第34話 亡者と猛毒
粟立っている。
肌が泡立っている。ポコポコと代行者の腕が、脚が、頭が、マグマのように沸き立っている。先陣を切った講師も同様に事切れているのに身体は痙攣を続け、気泡が体内から外へと逃げる。
「すみません。僕も本意では無かったのですよ……。毒で死ぬ人は、きっと苦しい最期になってしまうので。でも僕は悪くありませんよ。最初に毒で攻撃したのはそっちじゃないですか……」
紫色の長髪を揺らしてヴェーノは頭を振る。
癇癪を起こした子供のように。駄々をこねる幼児のように。
琴音は自分の右腕を確認する。そこからは酸の鼻を衝く匂いがして、チーズのように溶けてしまっている。
視線を横に動かすと宙から譲り受けた『ラルド』の溶解物がある。毒を統べる空の王が見るも無残に堕とされた。近接攻撃を仕掛けようとした尉官級講師も溶けて腐食している。
「あのぉ……。僕は毒を使いたくないんです。だから今すぐ、死んでもらうわけには、いかないですかね。多分そちらのほうが、楽な旅立ちになると思うので」
返答の代わりに琴音および講師陣の大量の攻撃呪文がヴェーノの眼前に迫る。彼は避けも、防ぎもしなかった。
炎も氷も雷撃も、彼の眼前で霧散する。
「あの……すみません。多分無駄だと思います。『猛毒障壁』は呪文も溶かすので」
■『猛毒障壁』 装備 コスト10 ウルトラレア
●使用者の5m以内の暴露した物質と現象を毒に侵す
●使用者は毒に侵されない
「マエストロ! ここまでの全呪文を詠唱して下さい!」
琴音の指示で、仮面をつけタクトを握る、巨大な異形が指揮を執る。今までヴェーノに打ち込んだ『攻撃の旋律』が5発撃ち込まれる。
「すみません。風でどうにかなるものじゃないんですよ……。いや、試してみる、ていうのは大事ですよね。失敗しても次につながる。“希望の世界”でも今生で学んだことは活かせるはずです」
全ての攻撃呪文は彼の『猛毒障壁』で防ぎきられる。銃弾でも彼に届く前に腐り落ちてしまう。近づけば、猛毒の餌食となる。
拮抗した。
……拮抗した、と思っていたのは学園側だけだった。ヴェーノがカードを切ると九つの首を持つ蛇が現れた。
■『九頭竜』 異形 コスト35 ウルトラレア
●九つの首それぞれが猛毒を持つ。その猛毒は眠るように対象を混濁させ、死亡させる
●すべての首を同時に落とさなければ再生する。
●攻撃力450 体力390
「すみません。最初からこれ、使っていたらよかったですね。あー。僕が第17司教なのもこれが原因なのですかね。いっつも無能ばっかさらして……。教祖様の顔に泥を塗ることだけは避けなくては」
一つ一つの首が5mはあるだろう神話の怪物が、多方向から、講師陣に襲い掛かる。
瞬き。の一瞬、それほどの速度で『九頭竜』は逃げる隙も与えないほど高速で、全員に安らかな船出を約束する。
■■■ 昨日 琴音の部屋
「星が奇麗。あっちじゃ見られないもん」
ベッドの上で琴音は枕を抱きしめながら、そばに置いてある写真を見つめた。そこには父と母と兄。鹿児島のゲームショップで兄から教えてもらったカードゲームの大会で、熟練プレイヤーの兄を差し置いて優勝してしまった。
琴音は内心穏やかではなかった。自分は始めて三か月も経っていない、熟練者である兄に恥をかかせてしまったのではないかと。恐る恐る兄に話しかけようとしたら、彼から出たのは賞賛と尊敬の言葉だった。
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「琴ちゃんすげえな! そのカードは守りだけじゃなくて、攻めにも使えんのか。一見安定しなさそうだけど、そのためにドロソ(ドローソース:デッキからカードを手札に加えられるカード)入れてたんだな」
「おにい……、怒ってないの?」
きょとんと、兄の時間が止まる。
「え? なんで?」
「だって、私まだ始めたばっかだし、その、あの……」
しどろもどろになりながら話す琴音だったが、言葉の続きがうまく出てこない。ピンク色のアホ毛もシナシナになってしまっている。
「……? 家族が勝ったんだから当然うれしいよ」
「!?」
「琴ちゃんはもっと自信を持つべきだ、勝ったら喜ぶ、負けたら悔しがる。そんなもんでいいんだよ、カードゲームなんて。負けたら命を取られるってわけでもないんだから」
兄は冗談めかして笑う。それにつられて琴音も笑っていた。もう彼女のアホ毛はぴんぴんしていた。
「今回の大会の優勝者はなんと、かわいらしいお嬢さん! いつもは眼鏡をかけたおじさんの独壇場だが、自前のコンボでひっくり返した!」
テーブルに集まるカードゲーマーは自虐的に笑っていた。
「おいおい、眼鏡かけたおじさんならほとんどそうだぞ」
「そこにデブも追加したら俺だけどな」
琴音は笑っている彼らに賞賛されながら、店長の目の前で両手を上げて喜んでいた。
「はいこれお嬢ちゃん。賞品のパック5袋ね」
「ありがとう。てんちょ!」
「あと、そうだなあ。これ」
琴音が首をかしげると店長はカード棚より、カードを取り出した。
「これも副賞で上げちゃおう。『深淵竜・アビスドラグーン』すごい強いよ。でも内緒ね、これは。次の大会の優勝者にも上げるわけにもいかないから」
琴音はこくこくとうなずくと、それを大事にデッキケースにしまった。とてとてと兄のところに歩いていく。
「おにい、これ。あげる」
「琴ちゃんがとったんだから、使いなよ」
「私のデッキに入らない、最初のデッキくれたお礼」
「……そっか。大事にするよ」
それ以降兄がそのカードを使っているのを見たことがなかった。いらなかったのかと琴音は心配になり、母に尋ねてみると、大事に何重ものスリーブにしまい込み木製のケースに入れているそうだ。
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「結局、全部、燃えちゃった」
琴音は布団をかぶり、声を殺して泣いた。今日に限った話ではない。毎日毎日、毎晩毎晩、多かれ少なかれ、涙を流していた。それを誰にも見せないのは彼女の意地だった。亡き兄がくれた「自信を持て」という言葉に背中を押され、この死線に身を投じているのだ。
もはやそれは福音ではなく、呪いに近い。それでも明日は紫苑に腫れた瞼を見せないよう、笑顔を作っている。枕もとのデッキケースを指でなぞりながら、琴音はつぶやいた。
「またカードゲーム、したいなあ……」
■■■
いつからそこにいたのか、誰も認識できなかった。
琴音と講師陣に迫る、首はそのうち5本を落とされていた。
「すまないね、到着が遅くなった」
そこに立っていたのは白髪にループタイをしている初老の男性講師。山本だった。彼は『正宗』に付着した紫色の血液を振り払い再度、剣を両手で握りなおす。ヴェーノは微塵も動揺することなく、棒立ちしていた。その間に『九頭竜』は斬られた頭部を再生し元の姿に戻る。
「すいません。人も増えたことだし、僕も僕の役割を全うさせていただきます。所謂布教、ですかね」
ヴェーノは胸の前で十字を切り、恭しくお辞儀をする。
「山本さん、でしたね。あなたも名うてのトレイターだと伺っていますが、それでもなお価値はありません。僕も貴方も平等に」
「価値とは環境が作るものです。それぞれ個人が持っているものではありません」
「低価値な親から生まれた子は低価値に」
「高価値な環境で育った子は高価値に」
聞こえにくい声だが、それは何とか山本や、琴音たちの耳に入った。
「そこに個人の意思が介入する余地など無いのです」
いったんそこで区切り、更に言葉をつづけた。
「それで、です。個人が個人を変えることができないならば、どうすればいいのか」
「今この世界は環境が最悪です。抗うもの、受け入れる者、自棄になるもの。沢山いましたね、今のあなた方の様に」
「ですので、我々は船に乗るのです。死という結末で以って、我々は漕ぎ出さなくてはいけません、“希望の世界”に」
「価値なき世界に価値ある命などありません。どうかご理解頂けないでしょうか?」
「ふざけるな……ふざけるなァ!!」
琴音が喉の奥から絞り出した声で、叫んだ。
「お前が他人の命の価値を勝手に決めるな!」
ヴェーノはあきれたように肩をすくめる。今までも彼の教えに賛同しなかったものは大勢いたし、同じような反応ならば飽きるほど見てきた。
「すみません。僕の私見ではありません。この世界に存在する理のようなものです。万有引力のように。煌めく星空のように。普遍的に存在するものなのです」
「死にたけりゃお前らで勝手に死ね! 思想を押し付けるなカルトども!」
再び叫ぶ琴音に困ったように、首を捻った。
「教え、を司る者が、我々司教なので。すみません。ヒュドラの毒は神経毒、僕の周りに漂っている腐食毒と違って楽に逝けます」
「では、また。“希望の世界”で会えることを心待ちにしております」
「ご高説どうも、参考になったよ。君たちと会話することがどれほど無駄かっていう一点において」
山本は迫りくる『九頭竜』の首を切り落としながら防御に徹する。
「吾輩も最近は鈍っていたところでな、ちょうどいい運動になって助かるよ」
「……分かり合えないものですね。人間って」
■■■ 学園 北部
肥大化した元代行者の怪物が巨体に見合わない速度で、紫苑に襲い掛かる。巨躯は跳躍し、その鈍重な一撃が地面にクレーターをつくり、商品棚ごと叩き割る。着地の隙を狙い、紫苑が『冥王の剣』で首を裂くが、吹き出すのは血液ではなく、緑色の強酸性の体液。
後方に飛び、それを回避するも、そこにはもう一体。片腕で紫苑を掴み、地面にたたきつける。
「……やっぱり、ゴミはゴミですわー。実力差もわからない学生の分際で、歯向かおうとするからこうなるのですよ。代行者、叩き潰しなさい」
ネロの言葉で怪物が両手で拳を握り合わせて、地面に横たわる紫苑を平らにした。
「はぁー。あのおっさんには逃げられるし、何より司教服が汚れてしまいましたわー。まあ、いいです。どのみち“希望の世界”に持ち物は持っていけません、し……ね」
「……一回死亡。どうした。そんな顔をして? 死人がしゃべるのがそんなに不思議かい?」
紫苑は起き上がる。もうすでに満身創痍。気力だけで継戦している。
「『純銀の盾』……。せっかく旅立ちのチケットを、渡してやったというのに……それを不敬にも破り捨てる、というのですか。反逆者。背徳者。冒涜者。教祖様に唾を吐いた行いを後悔させながら、いたぶり殺す」
「おいおい、それは聖職者としてどうなんだ? 教祖様はそんなに狭量なのか? まあ、無理もないか。エゴの押し付けをする三流宗教の親玉なんて」
「……」
ネロは静かに激憤した。
「代行者、殺すな。こいつは船出する資格すらありはしない。生け捕りにして、死にたくなるまで拷問し続ける」
「怖いねえ」
ネロがカードを抜く。
「『不死の軍勢』」
■『不死の軍勢』 呪文 コスト10 レア
●周囲100m以内のアンデッド系統の異形を自分の周囲に呼び寄せる
ネロの前方には20を超える化け物たちが黒い靄とともに召喚される。さらに、『ナイトメアリッチ』の効果ですべて殺しても死なない。完全に標的を紫苑一人に絞った形になる。
(これで、宙さんの負担は減ったはずだ。“彼女”にも琴音のほうの救援に向かうようにお願いした。孤軍奮闘、望むところだ。だが……)
紫苑は目の前の絶望よりも心にしこりがあることを気にしていた。
(琴音の安全は、建前、なのか?)
紫苑はこの『ネロ』のレアカードが欲しかったため、救援を呼ばなかった。長谷川からの連絡にも敵勢力の脅威度を低く報告していた。カードを自分のものにするために。
(いや、違う。僕はあの子が大事だ。そう、カードを手に入れることよりも、琴音の安全を優先しただけだ)
「だから、僕は君と戦うんだよ」
「何が“だから”なのか分かりませんわー」
ネロは鼻で笑い、亡者たちに命令を下す。
「拘束しろ」




