好きだからイジメていたですって? 正気ですか殿下?
「こんな地味な女が俺の婚約者ぁ!? 冗談は勘弁してくださいよ父上!」
「――!」
私が初めてジャイルズ王太子殿下とお会いしたのは、私が10歳、殿下が11歳の時だった。
婚約者同士の顔合わせということで、期待と不安を胸に抱きながら王城に赴いた私を待っていたのは、ジャイルズ殿下からの心無い一言だった。
地味な……女……。
確かに昔から華やかさに欠ける容姿をしていた自覚はあったため、何も言えず俯いてしまう。
王子様という言葉がピッタリの、キラキラしたお顔をしてらっしゃるジャイルズ殿下を目の前にすると、余計惨めになる……。
「コラコラジャイルズ、そのようなことを言うものではない。エラは将来お前の妻になる女性なのだぞ。敬意を払わんか」
国王陛下がやれやれといった様子で、殿下をたしなめる。
「敬意ぃ!? 何故王太子である俺が、こんな女に敬意を払わなきゃいけないんですか! 納得いきません!」
殿下のこういった態度は、日常茶飯事なのかもしれない。
陛下はハァと深く溜め息をつきながら、右手で顔を覆うようにした。
自分の娘にこんな暴言を吐かれて、私のお父様も思うところがあったらしく、苦い顔で殿下をじっと見据えているが、流石に王太子殿下が相手ということもあり、奥歯を噛みしめて唇を真一文字に引き結んでいる。
あまりにも重く痛々しい空気に、この時の私はとても耐えられなかった――。
「あ、あの、ちょっと私、失礼します!」
「「「――!」」」
気が付くと私は、その場から逃げるように駆け出していた。
「……ハァ」
人気のない裏庭までやって来た私は、そこで一人しゃがみ込む。
「……うっ……うぅ……」
我慢しなければと頭ではわかっているのに、目から涙が溢れて止まらない。
――私はジャイルズ殿下の妻になる。
そう今日まで自分に言い聞かせてきたのに、その決心が容易く崩れそうになるほど、先程の殿下の一言は私の心をズタズタに引き裂いた。
「……これ、使って」
「――!?」
その時だった。
春のそよ風のように優しい声が、私の鼓膜を震わせた。
見れば私の目の前に、蝶の刺繡がされたハンカチが差し出されていた。
こ、これは――!
「……あなた様は」
そこに立っていたのは、ジャイルズ殿下そっくりの美少年だった。
だが、苛烈な炎を彷彿とさせるジャイルズ殿下とは正反対の、静かな清流のような雰囲気を纏っている。
「ウォルター殿下……で、いらっしゃいますか?」
ジャイルズ殿下の一歳下の弟で、私と同い年のウォルター殿下。
「うん、僕もさっきあの場にいたんだけど、兄上と違って僕は地味だから、目に入らなかったよね」
「そ、そんな、ことは――!」
地味だなんてとんでもない。
確かにジャイルズ殿下のような威圧感こそないものの、全身から溢れ出る気品はまさしく王族のそれで、本当の意味で地味な私とは雲泥の差。
私がさっきウォルター殿下に気付かなかったのは、ジャイルズ殿下からの出会い頭の一言が、あまりに衝撃だったからに過ぎない。
「……本当に兄上がごめんね。兄上に代わって、暴言を謝罪するよ」
「――!」
ウォルター殿下は私に深く頭を下げた。
「お、お顔をお上げください殿下! わ、私は別に、気にしてはおりませんから……」
「うん、君の立場だったら、そう言わざるを得ないのは、僕もよくわかってはいるよ。――でもね、エラ」
「……?」
ウォルター殿下は天使のような慈愛に満ちたお顔を、私に向ける。
殿下……?
「どうか僕の前でだけは、我慢はせず心の内を吐き出してくれないかな? 可愛い君が辛い想いをしているのは、僕は耐えられないんだ」
「か、可愛い……!?」
そんなこと一度も言われたことはなかったので、思わず全身がカッと熱くなる。
あわわわわ……!?
「そ、そんな、わわわわわ私は全然、かかかかか可愛くなんか……!」
「ふふ、そんなところも可愛いよ」
「……!」
尚も過剰に褒めてくるウォルター殿下に、私はたじたじになった。
――いつの間にか、涙はすっかり止まっていた。
「ハァ~、相変わらず辛気臭い面してんなお前は。せっかくのめでたい誕生日を、お前なんかの隣で過ごすこっちの身にもなれよ」
「……!」
あれはジャイルズ殿下の、14歳の誕生日のことだった。
王太子殿下の誕生日ということで、国中から貴族が王城に駆けつけ盛大にパーティーを開いていたのだが、その最中、隣に立っていた私に向かって、殿下がボソッとそう零したのだ。
「も、申し訳、ございません……」
日頃から殿下に辛辣な言葉を浴びせられ続けている私は、殿下の隣に立つとどうしても眉間に皺が寄ってしまう。
それが余計に殿下の神経を逆撫でし、イライラさせてしまうというのが、いつものパターンだった。
「チッ、だーかーら、その態度が気に食わないって言ってんのッ! いい加減にしろよ、お前ッ!」
「っ!」
だが、この日の殿下は、いつになく虫の居所が悪いようだった。
鬼のような形相で怒鳴られた私は、恐怖で固まってしまい、視界が歪む。
「し、失礼します……!」
堪えきれなくなった私は、その場から逃げるように駆け出した。
「うぅ……うあああぁぁ……」
人気のない裏庭で一人、私は声を押し殺して泣いた。
こんな生活が、あとどれだけ続くというのだろう……。
……もういっそ、泡のように消えてしまいたい。
「エラ、これ」
「――!」
その時だった。
いつもの優しい声と共に、桜の花びらの刺繡がされたハンカチが差し出された。
「……ウォルター殿下」
案の定そこにいたのは、ウォルター殿下だった。
初めてお会いした時は、私と然程身長が変わらなかったウォルター殿下だけれど、今ではすっかり抜かされており、どんどんと男らしく成長していく殿下に、思わず胸が高鳴る――。
「……いつも力になってあげられなくてごめんね。僕にもっと、力があれば……」
「そ、そんな……! 今でもウォルター殿下にはとても助けていただいております! で、殿下が陰で支えてくださっているから、私は耐えられているのです……」
「ふふ、そう言ってもらえると嬉しいよ」
嗚呼、ウォルター殿下……。
何故殿下は、そんなに私に優しくしてくださるのですか……。
「エラ、ただ今をもって、お前との婚約を破棄する!」
「「「――!!」」」
そして迎えた、私の17歳の誕生日。
王太子殿下の婚約者である私の誕生日ということで、王城で盛大にパーティーを開いていただいたのだけれど、宴もたけなわとなった最中、ジャイルズ殿下からの突然の婚約破棄宣言に、場は騒然となった。
嗚呼、遂にこの日がきてしまったのね……。
よりにもよってそれが私の誕生日とは、何とも皮肉だけれど……。
「……それは、いったいどういうことなのでしょうか、殿下」
無意味とはわかっていながらも、立場上訊かないわけにもいかない。
「どうもこうもあるか! もうお前みたいな女には心底うんざりした! お前は俺の婚約者には相応しくない! 俺の前から消えろッ!」
「……!」
嗚呼、言葉というのは、どうしてこうも、無遠慮に心を抉ってくるのだろう。
覚悟はしていたはずなのに、どうやら私は、自分でも思っている以上に、深く傷付いているらしい……。
「……承知いたしました。ごきげんよう、ジャイルズ殿下」
「ふん!」
別れの挨拶の意味を込めたカーテシーをジャイルズ殿下に取った私は、その場から無言で駆け出した。
「……ハァ」
いつもの人気のない裏庭で一人、私は天を見上げながら震える拳を握る。
空はこんなにも晴れ渡っているというのに、私の目からは雨のように涙が流れ出ている。
何だったのだろう、私の人生は……。
婚約者から長年に渡って嫌われ続け、挙句の果てには婚約を破棄されてしまった。
今の私には、もう何も残ってはいない……。
いっそ死んでしまったほうがマシだわ――。
「――エラ」
「――! ……ウォルター殿下」
そんな私に声を掛けてくださったのは、今日もウォルター殿下だった。
今のウォルター殿下からは、すっかり少年のようなあどけなさは消え去り、一人の立派な男へと成長を遂げていた。
でも――。
「今日は、ハンカチは貸してくださらないのですね……」
いつもならこんな時、ハンカチで涙を拭いてくださるのに……。
「うん、今日はハンカチの代わりに、僕の胸を貸そうと思ってね」
「――!」
両手を軽く広げながら、至って真剣な表情で、ウォルター殿下はそう言った。
で、殿下――!?
「こ、こんな時に、ご冗談はおやめください!」
「冗談なんかじゃないさ。――僕は君に初めて会ったあの日から、ずっと君のことが好きだったんだからね」
「――なっ!?」
そ、そんな――!?
あまりに予想外な台詞が出てきたので、言葉の意味がすぐには理解できず、頭がパニックになる。
す、好き!?
初めて会った日から、私のことが好きと仰ったの、今!?
「……う、嘘」
「ふふ、嘘なんかじゃないさ。――空気の澄んだ夜空みたいに綺麗な、君のその黒い髪と瞳。一目惚れだった」
「――!」
ひ、一目惚れ……。
「それから君のことを知れば知るほど、どんどんとその気持ちは膨らんでいったよ。小動物を愛でる時の、慈愛に満ちた顔。感動的な小説を読んだ時の、くしゃくしゃの泣き顔。僕が可愛いって言った時の、真っ赤な照れ顔。――それらの一挙手一投足が、僕の心を掴んで離さないんだ。いつの間にか僕の心は、君でいっぱいになっていたよ、エラ」
「殿下……」
ウォルター殿下はまるで天使でも見ているかのような顔で、真っ直ぐに私を見つめる。
「まさか君は僕が何の下心もなく、君に優しくしているとでも思ったのかい?」
「あ、いや、それは、その……」
実を言うと、心のどこかでは、その可能性も僅かにあるのではないかと思っていなかったわけではない。
でも、いざそう言われてしまうと、夢の中にいるみたいに現実感がなく、心がふわふわしている……。
「だから今後は、僕が君を生涯を懸けて幸せにしてみせる。――どうか僕と、結婚してくれないか、エラ」
「ウォルター殿下――!」
ウォルター殿下は両手を目一杯に広げ、太陽のような笑みを浮かべた。
嗚呼――。
「ウォルター殿下ああぁぁ……!!」
私はウォルター殿下の胸に飛び込み、子どものように泣いた。
「ふふ、愛しているよ、エラ」
そんな私をウォルター殿下はそっと抱きしめ、私が泣きやむまでよしよしと頭を撫でてくださったのだった――。
「新郎ウォルター、あなたは病める時も、健やかなる時も、妻であるエラを心から愛し、生涯を懸けて支え合うことを誓いますか?」
「はい、誓います」
神父様からの問いに、ハッキリとした声でそう答えるウォルター殿下。
「新婦エラ、あなたは病める時も、健やかなる時も、夫であるウォルターを心から愛し、生涯を懸けて支え合うことを誓いますか?」
「はい、誓います」
そして私も同じく、真っ直ぐ前を向きながらそう答えた。
「では、誓いのキスを」
ふうと軽く息を吐いてから、ウォルター殿下が私のベールを上げる。
いつになく熱の籠った瞳で見つめられると、心臓が自分のものじゃないみたいにドクドクと早鐘を打っている。
嗚呼、ウォルター殿下――。
「ま、待ってくれッ!!」
「「「――!!」」」
その時だった。
教会の扉を乱暴に開けながら、一人の男性が飛び込んで来た。
「ジャ、ジャイルズ殿下……」
あろうことかそれは、他でもないジャイルズ殿下その人だった。
何故ジャイルズ殿下がここに……。
今日の式には、欠席すると事前に連絡をもらっていたはず。
私とは婚約を破棄した立場なのだから無理もないと、あまり強くは言わなかったのだけれど……。
「好きなんだ、エラッ!!」
「「「――!?」」」
…………は?
今、何と?
好きと仰いましたか、私のことを……?
「……どういうことでしょうか」
「どうもこうも、そのままの意味だよ! 俺はずっと前から、お前のことが好きだった!」
「っ!?」
はあああ???
いったい何を仰ってるんですか???
全然意味がわからないんですけど……!?
「だ、だってジャイルズ殿下は、ずっと私のことがお嫌いだったじゃないですか……」
「俺は嫌いだなんて一言も言ってないだろ!? 俺は初めて会った時から、お前のことを可愛いと思ってたんだ! でも、照れくさくて素直になれなくてさ! ほら、子どもがよく、好きな女の子をイジメちゃうってあるだろ!? あれと一緒だったんだよ!」
「……!」
この人、正気なの……?
「でも全然お前は、俺の気持ちに気付いてくれないからさ! だからお前の誕生日に、サプライズの意味も込めて、婚約破棄宣言したら真に受けちまうんだもん! しかもその途端実の弟に好きな女を奪われるとか、有り得ないだろそんなのッ!?」
「……」
有り得ないはこっちの台詞よ……。
とてもじゃないが、同じ人間とは思えない……。
こんな人と同じ脳の構造をしているなんて、にわかには信じられないわ……。
「フザけるなッッ!!!」
「「「っ!!?」」」
その時だった。
私の真横から、空気を震わせるような怒声が飛んだ。
その声の主は、怒りを露わにしたウォルター殿下だった。
ウォ、ウォルター殿下……。
いつも温厚なウォルター殿下がこんなに怒ってるのは、初めて見たわ……。
「あれだけ酷い言葉の数々でエラを深く傷付けておきながら、今更好きだったとは、そんな戯言が罷り通るとでも本気で思ってるんですか!?」
「なっ……!?」
まさかウォルター殿下からそんなことを言われるとは、思ってもいなかったのだろう。
見る見るうちにジャイルズ殿下の顔は、青筋を立てて真っ赤に染まった。
「お、お前こそフザけるなよッ!! 俺はお前の兄で王太子だぞッ!? 俺がその気になれば、お前如き国外へ追放することだってできるんだからなッ!」
そんな――!
「いや、追放されるのは貴様のほうだ」
「「「――!」」」
その時だった。
事の成り行きを静観されていた国王陛下が、ジャイルズ殿下の前に立たれて、そう宣言された。
「まったく、貴様にはつくづく呆れた。我が息子ながら、まさかここまで愚かだったとは……。貴様のような痴れ者には、とてもこの国は任せられん。貴様からは王位継承権を剝奪し、国外へ追放処分とする」
「「「――!!」」」
「なあぁッ!!? お、お待ちください父上ッ!」
「いや、これは決定事項だ。……本当はもっと前から、こうしておくべきだったのだ」
国王陛下は虚空を見つめながら、グッと拳を握られた。
「――おい、この部外者を、さっさとこの神聖な場からつまみ出せ」
「「「ハッ」」」
「嗚呼! 父上!! どうかお慈悲をッ!! 父上えええ!!!」
屈強な兵士たちの手によって、ジャイルズ殿下は連れ去られていった。
……さようなら、ジャイルズ殿下。
「さて、王太子の席が空いてしまったので、新たな王太子は、お前に任せるぞ、ウォルターよ」
「はい、謹んでお受けいたします」
ああ、これでこの国の未来も安泰ですね……。
本当に……、本当によかった――。
「コホン、では、誓いのキスの続きを」
神父様が軽くウィンクしながら、私たちに促す。
流石プロ。
こんなイレギュラーな状況にも動じず、職務を全うするとは。
「ふふ、いいかい、エラ?」
「はい、ウォルター殿下」
ゆっくりと寄せられるウォルター殿下のお顔を見つめながら、私はそっと目を閉じたのだった。
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