4月23日
「ごめん、……うん、……うん、そうなんだけど。ほんとごめん、また今度誘ってね、キャンセルはこっちでやっとくから、…………ごめん、じゃあ」
携帯を切る。
「ちっくしょおおおおぉぉぉぉぉぉ、あのクズ野郎がぁぁぁ」
野澤メグミは、思いっきり叫んでいた。
メグミは、カシワ産業食品部のOLとして働いている。
そしてその食品部部長の荒井源三は本社からの出向組である。噂では、本社の取締役だったときからセクハラ・パワハラの常習犯で、部下に事実無根の中傷をして訴えられ、裁判には勝ったが信用を無くし、それが原因で代表権があるとはいえ地方支社の部長に左遷されたらしい。噂の確認は誰もしていないが、こちらに来てからも当然のようにセクハラ・パワハラを繰り返していること、本社の取締役なら悪くとも地方支社の社長か最低でも専務クラスが天下り先として当たり前であることから考えると、おそらく噂は真実であり、同時に如何にとんでもない奴かわかろうと言うものだ。しかも、本来なら本部長としてあるはずの役員室も貰えず、大勢が詰め込まれている業務室の端に部長としての机があるだけである。おかげでメグミ達一般社員は大迷惑を被っているわけだが、会社もこいつを取締役として表には出したくないらしい。
メグミは……というか、おそらく食品部のほぼ全員が荒井を嫌っており、できれば話したくないと思っているのに、なまじ部長などという肩書で業務の流れの中に存在しているため、会議だけでなく日常業務でもかかわらなければならない。
メグミは有給休暇を挟むのが前提とはいえ会社が基本的に11連休になったのを利用して、ゴールデンウィークに友人との旅行計画を立て、すでにホテルの予約や飛行機のチケットの手配も済ませていた。ところが今日になって荒井に、
「あ、メグミくん。5月2日、出社してね」
と、とんでもないことを言われてしまったのだ。
「あの、部長、ゴールデンウィーク中ですし2日は有休申請してあったはずですが?」
「うん、でもねぇ、業界全体で見ると休んでる会社ばかりじゃないし、だれか出社してないといけないから。有休は会社が必要と認めれば、日を変更できるんだよ」
「それで、どうして私なんですか?」
「うん、ボクが来てもいいんだけど、メグミくんもそろそろ中堅どころだから、会社の一員として連休中の一般業務を覚えた方がいいと思ってね」
ここで、「ならお前が出社しろよ」とか、「会社じゃなくてお前の都合だろ」と言ってやればよいではないかと思うのは、社会の仕組みを知らない者である。社会の仕組みと言うのは、理不尽なものなのだ。休暇申請は課長に出すのだが、決済するのは部長なのである。
結局メグミは荒井部長の要求を受け入れざるを得ず、GWに予定していた旅行をキャンセルすることになったのである。いずれ日程を取って同じところに旅行することは可能であるとはいえ、今回のメンバーはもう誘ってくれないかもしれない。
こんな奴に決済させないで欲しい。
こんな奴に、ボーナスの査定をされるなんて冗談じゃない。
その夜、メグミは祈っていた。かなり真剣に。
「神様仏様、どうかあの糞部長をこの世から消してください、お願いします」
うん、こんな目に会えば、上司を消したくなっても仕方ないかもしれない。だからと言って、包丁を持って部長の家に乗り込まない程度には常識ある社会人と言えよう。もっとも、上司の消滅を真剣に祈っている時点でどうかとも思うが。
腹立たしさが収まらないままいつしか眠ったメグミは夢を見ていた。夢の中でメグミは神々が過ごす場所にいたのだが、その中で一番上位であることがわかる男が自分の前に来たので
「あっ、神様、どうかあの荒井と言う男をk」
しかし、男神はメグミを道端の石ころでも見るようにちらりと見ただけで、他の女性の所に行ってしまった。男神は他の女性とは親しそうに話し、願いを聞いているようだ。まぁ、それらの女性とはなにやらいちゃついているのだが。
見ていると自分を動物の姿に変え、女性に近づいてそのままあれやこれやしたりもしているようだ。
「なんだあいつ。上位の神らしいけど、やってることはクソ上司とあんまりかわらんな」
さらによく観察すると、この神にはちゃんと妻がおり、しかも妻に頭が上がらないらしい。動物に化けているのは妻の目をごまかすためもあるようだ。
男神は相手が美人と見ると見境なしに言い寄っている。ということは、メグミを無視したのは女として見ていなかったからだ。別にあんな奴に女扱いされたところで嬉しくもないが、無視されたのは癪に障る。その恨みと上司に似た行動への制裁を兼ねて、きっちりチクることにした。
「奥さん奥さん、あの神様は動物に化けて女の人の所に行き浮気してますぜ」
「なんですと? 詳しく言いなさい」
メグミはそりゃあもう、微に入り細に入り詳しく男神の行状を報告した。途中から奥さんの表情がかなり怖くなっていたが、その矛先は自分ではない、はずだ。
結局、矛先は多少は男神を委縮させていたものの、ほとんどは相手の女性に向いたようだ。夫婦そろってロクな奴らではない。できれば相手の女性でもなく良からぬことを実行している男神に集中させて欲しいものである。
ことが終わると、男神の妻がメグミの所にやって来た。彼女はメグミをしばらく見つめた後、
「メグミと申したか。そなたは夫の不義を知らせてくれましたし、夫に色目も使わなかったようです。ついてはそなたに「えっと、じゃああの上司を」男女の感情を知る力を授けましょう。今後も夫に色目を使う女を見つけたら知らせるのですよ」
なにか願いを聞いてくれそうだったので上司の抹殺を頼もうとしたが、一方的に役に立たない力を貰ってしまったようだ。色目を使う女って、色目を使って手を出しているのはほとんどアンタの夫の方なんだけどね。