第45話 赤い糸
■■■ トレイター学園寮 雪菜の部屋
乾いた破裂音が響く。琴音がスナッチャー以外の人間にふるった初めての暴力だった。それを紫苑は甘んじて受け入れた。
「貴方、死のうとしましたね」
紫苑は地面を見つめて何も答えられなかった。彼女の言葉は紛れもなく真実だったからだ。
「『赤い糸』が運命を共にしないならば、自分を犠牲にすれば私だけが助かると。確かにすごいです。私はこのカードは便利なワープアイテム程度の認識でした」
紫苑はビンタで赤くなった頬をさする。それでも紫苑の心中は身体的な痛みより精神的痛苦のほうが勝っていた。
「この『運命を共にする』という抽象的なテキスト。その真意まで読み取って実践できるのは感服します」
琴音は紫苑の顎に手を当て、俯いた彼と目を合わせる。
「貴方、私に言ってくれましたよね。故郷を取り戻すのだと。それを仲間のトレイター一人を生かすために投げ出すんですか?!」
数瞬の沈黙の後、紫苑はおもむろに口を開いた。
「……ああ、すまない」
守るべきものがあれば人は強くなるといわれるが、殺し合いの最中にはそれは足枷にしかならない。もう紫苑には大事なものができすぎた。
琴音が紫苑の胸に顔をうずめて、涙を流す。
「それに、遺された人の気持ちも考えてくださいよ……」
紫苑はただ反芻するだけだ。
「すまない」
「琴音ちゃん。ボクも紫苑くんの行動は合理的ではなかったと思っている。でも、目の前で戦友が死ぬのを見ていて、それでも見捨てられる。それはもう人間じゃないよ。しかもそれが大事な人ならば尚更そうだ。だから大目に見てあげてくれ」
琴音は涙をぬぐい、俯いてしまった。そこで雪菜は紫苑に声をかける。
「ただ、紫苑くんも。おそらく今の“甘さ”じゃあ失楽園は遠い果てだ。本気で人類領地を取り戻すならば、君は人間であることを捨てなければならない」
「そう、だな。そうだよな。わかっている。理屈の上では……でも……」
「やっぱり君は優しいね。でもそれだけじゃ世界は変えられない」
雪菜は厳しくも優しく紫苑を叱咤する。
今度は琴音が口を開く。
「紫苑さん、約束してください。もう『赤い糸』の破棄をしない、と」
「…………ああ、わかった」
(これもう半分プロポーズだろ)
呆れながら、半目で二人を見る雪菜だったが。そこでようやくひと段落ついたのだろうと微笑みをこぼす。
「兄貴が死んだらどうするんだよ。そりゃ琴音にも死んでほしくないけど。誰一人欠けることなく異形どもから領地を取り戻すんだろ?」
鬼塚の質問に紫苑は何も答えない。正門との一戦で自分がいかに力不足か痛感させられた。
そして落ち着いた二人は救援に駆けつけてくれたチームSの全員に頭を下げ感謝の言葉を述べた。しかし、琴音には腑に落ちない点が一つ。
「なんで皆さんあんなに救援が早かったんですか?」
何故長野にいるはずの彼ら彼女らが東京に来ていたのか。しかし、紫苑には大体予測できる。大方、自分と琴音のデートを近くで尾行していたのだろうと。ただそれは話がこじれそうなので触れないでいた。
焦ったように雪菜は頭を搔き、はぐらかそうとする。
「まあ、そうだな。ボクたちも東京旅行に行ってみたかったから、だぞ」
「それにしても早かったような……」
「あ、そうだ。もう卒業式だな。ボクと宙、要はここで卒業だよ。まあ不祥事を起こさなければだけど」
「ああ、もうそんな季節か。時がたつのは早いな」
しみじみと紫苑の頭の中には今までの思い出がよみがえる。
「紫苑君。俺は対人特化の『アルテミスギルド』への就職が決まっている。何かあったら力になるよ」
「宙先輩。ありがとうございます。他の皆さんはどこ志望ですか?」
要が凛とした態度で答える。
「あたくしは『オーディンギルド』関東最大のギルドですわ」
「あー、あそこはカード資産を重要視しているから確かに要さんらしい」
「雪菜さんはどうなんです?」
琴音が訊ねると雪菜は饒舌に話し始める。
「『ミダースギルド』資金力では日本で一番大きい企業だよ。やっぱりお金は大事」
「全員、四大ギルドに就職決まったんですね。めでたいな。今度送別会でもやろうか」
「貧乏人の安肉なんて食いたくねえな。だからその時は俺が最高級の食材をもってきてやるよ」
「あれ、金城。お前、丸くなったな」
「そんなことはない」
プイと反対方向を向いてしまう。天邪鬼だなと紫苑は乾いた笑いをこぼしていた。
「ああっ!!」
そこで叫び声をあげる人物が一人。学園最強の小鳥遊宙であった。
「どうしました?」
要は彼が見ているデバイスをのぞき込む。そして得心のいったように頷く。
「学園ランキング一位が、紫苑君の名前になっている……」
「え? 本当ですか?」
ガクリと項垂れ、紫苑も自分のデバイスで確認すると、確かに相違ない。しかし、これだけのヘマをしておいて、何故急激にランクが上がったのだろう。と疑問に思うが口をはさんだのは『姫』こと栞だった。
「スカルローバーのボス。正門羅希。今まで名前さえ知られていなかった人物ですよね。だから、あの。情報を持ち帰った。その功績なのでは?」
「ああ、そうか。彼の切り札だろう『影潜り』も白日の下にさらされた。夜は正門の独壇場だ。それを知れただけでも値千金ってわけだな」
首席卒業を逃してしまった宙は、それでいて、晴れやかな気持ちだった。紫苑にならば、この絶望の世界でも任せられる。おためごかしなしに心から言える。強さと知能。そして優しさを持っている彼ならば。
もう琴音はいつもの調子を取り戻していた。
「では、卒業式の後、さっき言っていた送別会をやりましょうか。またみんなで」
「異論ないぜ」
「わ、私もです」
口々に肯定の言葉を発し、紫苑もそれに倣う。
「では、解散しようかな。ボクもブログ更新しないと。あと理事長から、ファイヤーウォールの強化を頼まれている。やることが多い」
「そう、ですね、私も、やらなくちゃいけない事がありますし……」
「おっ? 訓練か? だったら栞。俺も付き合うぜ」
「あ、いや。これは。私的な趣味みたいなもので。ていうか趣味です。はい」
もじもじと眼鏡をいじくりながら『姫』は頬を上気させる。
「あのですね……。なんていうか。今回の事件。死者も出ているので不謹慎なんですけど、インスピレーション湧いちゃって。夏コミまでに鬼塚くん×紫苑。宙先輩×紫苑。金城さん×紫苑の本の準備をしないといけないので」
「夏コミ? なんだいそれは? それに掛け算は何? 白雪さん?」
チームでも最も陽キャな宙が不思議そうに尋ねるが、紫苑が声を上げる。
「なんで僕が受けばっかなんだよ! ていうかナマモノって本人の許可なしで発行していいの? ていうかコミケって復活してたんだ……。突っ込みが追い付かないからやめてくれる?」
「それより俺は女だぞ! なんで男扱いされているんだよ!」
「え? 性転換するだけですけど?」
悪びれもせずに『姫』は言い放つ。金城も頭を抱えて黙り込む。
「まあ、紫苑さんが受けなのは私もわかります、私の小説でも……」
それを聞き、雪菜は琴音の顔を具に見つめる。
「え? ボクは栞ちゃんが腐女子なのは知ってたけど。琴音ちゃんもそうなの?」
「違……! 私は夢……! いや何でもないです」
顔を真っ赤にさせながら琴音は首をぶんぶんと振った。
しかし、その断片だけでも栞は琴音の言いかけたことが分かったのだろう。『姫』のメガネが不気味に光る。
「へぇ~。なるほどなるほど。そっちかぁ琴音さんは。今度一緒に見せ合いっこしませんか?」
「絶対嫌です!」
「私がそれを漫画化させてあげると言ったら?」
琴音は口を結ぶ。彼女のCPU使用率が100%になっているのだろう。自分の恥部を人に見せるのと、自分の夢小説が漫画化されるのが天秤にかかっていた。
「なあ、宙先輩。こいつら何言ってんだ?」
「さあ? 俺にもよくわからないよ。要は?」
「なんとなーくわかりますけれども。彼女たちの名誉のために口を閉じさせていただきますわー」
「さあ、散った散った! 各自部屋に戻ってよ」
部屋の主である雪菜が痺れを切らし、全員部屋を追い出される。挨拶をして各自部屋に戻っていく。
■■■
部屋に戻り昼間だというのに紫苑はベッドで寝転がっていた。正門戦の休息のために理事長から謹慎という名目の休みをチームSはもらっていたからだ。そんな彼のもとに一本の電話がかかってくる。相手は長谷川先生。3コール目で紫苑は通話に出た。
「今は大丈夫? 紫苑君」
「ええ。暇です。建前ですが謹慎中なので訓練ができないのは残念ですが……」
「以前君に提案されていた新兵器が試作だけど原型ができたから連絡を入れたよ」
紫苑はベッドから跳ね起きる。
「本当ですか?」
「エイプリルフールにはまだ早いよ」
長谷川は笑いながら答える。
「できる限り機密性の高い部屋で話したいのですが……」
「まあ、そうがっつかないで。今は謹慎中、でしょ? 卒業式が終わったら場を設けるから」
「……。わかりました。できるだけ……」
「内密に、でしょ? 心配しないで。今は心と体の休息に専念してね。じゃあまたかけるから。またねー」
「はい。お疲れ様です」
紫苑はおもむろにベッドから起き上がり、金庫からカードを取り出した。カーテンを閉め机の上にそれらを並べていく。
(『教団』の司教は佐官トレイタークラスだったが今回のスカルローバーのボス。正門は少なくとも少将、将官クラスの強さがあるのは間違いない。『影潜り』を使われる限り、夜やダンジョン内ではほぼ無敵を誇る。暗殺特化の構成をしていた)
「手も足も出なかった」
拳で机を叩く。他のチームSの助力と、アルテミス、およびオーディンギルドの加勢がなければ“終わっていた”。
しかし長谷川から対スナッチャー用武装の試作ができたという吉報も届いた。となれば、ここは他のスナッチャーに対するメタを薄くし、正門に対していくらか対策カードを厚くする必要があるだろう。
「もう、二度と敗北はしない」
甘えた言葉だ。敗北は許されない。負ければ死ぬ。この世界では一度の敗北でも終わるのだ。だから今の紫苑はもう死者だ。
一度死んだ彼は確かな決意とともに、対人戦用デッキを組み替えていった。




