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第52話 氾濫

 時刻は深夜。静謐なトレイター学園の廊下に揺らめく光が見える。ランタンの様な光ではない。指向性を持ったライト。懐中電灯である。


 この学生寮には各々のトレイターが所持している膨大な数と価値を持つカードが大量に保管されている。故に一定周期で警邏職員が寮を巡回しているのだが、この学園都市は広大な敷地面積を誇る。つまりすべての警備をここに回すわけにはいかない。


 ということを、“彼”は綿密な準備のおかげで把握していた。


 目的の部屋までたどり着くとその男は施錠されているカギをバーナーで焼き切った。


「これは正当な奪還だ。一切の慈悲もいらねえだろ。スナッチャーからカードを取り返して何が悪い」


 髪を金色に染めているその男は、月見里紫苑の部屋へと侵入する。周囲を見渡し、人がいないのを確認すると一息ついた。


 それも考えてみれば当たり前だ。彼は現在インターンシップで大阪と東京に出かけている。それに彼の仲間であるチームSの面々も近くにいない。絶好のタイミングだった。


「金庫は、……ここだな」


 どの部屋も基本的に内装に大差はない。金庫の場所を特定するには大した労力を要さなかった。それもバーナーで焼き切り、開けたところ、宝の山が存在していた。


 入学早々、プライドをズタズタにされ一度殺された、月見里紫苑に対する私怨も当然あったが、それよりも彼は、スナッチャーがもてはやされている現状に義憤を感じていたのだ。


「すげえな、これ全部売り払ったら、何億円に……」

「手に取りましたね」


 後方から女性の声が聞こえてくる。即座に後ろを振り向くとベッドに腰かけている女性講師。ボーイッシュな黒髪の、スーツを着た女性。長谷川講師が虫を見る目でバイトリーダーを見つめていた。


「な。なんで……」

「キミは授業もちゃんと受けていないみたいだね。私の専攻は対スナッチャー特化の対人術。姿を消すカードも持っている。そして今、キミが紫苑君のカードを手にとった瞬間に、スナッチャー落ちが確定したんだよ」


 ぶるぶると両腕を震わせながら歯を鳴らす。しかしそれでもなお彼は自分が悪いとは思っていなかった。


「違う、スナッチャーなのはあいつだ。月見里だ! あんな貧乏人がこんな宝の山を……」

「努力したんだよ。努力しても報われることなんてほとんどない。彼は失楽園奪還のために粉骨砕身している。彼は知を取り入れ、武を取り入れ、心を成長させている。その結晶がそれだ」


 長谷川は悲しそうな顔をしながら続ける。スナッチャーの最低刑は死刑。つまりここで自分は学生の命を摘み取ることになる。罪悪感がなかったといえば噓になるが、それでも紫苑の努力を思考停止で一蹴する彼のことは好きになれなかった


 バイトリーダーはカードを抜いていた。捕まれば死刑になるのは知識として知っている。しかし裏を返せばもう武力行使を抑制する箍は外れたといっていい。


 次の瞬間カードを持っていた手は手首の関節を外される。


 あまりの痛みに声にならない悲鳴を上げ、悶絶し蹲るが、長谷川はそれ以上の追撃はしなかった。


 実力差が違いすぎる。長谷川は『狩人の健脚(ハンターズレッグ)』を使用していない。単純な歩法で関節を外したのだ。


「違う、違うよ。アイツは難民なんだ。だから、一年もたたずにこれだけのカードを集めるなんて不可能なんだ……」


 眦に涙を湛えながら、バイトリーダーは縋りつく。もうすでに連絡してあったようで、他の講師陣も増援に駆けつけ、彼を確保する。


「うちの学校からスナッチャーが出るなんてね」

「理事長、『天災』がいますよ。というよりほかにも大勢います」

「そう、だね……」


 理事長は力不足を嘆くように瞳を伏せる。あの紫苑と彼の決闘と呼べるかも怪しい、圧倒的な蹂躙は彼の心に闇を生み出したはずだ。あれが彼の更生のきっかけになってくれればと思ったが彼の心には憎悪と筋違いの復讐心を生み出しただけだった。


 どうすれば彼を正しい道に進ませることができたのであろう?


 真摯に言葉を尽くして説明すればよかったのか。


 それでも彼は自分の信念は曲げなかっただろう。彼が難民だと蔑んでいた紫苑のことは万の言葉を尽くしても変えられない。


 教育者として、軍人として、トレイターとして。私が彼にできたことはなかったのか。


 忸怩たる思いで歯噛みする理事長のもとにものの一時間で管理局の職員が駆けつける。


「理事長。またですか」


 その言葉を放ったのは管理局対人最強、(すめらぎ)一徹(いってつ)。理事長とは旧知の仲だ。彼もまた哀しい表情をしていた。バイトリーダーから出るのは自己弁護の言葉ばかり。しかしスナッチャーの最低刑は死刑。本来ならばこの場で処刑する方が手っ取り早いのだが、法治国家である日本において例え、結果が同じでも死刑囚として扱うことになる。


「ああ、()()()


「では護送します。協力感謝いたします」

「皇君。明日は暇かな?」


 皇は眉尻を下げ、困った顔をする。


「管理局の職員で暇をしている者は誰一人としていないと思いますが……」

「そうか……」


 理事長は虚空を見つめる。彼女が腹を割って話せる相手は少人数しかいない。この学園の講師でさえ彼女のプライベートを知る者はほとんどいない。


 皇は逡巡した後大きく息を吐き煙草に火をつける。


「そういえば、上司から有休をとれとさんざ言われていたのを思い出しました。一緒に食事でもどうですか?」

「……ありがとう」


 こうして、学内スナッチャー事件は拍子抜けするほどあっさりと幕を閉じた。


 ■■■ 数日後 東京 スナッチャー専用刑務所 死刑囚棟


 スナッチャーは裁判にかけられることは無い。だからこそこの死刑囚棟というものも、形骸的な法治国家の体裁を保つために存在しているだけなのだが、そこは一部界隈のノイジーマイノリティがうるさかった為である。


「犯罪者にも人権を!」

「その場での処刑など日本においてふさわしくない!」


 などと平和ボケした人間は少ないながらも存在する。本当の地獄を経験していないものからしたら、たかがカードを盗んだ程度で極刑にするのさえ疑問視する声が上がったものだ。


 人間は見えている世界のものしかわからない。特に想像力の欠如している人間は、世界の裏側でいくつの国が戦争していても、明日は当たり前に来ると思っている。その平和の為に尽力してきた英霊たちを戦争愛好家と呼ぶことさえ珍しくない。


 言語道断である。


 武力とは交渉の席に着くために必要なものだ。


 例え千の主張と万の正論を持つものがいたとしても。武力を持たない人間にとってそれは鉛玉一つで封殺されてしまう。


 武力とは殺すためにあるのではなく。話し合うためにあるのである。


 しかしこれは飽くまで人間同士の諍いの話に限る。人類を殺戮している異形どもに打ち勝つのは人間同士のそれにも増して、武装強化が必要になる。


 そういった自称平和主義者との議論の結果、折衷案として出されたのが、死刑囚隔離棟という刑務所だった。


 件のバイトリーダーもここに入所することとなった。


「ここ、刑務所だよな?」

「然り、それに疑問を抱けるようでは、君は未だ完成していない」


 バイトリーダーが中年の刑務官に案内されたのは、豪華絢爛な最高級スイートルームのような部屋。黒髪にスーツ。まるでマンハッタンのエリートビジネスマンのようないでたちの彼は、しかし、それでいて不自然だった。


 これからビジネスの話を始められても違和感を覚えないほど凪いでいるのだ。彼の心は。それに対して刑務官は一切の疑問を受けないように一礼し、部屋を出ていく。


「まあ、座りなさい。(くすのき)達也(たつや)君、だったね?」


 ふいにバイトリーダーは涙腺が緩むのを感じた。学園に入って、自分を認めさせてやると息巻いたはいいが、紫苑に蹂躙されPTSDを患い、他の学生からも本名を呼ばれることすらなかった。左腕で涙をぬぐい、椅子に座る。


 トレイターになって初めて認められたのだ。もはや今はスナッチャーだが。


「なんで、俺の名前」

「キミ、紫苑君に喧嘩うったでしょ? ここはいろいろと便利なの。情報も入ってくるし、酒も煙草も薬もできる。まあ、薬はしないんだけどね。魂が汚れる」


 達也は動揺し自分の中で何からかみ砕けばいいか、咀嚼し損ねていた。しかし、出た言葉は保身だった。


「俺たちは死刑になるんですよね?」

「どうやらそうらしいね」


 馬鹿にしたようにくすくすと男は笑うが、それは達也に対するものではなく、死刑にしたくてもできない脆弱な民主主義への嘲笑であるように感じられた。


「私のことは『教祖』と呼んでくれ。様はつけても付けなくとも良い自由にしてくれ」

「教祖ってもしかして教団のリーダーの?」


 ワインを一口飲み、教祖は微笑みながら言葉を返す。


「そう。しかしひどいもんだ。確かにあの紫苑君は強い。でも君の思った通り、言葉巧みに学生から、教師からカードをトレイター法ぎりぎりの線で自分のものにしているらしい。それなのに達也君がそれを正そうとしたら、今度は法を武器にして、カウンターだ。実に老獪だ」

「そうです……。そうなんです。俺は正しいことをしただけなのに」

「ああ、私ならばわかってやれる。だから君に助け舟を出そう」


 ぼろぼろと涙を流す達也は顔を上げ反芻する。


「助け舟……?」

「そう、救済だ」


 それを聞いた瞬間達也は顔を青ざめさせる。


「知っていますよ! 教団の理念は人類救済! つまり死を振りまく、組織だと」

「ああ、そうだが。そうじゃない。死は過程であり、結果ではない。その手段だけ切り取られて、我々を悪意ある組織だと認定されているのだが……。少し話をしようか」


 ワイングラスに二人分のワインを注ぎ、そのうち一つを達也に渡す。彼は逡巡したものの恐る恐る口を付けた。


「円周率はどこまで覚えている?」

「はい?」

「ま、いいから」


 相も変わらず教祖はにこにこと笑っている。突拍子もない数学の話に訝しみながらも。達也は答えた。


「3.14まで、ですね」

「そこまで知っていれば、計算には困らないね。3.141592653589793……。と言っていたら文字通りきりがない」


「それが? 死が救済だということに何の関係が?」

「円周率は無理数であり、循環しない。つまり9が連続100桁続く箇所も必ずあるし、キミが今適当にどれだけ大きい数字を挙げたとしてもその数字の羅列は必ず存在する」


 難しい話だが決して頭のよくない達也でもすんなり理解できる。彼はすでに教祖の言葉に夢中だった。


「そしてフリードリヒ・ニーチェの永劫回帰。仮に宇宙の分子の数が有限個で、時間が無限にあるとする。そうなれば世界はまた同じ形を必ず形どる。という理論だ。つまり死ねば終わりではなく、また土にかえり、星が消え、また新しい宇宙ができた時に、キミ。楠達也という人間は新しい世界に誕生する。今度はこんな絶望の世界ではなく、新しい希望の世界に出現する」


「なるほど……。でもそんな馬鹿みたいに低い確率は、一体何億年たったら」

「第三者視点では永遠、と呼んでいいほどの確率だね。でも君自身が死んだらどうなる? 時間の流れも知覚できなくなるんだぞ?」


「そう、そうか……」

「つまりファンタジーでありがちな転生というのは完全なオカルトではなく、理論上完成しているのだよ。だから我々はすべての人類に終わった世界に執着することなく、“次”へ行きましょう。と言っている」


「でもやはり死ぬのは怖いです」

「そういうと思った。別に今すぐ死ぬ必要はない。この死刑囚棟で執行されることは私の息がかかっている者には訪れない。気長に考えてくれ」


 達也は何度も頭を下げながら、教祖に礼を言う。再び刑務官が扉をあけ、独房に連れていかれる。



 教祖は煙草に火をつけ。天井を見る。


「あれじゃ代行者にはなりそうにないな。スカルローバーにでも献上するか。ちょうど代行者みたいな使い捨ての駒が欲しいと言っていたし」




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