それでも私はホットココアを用意して待つ
その日の夕方。
居間のソファーでうとうとしていた私は、バチバチと窓ガラスを叩く雨の音で目を覚ました。すぐに窓辺へと行き、確認するように雨空を見上げる。
土砂降りだった。
――もうすぐ帰ってくるかも……。
私はそんな予感がして、玄関脇に見える駐車場に目をやった。夫が会社に乗って出た車のあとのスペース、その隅に主を失った自転車がある。
今はもう誰も乗ることがない自転車だ。
と、そのとき。
「ただいまー」
玄関から息子の声が聞こえた。
予感が当たった。
「お母さん、タオル持ってきてー」
息子が呼んでいる。
私はバスタオルを手に急いで玄関へと向かった。
玄関に立った息子が早口で話しかけてくる。
「帰り道で夕立に降られちゃって、服も靴もびしょびしょになったよ」
「はい、これ」
私は息子にバスタオルを渡した。
「サンキュー」
息子はバスタオルを奪うように取ると、それで頭をゴシゴシとこすりながら、二階にある自分の部屋へと階段を駆け上がっていった。
そして二階の踊り場で振り返って笑顔で言う。
「温かいココア、お願いね!」
私は薄くなってゆく息子に向かって大きくうなずいて見せた。
息子の靴は濡れてなどいない。
息子の服は濡れてなどいない。
そう、頭も肩も手も、どこもここもみんな。
あれは去年、台風が荒れ狂った日だった。
息子は下校途中の帰り道、乗っていた自転車が強風にあおられて転倒し、そこを後ろから走ってきた車にはねられた。
ほぼ即死だったらしい。
事故が一瞬のことだったからか、息子は今も自分が死んだことに気がついていない。
あの日のような大雨の日。
息子は今日のように我が家に帰ってくる。
それから階段を駆け上がると踊り場で振り返り、笑顔でホットココアを私に注文する。
だがいくら待っても、息子が階段を降りてくることはない。
それでも……。
私はホットココアを用意して、いつものように居間で息子を待っている。