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第1話 断頭台の記憶

新作書いてきます!

ざあざあと降り頻る冷たい雨が、罪人として引き立てられた私のボロボロの囚人服を濡らしていた。

王都の中央広場。粗末な木組みのギロチンに跪かされた私——リリアナに向けられるのは、広場を埋め尽くす群衆からの、憎悪に満ちた石と罵声の嵐だった。


「死ね、希代の悪女め!」

「お前が国の金を着服したせいで、俺たちの生活はめちゃくちゃだ!」


群衆の怒号を聞きながら、私はただ、虚無感に支配された瞳で、貴賓席を見上げていた。

そこには、雨に濡れない安全な場所から私を冷酷に見下ろす第一王子ユリウスと、聖女のティアラを被り、彼の腕にすがりついて「お姉様、可哀想……」と嘘くさい涙を流す義妹、クロエの姿があった。


——一度目の人生。

私は、王太子であるユリウスの婚約者として、血を吐くような努力で彼を支え続けてきた。

遊び呆ける彼の代わりに、執務室に籠もり、複雑な隣国との関税交渉をまとめ、国庫の予算をやり繰りし、領地の治水工事の差配まで、王太子の仕事の八割を裏でこなしていたのは私だった。


しかしちょうど一年前の夜会で、ユリウスは突然、私に婚約破棄を突きつけた。

「真実の愛を見つけた。お前のような冷酷で可愛気のない女は、私の隣に相応しくない」と。彼が選んだのは、教会の「聖女」として持て囃され、男の庇護欲を唆る天性の才能を持った義妹のクロエだった。


身に覚えのない『聖女いじめ』の罪を着せられ、私は地下牢へと幽閉された。

だが、本当の地獄はそこからだった。

私が公務から外れたことで、王太子の執務は完全に麻痺した。ユリウスとクロエには、山積みの書類を読み解く頭脳も、国を回す能力もなかったのだ。


わずか一年。たった一年で、隣国との外交は決裂し、予算の不正利用で国庫は傾き、民は飢えに苦しむようになった。

そして愚かな彼らは、あろうことかその失政の責任をすべて「地下牢にいるリリアナが、横領した金を隠し持ち、国に呪いをかけているからだ」とでっち上げた。

民衆の怒りの矛先を逸らすための、最も都合のいいスケープゴート。それが私だった。


(私が、あなたたちの尻拭いのためにどれだけ身を粉にして働いたと思っているの……っ!)


首筋に、冷たいギロチンの刃が触れる。

最後に見たのは、自分たちの保身のために私を殺す元婚約者と義妹の、下劣な嘲笑い顔だった。


『————ガァンッ!!!』


重い鉄の刃が振り下ろされ、私の視界は完全に暗転した。

ああ、神様。もしも次があるのなら。

もう二度と、誰かのために自分をすり減らすような、惨めな生き方はしない——。


「——聞いているのか、リリアナ! 貴様のような悪逆非道な女との婚約は、今日、この場をもって破棄させてもらう!」


鼓膜を打つ怒声に、リリアナはハッと息を呑んだ。

目をカッと見開く。目の前にはギロチンの刃も、冷たい雨も、暴徒と化した群衆もなかった。

あるのは眩いばかりのシャンデリアと、ざわめきに包まれた王城の華やかな大広間。

そして目の前には、私を指差して勝ち誇ったような顔をしている金髪の第一王子ユリウスと、彼の腕にすがりついて怯えたように震える義妹のクロエの姿があった。


(……ああ。私、戻ってきたのね)


リリアナは、自分が置かれている状況を瞬時に理解した。

ここは、今からちょうど一年前。処刑台に送られるすべての元凶となった、ユリウスの生誕を祝う夜会だ。


「お前はクロエのドレスを切り裂き、階段から突き落とそうとした! さらには王太子の婚約者という地位を笠に着て、私腹を肥やしていたそうだな!」


ユリウスが声高に罪状を並べ立てる。

クロエは「お姉様、怖かったです……」と涙ぐみながらユリウスの胸に顔を埋めた。見事な三文芝居だ。


一度目の人生の私は、ここでパニックになり、必死に無実を訴えて彼に縋り付いた。それが「醜い言い訳」とみなされ、破滅へのカウントダウンが始まったのだ。


しかし今のリリアナの心にあるのは、悲しみでも絶望でもなく、果てしなく冷え切った「呆れ」と、二度目の命を得たことへの歓喜だけだった。


(一年後、あなたたちの無能さのせいで国が傾くことを、私は知っている。……ええ、もうあんな泥船に付き合ってあげる義理はないわ)


リリアナは小さく息を吐き、姿勢をスッと正した。

そして、泣き喚くことも、弁明することもなく、ただ静かに、花が綻ぶような完璧な笑みを浮かべた。


「——はい、ユリウス殿下。その婚約破棄、喜んでお受けいたしますわ」


凛とした声が、大広間に響き渡る。

予想外の返答に、ユリウスは目を丸くし、クロエの作り泣きもピタリと止まった。


「な、なんだと……? 貴様、自分の罪を認めるのか! 泣いて許しを乞うなら、温情をかけてやらんことも——」


「罪? いいえ、身に覚えのない作り話に申し開きをする時間がもったいないだけですわ」

リリアナは扇で口元を隠し、クスリと優雅に笑った。


「それよりも殿下。私が婚約者を辞するということは、明日から殿下の執務机の右半分に積まれている『隣国アトラスとの関税交渉の最終通達』も、左半分にある『東部領地の治水工事の予算案』も、すべて殿下ご自身と、そちらの聡明なクロエ様が処理なさるということですよね?」


「なっ……!?」


ユリウスの顔から血の気が引いた。

彼は、それらの書類がどれほど重要で、どれほど複雑なものか理解していない。ただ、私が毎晩徹夜でそれを処理しなければ、国政が一日でストップすることだけは本能的に察したのだろう。


「クロエ。あなたは私に代わって、殿下を完璧に支えて差し上げるのですよね? ドレスを切り裂かれたと泣いている暇があるなら、まずは明日の朝一番の御前会議の資料作成を頑張ってくださいね。私がいなくても、聖女様の祈りの力でなんとかなるのでしょう?」

「お、お姉様……? なにを言って……」


戸惑う二人を前に、リリアナは扇を閉じ、王族に対する最も美しい、そして冷ややかなカーテシー(挨拶)を披露した。


「これにて、私は伯爵家からも、王家からも身を引かせていただきます。短い間でしたが、大変お世話になりました。どうか、お二人で末長くお幸せに」


リリアナは弾かれたように身を翻し、ざわめく貴族たちの間を縫って、大広間の出口へと歩き出した。

誰も彼女を止めることはできなかった。その背中は、罪人として追放される惨めな令嬢のものではなく、重い鎖から解き放たれ、自由を手にした気高い鳥のようだった。


(さあ、急がなきゃ。一年後にこの国が破綻する前に、安全な場所へ逃げ込まないと)


夜会の会場を抜け出したリリアナは、足早に馬車へ向かいながら、これからの計画を頭の中で組み立てていた。

実家である伯爵家に戻るつもりはない。すでに一度目の人生の教訓から、自分の財産を密かに別の口座へ移す手配は頭の中に入っている。


(私のこの公務の処理能力と、国政の裏事情の知識。これを最も高く買ってくれて、なおかつ王家の干渉を完全に跳ね除けられる軍事力と権力を持つ場所……)


リリアナの脳裏に、ある一人の人物の顔が浮かんだ。

北の辺境を治める、漆黒の髪と赤い瞳を持つ美丈夫。圧倒的な魔力と冷酷な性格から「北の怪物」と恐れられ、王家すら手出しできない独立した力を持つ、ヴォルフガング公爵。


(彼に私の能力を売り込んで、契約結婚を持ちかける。北の領地経営の補佐をする代わりに、私を厄除けの『飾りの妻』として保護してもらうのよ)


リリアナは馬車に乗り込み、王都に背を向けた。

愚かな元婚約者たちが、自分がいなくなったことで地獄のような執務の山に埋もれ、自滅への道を突き進むことなど、もう彼女の知ったことではない。


——この時のリリアナは、まだ知る由もなかった。

自分が「冷酷な雇い主」として向かおうとしている恐ろしい公爵が、実は一度目の人生から彼女を狂おしいほどに愛しており、彼女を誰よりも甘やかす準備を万端にして待ち構えているということを。

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