Feather2 夢見る精霊姫
この世界は広くて、いろんなことを教えてくれる人がいるんだって。そう思ってた。だから里を出て、世界を旅することにした。
実際にいろんな人がいろんなことを教えてくれたし、言葉を忘れてしまうような景色もいくつも見られた。騙されかけたこともあったけど、誰かが助けてくれた。
閉じた世界にいるだけじゃこの世界を知ることはできない。
だから私は、まだ見たこともない世界を見続けたいと思ったんだ。
/
ヤバイヤバイヤバイ! ヤバイヤバイヤバイヤバイ!
動けない! ここから動けないんだけど!?
どうしようどうしようどうしよう!?
助けなんて求むべくもないここは森の中の木の枝の上!
木から落ちたら終わる! 危機的状況の極み! ていうか、なんで魔物って諦めてくれないの!?
私美味しくないし! それに、私が落ちるの待つよりずっといいことが他にいっぱいあるってば!
そんなことを考えてたら肩をつつかれひゃああああ!?
あ、叫んだつもりが声も出てない。ゆっくりと、つつかれた肩の方に振り向く。
「あのー、大丈夫か?」
困ったものを見た顔だった。この状況でそれを失礼だと思うことはありえないけど。
「たすけてくださぃー……」
うわ、情けない声。って、状態が情けないから仕方ないよねえ……とほほ。
相手も困った顔してるし。
木の周りにハウンドが集まっていた。
何事かと様子を探ると、木の上に向かって吠えていた。
木の上に誰かいて、頭を抱えて震えていた。
エルフじゃないか。
そんな感じの顔かな。
「まあ、うん、了解」
名も知らぬ彼は、そう言うと足元に向けて火の玉を……って、ちょっと待って。私は木の上にいるのにどこにいるのこの人? って、浮いてる!?
ハウンドが悲鳴を上げる。同時に彼も落下し、抜き放った剣で数頭を切り裂く。
飛びかかった残りの数頭は、噛み付く直前で見えない壁に阻まれる。物理防壁? いつの間に?
一度距離をとったハウンドには、魔法で生み出された土の槍が飛んでいく。敵わないと思ったのか、すぐに逃げていってしまった。
あっという間に危機は去ってしまった。
「もういいぞー」
手を振られたので安心して飛び降りる。着地は精霊が助けてくれた。
「攻撃手段もなく魔物の生息域にいるのは危なくないか?」
「攻撃手段ならありますけど?」
「そうなのか? 持ってるようには見えないが。エルフといえば弓矢……いやこれもただのステレオタイプなのか」
うん? 弓矢?
「すてれおたいぷというのが何かはわかりませんが、私はエルフ。精霊魔法使いなので必要ないのです」
胸を張って威張る、とまでは行かないけど。さあ、敬ってください。私これでもすごいんですよ。なんて。
でも、彼がしたのはやっぱり困った顔で。
「精霊魔法……ならなんでそれで追い払うとか倒すとかしなかったんだ?」
「あっ……」
なんてこと。私は終始ボケ倒してただけだった。恥ずかしいことこの上ない。
/
「エルフェヴィア・ニーティフィアです。先程はありがとうございました」
お礼はちゃんと言っておかないとね、と思ったけど、彼はやっぱりなんか微妙な表情をしてて、
「エルフの……エルフェヴィア? なにかそういう決まりでも」
「洒落じゃないよ!」
なんで初対面のヒトには決まってそれ言われるの!?
怒った私に気圧されたのか、彼は一歩下がって頭を下げた。
「いや、申し訳ない。ただ、『エルフが』とか言うと誰かの名前とか愛称だったりするのかと思ったただけで」
む。なるほど。そういうこともあるかもしれないね。絶対誤魔化しただけだろうけど。
まあ、友達にいるけどね。エルファリアとかエルフィとか。でもみんなエルフってつくわけじゃないから。
「俺はユーリ・クアドリ。人間で魔法使い……です」
で、そういう自分こそなんとなく魔族っぽいけど。でも、黒髪黒目の人間も普通にいるのかな。
というか、剣を持った魔法使いなんて。実際さっきも魔法を使って……魔法、使ってた? ううん、使ってたか。
そっか、詠唱がなかった。ということは魔道具を使ったのかな? だとすると魔法使いじゃなくて騎士なんじゃ? じゃあ、嘘つきかも?
『この人ふしぎー』
『そうですわね』
『んー、人間なんだけどそれっぽくない?』
『ふむ。たしかに今まで見てきた人間とは違う感じがするな』
でも、火精霊も水精霊も風精霊も土精霊も興味深そうにユーリの周りを飛び回ってる。こんなの初めて。
「それで、えーと。ニーティフィアさん?」
はあ。なんか、急に他人行儀っぽくてやな感じだな。落ち着いたからこその礼儀だっていうのはわかるけど。
「エルでいいよ」
「いやでも、エルフと言えば普通ずっと……ずっと。……えーと。先達、で」
「センダツ?」
なにそれ。どういう意味? 馬鹿にしてるわけじゃないっていうのはわかるけど。
「あー、えー、とー」
ユーリは見たまま言葉に詰まって、
「……失礼な表現だけど、年上で」
言い換えるのを諦めたみたいだった。センダツってそういう意味なんだね。
「エルフにはあんまりそういう感覚は無いから別にいいよ。二〇歳も二〇〇歳も人間から見れば変わらないだろうし」
というか、年齢感覚自体がね。数えるのも面倒だし。
「それはそれですごいな。ああ……じゃあ、うん。よろしく、エル」
「うん。よろしくね、ユーリ」
なんか変な感じ。助けられたからかな。でも、悪い人じゃないから大丈夫だね。
/
出会って一時間くらいだけど、ユーリはすごく疲れた顔をしてた。疲れるようなことをした覚えもないのに。
「なあ、エル。どこに行きたいんだ?」
「えー?」
どこに行きたいって言われても。別にアテがある旅なわけじゃないし、目的地はないよ。
「なんで?」
「さっきからずっと蛇行と迷走を繰り返してるんだが。流石に意図的じゃないよな?」
え、そうなの? 私はまっすぐ歩いてるつもりだったんだけど。
ていうか、よくわかるねそんなこと。地図も広げてないのに。
「まあ、気ままな一人旅だから目的みたいなのはないかな。足の赴くままだよ」
「なるほどな、それで地図も何も持ってないのか」
「ううん、無くした」
「あ、そう……」
そんな残念な子を見る目で見なくても。故郷でもよくされてたけど。
「そういうユーリは目的があってこの辺にいたの?」
「いや、今はこっちも気ままな放浪中だ。その途中に魔法の使い方を試したりしてただけで、同じく目的地もない」
「じゃあ同じだね。だったらしばらく一緒に行こうよ」
「旅は道連れ世は情け、か?」
「なにそれ?」
「……そういう言葉を聞いたことがあるってだけ」
情けってなんだろ。でもそれも悪い言葉じゃなさそうだね。
旅は道連れか。
「ユーリはこれまで誰かと一緒に旅をしたことはあるの?」
「ないな。ちょっと前までは旅すらしなかったし」
そうなんだ。でもそれでこうして急に旅に出るなんて。
「なにか心境の変化があったの?」
「それは……強いて言うなら心境というか環境だな。冒険者登録をしたからもあるし、世界を見て回りたいなって」
「へー。じゃあ、旅を始めて間もない感じなんだ」
身内に不幸でもあったのかな。だったらあんまり突っ込んで聞かないほうが良さそうかも。
人間は寿命が短いからなぁ。エルフだって死なないわけじゃないけどね。そう考えると、こうして世界中を巡ってなんともなかった私は運がいいのかな。
「エルはこれまでどんなところを旅してきたんだ?」
「いろいろ行ったよ。雲よりも高い山とか村よりも広い砂浜とか」
「日の出とか日の入りの光景はきれいだろうな」
「うんうん。こう、ぱぁーって世界が照らされる感じがすごく素敵だった」
手を広げて表現する、ってこれじゃ伝わらないかな。
そう思ったけど、ユーリはすっごく優しい目で私のことを見てくれた。
「いいな、そういうの。よく考えれば景色を楽しむなんて考えもなかったんだなぁ今まで」
子供みたいな老人みたいな。不思議な感じ。
「夜も夜でよかったよ。月の光がぼんやりと世界を照らしてる感じとか、海面が真っ白に光ってたりとか」
「想像はできるけど、実物はもっときれいなんだろうなあ。形に残せるものだけが全てじゃない、か」
「そうだね。絵には絵の良さがあるけど、実際に見るとまた違う良さがあるんだよねー」
こういうのを共有してくれる人ってあんまりいなかったんだよなー。その日を生きるのに必死とか、生活範囲から離れることが難しい人とかが多かったからね。各地を旅して商売してる商人さんとか何度か拠点を移してる冒険者はいたけど、私ほどあっちこっち行った人はいなかった。
もちろん、単純にかけた時間もあるんだろうけどね。
「っ、と。魔物だ」
ユーリが私を手で制する。けど、魔物なんて見えない。
『ユーリは正しいぞ、エル。大きいのが近づいてくる』
土精霊が肯定したので私も身構える。
木をかき分けるように出てきたのは、熊。ブラッドグリズリーだ。その目はすぐに私達を捉える。
「失礼」
一言呟いたユーリが腰を落として、私のお腹に肩を当てる。そのまま担ぎ上げられるようにジャンプする。
跳び退いたってレベルじゃない。飛び上がった。そこそこ植生が濃くて高い木のその上まで。
「なあ、倒していいのかアレ?」
「いちいち確認取る必要ないと思うけど、どうして?」
「エルフは森の守護者で、無闇に命を奪っちゃいけないとかそういう。さっきのもそれでとか」
なにそれ。
「誰から聞いたの? そんなの無いよ。魔物とは友達になれないもの」
「……その辺ももうちょっと詰めないとな」
ユーリは私を枝の上に残してブラッドグリズリーのところへ降っていく。そのまま斬りつけるのかと思ったら、振り上げられた腕をかわして着地。喉元に深々と剣を突き入れた。
『わぁすごーい。もう倒しちゃった』
『まるで風みたい』
『それでいて水のごとし、という感じですわね』
一撃かぁ。冒険者になったばっかりだって言ってたのに強い。
というか、そもそもの動きが明らかに人間のそれじゃないんだけど。魔道具や装備で強化してるにしても限度があるんじゃないのかな。
ユーリはもう一度飛び上がって、さっきよりもう少し上へ。そのままキョロキョロとあたりを見回している。
「おーい、私はここだよ」
「いやいやわかってるって」
苦笑しながら近づいてきたユーリは私に手を伸ばしてくる。その手を取って、ゆっくりと地面へ。
「こいつを持ってけるような集落がその辺にないかなって。ギルドがあれば上々だけど」
なるほどね。討伐証明ってやつだ。
「ちょっと遠いけど街が見えた。寄り道が嫌ならここに捨てていくけど、時間はあるか?」
「ん、いいよ。寄り道結構じゃない」
それもまた旅の醍醐味だからね。
/
「ねぇ。どう思う、みんな」
宿のベッドに腰を下ろして、精霊のみんなに問いかける。
『いい宿だよねー』
火精霊が答えてくれたけど、そうじゃなくて。
『ユーリのことでしょうか?』
『食事代も宿代も出してくれたしいい人じゃん?』
『気持ちのいい御仁であるな。裏もなさそうであるし』
『そういうことならぼくもユーリ好きー』
概ね好評ってことかな。でも、手放しで褒めるのは珍しいような気がする。
『なんとなくだが初めは死霊の類に近いのかと思ったが、そうではないな』
『淀みがないわけではないですが、れっきとした人間です』
『すごくあったかいの。やさしい火みたい』
『あたしたちが全員そう感じるってことは、全属性使いかもね』
十字属性だっけ。ほとんどあったことないし、みんなの話をしたときに弱いとか言われてたね。ユーリを見ると全然そうは思わないけど。
「って、魔道具使ってるんじゃないの?」
『そういう気配は感じなかったから違うんじゃない?』
『であろうな。魔道具ではあそこまで柔軟な動きはできんよ』
『しかし、彼が詠唱している様子はありませんでした。となると詠唱無しで魔法を使っていることになりませんか?』
『できるのかなー、そんなこと』
精霊たちは、部屋の中をふわふわ漂いながら思い思いのことを口にする。
詠唱無しで魔法。精霊のみんなはやってるけど、人にそれができるのかな。
『やってやれんことはないのだろう。実際やっておるのだから』
「魔力のない私には試せないけどね」
エルフには霊力しかない。霊力は魔力の代わりにならないし、魔法のような力もない。
他種族と交わって生まれた子供は精霊への霊力供与ができなくなる代わりに魔法を使えるようになるらしいけど、まだ実際にそういう子に会ったことはないからホントかどうかはわからない。いるとは聞いてるんだけどね。
「でも、ブラッドグリズリーを担いで運ぶ魔法ってなんだろ」
『四大属性にはないよねぇ。闇って重さを操れるんだっけ?』
『あるいは水の浮力なら。そのようなものは感じませんでしたけれど』
『ふつうに持ってたと思うよ?』
『そうだな』
謎だ。あれだけ飛べるのならものすごい身体能力の持ち主、ってそんなわけないか。
考えてもわかんない。聞いたら答えてくれるのかな。答えてくれるかも。
思考を放棄するようにベッドに身を投げだす。って、やば。久しぶりの寝具だからかすぐに意識が。
「ごめ……みんな……すぐ寝そう……」
『ひさしぶりに屋根のあるところで寝られるからねー』
『それだけ疲労が溜まっていたということですわね』
『あたしたちもゆっくり休めるね』
『然り』
精霊たちもベッドの上に集まってくる。みんな各々思い思いの場所に落ち着いたみたい。
「……おやすみ、みんな」
/
「なあエル。精霊って話せるのか?」
翌朝、食事の席でユーリが聞いてきた。
「うん。話せるよ。なんで?」
「昨日の夜、長い間誰かと話してるみたいな独り言が聞こえてたからな」
『あう』
『なるほど』
『あちゃー』
『そうか。エルフ以外からすればそうなるのか』
うわ、壁が薄くて聞こえてたんだ。
話題はユーリのことだったけど、変なことは言ってないよね。
うん、大丈夫のはず。
「無知なことは昨日のでご存知かと思うけど、精霊ってどんな存在なんだ?」
「うん?」
精霊がどんな存在か?
「エルフの間だと“親しき隣人”って言われてるね」
「……何処かで聞いたようなフレーズだな」
「じゃあ知ってるってことじゃないの?」
「いやそうじゃなくて……精霊とは別口でさ」
別口ってどこだろ?
まあ、その言葉を真似て使ってる人もいるのかな。
「エルフであるエルには精霊が見えるんだよな」
「そこは霊力を持ってるかどうかだね」
霊力はエルフしか持っていない。人や獣人や魔族は霊力を持っていないから精霊と交わることはできない。
あとは神霊種かな。ドラゴンとかフェニックスとかフェンリルとか。そういえばまだ会ったことないや。
「霊力を精霊に供与することで魔法を使ってもらうのが精霊魔法だよ」
「なるほど」
わりと一般常識だと思うんだけどなぁ。そうでもないのかな。ユーリが知らないだけなのか。
「……魔族に、獣人に、エルフに、精霊か」
ぽつりと呟いたユーリが笑う。なんだろう。なにか面白いところがあったかな?
「ああ悪い。まだ知らないことがいくらでもあるなって。知識でしか知らないことも」
「そりゃそうだよ。二〇〇年生きてても知らないことなんていっぱいあるし、見たことないものもいっぱいあるもの」
世界が少しずつ変わっていくからでもあるけどね。だからきっと、もう見られなくなっちゃった景色もいっぱいあるんだろうなぁ。残念。
「二〇〇年でも不十分か。世界は広いな」
「ほんとにねぇ」
「でも、そう思えるエルはすごいな」
また笑われた。でもなんだか眩しいものを見るような顔。ちょっと恥ずかしい。
「どういうこと?」
「まだ知らないことがいくらでもあるって言えちゃうのって案外すごいのさ。専門家でもないのに自分のことを知識人だと思ってる奴はいくらでもいるからな」
そういうものなのかな。
私はどうやっても魔法を使えないから、知ることができない世界はすぐそばにあるんだよね。そっか、見られない景色っていうのはたしかにあるのか。
「知らないこともできないこともいっぱいあるからね。だから少しでも色んな経験をしないと」
「そうだな。その通りだ。さて、寄り道させちまったからな。必要なものがあれば残りの金で買い揃えようか」
「いいの?」
「ああ」
『よかったねーエル』
火精霊が小躍りして喜んでる。あんまり高いものは気が引けちゃうけど、お言葉に甘えようかな。
/
って言っても、旅で必要なものって言ったら食料になるよね大抵。携帯しやすい保存食とか。
「武器とかの類はいいのか?」
「解体用のナイフ一本あれば十分だよ。みんなが助けてくれるからね」
「それでも自衛手段くらいあったほうが良さそうだけどなぁ」
『いまさらだがユーリの言うことにも一理あるかもしれんな』
『わたしたちも咄嗟の判断が遅れることはあるわけですし』
うーん。
「でも、使いこなせるかな?」
「……そうか。そういう問題もあるか」
剣を使えるエルフもいるし、会ったときに言ってたような弓使いのエルフもいる。でもなんていうか、私は致命的に合わなかったんだよね。
「あんまりこういうこと言うのは辛いけど、器用な方じゃないから……」
「……エルってやっぱりすごいな」
あれ、褒められた? なんで?
「自分の知力に溺れないし、できないことも素直に認められる。なかなかできる人はいないし、長く生きれば勝手に全能感を持つ人が多いのに。まあ、エルフと人間じゃ精神構造が違うのかもしれないけどな」
「あれ? 褒められてる? 憐れまれてる?」
「褒めてる褒めてる。年上に使う言葉じゃないだろうけど」
やば。今ちょっと胸に来てる。里だと私は変人扱いだったから。もちろん、エルフの常識と人間の常識も違うし、ユーリの常識も違うんだろうけど。
「だったら防御の魔道具なんかがいいのかな。探してみようか」
「うん。ありがと、ユーリ」
『良かったねえ、エル?』
『ほめられたほめられた』
うん。嬉しい。不思議な感じ。
/
あれ。ユーリどこいったんだろ?
おかしいなぁ。ちょっと目を離しただけなのに。
「ねえみんな、ユーリは?」
『あれれ?』
『おかしいですわね』
『どっか行った?』
『いや、そうではないようだぞ』
みんな首を傾げてたけど、土精霊だけが首を振った。
『むしろ我らがユーリから離れたようだ』
「え?」
辺りを見回す……と、ほんとだ。さっきまで市場の中にいたのに街の中にいる。ということは、迷子なのはユーリじゃなくて私なのか。
そんなにフラフラ歩いてたかな。でもこうなってるってことはそういうことなんだよね。
「もしかして私、方向音痴ってやつ?」
二〇〇年生きてきて初めての衝撃の事実。ユーリが呆れてたのもわかるよ。
『方向音痴とは違うと思いますが……』
『だよね。そもそもいつ逸れたのかもわかんないけど』
うーん。理由がわからない。水精霊の言うように方向音痴ではないのかな。
『今まではひとりだったからわかんなかっただけなのかなー』
「火精霊の言うとおりかも。知らないことはまだあったね」
しばらく付き合うって言ってた人はこれまでも結構いて、いつの間にかいなくなってることが多かったからついてこられなくなるんだと思ってたけど。私が置き去りにしてきてたのかも。
「ともかく、戻らないとね」
人の多そうな方に行けばユーリも見つかるかな、と思ったら。
「やっと見つけた」
空から探し人が降りてきた。
「あ、ユーリ。ごめんね、はぐれて」
「いや、俺も油断してた。こうなるんだな」
呆れてるかと思ったらなんだか興味深そうに。よかった、幻滅してないみたいで。
「私が言うのもなんだけど、よく見つけられたね?」
「上から見ればすぐわかるさ」
そう言いながら、ユーリは指を立てて空を示した。そっか、あれだけ高く飛び上がれたら見つけやすいか。
「とりあえず戻るか、ってそうだ。一個は確保したから持っててくれ」
そう言ってユーリは小さな玉みたいなのを渡してくる。
「何これ?」
「えーと……投げるとものすごく光る玉だな。それで相手の目が眩んでる間に逃げると」
なにか言ってたけど、意味はわからなかった。センコウシュリュウダン?
「魔道具ももうちょっと勉強したほうが良さそうだな。自分で作れたらそれだけで収入源になるし」
「んー、私は魔力がないからねぇ。使えないもののほうが多いかなぁ」
「……そうなのか? じゃあこいつも駄目かな。いや、魔力結晶っていうのがあるんだよな。それと組み合わせて使えばいいのかな」
ブツブツと呟きながらユーリは自分の世界に入っている。
なんていうか、冒険者らしくないな。ピリピリした感じもないし大雑把な感じもない。かと言って余裕があるとも言い難い。すごく微妙で不思議な人。
精霊にも好かれてるし、私のことも気にかけてくれてるし。しばらくはこうしてるのもいいかな。
/
ユーリと露店や魔法用品店を巡ったけど、結局私が使える魔道具はなかった。
よくよく考えると、エルフの里でも直接魔道具を使ってる人っていなかったな。みんな精霊の力を借りてた。
「ごめんねユーリ」
「なんでエルが謝ってるんだ? 期待させたこっちが悪いだろ。でもそうなると大変だよな。エルフがあんまり出歩かないっていうのはわかるかもしれない」
なのかな。たしかに、自分の身を守れるかどうかっていうのは重要なことだよね。それが魔道具の有無でだけ変わるわけじゃないんだろうけど、快適さはきっと段違いになるんだろうし。
今だっていつも通り薪を集めて火起こししてってやってるけど、たしか焚き火の代わりになるような魔道具もあるんだよね。
「まあでも、精霊のみんなが助けてくれるから大丈夫だよ」
『そうだねー』
『水ならおまかせを』
『熱くても寒くてもあたしがいれば大丈夫だね』
『何かあれば簡易的な家も作れるしな』
今までもそうやってやってきた。自慢じゃないけどみんなとの信頼もある。
「精霊か。いつか俺も話せる日が来るのかな」
どうだろうね。たぶんみんなもユーリと話したいと思ってるだろうけど、そんな日も来るのかな。
「バックパッカーとかすごいよな。荷物一つ身一つで地の果て世界の果てまで行っちゃえるんだから」
「ばっくぱっかー?」
「あ。うん。でかい背負いカバンに荷物を詰め込んでとんでもない距離を旅してる人のことかな。騎士団とかの行軍を一人でやってるみたいな」
へえ、そんな人いるんだ。ばっくぱっかーか。私はそこまで重い荷物は背負えないから、すごいね。
そうやって和やかに談笑してたはずなのに、いつの間にかユーリの表情が険しくなってた。
『ユーリも気づいたか』
「なに?」
「招かれざる客だな。あんまりいい集まりではなさそうだ」
ユーリは膝立ちになって、残してあった薪を焚き火に追加。さらに火の玉を放り込んだ。
火の勢いが三倍くらいになって辺りが照らし出される。木が作る闇に隠れていた何人かの人間も。
「バレてたか。兄ちゃん、そっちのエルフを渡しな。そうすれば見逃してやる」
「顔を出したらいきなりそれか? 女性の口説き方が雑だな。頷いてやるわけにはいかないぞ」
私を渡せとか口説くとか。どっちも何言ってるの?
「ごめんね。私この人と旅してるから。一緒に行くならそれでもいいけど」
「オマエなんかと旅がしたいわけ無いだろ」
何? 私なんか?
わかんない。本当にこの人たちなんなの?
「だったらさっさと消えろよ。時間も何もかももったいない」
「粋がるのはいいが、人数差を考えろよ?」
「人数より人情だろ。下衆に言っても通じないだろうが」
なんだかまずい空気だっていうのはわかる。けど、なんでかはわからない。
「ユーリ……この人たちは」
「わからん。街からずっと後をついてきてたのはわかってたが、なんだお前ら」
「我々は、“真なる世界を取り戻すもの”さ」
……真なる世界?
「……なんだそれ」
ユーリも同じ感想みたい。
世界に本物とか偽物とか無いと思うんだけど。
「そうか。オマエは駄目だな」
リーダーらしき男が手を振ると、包囲が狭まった。
ユーリを見ると、立ち上がって剣の柄に手をかけている。
それを見た相手は鼻で笑い、
「ハ……乱戦の経験はねぇな?」
明らかな煽り。ユーリは一瞬反応して、
「ぐ、がっ」
後ろから思い切り殴られた。
受け身も取れずに地面に転がる。
「ユーリ!」
「動くな」
駆け寄ろうとしたけど、阻まれた。
「運のないやつだ。異種族なんかと付き合うからこんなことになるんだ」
異種族?
どういうこと?
「この世界は人間のものだ。混じり物は要らない」
周りのどこかからそんな声が聞こえた。
混じり物。世界は人間のもの。
そうだ。ずっと前に誰かが言ってた。人間の中には異種族を心の底から憎んでいるようなのもいるって。エルフってだけで珍しがられるから冗談だと思ってたけど、本当だったんだ。
「狙いは私の命?」
「やっとわかったのか。頭の回転が鈍いんだなエルフは」
そんなことはない。私は少しそうかもしれないけど。でもこの人が言ってるのは単に私を貶めたいだけの言葉で、中身なんてないんだ。
だとしても。ユーリがこうなってるのが私のせいなのは事実で。
「ごめんね、ユーリ」
倒れ伏してるユーリは、生きてるのか死んでるのかわからない。火に照らされた頭には真っ赤な色がべったり着いてる。
『こいつら、許せない』
『同感だ』
『やっちゃおう』
『ええ』
精霊のみんなが威嚇するけど、
「……だめ。それだけは」
精霊は基本的に中立公正で人界のことには関わらない。感情に任せてもし積極的に関わっていったら善悪のバランスを崩して消滅する可能性もあるって聞いたことがある。エルフが里の外にあまり出ないのも、自分たちと関係を深めた精霊が感情で行動してしまうのを防ぐのが理由だって。
『ともだちを守れなかったら意味ない!』
火精霊が気勢をあげるけど、それこそ友達に人を傷つけさせたくはない。たとえそれが私の友達を傷つけた相手であっても。
そっか。やっぱり自衛の力くらいは持つべきだったんだ。世界にはきれいなものだけがあるわけじゃないから。私はそれを知ろうとはしなかった。
私の能天気さが、ユーリをこんな目に。どうかあなただけでも助かって。
そう思って祈るようにその姿を見たら、腕がピクリと動いた。
「ユー……」
ゆらり、と。ユーリは音も立てずに立ち上がった。顔を伏せ、だらりと両腕を垂らしたまま動かない。
一瞬だけ見えた目は、身震いしそうになるほど怖かった。でもそう感じたのは私と精霊たちだけだったみたい。周りの人間は鼻で笑ってるだけ。
声もなく、ユーリは一歩を踏み出す。
「馬鹿か。大人しく死んだふりでもぐがっ!?」
動きが見えなかった。いつの間にか剣が振り上がってて、喋ってた人の腕が飛んで。
「おぼばぁっ!?」
「グギャアア!?」
周りの人の頭も、身体ごとロウソクになったみたいに燃えて。
「ッ、うわっが」
「なんだっ、ぐぼえぼ」
逃げ出そうとした人は、急に足を取られたように転んだ。そのまま盛り上がった土に飲み込まれていく。頭が燃えて倒れた人もみんな。
「お、おま、おまえ。な、なにを」
腕を切り飛ばされたボスが引きつった顔でユーリを見る。私もつられてそっちを見ると、ユーリは細く息を吐き出して何かを呟く。
「ぐ、ご、ぶがぼべが」
苦悶の声にまた視線を移すと、いつの間にか水の玉がボスの頭を覆っている。逃げ出すために水を払おうとしているけど、全然量は減っていかない。それどころか切り落とされた腕からの出血が水に混ざっていく。
次第に抵抗は弱くなっていって、だらりと身体から力が抜けた。なのに地面に転がることもなく、まるで水の玉に吊り上げられるように宙に浮いている。
「ユー……リ?」
ユーリは剣を地面に刺し、腕をノロノロと動かして胸元からポーションの瓶を二つ取り出す。一本は普通に飲んで、もう一本は頭から被った。
ガクンと頭が落ちて、ブルブルと震えて、
「ぶっ、はあっ! また殺されたかと思った!」
水から上がってきた人みたいに普段のユーリに戻った。ホッとすればいいのやら驚けばいいのやら。
「あ、そのままだったかこれ」
ユーリが腕を振るうと、その動きを追うように残っていた水の玉が動く。動いた水の玉はボスを引きずったまま、手近な木に当たって消えてしまう。引きずられていた身体も木の根元に転がる。
立っているのは私とユーリだけ。
「やれやれ、まだまだだな俺も。エルのことを褒めたけど調子に乗ってたのはこいつらと同じか」
大きなため息を吐いて、ユーリは剣を地面から抜いて鞘に収める。その姿はさっきまで死にかけていたとは思えない。
「ユーリ、大丈夫なの?」
「んー」
予備動作なく作り出された水の玉がユーリの頭を包む。湯気が出てるからお湯なのかな。
その中で髪の毛を洗うようにして血を落としてから、風魔法で一気に乾かす。全部終わって頭を振ったり小突いたりしていたけど、
「血が足りなくてクラっとするけどたぶん問題ない。ポーション様々だな」
そう言っておかしそうに笑った。
受け答えはたしかに問題なさそうだけど。
「でも、頭を殴られて血が出て、それで。見せて」
「ん? わかった」
お辞儀するみたいにして差し出された頭に触れる。殴られたと思うところを気を付けて指で触ってみるけど、跡はないみたい。ユーリの言うとおりポーションのおかげかな。
「大丈夫……なのかな?」
「元々頭は派手に血が出るところらしいからなぁ。脳みそは揺れたけど」
でも、だから大丈夫だっていうのは。
「ともかく、こんなのと同じ場所には居たくない。さっさと先に進もうか」
そう言うと、ユーリは何もなかったかのように歩いていく。いいのかな、あのままで。
しばらく後をついて歩いたけど、ふと思い出して震えてしまった。
「さっきの顔、すごく怖かった。立ち上がった時。恨みの感情でアンデッドの魔物ってやつになっちゃったんじゃないかとも思っちゃった」
「え、どんな顔してた俺」
「『全員殺してやる』みたいな顔」
そのとおり、死んじゃった人もいるんじゃないかな。いまさら確認しようとは思わないし、できないけど。
「実際にそんなことも考えてたけどな。顔までは気が回らなかった」
「そうなの?」
「怪我は防壁で細かく保護して、あとは魔力と魔法を使って身体を強引に動かしたんだ。痛覚の遮断はできないからそこは耐えるしかなかったからなぁ」
えーと? 魔力と魔法で強引に身体を動かしたって? どういうこと?
って、殺意の方について教えてほしかったんだけどね。でもともかく、ユーリが痛い思いしたのは事実なんだ。
「ごめんねユーリ。私のせいで痛い思いをさせて」
「なんでエルが謝るんだよ。むしろ俺のせいじゃないか? 今まではなんの問題もなく旅ができてたんだから。ギルドや街で目立ちすぎたからかな」
ユーリはすっごく嫌そうな顔をしてるけど、狙われたのは私なんだから私のせいだと思う。
「火精霊も水精霊も風精霊も土精霊も。ごめんね」
『ぼくもこんどからもっと気をつける』
『ええ。このようなことは二度と』
『ユーリがいてくれてよかったよね』
『そうだな。エル。ユーリに感謝を伝えてくれないだろうか』
「うん。ユーリ、精霊のみんながありがとうって」
「ああ。精霊の皆さんにも迷惑をかけて申し訳ない」
だからユーリのせいじゃないのに。なんだろうなあ。すごく悲しい。
そのユーリは嫌そうな顔を崩さずに頭をかいた。
「嘆いてても仕方ないな。人生順風満帆とは行かないわけだし、谷あれば山もあるだろ。悪いことがあればいいこともあるって信じるしかないな」
そのまましばらく目を閉じて考え込んでる。それでもすぐに目を開いて、
「失礼、お姫様」
そう断られて、今度は普通に抱きかかえられた。
そのまま一飛び、空へ。それだけじゃなくて空中を蹴ってさらに高く。
『わー、なにこれー』
『人の身で空を駆けるとは』
『アハハ、おもしろーい』
『なるほど。この光景はそう見られぬな』
精霊のみんなも初めて見る景色に興奮してる。浮いていられるみんなならいつでも見られたのかもしれないけどね。
月明かりに照らされた森。少しだけ開けた場所にある湖……っていうほど広くはないけど、その水面も月の光を反射してそこだけ淡く輝いてるみたい。
「旅する事はやめるなよ、エル」
耳元でユーリが言う。
「あんなどうでもいい事でこんな素晴らしい光景が見られなくなるなんて、最悪な損失だ」
横目でちらりと顔を見たけど、少年みたいに目を輝かせてた。
「うん。そうだね」
言われて初めて、少しだけそういう気持ちが折れかけてたことに気づく。励ましてくれたんだね。
旅は続けよう。いつかまた誰かとこんな景色を見るために。誰かに教えられるように。ユーリの言う通り、こんなところで止まっちゃうのはもったいないよ。
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魔力探知。ユーリの使える魔法にはそういうのがあるらしい。街ではぐれたときに見つけてくれたのもそれの力らしいね。
って、別の街に着いて買い物をしてたらまたはぐれちゃったんだけどね。それでまた見つけてもらって、教えてくれた。
「ただちょっとエルは難しいな。魔力がないから。逆にそういうところを狙って見つけることはできるけど、他のエルフと区別がつかないかも」
「んー、そうなんだ」
それはどうにもできないよね。でもなんだか残念に思うのはどうしてなんだろ。
「だから」
前置きしてから、ユーリはポケットに手を突っ込んでなにか取り出した。
細かい宝石を含めた装飾をあしらった空色のリボン。
「御守りと、目印にどうかな。それがあれば俺はいつでもエルを見つけられるだろうから。あ、距離的な限度はあるけど」
「……うん。そうだね」
胸があったかくなる。「出会いに贈り物をしたい」って言われたこともあるけど、こんなにじんわりと嬉しかったのは初めてだ。
「ユーリ、ありがとね」
「喜んでくれたのなら良かったよ」
大切にしよう、この贈り物。
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どんな運命なのか、このあとすぐに私は三度目の……今度は長い長い迷子になっちゃうわけだけど。また会いたいなと思う人はいても、会えないことが辛く感じてしまうことがあるような人はユーリが初めてだった。
だからまたどうかユーリと会えますように。
そうやって、貰ったリボンとあの日見た月に願いをかけてみたりした。