マーカス商会の新人
マーカス商会本部の立派な門扉を叩く。
商人として潜入するヴァーゴは真面目に見えるベージュのスーツに身を包んでいる。
堅苦しさに慣れず、首元のネクタイをいじった。
(似合ってるぜ、相棒)
(なんとでも言え)
魔剣デルフィンの皮肉に応じる気力すら失われていた。
肉体労働には慣れているヴァーゴが頭を使う仕事に従事するのはこれが初めてだ。
憂鬱な気分になるのも致し方ないことだった。
「お待たせしました。どのような御用でしょうか?」
「あー……、その、紹介状で働くことになったヴァルゴだ、です」
偽名を名乗ったヴァーゴは慣れない言葉遣いで推薦状を事務員に手渡した。
受け取った事務員は推薦状が本物であることを確認し、
「たしかに確認しました。それではまず会長の元にご案内します」
「あ、はい」
招き入れられたヴァーゴは屋内の仕事風景に早くも嫌気がさした。
所狭しと並べられた机に向かう事務員たちが書類の山に埋もれて作業をしている。
適材適所とは程遠い役回りにヴァーゴは脳裏でグッドマンへの恨み節を思い浮かべた。
「君がヴァルゴくんか。はじめまして。私がこの商会の会長マーカスだ」
「あ、はい。ヴぁー……ルゴ、です」
会長室へと案内されたヴァーゴは筋肉質でビシッとスーツを着こなした中年の男に挨拶した。
ヴァーゴにとっては苦手なタイプ、逆に言えばグッドマンなら話の合うタイプだろう。
会長マーカスはヴァーゴにソファを勧めた。
「ヴァルゴくんは……ふむ、冒険者からの転身か。事務仕事の経験は?」
「いえ、ない、です……」
「そうか……。読み書きや計算はできるのかい?」
「それなら、一応、できます」
推薦状とヴァーゴの顔を見比べながらマーカスは難しい顔でうなった。
それも当然だ。
マーカス商会のような待遇の良い職場で働くには技術や経験がいる。
事務員たちも商人としての経験を積んできた者たちばかりだ。
そこへずぶの素人であるヴァーゴを働かせろ、となかば強制する強力な推薦状を持ってこられたら経営者として頭を悩ませるだろう。
マーカスは小さくため息をついたものの、前向きな顔つきでヴァーゴに向き直った。
「ヴァルゴくん、正直に言うと君の経験や知識、技術ではいきなり実務を任せることはできない。だが、この推薦状を無下に断るわけにはいかない」
「あ、はぁ……すいません」
「いや、いいさ。はじめは誰もが未経験だ。一から仕事を覚えていってもらうために、まずは基礎となる書類整理の仕事から担当してもらう」
お荷物に過ぎないヴァーゴに対して、マーカスは寛大な判断を下した。
これらの会話からマーカスの人となりやこの商会の経営方針も見えた気がした。
「君にはビリーという男と組んで仕事をしてもらう。分からないことがあれば彼に聞いてくれ。彼は……うーむ、やる気がないわけではないのだが、今ひとつ向上心がなくてな……」
「はぁ……」
「いや、すまない。今のは聞かなかったことにしてくれ。会長が社員の愚痴をこぼすなどあるべき姿ではないからな。ビリーも君からしたらしっかり働く先輩社員だ。彼から多くのことを学んでくれ」
「はい、わかった、りました」
とりあえず会長との挨拶もとい面談が終わり、大広間での事務員たちへの紹介も終わってヴァーゴは晴れてマーカス商会の見習い事務員となった。




