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Feather5 自分が何者か知りたくて

 魔王の娘。それがわたしの最初で絶対の立場。

 そのことに不満があるわけではありません。お父様が好き。お母様が好き。シムラクルムのみんなも大事。守るべき大切な家族。言葉を表に出すのはあまり得意ではないですけど、ずっとそう思い続けています。



 でも、もしそうでなくなったらわたしは何者なんでしょう?



 ある日ふとそう思ってしまいました。

 お母様から力を受け継いだ邪魔法使い。趣味と特技は魔法の構築と魔道具作り。

 それ以外に何ができるのかわかりませんし、それを「できる」と言ってもいいのかわかりませんし、できることがいいことなのかもわかりません。

 こんなわたしがもし王様になったとして、何ができるでしょう?

 だからわたしは自分に何ができるのか知りたくて、大好きなシムラクルムを出てみることにしたのです。



 リブラキシオム王国の一都市エリアード。聖国との国境に近いこの街で、今日も夕市に露店を出していました。

 この時間帯は昼間のクエストから帰ってきたり夜間のクエストに出る冒険者はもちろん、夕食を外に食べに出た人などもいて狙い目の時間帯だと思っています。

 今は、敷物越しにしゃがみ込んだ男の人が商品の一つを雑に持ち上げています。落として壊れるようなものではないですが。


「それで、この魔道具はどんな効果があるんだぁ?」


 どうもお酒で酔っ払っているようでそんなにおいがしますが、大事なお客様です。


「それは……」

「声がちいせぇよぉ?」


 うっ。そうですか。声が小さいのも話し下手なのもわかっているつもりなのですが、改善しないといけませんね。


「こちらは……」

「聞こえねぇなぁ?」


 やや声を張り上げたつもりがまた遮られてしまいました。まだ声量が足りませんか。拡声の魔道具を使うべきですかね。


「……それ以前に喋らせてやれよ」


 横から男の人が現れて、呆れた顔で言いました。

 黒い髪と黒い瞳。わたしと同郷でしょうか……いえ、そうではないですね。


「やれやれまたこのパターンかよ、って待て待て待て待て」


 割って入った男の人が……まるで男の子みたいに目を輝かせて魔道具の前に跪きました。

 商品は地面に布を敷いて並べてあるわけですけど、それこそ這いつくばるみたいにして見ていて……正直あまりいい光景とは。


「スッゲ。なんだこれ。こんな魔道具見たことない。どういう用途だ? くれ。全部くれ」

「お、おい兄ちゃん? ここはおれが先に……」

「ならさっさと買う物を決めてくれ。もっとこの子から話が聞きたい」

「お、おう。いやおれは……じゃ、じゃあなお嬢ちゃん」


 あとから来た男の人の目の輝きは、きらきらというかギラギラというか爛々というかウキウキというか。そのおかげと言えばいいのかせいと言えばいいのか、酔っ払っていた人はそそくさと消えてしまいました。

 冷やかしでしたか。いえ、嫌がらせかも。


「え……ええと……助かり……ました?」

「いやどうだろ。ちゃんと相手するつもりだったとこに割り込んだだけだったらごめん」


 形としてはそうですけど、あのまま話が進んだかというと。わたしがハッキリしないのもあるんですけど。


「なんにせよ、こういうのよく遭うんだ。気にしなくていい。いや俺が気にしろって話か?」


 意味不明です。でも、本当にこういう場に遭遇するんだったら呪いを疑いますし、それで助けられるのも人徳と言うべきだと思います。


「それで、聞いていいかな?」

「はい……?」

「魔道具の説明。全部欲しいって言ったの、別に嘘じゃないから」


 そうですか。では、気合を入れて説明させていただきましょう。


「はい……こちらは……周囲の魔力元素の力で燃えるランプで……こちらは所持者の放出魔力を……周囲の魔力元素濃度と同等にして……魔物からの発見を抑制する効果があります」

「ふむ。放出魔力を周囲の魔力元素濃度と同等に」


 よく言われます。眉唾だと。

 そもそも、こういう話をしても理解しようとしてくれるかどうかという、



「ひょっとして、魔力探知とか使える?」



 ……?

 ッ……!

 一瞬言葉が飲み込めませんでしたが、即座にカチリと何かがはまるように思考が切り替わりました。


エッセニヒールム(存在を無に)……フルメンドゥオ(稲妻の二速)

「え?」


 驚いた顔の彼を残して、その場から逃げ出します。常に備えているので魔道具は回収済み。あとはできる限り遠くまで離れるだけ。

 そもそも認識を逸らせているので追いつけるはずが、


「忘れ物があるけど」

「えっ……!?」


 空中移動中に隣から声が。手には魔道具。

 どうしてついてこれてるんですか!? それより、どうしてわたしのことが認識できているんですか!?


トリア(三速)!」


 身体強化第三段階。アクセルシューズにもさらに魔力を注ぎます。同時に、まとったメイルローブの硬度も上げて万が一の攻撃から防御。


「待っ、なんで」


 いやだ! いやだ! いやだ! わたしを放っておいて!

 加速! 加速! お願いもっと!


「危ない!」


 前方に土と風の魔力の気配。さらに傍らを風の魔法が追い抜いていって、抱き締められました。

 接触で流れ込んでくるこの魔法感覚は、身体強化と複合防壁。それを感じた次の瞬間には柔らかいものに突っ込んでいて……これは空気を大量に含んだ土?

 頭がぼうっとする感覚で天地逆転していることに気づきます。何がどうなったんでしょうか?

 そこでやっと、目を固く閉じていたことに気づきました。開いても何も見えませんでしたけど。


「……大丈夫か?」

「どうして……」

「探知が使えるならこの先にあるものもわかるだろ」


 魔力の目を延ばします。土の向こうにあったのは都市壁。これに激突しそうだったと。

 逃げることに集中しすぎていて、だいぶ遠くまで来てしまっていたんですね。


「ありがとう……ございます」


 メイルローブの力があれば大丈夫だったと思いますが、壁の方が大変なことになっていたかもしれません。魔物から住民を守る意義を持つ都市壁の破壊は重罪です。魔法を使えばすぐ直せはするでしょうけど、それで許されるわけではないでしょうし。

 立ち上がった彼は、使った土を元に戻して……待ってください。詠唱無しに魔法を。魔道具の使用もなしに。できるのですかそんなことが。いえ、やっている以上はできるのでしょうけど。


「もう一度聞くけど……大丈夫か? 怪我はない?」

「え……? あ……はい」


 いけない。今はこの場をどう乗り切るかを考えないと。タイミングを見てお礼を言って離れるのが最善手でしょうか。


「それで、これ」


 と思ったのですが、彼はずっと手で持ったままの魔道具を差し出してきました。逃げるときに零れ落ちていたのでしょうか。

 守護のペンダント。使い手の魔力で防壁を展開する魔道具。さして高いものではありません。


「別に……持って行ってもらっても……良かったですよ」

「それは駄目だ」


 原理原則の話でしょうか。正直嫌いではないですけど、苦手な分野です。自分がそれを放り出してきているからもあるのでしょうけど。

 けれど、彼が言った言葉はそれとは違っていました。


「対価のこともあるけど、誰かが想いを込めて作ったものを粗雑に扱うのは最低の行為だろ」

「え……」


 彼はわたしの手を取って、その中にペンダントを握らせてくれました。

 想いを込めて作ったもの。もちろん粗雑に作ったわけではないですが、そう言われる程のことでは。


「大事にされたものには魂が宿る。九十九年経てば神様になるってわけでもないだろうけどな。いや、この世界ならありえるかも」


 その言葉に手の中のペンダントを見つめます。

 わたしは、わたしの作ったものにそんなに想いを込めていたでしょうか。

 なんとなくですが、もう少しだけこの人と話してみたいと思ってしまいました。



 そういうことがあって、一緒に街を歩いていました。向かう先は借りているわたしの部屋。荷物は彼が持ってくれています。


「あらためて。俺はユーリ・クアドリ。人間の魔法使いだよ」

「わたしは……ニ……ティ……いえ……ごめんなさい……リーズ……です」

「うん? リーズ、でいいのか?」

「……はい」


 心を許しかけているかもしれないとは言え、わたしが何者かを名乗るわけには行きません。だというのに無意識に二度も本名を名乗ろうと。どうして。

 魔力探知で見えるのは五色の光ですし、悪い人ではないからでしょうか。それにしても十字属性クアドリクス。珍しい。

 さっきも風魔法を使っていましたが、この世界では風魔法は四大属性の中でも数段下に置かれます。個人的には不思議だったので調べてはみたのですが、理由はよくわかりませんでした。それをクアドリさんは他属性とほぼ同等に扱っていました。土と風の混合ミキシングも見事なものでしたし、身体強化だけでなくおそらく魔力探知も使えるはずです。


「さっきは不躾にゴメンな。魔力探知ができる人なんて会ったことなかったから。それに身体強化もか?」


 ……使っていた魔法まで把握されています。

 もしも魔力探知ができれば、身体に流れる魔力の具合で身体能力を強化していることはわかります。こちらとしても、意識して探知や強化を使っている人は見たことがありません。


「使いました……けど……存在や魔力も隠蔽していたのに……どうして」

「ああ。よくはぐ、いや。エルフと友達になってさ。ほら、エルフって魔力がないだろ? 見つけるには魔力濃度が不自然に安定してるところを探せばいいんだってわかってさ。それの応用」


 なるほど。その経験はわたしにはありませんでした。ということは、時々感じることのある不自然な魔力の感じはエルフの方々のものだったということなのかもしれませんね。

 そんなことを話している間に家についていました。


「どうぞ」

「お邪魔します」


 部屋の整理はしていますから、招き入れることに問題はないはずです。


「とりあえず机の上に置いておくよ」


 クアドリさんは、魔道具をサイドテーブルの上に優しく置いてくれました。そうした後、部屋の中を興味深そうに眺めています。


「職人の工房かぁ。秘密基地みたいでワクワクするな。魔道具師の部屋ってこんな感じなのか……あ」


 彼は思い出したように手で顔を覆いました。なんでしょう?


「悪い、女の子の部屋なのにジロジロと」


 そういうことですか。わたしも昔はそうしてはいけないと教えられていましたから。でも。


「いえ……かまいません」


 一般的な女性の部屋とはかけ離れていることは自覚しています。それより、興味を持ってくれたことのほうが嬉しいです。

 ……あれ? 嬉しいというのは変ですよね? 普通、“嫌”か“恥ずかしい“はずですから。

 魔道コンロに水を入れたポットをのせて、茶葉を用意。カップは……一応来客用のを用意しておいてよかったですかね。使うのはこれが初めてですけど。


「悪いな、気を使わせて」

「いえ……わたしもお願いと……お窺いしたいことがありましたから……どうぞ」


 椅子も備え付けのものがあってよかったです。

 ……人と関わることを積極的にしないのに、生活手段について人と関わる必要のあることを選んでしまったのは矛盾ですね。いまさら気づくことではないですけど。

 カップにお茶を注いで、クアドリさんの前に。


「それで、聞きたいことって……美味いなこれ」

「お口に合って……良かったです」


 ブレンドも抽出もお母様の見様見真似ですけど、少し自信があるだけに賛辞は嬉しいです。

 ではなくてですね。


「まず……おそらく……わたしが魔族だということはご承知だとは思いますが……秘密にして頂けるとありがたいです」

「ん。わかった」

「え……」


 拍子抜けです。「知らなかった」でもなく「どうして」でもなく了承が。


「……人が隠しておきたいことをペラペラ喋るようなヤツに見えたとしたら、俺も初対面でも信頼してもらえるように精進しなきゃいけないってことだな。詐欺師の才能があるよりマシだけど」


 クアドリさんは困ったように笑いました。


「いえ……驚いただけ……ですから」

「心配しなくても人間以外を下に見てる奴らがいるのは知ってる。魔族が特にそういう対象らしいっていうのも。無駄な軋轢は避けるに越したことはないよな」

「……はい」


 それもありますが。いえ、今はそういうことにしておきましょう。不誠実でしょうけれど。


「それと……魔力探知と身体強化は」

「自作。リーズも?」

「はい……魔法の根源であるものなら感知できないはずはないですから……強化は……体内魔力を活性化させることで生物としての能力を上げることは理論上ありえますし……逆に魔法使い以外はおそらく自然にやっていることでしょうから」


 わたしが一言ずつ話すにつれて、クアドリさんはだんだん前のめりになってきました。聞き入ってくれているのでしょうか。


「クアドリさんは……」

「話を遮って悪いけど、ユーリでいい」

「では……ユーリさん……ユーリさんは……詠唱も……していませんでしたよね?」

「ああ。そういうリーズの“アレ”は、魔法言語とでも呼ぶべきか?」


 ……驚きました。そこまで。


「詠唱の代替として作ってみましたけど……その先を考えたことはありませんでした」

「呪文の話か? 一般的に固定されてるわけじゃないなら必要なくないか?」

「あ……たしかに……そのとおりです」


 呪文の個人差を超えた違いもそうですし、魔法言語化も作っておいてなんですが違和感がありました。そんな簡単に変えられるものの意味はなんだろうと。不要であると考えたことはなかったですが。

 問題はどうやって起動キー無しで発動に持っていくかです。


「ユーリさんは……どうやって魔法を?」

「完成形を想像すればそれで良かったぞ。むしろ出力が自由自在になるからそっちの方が合理的でさえある。俺としてはなんで各々オリジナルの呪文を必要としてるのかわからないな」


 そう言いながら、ユーリさんは大・中・小の水の玉(ウォーターボール)を作り出しました。

 なるほど。イメージの投影。詠唱を使う方法での文言以外の要素はそれだけですね。

 目の前で行われたことと同じように、鮮明なイメージを。様々な大きさの黒球をいくつも発生させてみます。


「おお」


 ユーリさんがパチパチと拍手をしてくれました。できましたね。気恥ずかしいですが。


「すごいな。これまで教えた相手はそれなりに苦労したし、できない奴もいたんだけど」

「え……」


 これを、流布したと?

 それはどうなのでしょう。この事実は些細なことですけど、世の魔法の在り方を一変させるだけの力はあると思います。


「もちろん、信頼できる相手だけだ。誰彼構わず喧伝しようって気はないさ。発動の兆候すら見せないのは奇襲手段として悪用できすぎる」

「はい……そのとおりだと思います」


 何よりまずデメリットが出てくるのはいいこととは言えないと思いますけど、それはわたしも共通していますね。


「逆に、近距離で得物を持った相手に相性が悪すぎるって弱点を潰せないのも気になるけどな。誰もが魔道具を用意できるわけでもないし、奇襲に対して弱すぎる」


 そうですね。そういうこともありますか。

 ユーリさんは剣を下げているので接近戦も……なるほど。詠唱無しで思ったように魔法を使えるなら、剣と魔法の組み合わせも難なく行えそうですね。練度についても身体強化である程度カバーできるでしょうし。

 この柔軟さのある人を見たことはありません。魔剣……魔道具の剣で代替している人は見たことがありますけど、あれはどうしても武器としての強度や洗練さが落ちますし。全属性を使えるなら道具を選ばなくてもいいわけですね。

 そもそもいい剣を使っています。強度もそうですけど、材質の均一性も市販のものと比べ物になりません。何より、柄頭に杖に使うような宝石が付いています。大杖用の補助宝石でしょうか。


「その剣も……ご自分で?」

「いや、鍛冶師と知り合いになったんだ。育てたって言ったら言い過ぎだけど、無詠唱と身体強化と魔力探知を教えたらすごい勢いで腕を上げてさ。ほんとにありがたいよ」


 その人が信頼できる相手なわけですね。武器を作るということは命を預けているわけですから、これ以上なく強固な関係かもしれません。そんな打算的なだけではないのでしょうけど。

 信頼できる誰かですか。わたしにそんな人はいるでしょうか。いえ、いますねたくさん。ただきっとその中身がすれ違ってはいますけど。



 契約というほどでもないですけど、しばらくの間素材の採集をユーリさんがしてくださることになりました。探知を使えるなら目標物を探すことは簡単になりますから。

 わたしもたまに街の外に連れ出されることが出てきましたけれど、ユーリさんの魔法の使い方は興味深いのでよかったかもしれません。詠唱なしでイメージするだけなら魔法をどう組み合わせることもできる。詠唱と構成を擦り合わせる必要もなければ既存の魔法にとらわれる必要もない。これも魔法に対する革命ですね。


「……ご苦労さまです」

「ありがとう。と言ってもさほどでもないけどな」


 魔力強化と魔法剣。単純な剣の性能だけではなく、底上げと相克属性による攻撃力増加。相手が無意識に行っている魔力強化への割り込み。

 加えて属性そのものが持つ作用。それも十字属性クアドリクスであることと探知によって自在にスイッチできる。

 さらに当然、遠距離戦も問題なく行えるどころか詠唱が不要になることにより手数は倍では利かない数増える。

 これは魔法士としての完成形ですね。


「……うーん」


 そう考えていたのに、ユーリさんは手を握ったり開いたりしながらなぜか困ったような顔をしていました。わたしの考えが筒抜けになったわけではないはずですけど。


「どうか……しましたか?」

「いや、ここ数ヶ月ほどなんだけど……なんか魔法を使う時の魔力の感じがこう。違和感があるというか思うのと違うというか。気のせいかな」


 違和感?

 ユーリさんの疑問の意味を知るために魔力を探りますが、特に何かあるようには。出会ったときから変わらず、混じり合うきれいな五色の光です。


「体調に……問題があるとか」

「身体強化が使えるからかそっちはずっと好調だな。探知でも違和感はない」


 だとすると、なんでしょう。魔法阻害の魔道具の気配もありませんし。


「リーズが気付かないならほんとにただの気のせいかな」

「わかりません……わたしも注意しておきます」


 ユーリさんに見えてわたしに見えないものもいくらでもあるでしょうから。

 大量の素材を背負って街を歩いていると、今日も尾行されていることに気づきました。それも、ごくまれに感じることのある嫌な魔力です。この世のすべての忌避したいものがぐちゃぐちゃに混ざり合ったような、見ているだけで正気を失いそうな灰色の穴。


「ユーリさん……気付いていますか?」

「ああ」


 でしょうね。それ以前から表情が消えていましたから。怒りや軽蔑を示す魔力のゆらぎも。

 ユーリさんが立ち止まったのに合わせてわたしも立ち止まります。もちろん、魔道具に魔力を流して逃げる準備をした上で。

 こちらが止まったので、相手は姿を現しました。


「バレていたか。やるものだね」


 歳はユーリさんと同じくらいでしょうか。おそらく人間。

 追い剥ぎでしょうか。けれど、それとは少し違うような。


「なにか用か? ここ数日ずっと俺たちを見てただろ」

「本当にやるものだ。でも悪いけど君には興味はないんだ。用があるのはそっちの魔道具師の子」


 わたし自身に興味が?

 ……逃げるべきでしょうか。ユーリさんならついてこられるはず。

 そう思ったのですが、続いた言葉に膝に入れた力と魔道具に流していた魔力が抜けました。



「魔族を避けてるよね? つまり憎いんじゃないの、魔族の事が?」

「え……」



 え。それはありえないですけど。どうしてそう思われたのでしょうか。

 ええと。魔族を避けている。それは本当です。露骨に避けるようなことはしていないですけど。

 正体がバレるかもしれないと思って魔族の方の目につかないようにしていたのがそう見えてしまったと、そういうことでしょうか?

 なんとなくユーリさんを見ると、複雑そうな顔をしていました。同じことを思っているのかもしれません。


「申し訳ありませんが……魔族に……遺恨はありません……あなたの勘違いです」

「は?」


 わたしの答えに相手は怒ったような顔をしました。意味がわかりません。


「なんだそれは? ふざけるな」

「……オマエが勘違いしただけだろうに」


 ユーリさんが呆れたように呟きましたけど、本当にその通りですよね。おそらく聞こえてはいないでしょうけど。

 それにしても、もしそうだったとしてこの人はわたしに何をさせたかったのでしょうか。


「ならなぜ魔族を避けている……そうか。貴様も魔族。それも顔を見られると誰か知れるような高位貴族か?」

「ッ……!」


 まずい。動揺が伝わってはいけない。こんなもの証拠のない暴論でしかない。

 ユーリさんにはわたしの魔力の揺らぎが感じられてしまっているでしょうけど、真実はもちろん曖昧な真偽でさえ伝えてはいけない。


「は、は、は。お笑いだ。敵の手を借りようとしていたなんて」


 敵。魔族が。

 つまりこの人は、



「オマエ、“混沌”だよな?」



 え? 何?

 ユーリさん、なんて言いました? 排他種族主義ノーブルヒューマニズム絶対人間主義ノーアザーではなくて。


「なんだ貴様。なぜ我らの事を知っている」

「……やっと当たりを引いたか」


 当たり?

 ユーリさんが言ったのは……なんでしょう。“混沌”でしたっけ? どういう意味でしょう?


「気が変わった。貴様ら二人ともここで消す!」

「……ならやってみればいい」


 でも、ユーリさんは拒絶を超えて吐き捨てるようにそう言いました。


「ならお望み通りに、ヤッて、ヤルヨォォォォ!」


 叫び声を上げながら、男の人は姿を変えていきます。

 山羊人族の角。鳥人族の翼。吸血鬼ヴァンパイアの尻尾……でしょうか。

 瞳は紅色に。口からは牙のようなものが。なんですかこれ。


「な、なんだぁ!?」

「ひ、ひええ、魔族!?」


 これだけ長々と話し込んでいてあんなふうに叫べば人も寄ってきますよね。悲鳴に驚いてみなさん逃げていってしまいましたけど。

 それにしても、第一声が魔族。いえ、これを見て魔族と思う人は……いるようですけど。少なくとも、魔族のわたしがこれを見てそう思うことはないです。


「ガアァァァァ!」


 飛びかかってきた相手をユーリさんは複合防壁で押し留めました。相手にもならなさそうですね。


「俺も一度見ただけだが、魔族とは全く違う。リーズにもわかるよな」

「……はい……むしろこれは……」


 魔物の魔力に近いです。姿自体も人型魔物に近いように感じます。こんなのは絵でも見たことがないですけど。


「“魔人化”って名付けたけど、魔道具師の目から解析はできないか?」

「すみません……あまりにも複雑に混じり合いすぎて……」

「そうか。ありがとな」


 ユーリさんはそう言うと、剣に魔法をまとわせました。火と風。二つの属性が混ざり合って勢いを強めます。けれど。


「……やっぱり魔法の感じがおかしい。実用上問題はないが」


 ユーリさんはそう呟きました。ぎりぎり聞こえるくらいの声だったので、わたしに聞こえたのは偶然だったのでしょうけど。

 それでも、躊躇うことなく敵を剣で切りつけます。それだけで魔人の上半身は両断され、地面に転がりました。探知を続けていましたけど、魔力が急激に抜けていきます。

 呆気ないという感想しか浮かびませんが、色んな意味で脅威です。この魔人というのは。


「……ここなら放置しても問題ないか? いや、まずいか? 実験するのは駄目だな」


 剣を納めたユーリさんは魔人の周囲に魔法防壁を展開して、先程使った魔法をその中に放ちました。勢いよく燃え上がった火が一気に痕跡を焼き尽くしていきます。

 静かになったからでしょう。野次馬心の人がちらほらやってきてわたしたちを遠目に見ています。その頃には魔人は跡形もなく燃え尽きて灰になっていましたけど。


「魔族が暴れているというのは本当か!?」

「お前たち、何をしている!?」


 一歩遅れて自警団のような人達がやってきました。即座にわたしたちを取り囲んで武器を突きつけてきます。

 囲まれたユーリさんは両手を上げて目を彷徨わせました。


「えーと……魔物の素材を取りに行ったんですけど。えーと……そう、解体を失敗したのか悪臭を放ちはじめまして。焼却処分をしていただけなんです」


 弁明。いえ、言い訳。ちょっと苦しいですね。

 その思いが伝わったのか、ユーリさんは一瞬わたしの方を見て首を振って……どんな意味でしょう、それ。ここからできる潔白の証明なんて無いです。完全に潔白でもないですし。


「まあその。きっと勘違いですよ。暴れていた魔族なんていません」

「はい……誤解させたようで……申し訳ありません」


 魔族ならいますけどね。わざわざ言いませんけど。

 剣呑な雰囲気はなくなりませんけど、ユーリさんは困ったようにため息を吐きました。気持ちはわかります。


「ところで、そもそも魔族の人達って暴れるんですか? 今まで会った人はみんないい人だったんですけど」

「何を言ってるんだおまえは」

「当たり前の事を言うな」


 当たり前。それが「そんなわけない」という意味なら良かったんですけどね。違うのでしょう。

 魔人に変わったさっきの人よりはきっとマシですが、この人たちもあまりいい魔力の色をしていないです。結構いますけどね、こういう人。というか、人族。


「……これ以上失望したくないな」


 ユーリさんは、ゆっくりと両手を下げました。そして呆れた目で観衆を見て、


「この中に魔族の友人がいる人はいないのか? その人は悪人か? 危害を加えられたか?」


 すぐに答えは返りませんでしたし、みなさん周りを見回していましたが、


「……違うな」

「ええ。気のいいお客さんよ」


 友好的な答えをくれる人が出始めました。ちゃんと魔族の人たちを見てくれてる人もいるんですね。

 と安心したのですが、


「お前たちと比べるまでもなくいい人たちだぞ」

「いつも代金踏み倒して暴れてるのはお前らだろ?」

「迷惑かけられてるのはアンタたちにだよねぇ」


 な、なんだかおかしな流れに。このままだとまた違った問題が噴出してしまいます。


「な、おま」

「ふざけ」


 と焦ったら、わたしたちの周りを囲んでいた人たちがバタバタと倒れていきました。

 ユーリさんが魔法を使ったのはわかったんですけど、解析できませんでした。風魔法で周囲の空気を少しずつ奪っていた……ような。それでこうなるのはどういう原理で。


「ユーリさ……」

「“お騒がせして申し訳ない。しからばこれにて御免”」


 わたしが名前を呼ぶより早く、意味不明な言語で言葉を発したユーリさんがしゃがみこんで地面を叩きました。するといきなり土煙が。どんな魔法の使い方ですか。


「おわっ!?」

「なんだこれ!?」

「……今のうちだ」


 周囲の喧騒と動揺から逃げるように、手を引かれてこの場をあとにしました。



 魔道具と希少な素材だけまとめて、残りの素材は家賃と迷惑料代わりにしてもらえるよう手紙を書いて。駅馬車に乗るわけにも行かず、コッソリ街を出てトボトボと街道を歩きます。


「その……ごめんな、リーズ」

「いえ……こうなることは……いつも覚悟はありますから」


 そもそもユーリさんのせいではありません。わたしが招いたことです。魔道具も半分以上持ってくださってますし、お礼以外言えません。

 そうです。わたしこそ謝罪しないと。


「すみませんでした……ユーリさん……わたしの事情に巻き込んでしまって……それなのにこうして……助けてまでいただいて」

「いや、俺が変なことを言わなければリーズはこうなってないんじゃないか?」

「いいえ……これが初めてではないので……」


 もう何度目でしょうか。魔族だと知られて逃げ出したり、監視されている傾向があったら逃げ出したり。後者にはお父様やお母様から頼まれた方もいたのでしょうけど。

 ユーリさんは、背負ってくれている魔道具の山を一瞥しました。


「うーん。リーズにとっても落ち着かないだろうし、魔道具が必要な人にとっても損失だよなぁ。なんとかならんものやら」

「そんなことは……わたしの魔道具は……そんなにいいものでは……」


 だとしたらもっと売れていて……すぐに逃げ出すことになるのでしょうか。向いていないのでしょうかね、魔道具師。


「そんなことないのに。なあ、リーズはどうしてそんなに自己評価が低いんだ? 俺は今までリーズほどすごい魔道具師に会ったことないんだけど。魔法使いとしてもさ」


 ユーリさんが困ったように笑いますけど、本当にわからないのでしょうか。それとも、実は知っていて煽っているとか。

 いえ、違いますね。そんなことはありえません。


「魔力探知ができるのなら……わたしの属性が何かはわかりますよね」

「ん? うーん。闇? 魔族には多いらしいけど」


 ハズレですね。さすがにこれはわざとでしょうか。


「……邪属性です……おわかりですよね?」

「邪属性? なにそれ?」


 ……あれ? これだけの魔法の使い方をしていて探知もできるのだから、気づいているかと思ったんですけど。むしろ、邪属性そのものを知らないように見えるのは気のせいでしょうか。


「じゃぞくせいって、なに?」

「……へ?」


 え、ホントに知らないのですか? 気が抜けてしまったのですけど。

 ともかく、深呼吸して続きを話さないと。


「闇の進化属性……ですが……その魔法は一般的に……呪いと呼ばれるものが多いです」

「邪属性。闇の進化属性。それに呪いねぇ」


 ユーリさんは、腕を組んで天井を見上げながら何か考え込んでいます。そこに忌避の色が見えないのは不思議です。


「……呪いっていうのはそれこそ超自然的なものだよな」

「はい?」


 超自然的?


「火、水、風、土。炎、氷、金。この辺りは自然に存在したり誰の手でも作り出せるものだよな。光と闇もそのものは」

「ええ……進化属性の方は……相応の設備や環境を要しますけど」


 それを人のみで容易く起こせ得られるからこそ、進化魔法使いエヴォリューションマギカという存在が特別であるわけですが。


「生命に干渉する聖魔法が特殊なのはわかる。邪魔法が光に対する聖に類するものだとしたら、それこそ得難いものじゃないのか?」


 かつて、同じことを言われました。お父様と、同じ邪魔法使いであるお母様に。でも。


「違うんです……無理なんです……わたしの邪魔法なんて……なんの役にも……いいえ……わたしでは人を不幸にすることしか……わたしだって……なれるものなら聖女様のようになりたかったのに……そうならわたしは……」


 何も憂うことなくシムラクルムにいられたのに。

 何も迷うことなく王女でいてお父様の後を継げたのに。


「ん? んー……聖女様のように。聖女様のようにかぁ。聖女様のようにねぇ?」

「……え?」


 ……はい?

 なんでしょう。反応が早かったのもありますけど、思っていたものと全然違います。

 否定や慰めじゃなくて、困惑? どうして?


「俺があれこれ言うより、せっかくだしちょっと行ってみようか」


 はい?



 ど、どうなってるんでしょう。

 眼の前の光景に言葉が発せません。


「彼女はリーズ。邪魔法使いで自分の力や今後の事に悩んでいるらしい」

「……えっ?」


 ちょっと待って下さい。そんなに簡単に。

 いえ、わたしのこともそうですけど。近くにいらっしゃっているということも耳に入ってはいましたけど。どうしてユーリさんはこんなに簡単に。それ以上に、気安く。


「で、こちらは聖魔法使いの聖女ソーマ嬢。改めて説明するまでもないだろうけど」

「はじめまして、リーズさん。ご紹介に預かりました聖魔法使いのソーマです」

「は……はい……聖女様におかれましてはご機嫌麗しゅう」


 聖女様とこんな状態でお目にかかるのは完全に想定外です。冷静でいられません。言葉も、うまくは。失礼は無いでしょうか。


「そう畏まることはないですよ。ああ、本名はララ・フリュエットですから、そう呼んでくれると嬉しいですね」

「えっ……えっ?」


 ほ、本名? ソーマという名前じゃないのですか?

 しかも気にすることなくこの場で言うということは、ユーリさんもご存じということですよね。


「リーズは邪魔法使いであることが不幸で聖女様みたいだったらよかったって言うんだが、ララ自身はそう思うか?」


 待ってください話を進めないでください。お願いですから。

 心の整理をする時間を、せめて。


「いいえ? リーズさん、私は貴女の逆に当たる聖魔法使いですけど、不幸か不幸でないかと言えば不幸だと思いますよ。割と疎まれてもいますし、恨みも買っているようですし。人事権は聖皇達が握っているし洗脳に近いこともしているようなので敵ばかりですし、見習いになってからは両親とも会えていませんし」

「いえ待って……は……はい?」


 な……なにを……聖女様……えっ……えっ? 話が……えっ?


「つまり、立場だとか魔法の属性だとかそういうことで幸運や不運は左右されないということです。貴方の考えすぎですね、リーズさん」

「は……はい」


 いろいろと想像もしていなかった事実を聞かせてもらってしまいました。それに加えて聖女様には聖女様なりのご苦労があるということでしょうか。話を聞く限りはそういうことなのでしょうね。

 なにより、聖女様は人間で見た目通りの年齢のはずですから。それで政争にというのはたしかに。血筋の問題がある各国はそういうのは無いと聞いていましたし、それがない聖国がそうだというのは。

 えと。では、なくてですね。


「でも……そういうことを……簡単にわたしに明かしても……よろしいのですか?」


 特に、名前の話とか。

 違いますそうじゃないです頭が回りません。だめですむりですなんてことをユーリさん。


「構わないですよ。悠理が信頼しているならそれ以上はありません」


 は、はあ。それは無茶苦茶では。

 でも。無茶苦茶な理由なんですが、気持ちがわかってしまうのはどうしてなのか。

 ユーリさんの信頼。形のないものが絶対に感じてしまうのは。

 だから、そうではないのですけど。全く頭がまわらないというか回りすぎているというか。ほんとに誰か助けてください。


「というわけだ。リーズの懊悩がわかるとは言わないさ。でも、それを解決する力にくらいならなれるかもしれない」


 ユーリさんを見ると、見返されてそんなことを言ってくれました。ただ、急に聖女様……ララさんの魔力の放射が強く、そして昏く。


「……ええ。もちろん私も力にはなりますけど。わかりますけど」


 ユーリさんはそんなララさんの反応に困っているような顔をしています。探知ができるなら当然わかっているでしょうから。でも、その理由はわからないとか?

 ああ、なるほど。そういうことですか。やっと心が落ち着いてきました。

 羨ましいですね、誰かをそんなに想えるというのは。

 このお二人になら、わたしのことをもう少し打ち明けていいのかもしれません。なにより、向こうからわたしに心を開いてくれたのですから。応えるのが礼儀というものでしょう。

 王族として。



「はあ!? ……し、シムラクルム共和国の王女様?」

「な!? ……な、な」


 最初こそ辺りに響く声量でしたけど、お二人とも最後の方は小声にしてくれました。

 困惑の色が落ち着いた後、ララさんは深呼吸をしてユーリさんを睨みつけました。


「悠理……貴方はまた」

「いや『また』って言われても。意図してやってるわけでもなし、知ってたら声をかけなかったわけでもなし」


 ララさんが「また」と言うには当然前があるのでしょうけど、自分を含めては言わないですよね。彼女を除くと誰なのでしょう? エルフの方と鍛冶師の方でしょうか?


「失礼な態度をとってしまい申し訳ありません、ティトリーズ様。この愚か者にもよく言い聞かせますので」

「……悪かったな愚か者で」


 ララさんが頭を下げてくれますけど、


「いえ……わたしはそこまで大層な存在ではないので……お気になさらず」

「いや間違いなく大層な存在だろ……ってああ、こういうのがイヤなのか。ララもそうだし」

「……私はそういう理由だけではないですけどね」


 それもあります。“魔王女ニフォレア・ティトリーズ”は今はただの肩書ですから。わたしにとっては、大げさすぎてふさわしいかわからない肩書き。


「では、リーズ。魔王になるのがイヤということでしょうか?」

「それは……正解でもあり間違いでもある……でしょうか……少なくとも……今のままでは駄目だと」

「「うーん……」」


 ユーリさんとララさんを悩ませてしまったようです。

 力をどう使うべきか、それがわかるまでは王位についてもすべきことがわかりませんから。魔王位は積極的に治世に参加する地位ではありませんけど、魔族の象徴ではあります。少なくとも、顔を上げられないわたしが魔王では駄目でしょう。


「周りがどう思ってるのかも知りたいな。ともかく、一度魔王様と話をしに行ってみるか。まさかこんな理由で魔王と対峙することになるとは思わなかったけど」


 対峙。あまりいい言葉ではありません。

 表情に出ていたのか、ララさんはユーリさんを呆れた顔で見てからわたしに微笑みました。


「気にしなくていいですよリーズ。この人が勇者と魔王の戦いの御伽噺が無数にある異郷の人だというだけですから。敵意があるわけでもありませんし」

「間違ってないが言い方ってものが……いやそれしかないのか」


 どんな異郷でしょう。でももしユーリさんがお父様と敵対するのであれば、ってそれはありえませんね。これまでのことや今の話を聞いていると。


「その辺はいつか話す機会が来ればな。とりあえず手紙でも書いてみないか?」

「手紙……ですか」

「ええ。言葉に出来ないことも表に出せますし、形としても残る物です。悪くないですよ」


 そうですね。今までも出すべきだと思ってはいましたからいい機会かもしれません。うまく綴れるかはわかりませんが、ユーリさんが運んでくれるのにふさわしいものを書きましょう。



「……ただいま」

「おかえりなさい……ユーリさん」


 それから三日も経たず、呆気なくユーリさんは帰ってきてしまいました。身体強化があるとはいえ早すぎます。


「ヴォルさんもリーナさんもすごいな。さすが王族は器が違う。リーズを信頼してるのもあるんだろうけど」


 ヴォルさんとリーナさん……お父様もお母様もユーリさんに愛称で呼ぶことを許したんですか。だとしたらユーリさんもすごいと思います。基本的に二人とも敵は作らない人ですけど、愛称呼びはよほどでないと提案しませんから。


「っていうかもうちょっと怪しまなくていいんだろうか? 娘を拐かした犯罪者くらいには疑われると思ったのに」

「犯罪者は……信書を持って顔を晒して乗り込んではこないと思います……ユーリさんもそうは見えませんし」

「そうか? ならよかった」


 ユーリさんは微笑を浮かべましたけど……どこか自嘲のようでした。

 ユーリさんもユーリさんでなにか抱えているのはわかります。それが気軽に口にできないのだろうということも。


「あ、そうだ。返信」


 胸元から出された手紙を渡されました。差出人と宛先ともに表裏に署名はありませんが、お父様とお母様からでしょうね。


「何をおいても先にこれを渡すべきだったな。すまん」

「いえ……ありがとう……ございます」

「話はそれを読んでからにしようか」

「はい……では失礼します」


 鞄の中からペーパーナイフを取り出して、開封。

 一枚目。懐かしい、お父様の字です。


『リーズへ。手紙をありがとう。ユーリ君からもおおよその話は聞かせてもらった。魔道具師として生計を立てられているそうで一安心だよ。それにしてもソーマ様にお会いできるとはいい経験ができたね。アエテルナにいても同じことはできたしその機会も来ただろうけど、おそらくここでは絶対にできない経験になっただろう……その縁を繋いだユーリ君が何者なのかはともかく。こうしてあらためて手紙を書いてみると、しなければいけなかった話がいろいろ浮かんでくるね。けれど、それは次のお楽しみにとっておこうと思う。またこうして手紙を書く機会を作るためにもね。危険なこともあるとは思うが、身の安全と健康に気をつけてしっかりね。私達はいつでもここにいて君を想っているよ。君の父、ニフォレア・ヴォルラット』


 二枚目は、お母様の字ですね。


『リーズちゃんへ。ちゃんとご飯は食べていますか? 貴女はときどき興味のあることに没頭することがありますからね。粗食だけではなくて、たまには贅沢もするように。生活の彩りも大切ですよ。ユーリさんやソーマ様のようなかけがえのないお友達を作ることも。その辺りはユーリさんに伝手があるようだけど。こうして気軽に手紙でお話できればいいのだけれど、そうもいかないものね。今回はいい機会でした。貴女からの手紙も運んでくれたユーリさんに感謝しないとね。それではまたこんな機会があれば。身体に気をつけてくださいね。貴女の母、ニフォレア・リースリーナ』


 お父様もお母様も、わたしを想ってくれているんですね。ありがたいです。本当は帰ってきてほしいでしょうに、その言葉を出さないでいてくれることもわかります。

 今のわたしはシムラクルムに対して無責任ですし、何より親不孝だとわかってはいます。それでも、今のままで「魔王の娘」と堂々と名乗れません。

 正直なところ、この懊悩が解消される日の見通しは立っていません。けれど、ニフォレア・ティトリーズが何者なのかを知ることができたら、その時は胸を張って戻りましょう。あの場所へ。

 ……あれ? お母様の分、お父様のものに比べて長さが短いと思いましたけど、わざわざ数度折りたたまれていて続きがありますね。なんでしょう?



『追伸。ユーリさんを捕まえるなら早いうちがいいわよ?』



 慌てて、折りたたまれた部分をもとに戻しました。

 ……お母様。そういう気遣いは要らないです。ユーリさんも迷惑でしょう。もしかして、そういう邪推や示唆もあったことがユーリさんの疲労の原因なのでは。

 手紙に向けていた目を上げてユーリさんを見ると、嬉しそうに微笑んでくれていました。この顔の人に聞くのはちょっと心苦しい気もしますが。


「お母様が……何か言いませんでしたか?」

「リーナさん? そりゃまあ色々言われたけど……」

「そうですか……ご迷惑をおかけしました」

「いや、迷惑なんてかけられてないぞ。ヴォルさんもだけど娘の事が気になるのは親なら当然だろうし」


 お父様も。いえ、具体的なことは言葉にして……どうなんでしょう。なんとも言えません。

 こちらから触れるのもなんだか悪手のような気がします。ええと、他に話題は。


「この……友達と……伝手というのは」

「そんなこと書いてあったのか。友達の伝手な。ララはもう会ったよな。あとは、エルフで精霊魔法使いのエル。この剣を打ってくれた鍛冶師でハーフ・ドワーフのネレ。こっちはただの人間なのに友達になってくれたドラゴンのレヴ。そんなところかな。他にも知り合った人はいるけど」


 たくさん知り合いがいるんですね、ユーリさん。やっぱりエルフの方と鍛冶師の方は大事な友人だったんですね。それと……え?



 最後、ドラゴンって言いませんでした?



 言いましたよね? レヴ? たしか女皇龍エンプレスドラゴンレヴァティーンという龍がいましたよね?


「きっと世界には色んな人がいる。虹みたいな数色じゃなくて、一つとして同じもののない無限の光プリズムグラデーションの輝きが。俺もリーズもララもエルもネレもレヴもその光の一つなんだよ」


 え、ええ。たしかにそのとおりでしょうしいい言葉だとは思うんですけど。ちょっと待って下さい! ドラゴンの件はちゃんと聞いておかないといけない気がします!



 こうしてたった一つの出会いがわたしの足を一歩進ませ、世界を広げてくれました。

 ララさん。エルさん。ネレさん。レヴさん。

 これから出会う多くの人たち。

 そして誰より、ユーリさん。

 多くの出会いを経てわたしの輪と世界は広がっていくのです。あの時の言葉から名付けられた無限色の翼プリズムグラデーション・エールの一員として、これからもずっと。

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