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Feather3 暗澹のハーフ・ドワーフ

 お父さんのような鍛冶師になりたかった。

 多くの人に慕われ、相手の目線で話し、助ける。

 作った武器に救われたことにお礼を言われ、称賛される。

 そんなお父さんが誇らしくて。いつか私もその隣で、剣を打ちたかった。



 物心ついた頃から剣を打つ背中を見てきました。

 弟子のさらに見習いみたいに鍛冶を教わったのは二年間だけ。

 そこからお父さんとお母さんがいなくなって二年。

 たった一人で私は工房を守ろうとしてきました。



 でももう無理なのかもしれない。



 それでもやめることはできない。



 何度そんなことを思ったのか。絶望と捨て切れない夢の間で揺らぐことは意味がないとわかっているのに、それでも捨て切れない。そんなことばかりで。


「ひっでー剣だなぁ、アア?」

「父ちゃんの技は受け継がれなかったみたいだなァ?」


 今日も、せっかく並べた商品をめちゃくちゃにされました。

 たった一言「やめてください」とも言えません。

 見ているしかできないのは歯がゆいですが、逆らったからってどうにもなりません。力でかなわないのは言うまでもなく、暴言のようでも事実は事実。そもそも剣が置かれるのはこんな生易しい環境ですらないです。これで駄目になってしまうようなまっとうな剣ではないのは私が一番良く知って、



「器物損壊って犯罪はこの街にはないのか?」



 心底から嫌そうな声で場が固まりました。

 声の主は、フード付きのコートを着て剣を下げた男の人……冒険者でしょうか。


「馬鹿が店や売り物をメチャクチャにするのはどこも同じか? 商売の基礎も知らない奴が金をどうこうしようってやっぱ狂ってるよなほんと」

「な、何だテメエ!?」

「うるさ。ったく、チンピラかよ。店から一つ物が盗まれたり壊されたりしたら、同じものを一個売れば損失補填されるわけじゃないんだぞ。それよりちょっとでも営業に協力してやった方が利回りが……」


 男の人は、そこで何かを考え込むようにしてから視線を私に向けました。


「コイツ等に借金でもしてたりしないだろうな?」


 して、ますね。何故わかったのでしょうか。

 彼は目眩をこらえるように眉間に手を当てました。


「マジか。テンプレかよ。どこの世界でも変わらないなオイ。商品壊したら余計に金は戻ってこないだろうが。いや、土地狙いか? だったらさっさと売り抜けて……思う壺か。ああもういいや。幾らだ?」

「はい?」


 今のは、私に対する質問でしょうか? それとも目の前の相手に?

 剣の値段? それとも?


「借金。利息だけじゃなくて元本も。どうせ悪徳金利だろ。根っこから終わらせないと約束を反故にされるだけだ」

「アア? オマエが払ってくれるってのかぁ?」

「状況による。口勘定で嘘を言われたら堪らないからな。証書も出せよ」

「……ボスに確認してくる」


 荒らしていた方はそう言い残して去り、男の人の方はこの場に残りました。


「なんにせよ、今は物が売れるって気配じゃないな。家あるんだろ、帰ろう」


 テキパキと散らばった剣を集めて、露店も片付けて、軽いものだけ私に持たせて。とにかく言われたとおり先導して、工房兼家に帰り着きました。

 何者でしょうかこの人は。もしかして助けてくれ、


「……すまん。この剣についてはフォローのしようがない」

「あ」


 期待が崩れる音がした気がしました。

 見ず知らずの人にさえ触れただけで粗悪品だと言われてしまった。今まで何度も言われてきたことですけど、あの出来事があったからこそトドメになった感じさえ。

 もう、駄目ですね。本当に。私はお父さんのようにはなれませんでした。


「私の話、聞いてもらえますか。懺悔だとでも思って」

「は? 懺悔って……」


 答えを待たずに、ぽろぽろと言葉を絞り出しました。

 同情を引く気はないですが、これで終わりならこれくらいは許されるでしょう。



 私は純粋なドワーフではないのです。なので、武器を作ることはできないのです。

 ドワーフが装備づくりに得手があるのは、種族的に土の派生属性である“金”の魔法属性を得やすいからです。ご存知かと思いますが。

 ドワーフは魔法を併用することで高品質な武器を作ることができるのですが、私にはその適性がありません。

 だから、私は鍛冶屋としては三流以下で。

 もちろんお父さんとお母さんを恨むわけではないです。でも、私はお父さんの娘として顔を上げて生きたかった。胸を張って誇りたかった。

 もっとお父さんに教わりたかった。そうすれば私はもう少しマシな鍛冶師になれたのに。



「以上です」


 その話を聞いた彼の感想は、私の想像なんか軽く超えていました。

 同情でも迷惑でも怒りでもない。それは、



「えっ、いやちょっと何言ってんのかわかんなかった」



 言葉同様、首を傾げられました。さらに、「何言っちゃってんのこの人?」という顔。一瞬唖然としてしまいましたけれど、最後には失望だけが残ります。


「やっぱりそうですよね。わかってもらえるとは思っていませんでしたし」

「いや、え? 人間の鍛冶師だっているだろうし、ハーフだからとかっていうか。っていうか、ドワーフだとかドワーフじゃないからとか言われても」


 特に淀みなく「ほんと何言ってるのかわからないんだが」、と彼は続けて、


「剣打つのに種族って関係あるのか? そりゃ、ドワーフと言えば鍛冶師ってのはテンプレとしてあったが」


 逆に、腕を組んで思いっきり首を傾げて聞き返してきました。

 ああ。本当にこの人は何もわかっていない。さっきも言っていた“てんぷれ”というのがなんなのかはわかりませんけど、


「ありま……」


 あれ?


「あるに決ま……」


 あれれ?


「えっ……?」


 続きが出て来ません。

 なんで言われるまで気が付かなかったんでしょうか。鍛冶師はドワーフだけしかいないわけじゃないなんてこと。というか、そもそもお父さんは人間ですし。お母さんはドワーフでしたけど、剣は打ちませんでしたし。


「えええええ……」


 私、なんで悩んでたんでしょう?

 周りから「ドワーフの子供なのに」って言われ続けて、それだけしか頭に無くなっていた、と。だとしても、えええ。


「自己催眠ってのはすごいもんだな。で、一つ抜けたところで疑問なんだが。鍛造はしないのか? さっきのはたぶん鋳造の話だろ。売ってたのもそうだし」

「鍛造となれば余計にです。私では膂力が足りませんから」

「ふーん」


 彼は、じっと私を見てきました。ええ、じろじろではなく。私の後ろにあるものを見定めるように。

 なんでしょう、この目は。


「ちょっと待っててくれ」


 そう言って、彼は工房を出ていきました。ちょっと待つくらい別にいいですけど。

 とか不貞腐れそうになったのですが、ほんとにちょっとの時間で帰ってきました。両手で数本の剣を抱きながら。あと、重たげな袋も増えてますね。

 剣については鋳造の数打ちでしょう。装飾が同じですし。って、


「まさかこれを売れと? それは」

「なんでだよ。職人に盗作……盗作? 転売か。どっちにしろそんなことをさせるわけ無いだろうが。あ、なにか色つけるものとかある?」


 色、はないですね。メモに使っているペンとインクがあるくらいです。

 彼はそれを受け取って、剣をじっと見つめ、


「んー、ここと、ここと、ここか」


 三ヶ所、印をつけました。

 そのまま両手で剣を構えます。


「何をして……どうするんですか、それ」

「今からこの剣をぶっ壊すのさ。ちょっと離れてろよ」


 彼の言うとおり少し離れると、空気が変わりました。

 破砕音と軋み音。それに剣が放つ謎の輝き。

 ただ、その光は彼が印を付けたところに集中しています。


「行くぞ」


 光がひときわ強くなりました。それを認識した瞬間、剣がバラバラに砕け散ります。いえ、その一瞬前に彼が印をつけた場所から折れていました。


「もう一度やるか?」


 彼はそう言って、同じことを繰り返します。

 同じこと。二度目もまた、印をつけたところから剣は崩壊しました。


「え? これってどういう」

「魔力強化。早い話が剣に魔力を流した。適正量ならいいが、限界を超えるとこうやって構造の脆い場所に負荷が集中して折れたり砕けたりする。俺も何本か折って気がついたんだけどな」

「え。その、理屈は……いえ、そんなこと考えたこともないですけど。でも、その折れる場所がどうしてわかって」


 何をやっているのかわからないですが、それ以上に自分が何を言っているのか。


「そっちは魔力探知だな。通した魔力を観測すればどう魔力が流れているかがわかる。それを使って強度的に脆いところがわかったのさ。あとは」


 彼は工房を見回して、インゴットの山で目を止めました。


「剣を持ったときから分かってたが、材料も粗悪品を掴まされてるな。わざと仕入れてるなら別だが卸側がやってるなら詐欺だ」


 もしかしてと思っていたことを明確に指摘されて肩を落としそうになったのですが、視界の端で彼は完全に曲がってしまっていた私の打った剣を掴み、


「え、えええ!?」


 ボキリと折ってしまいました。いくら粗悪かもしれないとはいえ、木の板じゃないんですけど!?


「身体強化。これで力のなさは補える」


 な、何者なんですかこの人。

 魔力強化、魔力探知、身体強化。そんな魔法、今まで誰も。

 いえ、待ってください。その三つの魔法って。


「剣を打つ気が折れてないなら、全部教えるけど?」



 ユーリ・クアドリ。それが彼の名前でした。火水風土四つの属性を混ぜ合わせて使える魔法使い。たしか十字属性魔法使い(クアドリクスマギカ)と呼ぶんでしたっけ。

 鞴の代わりに風魔法とか、そもそも火魔法と風魔法を掛け合わせるとか、それを魔道具で代替するとか、いまさらながらなぜ考えつかなかったのかと思います。それだけ私の目や心が閉じていたということでしょうか。いえ、そもそも“風”がほとんど使われていない属性でもありますけど。

 それに、この探知と身体強化。加えて鎚の魔力強化。これだけで鍛造が手の届く位置になったのは、私にとって奇跡としか言いようがありません。

 焦りは無くなったわけではないです。それよりも喜びと希望が大きくて。お父さんのようにはなれないし同じ方法でもないけれど、私はネレリーナ・グレイクレイとして一人の鍛冶師になれる。それだけで槌を捨てなくてよかったと思えます。


「魔力強化、魔力探知」


 打ち上がり軽く研ぎ上げた剣を持って、教えてもらった魔法を使ってみました。詠唱は無いとか言っていましたけど、一応使えているから大丈夫でしょうか。

 剣の方は悪くない出来です。でもそれは「以前の私と比べれば」と言ったところでしょうか。ギリギリ売り物になるレベルでしかないように思えます。


「……まだまだですね」

「いや、それはそれで充分だと思うけどな。案外職人気質だったんだな、ネレは」


 ユーリさんは私に呆れているようですけど、お父さんの打った剣はまだまだこんなものではありませんでしたよ。


「んー、ホレ」


 なにか飛んできました。薪?

 咄嗟に、持っていた剣で防御を。あれ?

 一刀両断されました。本研ぎはまだなのに。


「上を見過ぎてる。悪いことじゃないが。鉄の質は劣悪だとは言え、鉄は鉄だからな。それでさえたぶん初級冒険者には手が出せないくらいの値がつけられるぞ。卑屈になりすぎて自己評価が狂いすぎだ」


 ユーリさんが呆れた理由がわかった気がします。たしかに、これなら充分に売れますね。

 それでも上を目指したいのは事実。お父さんを超えたいです。

 その意図が伝わったのか、ユーリさんは更に呆れたように首を振ったものの、


「……パイ生地ってこの世界にもあるのか?」

「はい?」


 ぱいきじ? いきなり何の話でしょうか?


「穀物粉と砂糖と油脂を練り合わせて、成形して焼いたのがクッキーとかビスケットだろ。そうじゃなくてこう、平たく伸ばして折り重ねてそれをさらに平たく伸ばして折り重ねてってのを何度も繰り返して、っていう。いやこれだとミルフィーユとかミルクレープか? いや、それもまた違って。確かパイ生地は凍ったバターを使う……うーん。そこまで深く料理はしなかったからなぁ、って話が違ってる」


 料理のことには私もそこまで詳しくないですけど、言っている意味はなんとなくわかりました。その食べ物を鉄でやるっていうことですね。

 理論上はできるはずです。数本の剣を重ねて一本にするみたいな話でしょうし。

 工程は段違いに増えるでしょうけど、やってみる価値はあると思います。身体が震えてきました。



「失礼するよー」



 でも、その声に違う理由で体が跳ねてしまいました。反射的に向けようとした目を、別の無意識が抑え込んで身体がこわばるような。


「やぁどうもネレリーナちゃん。お仕事は順調かな?」


 明るい声なのですが、この人の顔と合わさると私は絡みつく蛇を連想してしまうのです。生理的嫌悪感から逃げられません。


「……どうも」


 ここで「目処が立った」などと言う気はありません。会話自体もそれほどしたくはないですが。


「ふむ。ああ、キミかな? 借金を肩代わりしてくれるとか?」

「ちゃんと話は通ってるのか? 状況によるともそこの下っ端に利子含めて全部計算しろとも言ったんだが」

「ああ、聞いているよ。大金貨十枚ってところかな」

「そんな……!」


 借りたのは金貨十枚だったのに! 十倍なんて!

 いいえ、騙されてることなんてはじめからわかってました。私が馬鹿だっただけです。


「……だいたい百万くらいか? 微妙だがボり過ぎらしいってのはわかるな。まあ、どんな世界でも授業料ってのは高いもんか。これに懲りたら金なんて借りないことだな」


 ユーリさんは嘆息しながら、そういえばなんだったのか聞かなかった袋の中を漁り始めました。


「ネレ。手、出して。手のひら上に向けて」


 言われるままに手を差し出すとその上に、


「えーと? 一、二、三、四」


 大金貨が。どんどん積み上がっていきます。


「……え」

「ほう」

「八、九、これで丁度か」


 計、十枚。私の手にあります。


「マジで出してきやがった……」

「冒険者にしては手持ちが多いですねぇ」


 金貸しの方は一様に驚いたような顔をしていますが、ユーリさんは首を竦めるだけ。


「使うことが特にないんでな。このくらいは貯まる」


 正直、持っていることすら怖いです。それでもこれを渡せばもう関わらなくて済む、


「……証文。口約束だけならその金は渡すなネレ」


 あ、そうだ。ユーリさんのほうが冷静でした。


「これも荒事ですかね。さすが慣れていらっしゃる」

「クズの思考を読むことはそこまで難しくないさ。アンタがそうだとしたら祈るしかないだろうが」

「さすがにその物言いは傷つきますねぇ」


 慣れているというより、ユーリさんの言葉通り読みすぎているというか。悪意に対する反応と嫌悪感が普通じゃないです。

 渡した大金貨と引き換えに渡された証文を一瞥し、ユーリさんは懐に入れました。破り捨てたりはしないんですね。もちろん、立て替えたものを返せというのなら頑張って返します。


「一つ聞きたいんだが。鉄の仕入れにまで手を回してないよな?」

「……いいえ? そこは管轄外ですね」

「そうか」


 たぶん、私にだけ聞こえました。「どっちにしろぶっ潰すけどな」って。


「ではこれで。ネレリーナちゃん、また何かあれば頼ってくださいね」

「……大丈夫です。もう何もありませんから」


 ユーリさんの力を借りた剣が駄目なら、すっぱり諦めよう。

 諦めて何をするのかはわかりませんけど。


「そうですか。今後の頑張りを期待していますよー」


 最後まで笑顔を崩さず去っていきました。やっぱり二度と会いたくはないです。


「……やれやれ」


 ユーリさんはため息を吐きましたが、その顔は晴れてはいません。ああいう相手と関わった私に呆れてるんでしょうかね。

 ともかく……いえ、これで負債が消えたわけではないですね。


「あの。返す目途はまだありませんが、借りたお金は必ず返します」

「うん? ああ、別にいいさ。金を貸したわけじゃない。投資だ。それも勝ちの目の見えてる堅実なやつ」

「でも……」


 投資。されるだけの価値が私にあるとはまだ思えません。勝ちの目自体も。


「なら剣を何本か打ってくれたらそれでいいよ。正直、魔力探知が使えるとどれも物足りなくてな。強化でどうにかしてきたんだがそろそろ面倒になってきた」


 そういえば、何本か折ったと言っていましたっけ。

 ユーリさんの強化に耐えられる剣を打てたなら、これ以上ない恩返しになるかもしれませんね。

 ともかく、まずは鉄でしょうか。最低限普通の。



 翌日。なぜかユーリさんも鉄の買い付けについてきました。

 いえ、それはいいんですけど。その代金もユーリさんが出してくれることになってしまいましたし。先立つものがないので当然といえば当然なのですが。

 ただ、昨日の軽装と違って、豪奢……じゃなくて眉を顰めるようなっていうか道行く人にバッチリ眉を顰められてる格好をしています。ダメな貴族の典型みたいな。更に言うと、その服自体も安物ですし。装飾品も二束三文の安物です。

 さらに、私の打ったそれも粗悪品の方の剣もガッチャガッチャ下げてます。なんでですかね?


「ネレ。もう少し申し訳無さそうな表情はできるか?」

「え? はい? ええ。実際申し訳ない状況なのでできますけど……」


 それより今は目を背けたい気持ちの方が強いですけど。


「ならそういう感じで。それと、今回も今までどおりに同じ卸元でな。粗悪品だとか一切口にするなよ」


 え。それだとまた同じことになるだけでは。


「不満そうだな。じゃあこれも借金返済の一部ってことで割り切ってくれ」


 意味不明です。

 ともかく、言われた通りになるようにやってみましょうか。もう着いてしまいましたし。それに借金を引き合いにされると断れません。それもユーリさんの思惑なんでしょうけどね。


「おやおや、グレイクレイ嬢。今日も鉄の買い付け……には少し早い気もしますが」


 っ、そうでした。最後に訪れてからほとんど日が経っていません。

 まずい。ボロを出してしまう。口がうまく回らな、


「貴殿がネレリーナに鉄を売っているのか」

「へ? あ、はい、左様で」


 ユーリさんが進み出て、私を制しました。

 大丈夫ですかこれ。別の焦りが表に出そうなんですけど。


「我には鉄の良し悪しはわからんが、世話になっていると聞く。ネレリーナが専属の鍛冶師になってくれるというので挨拶に来た」


 え。いえ、そんなことは言っていませんが。

 いえ、なれというのならならないといけない状況ですけど。


「それはそれは。いいパトロン、いえ、支援者を見つけられたようで」


 なんかこっちもこっちで口が滑ってますね。今の私が冷静だから気付いただけで、普段からこうだったのでしょうか。気付かされると情けなくなってきます。


「では、いつもより上質なものをご所望ですかな?」


 そう言ってインゴットを示してきますけど。


「……魔力探知」


 聞こえないように呟いて、魔力探知を展開。やっぱり不純物が多い粗悪品のようです。というかうちにあるのと変わらないじゃないですか。騙しきれてませんよ、ユーリさん。


「ふむ。どうなのだネレリーナ」


 えっ!? ここで私に振りますか!?

 え、えーと。でも、普段どおりにするんですよね。


「悪くない、と思います」


 目が泳ぐのは避けられません。と言っても、いきなり良し悪しの判別ができるようになったとは思わないでしょうけど。似非貴族のユーリさんの勢いに押されていると思ってくれるとありがたいですかね。


「ではこれを貰おうか。ところで、購入明細や証明書や鑑定書などは無いのか?」

「へえ?」


 あ、まずい。ユーリさんの失言で明らかに顔色が変わりました。そんなもの貰ったことないです。バレる。

 けれど、ユーリさんは依然冷静。すごい大物感です。態度だけは。そのユーリさんは押し殺すように笑って、破顔しました。


「なに、それはもうすごい剣が打ち上がるはずなのでな。それがあれば箔が付くであろう。後の勇者が使った剣、などとな」


 は、はい? 勇者って……いきなり何を言い出すんですか。


「まさにこの我にふさわしい剣となるわけだ! ふはははは!」

「えっ」


 ユーリさんが? 勇者? になるんですか? どうやって?


「く、く、く。面白い旦那様ですな。いいでしょう。お作りしましょう」


 その笑みは、なんの笑みだったのでしょう。いい理由があったとは思いませんけど。

 ともかく、これで最後の付き合いになるはずです。私の懐も痛みませんし。そのくらいの投げやりな気持ちでないとやってられません。

 証明書と共に何本かインゴットを受け取り、あとは明日以降の配達で。また粗悪品の在庫が増えるんですね。


「またのお越しをお待ちしております」


 ご丁寧な見送りにも呆れてしまいました。もう来ません。


「……はぁ」


 やり遂げた、という達成感しかありませんね。いえ、徒労感もありますか。解放感も。

 それでも、昨日までの私がいい金づるだったのは言うまでもないわけで。泣きそうです。


「もういいか」


 ユーリさんは、服の中から大きな布袋を取り出して余計なものを全部詰めていきました。纏っていた服とかアクセサリーを。

 おしまいに、私の剣も。余計なものですね、はい。最後に打った一本だけは逆に取り出してくれてますけど。


「あーしょうもな」

「ええ。なんであんな芝居を……」

「欲しかったものを手に入れるためだ。しかし思惑通りに行って笑いが止まらんな。わははは」


 思惑通りって、貴族のフリをして鉄を買い付けられたことがでしょうか。なんの意味もないと思うんですけど。

 何より、お金の無駄です。


「意味があったんですか、これ」

「あれだけ自信満々な上で騙されたってなったら、演じた通りのバカ貴族なら名誉のために黙ってるんじゃないか? だったら向こうも平気で騙してくるだろ」


 いえ、格好の話ではないですよ。まあ、それもではありますけど。


「そもそも、貴族を騙るとお咎めがありますが……」

「へえ、やっぱりそうなのか。ところで俺は貴族だって言ったか? だとしたら自首しないといけなくなるが」


 言っ……てませんねそう言えば一言も。それもそれで詐欺ではないかと思いますけど。

 相手も詐欺師ではありますけど。


「でも、また粗悪品を仕入れてどうしようっていうんですか。それではユーリさんの求めるような剣は打てませんよ」

「ああ、それは別口で考えたほうがいいな。相手にもよるが当たれば苦労しなくて済むはずだ」


 つまり、なにか思惑があったわけですか。

 私たちの足は街の中央へ。そこには案内板があって、ユーリさんは行き先を指で確認して……え、商工ギルド?

 なんのためらいもない歩みに遅れないようについていって、まっすぐに目的の場所へ。ユーリさんはなんの躊躇いもなく扉を開いて受付に立ちました。


「インゴットを買い取ってもらいたいんだが」


 そう前置きしてから、ユーリさんは受付の人に顔を寄せ、


「……希少な物のようだから、そういうのを鑑定できる人はいるかな」


 小声でそう囁きました。



 部屋に入ってきた担当者を見て、ユーリさんは小さく頷きました。別に合図というわけではないのですが、なんでしょうね。

 机を挟んで面と向かいあったところで、ユーリさんはさっき買ってきたインゴットを机の上に並べました。

 担当者の男性は一瞬で表情を無にして、


「当ギルドを馬鹿にしておられるので?」


 それでも感情を抑えて言い放ちました。怒るに決まっているのは私もわかってましたよ。当たり前でしょう。


「どう見ても粗悪品ですぞ、これは」

「な、なんだってえ!? 本当に粗悪品なのかい!?」

「……グレイクレイさん。これはなんの冗談ですかな?」

「……ユーリさんお願いですからやめてくださいお願いします本当に」


 なんですかまたその嘘くさい芝居。

 こんなことしたら二度と商工ギルドに立ち入れませんよ。私も登録を抹消されちゃいます。何より恥ずかしいです。

 でも、ユーリさんは安心したように笑って、


「ひと目見てわかるほどの粗悪品を長期的に売りつけられていた。これは商工ギルド的にはどう扱います?」


 ユーリさんは、さっきの書類をすべて机の上に並べました。


「……あっ」


 ああ、そうか。なにもかもこの為に。むしろ、この状況を揃えるための一連の猿芝居。名誉のために黙っているから平気で騙せるというのはこの事。

 いまさら意図に気付くなんて。私、どれだけ抜けてるんでしょう。

 その書類を一瞥した担当者さんは、


「……なるほど」


 ただ一言。すべて納得したようでした。ユーリさんも満足そうな顔をしています。ここまで完全に予定通りだったってことなのでしょう。

 担当者さんはそのまま目を私に移して、


「こういう言い方をすると誤解されるかもしれませんが、お父上のメリムス・グレイクレイさんは工匠と呼べるような人だったとは言えません。ですが、実直なお人だったのは事実。この街の多くの冒険者や騎士見習いが彼に助けられていた。だからこそ個人的には娘の貴女には失望していたとさえ言えます。しかし、これではさもありなんと言わなければならないのでしょうな。酷すぎる。周りに恵まれませんでしたなぁ」

「あ……」


 お父さんの評価というものを人の口から初めて聞いた気がします。相手の方は初老の紳士と言ったところでしょうけど、お父さんと直接の面識があったのだと思います。

 それでも、ちょっとショックです。私にとってお父さんは世界でも有数の鍛冶師だと思っていましたから。そうでなければお客さんに囲まれていなかったはずですし。


「人が求めるものと自分が追い求めるものは違う。お父さんは前者を見た鍛冶師であり、ネレは後者を見る鍛冶師なのかもな」


 ユーリさんはそう言って、剣を机の上に置きました。さっき取り出していた、私が昨日打ったものです。

 相手はそれを手に取り、じっと見つめていましたが、


「なるほど。この程度の鉄でもこのようなものが打てるなら、近いうちに貴女は鍛冶師としてはお父上を超えられるでしょうな。楽しみだ」


 認めてもらえた?

 お父さんのやり方とは違うけど、私も鍛冶師になれる?

 でも、鍛冶師としてはって。

 私はどんな顔をしていたのか、相手は苦笑いになりました。


「ネレリーナさん。貴女が打とうとしているのは最高の剣なのでしょう。良い剣は持ち手を選びません。それは鍛冶師としては一つの真理にして到達点とは言えます。しかし、持ち手の方は剣を選ばざるを得ない。対価を支払えるかという問題があるわけですからな。それに、過ぎた武器は過信を生み出して身を滅ぼさせることもある。その辺り、お父上は良いバランス感覚を持っておられたわけですよ。それもまた鍛冶師としての一つの真理にして到達点である。彼の言ったのはそういうことです」


 ああ、そういうことですか。

 身の丈にあったもの。いえ、お父さんがそこに優れていたと言うのなら、身の丈のやや上のもの。身を崩さず身を立てられる剣を打つ鍛冶師だったと。

 知らなかった、そんなこと。けれど知ることができた。

 お父さんの背中が本当の意味で見えた気がします。ありがとうございます、ユーリさん。


「お窺いしたいことがあるのですが」


 感動している私を置いて、ユーリさんは話を進めていきます。


「おそらく数日中には嵐が来ることになると思うのですが、商工ギルドは彼女に間借りをさせてくれますか?」


 わけのわからないことを言ったユーリさんに相手はしばらく唖然とした顔をしていたのですが、しばらくの後に破顔しました。


「はっはっは。鉄のことと言い貴方は面白い御仁だ。年甲斐もなく胸を躍らせないわけには行きませんな」


 えっと。この二人、何の話をしているのでしょう。嵐とか間借りとか。もう少し感慨に浸らせてほしいんですけど。


「少なくとも、今回の件で彼女が風邪をひく事は無いでしょう。傘だろうと合羽だろうと屋根だろうと何でもお貸ししますよ。私の名に於いて」

「安心しました。それと、鍛冶素材について他の仕入先を紹介してもらうことはできますか?」

「そちらも承りましょう。彼女の作品については私も期待を持ちましたからな。ネレリーナさん。これほどまでの運の転換、愉快痛快。これ以上ない良い出会いを得たようですなあ」


 なんとなく、問題が解決しつつあるということだけはわかるのですが。男の人同士の会話ってわからないですね。楽しそうで羨ましいですけど。



 さて、こうなっては一秒も惜しんでいられません。剣が打ちたくてたまりません。ユーリさんの教えてくれた手法、やってみたくてたまりません。

 そんなわけで、帰ってすぐ火入れして一本目を打ち始めたんですが。まずは“粗悪品”だと言われたインゴットで試作をしてみたものの、想像以上に難儀なことがすぐにわかりました。

 普通の両刃剣を作るつもりで打ち始めたのに、鉄を練り終わる頃には短剣や短めの細剣を作る程度の量の鉄しか残りません。これは不純物が多かったからが大きいとはいえ、それだけではなさそうですね。

 火に入れている時間が段違いなのですから、それだけ失われるものも多いということなのでしょう。

 それでも。想像していた以上の手応えを感じます。これなら。


「試算からやり直す必要がありますね。この数倍は鉄が必要になるわけですか」

「ほー、刃文を作ろうとするとこうなるのか。不純物が多すぎるってのもあるんだろうけど尋常じゃなく鉄が要るな」


 ユーリさんも、肩越しに覗いてきます。最初の“ハモン”というのは意味がわかりませんでしたけど。

 あとちょっと近いですかね。もう少し離れてもらえると。いえ、暑くないのかなとかそういう意味ですよ、はい。決してそれ以外の意味ではないです。


「ところで、ネレって包丁とかは作らないのか?」

「はい?」


 短剣サイズの鉄を見ながら、ユーリさんはそんなことを言いました。

 さすがにそれは“料理道具の包丁”ですよね。


「この鉄の山がもったいないなって。魔物相手ならキツくても、肉とか野菜相手なら十分じゃないかな。小金稼ぎにもなるし、さすがにこの分の資金回収もしたほうがいいだろうし」

「ああ、なるほど」


 今まで剣を作ることばかり考えてきましたけど、そういうのもいいかもしれません。手元のこれでちょっと試してみましょうか。

 大体の形に成形。最終的には研ぐわけですから、ただ素材の扱いにだけ気をつけて。

 うん。行けそうですね。持った感じでもこれまでの剣よりずっといいのがわかります。

 あ、色んな意味で泣きそうです。ほんとに泣きはしませんけど。


「あとは鉄鍋とかかなぁ。皿は錆びそうだし」

「鍋……そこまで来ると鍛冶師でもないような……」

「いやいや、それも鍛冶だろ。それに調理器具なら購買客は冒険者だけに限られないし、剣の包丁に対して盾の鍋じゃないか?」


 なるほど。剣はそれで戦う人にしか売れないですけど、包丁や鍋は一般の人も対象にできますね。

 こだわりすぎていたってことでしょうか。道はたくさんあったのに。


「主婦にとって台所は戦場らしいからな。それもまた武器と言えなくもない」

「面白いこと言いますね、ユーリさん」


 そうか。誰かのためという部分は変わらないですね。

 よし。何でも作ってみよう。幸い、材料は山ほどあるんですから。



 ネレリーナ・グレイクレイの名前がいい理由で有名になるのにそれほど時間はかかりませんでした。

 と言っても、まず売れたのは包丁の方でしたけどね。ユーリさんの言う実演販売が功を奏した感じでしょうか。

 正直なところ、あの日料理で使って切れ味に唖然としましたからね。体験してもらえば絶対に売れると確信がありました。

 まあ、何が一番の助けかといえば、ユーリさんが用心棒を兼ねていてくれたことだとは思いますけど。


「ただ、どうしてもまだ粗悪品を売りつけている感覚が抜けないのが……」

「鉄が粗悪でもちゃんと公言してるから大丈夫だろ。そのぶん安くもしてるし」


 いえそういうことではなく。「習作を売りつけている」というのが近いでしょうか。

 と言っても、全力で作った物はまだ売れていませんし、もう少し上を目指せそうです。


「逆に、『今後使う鉄の質が上がる』って公言してるのに買い控えが起きないのが認められてる証拠だろ」


 励ましてくれているのはわかります。ただ、これまでのやり口を見ているとユーリさんも詐欺師に見えてしまう時があるのがなんとも。

 っていうか、ユーリさんずっとうちに居候してますからね。男女が一つ屋根の下とか、え、うわ、なんで今まで平然としていられたんですか私!?

 年齢的にはちょっと歳の離れたお兄ちゃんとかそんな感じですけど。それでも異性なんですよね。本当にどうして。


「……ネレ」

「ほんとになんでユーリさんにこんな警戒心無しで……」

「は? ってそうじゃない静かに」

「むぐ」


 なんの前触れもなく口に指を当てられました。

 飛び上がりそうになりましたけど、険しい表情的に喋るなってことなのでしょう。ピリピリとした雰囲気で口を開けなくなりました。

 とりあえず、理解を示すために首を縦に。すると指が離れました。


「……どうかしたんですか?」

「招かれざる客だ」


 現在、夜。こんな時間にお客さんは来ないですね、確かに。

 あれ? 私って隣人付き合い無い? 鍛冶屋の立地上、隣家とはやや距離があるのは確かですけど。え。

 いえ今はそんな場合じゃないですネレリーナ・グレイクレイ。そういう悲しい事実はとりあえず置いておきましょう。


「……魔力探知」


 ここ数日で安定して魔力探知をできるようになりましたから、周辺確認のために展開。

 覚えのある魔力ですね。露店を出していた時に遠巻きにあったもの。最初の剣を鍛造したときに付随的に感じた魔力。それが一〇人くらい。明らかに友好的な雰囲気じゃないですね。鍛冶師として軌道に乗ったからお祝いに来てくれるような人たちではないのはわかりきっていましたけど。

 ああ。ユーリさんがうちに留まっていたのは、これを危惧してのことだったんですね。ちょっと残念……残念?


「こうならないといいとは思ってたけどな。ほんと世の中ままならない。片付けてくる、っと」


 離れようとしていたユーリさんの手を、無意識に掴んでいました。

 不安だからじゃないです。私だってちょっとは覚悟がありましたから。


「私の蒔いた種ですから、私にも見届ける責任があります」


 足手まといというか完全に邪魔になるのはわかっていますけどね。それでも、当事者が隠れて見ずにいるのは駄目です。


「……わかった」


 ユーリさんは了承してくれましたけど、それでも後ろに庇われながら外へ。私だってむざむざ殺される気はありませんから助かります。


「おや、バレましたか」


 先頭にいたのは言わずもがな。もう用はないはずなのに。


「一人暮らしの女の子を訪ねてくる人数と時間じゃないんじゃないか?」

「ええまあ、一般的にはそうでしょうね。ただ、予定が大幅に狂った以上しょうがないでしょう」

「だろうな」

「え?」


 予定?

 お金が一番じゃなかったんですか。


「鍛冶師の一番の財産は何かわかるか、ネレ」


 え、なんですかいきなり。


「財産って、技術以外無いのでは」


 誰にも真似できないもの。今の私だとほとんどユーリさんからもらった技術ですけど、それが一番の財産です。


「あー、聞き方が悪かったな。こいつらから見たら何が一番高値に見えると思う?」


 この人たちから見てですか?

 土地でしょうか。いえ、ここは市街から少し離れていますし、周辺の土地が売れているわけでもないですから土地が欲しいわけでもなくて。あと残るものと言えば。


「もしかして、“炉”ですか?」

「正解。居抜きってやつだよ。鍛冶工房を開くのもタダじゃないものな。このまま売りつければ値も上がるか」


 そういう意図も。って、ユーリさんもよくそんな事思いつきますね。あ、鍛冶師じゃないからこそというわけですか。


「でも、もう借金は返し終えたから関係ないじゃないですか」

「ところが残念ながらまだ利子が残っていましてね」


 えっ。


「そんなはずありません! 証文はユーリさんが持っています!」

「どうせ利子の利子とかくだらないこと言うんだろ。それが駄目なら偽造でもするんだろうさ。あるいはこの証文が偽造とかな。そもそも、きっちり端数なく十倍とかそれこそどんな魔法の計算だって話だ」

「正解ですねえ」


 やっぱり気持ちの悪い相手。そんなのに付け込まれるなんて、私も愚かすぎる。

 どこで間違えたのか。少なくとも今は間違えていないはずなのに。過去の自分を引っ叩いてやりたいです。


「まあ、押し貸しに貸し剥がしなんか正規の金融機関でもやってたようなもんだからなぁ。本来投資は自己責任のはずなのに。どこの世界も金関係は面倒くさいな」


 ユーリさんも嫌そうな顔をしていました。ん? オシガシにカシハガシってなんでしょう?


「ガタガタうるせえよっ! めんどくせぇのはオマエだっ! くたばれ!」

「っ!」


 よく嫌がらせをしてきた奴らの片割れがユーリさんに向かってきます。手にはナイフ。


「ユーリさんっ!」


 二人の身体が重なる。ユーリさんは、一切抵抗をしませんでした。

 どうして。


「ゆ、ユーリさ……」

「祈りは通じなかったみたいですねぇ。まあ、こちらが悪人かはあなたが決めることではないですが?」


 状況は最悪。ユーリさんが倒れたら、私なんてきっと数秒ももたない。


「な、何だこいつ……?」


 ユーリさんが、倒れた、ら?

 ユーリさんは、倒れない?

 なんで? じゃなくて。いいことなんですけど。どうして。


「刺さった感触はしたか?」


 呟いたあと、片足が上がります。鈍い音がして、ユーリさんを襲った相手は宙に浮き、飛んで行きました。手の中からこぼれたナイフが地面に転がりますが、当然血はついていません。


「うーむ、折れるまでは行かないか。まだまだだな俺も」

「バカな、わざと受けたとでも」

「そうだが?」


 ユーリさんは着ていたコートをめくります。これまた当然のように、無傷。

 そもそもめくったコートにも穴は開いていませんでした。それどころかこっちにも傷はなし。


「冒険者は私闘禁止だからな。ただし当たり前だが、身の危険を感じた場合は別。傷なんかついてないし危険も感じないが、要件としてはこれで十分だろ」


 そうか、そのためにコートを魔力強化して防いだ。蹴り飛ばしたのは身体強化。

 そもそも、ぶつかられたのに微動だにしないのはありえません。それも身体強化で。


「しっかし。あんたがクズかどうかは祈るしかないって言ったけど、俺がどうのって話になるのならやっぱり勘違いしてたみたいだな」


 呆れたように言いながら、ユーリさんは剣を抜きます。それにいまさら、相手もみんな武器を取り出して構えました。

 戦闘が始まる。逃げなきゃと思いますが、そうは行きません。ユーリさんが戦うのは自分の為もあるのでしょうが、それ以外にもきっと。

 見届けなくちゃ。


「勘違い? 何がですか」

「……祈るのはオマエだってことだよ。無事でいられるように」


 言葉とともに、ユーリさんは剣を振りました。


「ガッ……!?」

「アガッ……!?」


 振っただけ。間合いも何もなく。

 なのに、数人が殴られたように吹っ飛んでいきます。


「搾取するのが生き甲斐というか生き方みたいな奴はそれなりに見たし、最期はそういう奴のせいで迎えたんでな。躊躇なく潰すのは今の生き方の一つにすることにしてる。運がなかったな、おまえら。まあ、こうなってるってことは祈りは通じなかったんだろうな?」


 痛烈な皮肉の中に混じった言葉に、これ以上ない違和感がありました。

 最期?


「ふざけるなぁ! ぼ、うがっ!?」

「さっきから大音量で喚き散らしやがって。近所迷惑なんで静かにしていただけます?」


 また。でも魔力探知で今度は捉えました。

 剣から魔力が飛んでいます。ただそれだけ。それでも、密度が上がったことで物理的な攻撃として成り立っているんですね。

 たしか魔弾という魔法があったはず。あれの剣版ということでしょうか。

 さらに、魔力の流れが剣の柄から伸びていますね。そこには宝石。なるほど、剣と杖を一体化すると。


「ああ……」


 こんな発想なかった。

 鉄を層にすることも。魔力探知も身体強化も。剣に剣以外の機能をもたせることも。

 でもそれは、私でももっと上を目指せるということ。発想と工夫次第。鍛冶の道は無限に広がっている!


「くそっくそっくそっ!」

「力に勝つのは知能ともっと大きな力。いや、頭の使い方も力だけどな」


 ナイフで襲いかかってきた相手に、ユーリさんは肘打ち。接触の瞬間、やはりそこから魔力の流れが。体術にも魔法を組み込むと。


「ならもっと大きな力に飲まれろや! 燃え上がる火が貴様の」

「だから近所迷惑だってふぁいやーぼーる」


 詠唱に対して……詠、唱?

 違う。魔力探知をかけ続けていたけど、これは詠唱じゃない。

 単純に、冗談の類。それでもしっかりと火の玉(ファイアボール)は飛んで行きます。


「グアァァァ!?」


 当たったのは足元でしたけど、余波は身体にまで。


「うーん、夜に火は迷惑か」


 ユーリさんがボヤくと、彼の足元から土が浮き上がっていくつも塊に。同時に、辺りに風が。

 これでもう疑う余地はないです。剣を砕いたときからその気配はありましたが、詠唱なしで魔法を使ってます。


「な、なにをして」

「教えるとでも?」


 ユーリさんがそう言うのと同時に、土の塊が高速で飛んでいきます。ほとんどが腹に直撃。避ける余裕すら与えませんでした。


「これ以上やると殺すしかなくなるが、続けるか?」


 本当になんでもないことのように言う姿を見て、少しだけ寒気が。普通の人なら「やってしまえー」とか思うんでしょうか。

 でも、もともと下げる溜飲もそこまでではなかったですから。


「ユーリさん、それ以上は」

「そうだな」


 ユーリさんは、空中で土と水を混ぜ合わせて泥にして。転がっている人たちの胴体を覆うようにぶつけて。火で焼いて。なにこれ?


「……何をしてるんですか?」

「んー、土瓶作り?」


 どび……何?

 拘束しているというのはなんとなくわかってきましたけど。


「縛り上げるようなものもないし、こうするしかないかなって」


 言ってくれれば、ってさすがにこれだけの量の縄はないですかね。

 感心していたら、低い笑い声がしました。笑っているのはあの蛇のような男。


「まったく。予想外でしたよ」

「ああそうかい。そう言えば、『予定は未定』って言葉があったな。そっちも上手くいくように神様に祈っておけばよかったのに」

「貴方については完全に読み間違えましたよ。侮りすぎましたね」


 反省、なんてしませんよね。悪党というのはそういうものでしょうし。

 いえ、関わらなければ一生知ることもなかったわけですから、悪いのは私なんでしょうね。ため息しか出ません。

 それでも、ユーリさんの顔色を窺うと押し殺した怒りらしきものが浮いていて。


「なあ。まさかとは思うが、ネレの両親にも何か関わったりしてないよな」

「……ふふ、まさか。そんなわけ無いでしょう。なんでもかんでも私のせいに」

「いや、もういい。わかった」


 ユーリさんの声からは、感情が読み取れませんでした。

 つまり、そういうことなのでしょうか。

 嫌な感情に囚われそうにはなりますが……でも大丈夫です。今の所。


「ネレ」


 名前を呼ばれて、抱きしめられました。驚いて、身体が震えて。いえ、顔をうずめたユーリさんの服が湿ってます。私の涙で。

 認めないといけませんね、自分が泣いてること。でも、悲しいわけではないです。

 悔しい。ただそれだけ。私にもっと力があれば違う道もあったのに。


「ごめんな、ネレ」

「なんでユーリさんが謝るんですか」

「もっと早く来ればよかったのにって」

「こうしてここにいてくれるから、それでいいです」


 ユーリさんの声だけが、救いのように胸に吸い込まれていきました。



 翌日。落ち着いた空気の中でこれまでのことのお礼を言うと、なぜかユーリさんは苦い顔をしました。


「いや。錬鉄だの包丁だのは俺の考えじゃないんだ。鉄を重ねるのは俺の国の鍛冶のやり方で、包丁は変な事情があってな」

「変な事情?」


 それより、ユーリさんの国? 帝国以外の国にはそんな技術があるのでしょうか?

 そもそも、ユーリさんってどこの生まれなんでしょう。王国? 聖国? 共和国? 連合?


「ああ。鍛冶師……俺の国じゃ刀匠って言ったんだが。一年間に制作していい本数が決められてたんだ。でもそれじゃあ食っていけないから、包丁を作って売るっていう。割と夢のない話だよ」

「それは……これ以上なく現実的な話です」


 ユーリさんは、盛大なため息を吐いて頭を掻きました。

 トウショウ。聞いたことが無いです。ユーリさんの国にしかいないのでしょうね。


「人間国宝といい、乱作して全体的な制作物の質を落とさないためって御題目はわかるんだが、なんだかなあって感じだよな。逃げ道のない陶芸家よりは生きやすくはあるんだろうけど……」


 いまいちよくわからない言葉がまたいくつかありましたが、極めた人にも極めたなりの苦労があるということでしょうか。この国の鍛冶師の世界ではたしかそういう制限はなかったと思いますが。

 話を聞く限り、誰にでもある時間や材料的な制約の話ではないんですよね。国から決められているのでしょうか。不思議な決まりです。


「ネレはそういう縛りはないから、安心して腕を磨けるな」

「期待と不安ですね。まだ不安のほうが大きいですけど」

「まあなんだ。『どん底からは這い上がるだけ』って言葉もあるし、ネレが進むのは上向きの道だけだろ。大丈夫大丈夫」

「微妙に励ましになっていない気もしますけど、そうですね」


 道は開けました。背負うものはありますけど、重荷ではないです。不安と言ってもそれは、自分への期待への裏返し。それに言いませんでしたけど、一番大きいのは信頼に応えたい気持ちです。ユーリさんの言うとおり、未来は明るいです。

 何より、鍛冶師として明確な目標ができました。


「なんだか楽しそうだな?」

「ええ。秘密ですけどね」


 今はまだ声にしない誓いは一つ。



 人生をかけてこの人の剣を打ちましょう。

 私の勇者の剣を。

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