踏んでください」
メグミはこっそりメモを見ながら、部長を前にぐっと押し出す。
『あ、えーっと、そういうサービスはやってないから……』
お姐さんたちはようやく諦めてくれたようだ。
名残惜しそうに姐さんたちをチラチラ見る部長を促し、両替所に向かう。
困ったことに、両替所が何軒もある。交換レートなのか窓口のボードに文字が書いてあるが、それが両替所ごとに微妙に違うのだ。
数字らしい文字の桁数が小さい順に並んでいるようなので、どうやら両替する量に応じてレートが違うらしい。
もうアンビーに戻ることはないと思うので全額両替するつもりだが、銀貨数十枚ともなるとレートの違いは結構大きいだろう。
(いいや、残りは数字を覚えてから両替に来よう)
メグミは並んでいる人が一番多い両替所で帝国銀貨5枚だけ両替した。ハンスラの紙幣であるハン札は地球のドル札くらいの大きさで、読めない文字と知らないおっさんの顔が書いてある。帝国銀貨5枚が、ハン札8枚と銅貨2枚になった。
『兄ちゃん両替かい、帝国銀貨5枚でハン札12枚出すぜ』
両替所を離れたところで、怪しい風体の男に声をかけられた。非正規の闇両替商らしい。
つまり、場所代の分、レートを高く設定できるというわけだ。
銀貨数枚程度だと、4枚の差は大きい。
「よろしく頼む」
メグミはそう言って、帝国銀貨5枚を渡す。
『あいよ、1,2,3……』
男は、ハン札をメグミの目の前で数えていく。と、12枚になったところで、
『やべえっ、こっちだっ』
男はメグミを左腕で抱きかかえるようにして引き寄せ、ハン札を折りたたむとメグミのポケットに押し込んだ。男はゆっくり手を抜いて道の方を警戒している。見回りの役人でもいたのだろうか。当然、場所代を払っていない闇両替は取締り対象のはずだ。
『それじゃあ兄ちゃん、またな』
男は急ぎ足で去って行った。
慌ただしい男だったなと思いながら、メグミがポケットのハン札を取り出すと、12枚あったはずのハン札が5枚しかない。
「えっ?」
再度ポケットを見ても、ハン札は1枚も入っていない。
(くそっ、やられた……)
男はメグミの目の前で数えたハン札を取締りが来たように見せかけてポケットに入れ、全部入れたふりをして7枚を抜き取って手を戻したのだ。要するに、スリの一種である。
メグミは追いかけたかったが、部長を連れて追いかけられるわけもなく、かといって置いて行ったら戻って来るまでにお姐さんたちに連れ去られてしまうだろう。ハン札7枚と釣り合うリスクではない。
闇両替に手を出しているので、あるかどうかわからない現地の治安組織を頼ることもできない。
メグミはハン札7枚を諦めることにした。欲を出した自分が悪いのだ。
「はぁ」
溜息をつくが、何が起こったのかわかっていない部長は「えへへ」という顔で相変わらずお姐さんたちをキョロキョロ見回している。これではボケはじめた父親を連れて観光に来たおのぼりさんではないか。
カモが鍋とねぎを背負って歩いているように見えているに違いない。スリに目を付けられても当たり前だ。メグミは部長を蹴飛ばしたくなった。
ハンスラ国の中心都市であるケイジョーはナンデと比べるとはるかに大きな街で、目的地の教会まではかなりの距離がある。昼前なので太陽の方角を南とすると北の方に小さな丘があり、その頂上に石組の塔が立っているのが見える。どうも昔に烽火を焚いた址らしいが、現在では使われていない様子である。あの丘の東の麓に教会があるはずだ。
メグミ(と部長)は、不規則に道が曲がる街中を進んで行く。
歩き始めて体感的に2時間、ようやく烽火の丘の西端に到着した。部長は車が追い抜いて行くたびに、物欲しそうに目で追っている。
メグミも実際問題として、車に乗れば良かったかもと思っているが、行先が全く読めないのだから仕方がない。歩いている街中でも、ところどころに文字が書いてあるように見える看板があるが、何屋かの見当もつかないのである。
腹が結構減ってきているが、どれが飯屋かすらわからない。扉がなく、中の様子が覗けたスミヨウが懐かしい。
丘の縁に沿って進むと、子どもたちなのか甲高い叫び声が聞こえてきた。
ここケイジョーでも教会には孤児院に類する施設が併設されているらしく、学校のように見える平屋の建物の向こうに一角カバを壁に掲げた教会があるのがわかる。
(やっと着いたか)
「こんにちわー」
とりあえず、アンビー語で叫んでみる。
『はーい』
と言って現れたのは、男の神官である。
メグミはある意味ホッとしながら、アンビーから部長を連れてきたことを告げた。
『あ、連絡は承っております、ご苦労様でした。随分お疲れのようですが、門は初めてですか?』
『え? 門というのは』
『えっ、もしかして、港からずっと車で来たんですか』
『いや、歩いてきました』
とメグミが答えると、神官は「ハァ?」と言う顔で固まってしまった。
『車も、門も使わなかったのですか、それはお疲れでしょう。
でもまぁ、そんな体力があるのなら、こちらでの暮らしは大丈夫そうですね』




