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Feather1 聖女の憂鬱

 ガタガタゴトゴトという振動にも慣れてしまいました。いえ、それは間違い。

 だいぶ前にどうでもよくなってしまいました。たかだか四人くらい乗れる程度のこの馬車。窓にはカーテンがかかり外も見えない。これがここ数年の中で私が一番見ている景色かもしれません。

 ああ、私はなんのために生きているのでしょう。

 いえ、そもそも生きているのでしょうか?

 なんて。少しばかり芝居がかっているでしょうか。そもそも、そのお芝居というものさえ碌に見たことが、


「ッ!?」


 ガタン、と大きな音を立てて馬車が止まりました。思わず向かいの座席まで飛びそうでしたよ。

 極稀にですが、聖騎士団や聖道士団のついたこの隊列を魔物や野党が襲うというのは無いわけではないです。気が知れませんけど。襲う方も、わざわざ近づけてしまう方も。

 でも変ですね? 普段であれば周囲がざわついてから止まるのに。今は、逆?

 カーテンがあろうと周囲に人影の有無はわかるので、声を大きくすれば反応はあるでしょう。


「何がありました?」

「は、いえ……」


 歯切れの悪い。

 ああ、まれに湧く感情ですね。

 面倒臭い。


「状況を説明しなさい」

「は、はあ。どうも、隊列の間に急に人が現れたようで」


 本当に面倒臭い。

 なぜその程度の説明を迷う必要があるのでしょう。


「降ります」

「はい? いやしかし」

「降りると。そう言っているのです」


 ああ、面倒臭い。おかげで扉を破壊することになってしまったではないですか。錫杖も曲がってしまいました。


「せ、聖女様、お召し物が」

「暫くその口を閉じていなさい」


 ああ、本当に面倒臭い。

 隊列の間に人? それなら退いてもらえばいいだけの事。

 この状況で停まり続けなければならない理由など、その方が重い怪我を負ってでもいるか亡くなっているかのどちらかでしょうに。


「せ、聖女様!? 何故此処に!?」

「退きなさい」


 本当に、どうして世の中はこんなにも面倒臭いのでしょう。

 幸か不幸か、経験則である程度のことはわかります。

 私より少し年上くらいの男性。纏う服は見たことがないですが、少なくとも二度と着ることはできないだろうほどの着衣の損傷。当然、怪我。いいえ、負傷。武器による傷ではないようですが、戦場であれば処置不可能とされるだろうほどの重傷。

 それでも彼はまだ生きている。

 それなのに、私を止めようと思う人間がいる。いえ、そんな人間しかいない。



 助ける力を持つ者が居て、助けられる者が居る。

 それならただ「助けてください」と頼めばいいだけのことなのに。



 その瞬間、目が合った気がしました。その目は決して「助けてくれ」と訴える目ではなかったですが、助けるに値すると思わせる目でした。


「……ああ」


 よかった、まだ助けられる。行動した甲斐はある。酷いで済まない重症で、手を取ることさえ危険そうではありますが。

 ああ。久しぶりに、心から願える。



「救われるべきものに救いを与える為に、この者に神の加護を。完全回復パーフェクト・ヒーリング



 私はまだ、人でいられる。



 回復魔法は魔法の中でも光属性魔法や聖属性魔法に当たります。研究によるとこの属性は先天的にしか獲得できないものであると共に、過去の聖女様がそうであるように年齢を重ねることで消えることもあるのだとか。

 前者はともかく後者について。ここ最近私もその傾向通りに魔法の出力が落ちていることに気づき、その理由がなんとなくわかるようになりました。つまり、心の持ちようですべてが決まってしまうのでしょう。

 事実、彼にかけた魔法は久しぶりに奇跡と呼べる規模のものであったと思います。「聖女の力が弱くなっている」という噂を払拭し得るほどに。


「助けた方はどうしていますか?」

「それが……」


 話を聞くと、どう反応したらいいのかわからなくなっていまいました。大抵の場合適当に誤魔化されるので、返ってきた話は逆に事実なのでしょうね。あの時馬車のそばにいた護衛も、任についてさほど日が経っていなかったのかもしれません。

 さて。彼女の話は当惑せざるを得ないものでした。

 身体的回復自体は問題なかったそうです。目を覚ましたのも確かですし、ちょうど聖侍女の一人もいたとか。

 ただ。起き上がった瞬間に叫んで涙を流し、その、嘔吐した、とか。派手に。その後気絶。それを二度ほど繰り返したとか。

 会うのを待ってよかったかもしれません。いくら私が「聖女」と呼ばれているからとはいえ、理由もわからず目の前で嘔吐されたら平静でいられるかはわかりませんし。

 何より。「余計なことをしたのではないか」と思わされてしまうのはお互いに良くないと思うのです。


「それと、魔族や獣人の身体的特徴はないので人間だというのはわかったのですが……」


 ですが?


「その。言葉が通じないそうです」



 かつて、この地には無数のことばがあった。

 それは数多のいさかいを生み出し、世界を分かち、緑と青を白と黒に変えた。

 神は憂い、無数のことばを一つにすることにした。

 そののち、世界も一つとなった。



「眉唾ですね」


 聖典の一部を諳んじてみたものの、出るのは溜息だけです。

 いさかいは無くなったのでしょうかね? あるいは神の眼から隠れるようになったのでしょうか?

 ……という聖典の解釈はともかくとして。土地や種族に因む固有名称は別として、ここ百年は確実に世界共通言語が使われているはずです。それを決めて広めた“誰か”がいるというのなら、その“誰か”は神に近いのでしょうけど。

 言語の問題以前として、そもそも「予兆なく車列の間に割り込んだらしい」……というのは私の予想に過ぎませんけど、これもよくわかりません。


「……召喚?」


 そんな物語の中にしかないことも思い浮かびますが。

 ありえませんね。物語の中にしかないのですから。そもそも、死にかけの人間を送り込んでどうすると言うのでしょう。意味も意図も考えられません。

 最低限、話が聞けるようになるといいのですけど。



 話せるようになったと噂のように聞いたのは、それから数日後でした。

 言語とはそんなに簡単に習得できるものなのでしょうか。それとも、疑われている通り嘘をついていたのか。

 間違いなく善人ですけどね、彼。そんなこともわからない人が聖職者をやっているのはどうなんでしょう。


「で、問題はどうやって会うかですが」


 聖女候補だった頃より聖女になった後の方が不自由だというのは何故なんでしょうね。ひょっとすると、最初に増えた語彙は「飼い殺し」なのでは。

 それしか手が無いとはいえ、あまり横柄にふるまうのも良くないですし。どうしたものですかね。


「ソーマ様。お水をお取替いたします」


 この聖侍女が味方なら万事うまく回るのに。

 そう言えば。一度だけ、冗談で考えたことがありました。


「……彼の者に巻き付く怨讐を祓い給え」

「はい? ソーマ様、今何か」

解呪ディスペル


 教義や教育が一種の呪いであれば、これで祓えることもあるのではなどと。

 そもそも呪いがなにか定義するのも難しいですし、ただの冗談、


「申し訳ありませんでした!」

「……はい?」


 え? 何? なぜいきなり謝罪をされたんですか私?


「聖女様に、今まで私は、あんな……!」


 あんな……え? あんな何?


「数々の不敬をお許しください!」

「いえ待ってください責める気はありません」


 まずいです。違う意味で頭が痛い。とりあえずこの場と私の頭の過剰回転を収めないと。

 え、本当に呪い? よくわからないですけど、不敬を働いたことが? どんな?


「すみません、整理させてください。貴女の言う“不敬“とは?」

「は、はい。必要のない会話を聖女様と交わさないこと、一時でも長く聖女様の部屋にとどまらないこと、必要以上に聖女様と関わらないこと、です」


 最後ので全て足りたのでは?

 ではなくて。

 要は、私をあらゆる意味で孤立させろと。たしかに呪いでもなければ成り立たない思想かもしれません。

 厳密には洗脳や暗示なのでしょうけど。なるほど、解呪はそういうものにも効果を発揮するのですか。


「しかし、それは拙いことをしたかもしれませんね」

「はい。申し訳ありません。裁きは如何様にも」

「……そうではなくて。今までどおりにしないと貴女が他の人から罰されてしまうでしょう?」


 私に関わらないことが正常なのだとしたら、急に世話を焼き始めるとそれは異常なことになってしまいます。こうしたのは私のことを含めて人を人とも思わない、いえ、自分以外を人だとは思っていないような輩なのでしょうから。最悪はどうなるかなんて、考えるまでもないでしょうね。


「貴女はこれまでどおりに。大丈夫です。状況はわかりましたから」


 ただ、一人でも味方ができたのはありがたいです。常に彼女が来てくれるわけではないとは言え、


「あ」


 ……面白いことを思いついてしまいました。



 バレるに決まっているかと思いましたけど、案外皆さん他人のことなどどうでもいいようで。

 と言うより、私の顔を知らないのですかね。こうして服が変わった程度で見向きもされないというのは。

 どうかと思いますけどね、何も思わないのって。特殊な魔法属性に目覚めた者は体色素が変化するらしく、私の髪も曇りのない金色になってはいるのですけど。まあ、別に金髪自体が珍しいわけでもないですし、比べる人間がいなければ特殊にはならないのでしょうかね。

 教えてもらった扉の前に立ち、二度ノック。返答を受けて、扉を開く。ここ数年この動作はやった覚えがないですね。


「失礼します」


 一礼して部屋に入り、後ろ手に鍵。

 これで一息つけますか。

 窓際のテーブルセットに腰を落ち着けているのは、間違いなくあのときの男性ですね。

 あ、部屋の主を確認する前に自分から退路を塞いだことにもなるのですか、これは。

 まあ、間違いはなかったのでいいですね。とりあえず私も腰を落ち着けることにしましょう。無許可で対面に座ったら驚いた顔をされましたが。


「初めましてではないですが、覚えていますか? 貴方を助けた者です」


 まくしたてるようになってしまったからか、相手は唖然とした顔をしていました。

 いえ、もう一つの可能性もありますね。


「最初は言葉が通じなかったものの、今では話せると耳に入りましたが。ただの噂でしたか?」

「いや、なんとかわかる。ソーマ様、でいいんだ……ですよね。言葉の方はチュウセイライクなだけあって、文法形態はエイゴに似てましたから。いやその辺りはニホンゴが特殊なだけか。あとは、固有名詞を別として基本的な単語をずらして、それなりに崩していけばなんとか」


 言っている意味がよくわかりません。いえ、言語としては通じていますけど。

 どこまでが固有名詞でどこからが共通語なのか。そもそも、その固有名詞はどこの言葉なのか。


「試しに一度、あなたの本来の言語で話してもらっても? それと、普通に話してくれて構いませんよ」

「いいけど……『この世界に来たのが俺だけってこともないんだろうし、こういう日本語や』、『あー、こういう英語が残されてる可能性もあるし、誰か知ってるかもな』」

「なるほど。伝わりませんが、なんとなく後者は世界共通語に似ていますか」

「共通言語、か」


 彼はそう言って笑いましたが、笑顔と呼べるものではありませんね。自嘲……でもない。現実逃避?

 ともかく、助けたときにも思いましたがひどい顔でした。

 いえ、造形がどうとかでなく。そう。一度か二度ほど、薬物依存になった貴族の治療を命じられた時によく似た顔を見ました。もちろん、似ているだけで彼がそうというわけではないですが。


「ちゃんと食事と睡眠は取れていますか?」

「うん。まあ」


 もう一つ似ているものがあります。それは、死を目の前にした人間の表情。


「その割には、心晴れやかではなさそうですね」


 終始彼は動揺しているようでしたが、私の言葉で最もその色を強め、


「……生きていることを受け入れるのに、少し時間がかかって」


 苦笑。そしておそらく、誰にもどういうことなのかわからないことを言いました。

 でも。

 わたしは、この人の顔を見たことがある気がします。

 それは、近くて遠く、触れられて触れられず。誰にも見てもらえない、いつかの鏡の中の“わたし”の顔。


「だから、本来は言わないといけないことがあるんだろうけど、もう少し待ってくれないかな」

「……わかりました」


 多くの人はこれを「不誠実」と言うのかもしれません。ですが、私は本当に不誠実な人をいくらでも知っていますからね。


「いつかその言葉を聞けるといいですね。けれど、もし聞けなかったとしても私は貴方を助けてよかったと思います」


 本当に。救われたのはどちらだったのか。


「また来ますね」

「ああ。楽しみにしてるよ」



 この人と接していると、だんだん自分が人間だということを思い出してきますね。

 ただし、その感覚が正方向のほうかというとそうではないんですが。


「……そろそろ、貴方のことを聞かせてほしいのですが」


 ユーリ・クアドリという名前だけは聞いた、というかそれすら本人の口から聞いたわけでもないですし。この一週間毎日のように部屋に通っていて、自分の変装に抵抗がなくなっていくだけというのは虚しすぎます。あと、部屋を抜け出しても全くバレないことに気づいてしまったとか。こっちは悲と喜が微妙なところですけど。


「……俺のことか」

「言い渋るならそれでもいいのですけどね。何にしても言葉の上達が早すぎるのは気になりますね」

「あー、そっちは当然というか。何事も必要が最大の行動要因だからな」


 表現が婉曲ですが、必要に駆られてということでしょうかね。たしかに、意思疎通できなければ不自由も多いでしょうし。あとは、彼の使っていた言葉がよく似ていたのも助けになったということですか。


「で、俺の話だよな。ユーリ・クアドリで通されてるが、正確にはクアドリじゃなくてクワドリ。九羽の鳥って意味。ユーリは、悠久の理。それで」


 何故か、彼はそこで言葉を切りました。私としては先を促すしかないので特に何を言うでもありません。


「本来は九羽鳥・悠理って並びになるんだ。借りた本にチラッと書いてあったんだが、これって魔族の名前表記なんじゃないか?」


 ああ、なるほど。その辺りを気にしていたわけですか。漆黒の髪と目も闇属性を想起させますし。


「俺自身は確実に人間のはずなんだが、オウベイ式に名乗っておいてよかったよ」

「よくわかりませんが、魔族ではないと完全に証明するのは難しいですね。身体的特徴を隠すことができますから」


 もっとも、魔族が人に危害を加えるというのこそ明らかな悪意に基づくデマなのですが。彼もそういう価値観の人なのでしょうかね。


「で、話の続きだが。こういうの知ってるか?」


 彼は本にたまたま描いてあった塔を指さし、詩のように読み上げました。


「……初め、世界の言葉は一つだった。人々はその力を示すために天に届く塔を作ろうとした。だが神はそれに怒り、塔を壊して人々の言葉をバラバラにした。こうして人々はお互いのことがわからなくなり争いを繰り返すようになった」

「なんですか、それは」


 聖典とまるで真逆の話。いえ、塔云々はまるで違いますが。


「要約だし原典の暗唱もできないが、そういう話が俺の世界にはあったんだ。共通言語も作ろうとしてる人はいたけど、多分ほとんどの人は知らないし俺も名前くらいしか知らない」

「なんですかそれ。そんな話見たことも聞いたことも」


 いや、待って。待ってください。

 今、彼、なんて言いました?


「おれの……せかい?」


 な、なんですか、それ。



「ほぼ確実に、俺は異世界人だ」



 知っている言語が通じないこと。

 それでも通じるはずの自国の固有名称さえも通じないこと。

 この世界に魔法があること。

 人間以外の種族の存在。

 そもそも、馬車の車列間に転がり出る前後の記憶がつながらない事。



 たしかに、そこまで要素があれば異世界という推論に手が届くのでしょうけど。

 頭が痛いです。


「ほぼ確実に、というのは?」

「実は世界には俺の知らない場所があって、ここはそこだとか。神隠し……魔法のような行方不明の話自体は結構あったし」


 それでもありえないだろうけどな、と彼は続けていましたが。そうですね。それなら彼のいた場所のことは何らかの形で知られているでしょうし。


「……それ、誰かに話しましたか?」

「いや。信じてもらえるものでもないだろうし、話していいものでもないだろうし」


 でしょうね。ならなぜ私に話したのかというのはありますが。いえ、私が聞いたんでした。


「運否天賦を信じないわけじゃないが、死にかけて転移した先に助けられる人間がいたなんて明らかな作為を感じる。しかもそれだけの回復魔法を使えるのはソーマしかいないって話だし」

「そう言われるとそうですね」


 あまりにも都合が良すぎる話です。作為を疑うのは当然でしょう。


「勇者として倒すべき魔王がいるとか、神様の温情でとか、そういう空想は俺の世界にあったけどな。あいにく神様にも会わなかったし侵略された王国もないみたいだし、そういう意図で連れてこられたわけじゃないみたいだ」

「それはあまりにも妄想がすぎるのでは?」

「同感だな。それに、歴史を見た感じ魔王は倒すべき相手でもないただの立場みたいなもんだとか。なら魔族は別に悪人でもないってことだよな」

「ええ」


 なるほど、色々情報は仕入れているのですね。それなら余計に世界の差異は明確になるのかもしれません。

 それにしても、別の世界ですか。それも魔法のない世界。どんな世界なのでしょう。


「こうして色々な文献にあたっているということは、元の世界に戻る方法を探しているわけですか」


 もし彼が元の世界に戻るというのなら、連れて行ってもらうことはできないか。

 なんて身もふたもないことを一瞬考えてしまいましたが。


「いや? そんなことは全然考えてなかった」


 意識の端になかったという意味ではないのは、完璧に伝わってきました。つまり、選択肢としてとっくに捨てたものだと。


「な、え? 帰りたいと思わないのですか? 未練、家族は」

「ソーマに助けられはしたが、殺されたようなものだからな。向こうでの俺の人生は終わってる。それに遅かれ早かれ同じようなことにはなっていただろうし、どっちにしろ未練はない。同時に新しい目標もないけど」


 超然? いえ、壊れた?

 なんと表現すればいいのか分からないですが、目前の死が彼を変えてしまったということでしょうか。殺された……え、殺された?


「待ってください。殺されたって?」

「こっちのものでわかるように言えば、鉄を満載した暴走馬車の前に蹴り込まれたのさ。こっちが前に立ってて、目障りだからって理由で。そいつらは楽しくてやったんだろうな」

「な、え、それ」


 言葉が出ない。何を平然とこの人は。

 鉄を満載した暴走馬車? そんなもの、いえ、しかも、暴走馬車と断定できるということはまさか、それをちゃんと認識していた状況だということ?

 どんな悪意で。いえ、相手は悪とすら認識していなくて? しかも、それが別に特殊なことじゃなくて?


「どんな、世界なんですか……貴方のいた世界は」

「世界じゃなくて社会の話になるが、自己中心的なやつが大なり小なり得する世界かな。もちろん、極端な話だけど」


 平然とそんなことを言える相手が、怖い。

 いえ、彼の中で折り合いがついただけなのかもしれませんけど。それでも。


「俺の場合でも、向こうの世界じゃたぶん誰も殺人に問われないだろうし故意にも問われないだろうな。死人に口なしでもあるし、俺だけが悪くなるんじゃないか。いやそもそも死体が無い……どうなんだろう」


 善人だと思ったのは気のせいだったのでしょうか。悪意も汲み取れませんが。


「で、これを『狂っている』と言うとこっちが狂っている自己中扱いになる。この世界でも俺は狂ってる扱いになるのかね? まあ、自分の死に様について語ってる部分は自分でもぶっ壊れてると思うけど」

「……わかりません」


 狂っていると言えば狂っているのでしょう。ただそれは、理不尽に呆れ狂っているとでも言うべきなのか。言っていることを聞いている私でさえ狂いそうなのに。


「世界単位で見てもそれは変わらなかったのかな。おためごかしが善で本質を突くのは悪みたいな」

「……それ自体は、ここも変わらないかもしれませんね」

「それこそが人間の本質って? 嫌な話だな」


 利己的な人間ならいくらでも見てきましたから、それについてはたぶんどこでも変わらないのでしょう。けれど、優しい人間がいるのも知っています。


「でも、あなたの世界にも善人はいるでしょう?」

「そういう人は使い潰されて終わりなんじゃないのかな。足引っ張られたりとか。まあそういう人たちは悪人の足を引っ張ってるんだろうけど、普通は悪人のほうが強いからな」


 どうしてこんなに時間差なく答えが返ってくるのか。用意しているわけではないんでしょうけど。この人のことがわかりません。

 私も知っていますけどね。優しい人が報われない結末を迎えることは。


「悲観的……ですね」

「備えあれば憂いなし、って感じの言葉はこっちにもあるのかな。この世界だと自衛手段ってのは許されてるんだろうけど、俺の国では金槌や場合によってはハサミを持ってるだけでも罪になるようなところだったからな。もしもを考えるのは……いや、これも変なことだったみたいだが」


 想定外はどこまで許されるんだろうな、なんて呟きながら、彼は何かにため息を吐きます。


「そういえば、『善きサマリア人』ってのがあったな。今回ソーマのやったような仕事の時間外の医療行為で俺が助からなかった場合、ソーマは罪に問われる可能性があるとか、そもそもその行為自体で罰を受ける可能性があるとか。俺の国だけの話みたいだったけどな」

「無茶苦茶です」

「もちろん、何かしら意図はあるんだろうけどな。無償や無限の奉仕を回避するとか、それによる不平等を回避するとか。そのあたりの説明が一切ないだけで」


 それでも、私としては変な話で。身につまされる話でもあります。


「救える者を救わないことは、罪だとは思います」

「そうだな。俺も助けられるなら助けたいとは思う」


 私と彼とではどこか隔たりがあるような気がします。それがどこなのか。

 生きてきた時間はさほど変わらないと思うのに。

 離れるべきだと叫ぶ自分と、そばにいて彼の内を覗きたいと思う自分がいます。私は明日からどうするべきでしょうか。



「言語関係の時からチートはないなと思ってたけど、ほんと何もないな。現実辛すぎだろ」

「……ちーとってなんですか?」


 悠理の部屋に通うことが日課のようになってから一ヶ月は経ったでしょうか。部屋で燻ぶらずにこうして窓際でぽやぽやと日向ぼっこができるようになったのは「最高」と言わざるを得ませんね。


「ズル……って随分くつろいでるよな最近。いいことだけど。要は特殊能力みたいなものだよ。それこそ、移動した先の世界の言葉が勉強しなくてもわかるとか、無条件で魔法が使えるとか」

「ああ、そういう」


 たしかに、普通の人ですよね悠理は。怖いとか考えていたのが馬鹿らしくなるくらい。

 それは誰だって殺されかけたら卑屈にもなります。私だって命を狙われたことは数度あるくらいですし。あんまり変わりませんよね。


「それで、いまはなにを?」

「差し当たっては剣と魔法だな。俺の世界ではこういう世界はそう呼ばれてるくらいだし、使えるなら興味もあるし」

「まほう、つかえたんですか?」

「初級魔法くらいはなんとか。ただなあ、なんていうか」


 あまり上手く使えなかったとかですかね。魔法のない世界から来たわけですし。


「詠唱……手順が……気になる……やってる事……出来てること……少なすぎ……」

「だいじょうぶですよ……ゆうりなら……それに……けがしても……わたしが……」



『救われるべきものに救いを与える為に、この者に神の加護を』



 私の口が紡ぐ呪文。めったに使うものでもないけれど、私の使える最高の魔法。

 それが何処か他人事のように聞こえるのは何故でしょう。

 ともかく、あとは魔法の名前を発するだけ。それで目の前の重症者の傷は癒えるはずです。



完全回復パーフェクト・ヒーリング



 何も起こらない。

 血も止まらない。傷も治らない。目も覚まさない。


『こ、この者の傷を癒したまえ。回復ヒーリング


 やはり何も起こらない! 何故!?

 なんで!? なんで!? なんで!?



「ソーマ! ソーマッ! 起きろ!」

「ッ、はあ、はっ!?」


 叫び声と共に揺り起こされて目を開くと、悠理が目の前にいました。


「大丈夫か?」

「え、あ、はい」


 声がうまく出ません。

 何でしょう、あの光景は。まさに悪夢と呼ぶ以外に形容のできない最悪の夢。

 あれは何を示唆して、


「何事ですか!? な、ソーマ様!?」


 扉を開けて飛び込んできた世話役の聖侍女が私を見て悲鳴を上げました。けれどその目はすぐに私の肩に手をかけた悠理に移り、


「ユーリ・クアドリ! やはり貴方は! 誰か!」


 開いたドアの向こうに助けを求め、飛びかかってきます。


「ッ!」


 肩から手が離れ、私達の間には距離ができました。

 それが私を遠ざけて守るためだって、どうしてわからないのでしょうか。


「ちょ、流石に痛い、何もしないししてないって!」


 体当たりで机の上に押し倒されても、彼は反撃をしていないのに。それとも単に周りが見えなくなっているだけなのか。一人二人と増えた人も、同じように加勢に入ってしまします。


「やめなさい……やめて!」


 私の叫び声も人を呼び寄せる結果にしかならない。

 どうして、誰も、みんな、私を、悠理だけが!


「我が周囲のすべての者に巻き付く怨讐をことごとく祓い給え! 領域解呪フィールドディスペルッ!」


 感情に任せて魔法を放つ。もう、派閥がどうとか権力がどうとか知らない。どうなるかもわからない。それでも悠理を助けたい。

 数人は呆けた顔で悠理から離れ、さらに数人は力が抜けたように倒れる。残りの人間は、驚いたように悠理から距離を取る。

 つまりこれは、そう仕向けられていない、心から私を嫌いな人間もいるということ。


「……どうして?」


 みんなが私を好きでいてくれるとは思ってはいなかった。そう思っていなくても、こうして自分の目で明らかになってしまうと耐えられない。

 今の私の価値なんて、聖女であることしかないのに。

 私が聖女であることが気にいらない人がこんなにいる。

 わたしを好きでいてくれるひとなんて、どれだけいるの。

 嫌われて、きらわれて、やりたいこともできなくて、助けたいとおもったひともたすけられなくて。



 もう、いやだ。



 あれから、どれだけたったでしょう。

 わたしのちからは、どこかへいってしまったようでした。

 だって、なおそうというきがおこらないので、あたりまえだとおもいます。つれていかれたさきで、どなられることもおおくなりました。

 ゆうりともあえない。ゆうりだけがわたしをわたしとしてみてくれたのに。そばにいてくれたのに。

 あ、ちがう。わたし、うそついてる。

 だってわたし、そーまじゃない。

 ゆうりにあってあやまりたい。

 わたしがそうおもうだけで、うそつきなわたしになんてゆうりもあいたくないかな?

 あのゆめみたいに、まほうがつかえなくなったら。ゆうりといっしょにどこかにいけるのかな?

 でも。あのゆめみたいなことになったら。

 あれ、ゆうりだった。

 ちからがなかったら、たすけられなかった。

 ちからがあるから、いっしょにはいられない。

 どうすればいいの。

 そっか。せいじょのちからをなくしたら、ほんとにわたし、なにもないんだ。

 ……あれ、だれかへやにはいってきた?

 くらいからよくわからない。いつからよるで、どれだけあかりもつけていなかったのか。いちにちだったような、いちねんだったような。ずっとこうしてべっどにすわっていたきもするし、きのうだれかにかいふくまほうをかけたきもする。

 しずかにちかづいてきただれかは、わたしをじっとみていたので、わたしもなんとなくみかえしました。

 いつもとかわらない、かんじょうのないひとみ。きたないものをみているようなめ。なにかきにいらなかったのか、かおをさらにゆがめて、おとをたててちかづいてきました。

 べっどにおしたおされました。てには、ないふかな。

 ああ、わたしここでしぬんだ。



「なんでわたしじゃないんだ。お前なんて聖女にふさわしくない。ガキの癖に。でもこうなったら、お前なんてもう要らないよね?」



 ああ、そういうことなんですか。

 わたしがきらわれていたりゆう。

 そんな、ことで。

 わたしのせいでせいじょになれなかったとか。

 おかしなはなし。

 わたしは、せいじょになんてなりたくなかった。

 おとうさんと、おかあさんと。

 あのちいさなむらで、みんなをまほうでなおしてあげて、わらっていられればそれでよかったのに。

 なんで、わたしはここにいて、こんな。

 いやだ。

 いやだいやだ。

 しにたくない。

 死にたくないっ!

 そう思った瞬間、魔力が抜けるような感覚がして、覆いかぶさっていた相手が跳ねるように飛んでいく。

 相手は驚いたような顔をしていたけれど、すぐに怒りの表情になってナイフを構え直す。

 怖い。何か言わないと。殺される前に押しつぶされてしまう。


「助けて、悠理っ!」


 なんで私は悠理の名前なんて。彼は、異世界人で、魔法も使えなくて、言葉をそこそこ覚えられたくらいの普通の人で、もういなくて、



「呼んだか?」



 窓を割って、悠理が飛び込んできました。

 剣の一振りでまずナイフを飛ばして、もう一振りで持っていた人間を吹き飛ばします。

 え。悠理?

 ここ、何階でしたっけ?

 本当に?

 どうやって?

 どうして?


「ユーリ・クアドリっ!? 邪魔をするなっ!」

「あ? あ、おまえソーマのことが気に入らないとか言ってたやつの一人か?」

「は……覚えていてくださったとは光栄ですね」

「いや、名前までは知らないぞ? 宗教関係者の割に随分小汚い魔力を放ってる奴が多いなと思ってただけだ。そういうのは大抵同類みたいだったからな」


 え? 何? 魔力を放って? 小汚い?


「一体、何を言って……」


 私の気持ちを代弁したわけでもないし、同じ気持ちだったでしょうからそんな言葉が出るのはおかしくないですけど、


「なんだろうな?」


 悠理は答えずに、相手を切り捨てました。

 敵とか関係なく悲鳴を上げそうになりましたけど、血が吹き出すようなこともなく。なんでなのかと思ったら、使っているのは木剣?


「どこだって組織ならこうなるのは当然なんだろうけどさ。もうちょっと味方はいてやれよ」


 誰に言うでもなく呟いて、悠理は呆れた顔をしていました。


「え、あの、どうして?」

「敵……っていう表現でいいのかはわからないが、そういう奴だろ?」


 いやそういうことではなく。それもそうなんですが。


「いえ、その。どうしてここにとか、どうやってここにとか」

「魔力を観測してピンチっぽかったから。身体強化と魔法で跳んできた」


 え? は?

 魔力を……かんそく? しんたい……何? 魔法?


「魔法、使えなかったんじゃ」

「そんなこと言ったか?」

「ちーとがなくて魔法が使えないって」


 ああ、と悠理は納得したような顔をしています。


「あれは、魔力量が異常で上級魔法を乱発できるとかじゃないなって意味だよ。当たり前にみんな使えてるものが使えないならそれはもう体質とかそういうものだろ」


 ああ、はい、たしかにそうですね。


「じゃなくて! いつの間に魔法を!?」

「それこそなぁ。一ヶ月以上あったんだぞ。三十かけ二十四かけ六十の……計算はともかく、大量の時間があったら魔法くらい使えるようになるだろ」


 なるんでしょうか。なるといってなってるのだから、なるんでしょうけど、って何この論法。


「ソーマ様!」

「何事ですか!?」


 騒ぎを聞きつけた、にしては少々遅いタイミングで聖侍女たちが入ってきました。

 間髪入れず悠理は動き、五人のうち二人に詰め寄って、その前に倒した聖侍女に向かって投げつけ、って何やってるんですか!?


「悠理!?」

「全員、顔を覚えておけよ。コイツらはソーマに害意を持ってる奴らだからな」


 残り三人の聖侍女は唖然とした顔をしていて、私もたぶん同じ顔をしているのだと思います。投げられた二人は、痛みだけではなさそうな表情の歪め方をしていました。


「な、なんでそんなことがわかるんですか、クアドリさん」

「魔力の色がそうなってる」


 ま、魔力の? 色?

 私側全員、と言っていいのかはともかく、聞いた聖侍女も含めて何を言っているのかわからないようです。魔力の色ってなんですか。


「ソーマも。前に見たときより濁ってるし、輝きがなくなりかけてるぞ」

「えっ!?」


 それ、どういう、いえ、なんで。

 回復魔法の力が弱まったのと、私の魔力の色と、それと。つまり。


「つまり、どういう?」


 処理能力を超えました。意味がわかりません。いえ、意味はわかるんですけど。


「魔力が、見える?」

「なんかみんな無理らしいな。ちなみにチートじゃないぞ」

「ちーとじゃないんですか。ということはそれ、私にもできるんでしょうか、って」


 なぜか、抱き上げられているんですが。

 そのまま入ってきた窓に近づいて、


「悪い、あとは任せた」

「「「えっ」」」


 そのまま飛び降りなにしてるんですかあああ!?

 浮遊感数秒着地は柔らかに……じゃないです!

 地面に下ろされたときはちょっと残念に思ったとかどうでもいいんです今は!


「いきなり何するんですか!?」

「聖騎士が来てたんだよ。あそこじゃ戦えない」

「なるほ……戦う気なんですか!?」


 たしかに、私の部屋よりこの庭園のほうがはるかに広くて開けてはいますが。

 さっきから無茶苦茶なことばかり言ってして言って! この人大丈夫なんですか色々と!?


「ソーマを守るくらいしないと駄目だろ。そのくらいしないと助けてもらった価値がない。あ、今なら言えるな、助けてくれてありがとう」


 胸が苦しくなりました。

 ああ、いやだ。そういうことは求めていないのに。これまで救った誰にも、もちろん悠理にも。

 それより、まただ。また、「ソーマ」って。

 ちゃんと言わなきゃ。「違う」って。何より、それを。


「ララ」

「え?」

「私の名前。ララ・フリュエットです。私は聖女ソーマなんて名前じゃない。貴方までそう呼ばないで」


 悠理は、驚いたような顔になりました。

 謝るつもりだったのに。でも、名前を呼んでくれないことのほうが悲しくて、


「わかった……ララ」


 名前を読んでくれたことのほうが嬉しくて、


「あ、魔力がだいぶ戻った」


 悠理のそんな呟きに、全部吹っ飛びました。


「本当ですか!?」


 詰め寄ると、悠理は思案顔になって、


「そんなことで嘘はつかないだろ。なるほど、聖属性の魔力っていうのは……」


 最後まで言われなくてもわかります。

 聖女の力はやはり、心の在り方に依存するんですね。


「でも、貴方が倒れたら私はまた、いえ、もっとひどくなると思います。きっと聖女じゃいられない。だから無茶は」

「その辺はわきまえてるし、全員が敵じゃないだろ。あの時みたいに領域解呪フィールドディスペルを使えばいい」

「それは……できるでしょうか? 今の私に」

「できる」


 悠理にそう言われると、できる気がします。いえ、やります。やってみせましょう。

 いいタイミングで聖騎士たちも来たことですし。


「ユーリ・クアドリ! 聖女様を拐かした罪許しがたし!」

「頭湧いてんのか? 拐かしたならこんなところで悠長にしてないだろ。それに部屋の状況見て話聞いてこなかったのか」

「黙れ黙れ!」

「……駄目だこりゃ」


 同感ですね。

 さっさと済ませてしまいましょう。


「行きます」

「宜しく」


 承りました。

 ふむ。あの時の規模では足りませんね。ですが、私はこれでもまだ聖女です。やってみせましょう。


「我が周囲のすべての者に巻き付く怨讐を、ことごとく祓い給え!」


 足りない。もっと。もっともっと。

 悠理のためにも!


領域解呪フィールドディスペルッ!」


 それこそ、聖国すべてを解呪してやるつもりで!


「お見事」


 悠理の言葉が何に対してかは分かりませんが、聖騎士たちの身体が光に包まれ、数人が膝を突いていきます。倒れることのない辺りは戦いに慣れた騎士だということなのかもしれません。


「……ララ。俺じゃ無理だろうから代わりに言ってくれるか?」


 不意に耳打ちされてくすぐったかったですが、なるほど。これは私が言うべき言葉ですね。


「思い出しましたか? 何の為に聖騎士になったかを。悠理は私の味方です。あなた方はどうなのですか?」


 後半は私の追加ですが、動揺しているのは分かります。主に体勢を崩した方。つまり、”何かを解呪”された聖騎士達ですが。


「騙されるな! 殺げぶぅ!?」


 解呪の影響を受けなかった聖騎士の一人が声を上げましたが、悠理に蹴り飛ばされました。

 速い。距離はそれなりにあったのに。しかも、相手は簡易とは言え鎧をつけているのに。


「悪いが敵と味方の区別は最初から付いてる。ていうかいきなり殺しにかかるとか口封じか?」


 悠理の口調には震えがありません。こんなに強かったんですか、彼は。


「ただの一般人だったはずだろう、貴様ぁ!」

「そうだったぞ。でも、貴様らより多少は物事を考えてるつもりなんでな」


 答えながら、悠理は相手の至近に飛び込んでいます。そのまま剣を一閃。斬り上げにより、打たれた方は宙を舞いました。

 そのままもう話すこともなく、次の相手の元に走って剣を振るっています。

 誰が見てもおかしい光景です。あんな使い方をつづけたら木剣なんてすぐに折れてしまうはずなのに。

 魔力は見える。悠理はそう言いました。ちーと……特殊技能ではないと。なら、私にも見えるはず。

 強く信じながら見続けると、ぼんやりと人の周りに靄のようなものが見えてきました。他の人は身体の形に合わせてふわふわと形なく漂っているだけですが、


「……ああ、なるほど」


 悠理だけは違います。一人だけ、剣も含めて輝くような光を放っている。あれが“身体強化“というやつなのでしょう。魔力を内側に向けることで、その名の通りの現象を起こしていると。


「呆けてないでそろそろ手伝えよ! 誰が敵がわかっただろ!?」


 集中していたので、悠理の叫びに飛び跳ねそうになりました。一瞬私に向けた言葉かと思いましたけど、違いますね。他の味方になれる聖騎士に向けてでしょう。私は攻撃魔法を使えませんし。


「……いえ」


 攻撃と言うほどではないですが、その類のものはさっき使えました。そう、魔力を単純に放出するような。


「チッ、聖女を盾にすれば……」


 またお誂え向きに、敵も来ましたね。

 私もやれることはやらなければ。


「これで……どうですか!?」

「ぐあっ!?」


 魔力を溜めた後、全身から放出するようなイメージ。上手く行ったらしく、近づいてきていた聖騎士は悠理に蹴られた相手のように飛んでいきました。

 以前試した聖属性球セイントボールは特に効果がなかったんですが、これは攻撃魔法として使えるんですね。

 様相は聖騎士たちの同士討ちのようになっていますけど、みんな誰が敵で誰が味方かはだいたい分かっているようです。それでも敵が多いのはどうにもならないのですが、それ以上に悠理が無茶苦茶に引っ掻き回しているので押しているように見えます。

 が。いきなり攻撃された悠理の体勢が不自然に崩れました。見えていた魔力も大きく揺らいだようにも。

 立て直すためか驚きからか、悠理は後ろ跳びで私のところへ戻ってきました。


「悠理、大丈夫ですか?」

「ああ。少々予想外があっただけだ」


 その理由、なんとなくわかりました。先程悠理を斬り付けた聖騎士に敵意がないのですね。


「ヴァリーおまえ!? 聖騎士だろうが! 聖女を守れよ!」

「悪いねユーリ。僕はこっち側なんだ」


 ヴァリーと呼ばれた聖騎士は、近くに落ちていた剣を拾って悠理の近くに投げつけました。

 その剣を悠理は拾って、


「要るか」


 遠くに放り投げました。え、使わないんですか? 私もびっくりなんですけど。


「いやそこは受け取っておけよっ。死ぬぞ?」

「嫌だね。なんでおまえの罪滅ぼしに付き合わなきゃいけないんだ」


 悠理が呆れたように言うと、ヴァリーの目が明らかに泳ぐのがわかりました。あ、なんとなくわかってしまいました彼の魂胆。


「な、何言ってるんだかわからないなぁ?」

「おまえの魔力は腐ってない。どうせ、俺に自分を罰させ……あ、そうか。殺させて罪悪感で聖騎士になる覚悟をさせる気とかでいるんだろ。そう上手く行くかよ。俺は凡人だって言っただろうが。それ以前にもっといい演技しろ大根役者」

「き、君なあ!? そういうこと、ペラペラ口にするなよ! 台無しになるだろ! それにこれだけ僕と打ち合ってどこが凡人だ!? ていうか、ダイコンヤクシャってなんなんだ!?」

「うるせえ! そう何度も命賭けられるほど博徒じゃないんだよこっちは! 自分でやれ! 違う間違えた! おまえもやれ! 義務放棄すんな!」

「そっちこそうるさいな! 僕はもううんざりなんだよこんなギスギスした職場! 見ろ! 周り敵だらけだぞ!」

「それを俺に押し付けるおまえは自分でどうかしてると思わないのか!?」

「知ってても知らないよ!」


 罵り合い……でしょうかこれ? それとも口喧嘩? とっくに斬り合いは始まっていますけど。

 本気になる気のない悠理と、本気を出せるはずもないヴァリー。微妙な一進一退ですが。

 二人は、敵同士で味方同士。つまり、


「ユーリ、後ろだ!」

「そっちも!」


 すれ違い、お互いの背後の敵に一閃。仲がいいのか悪いのか。

 というか、友達いたんですね悠理。私はいないのに。羨ましい。


「ここで一時休戦でいいだろ!?」

「イヤだね!」

「ふざけんななんだこの乱戦は!?」

「大人しく僕を倒してくれればそれでいいんだろうが!」


 時に敵として斬り合い、その合間に襲いかかる聖騎士を倒し、って本当に何をやってるんですかこの二人は。

 けれど、いい加減マズいですね。普通に戦っている聖騎士たちもみんな焦りと疲れの表情を見せていますし、ヴァリーももちろんそうですが、悠理はそれ以上です。

 理由は魔力の残量でしょう。纏っている光はもう、消える寸前のような状態になってしまっています。一般人だと言われてましたし、凡人だと自分で言っていましたし、魔法を使って初めて聖騎士たちと同等に戦えるということ。その魔法を使い続けているとしたら当然、魔力が枯渇しないわけがありません。


「悪いヴァリー。限界」


 悠理はそう言ってパタリと倒れました。

 ヴァリーの方も予想外だったのか動きが止まり、


「おい、ユーリ、こんな消化不りょ、ぐうっ!」


 その数秒の停滞で、背中から斬られてしまいました。崩れ落ちる中でその相手の顔を見た彼がしたのは、歯噛み。


「せ、聖騎士長……」


 聖騎士長!? そんな立場の人間まで敵だったのですか!?

 ともかく、悠理とヴァリーを放っておけません。聖騎士長に走り寄り、魔力を溜めて、放つ。

 けれど相手はびくともしませんでした。これ、マズい。


「軽い。所詮は戦も知らない小娘、何ができるでもない」


 もう一度。もう一回。

 ダメだ通じない。月光を返して剣が光る。殺され、



「子供に殺し合いを見せる方が愚かだと思うけどな、俺は」



 悠理の声。反射的にそっちを向くと、立ち上がって剣を携える姿が……え、剣が燃えてる。

 面食らったのはこの場にいる全員のようで、争っている声や音のすべてが消えていました。私の目の前の聖騎士長も。

 次の瞬間には悠理は私達の間に割り込んでいて、剣を振るっていました。持っていたのは相変わらず木剣でしたが、これまでで一番速い一閃と魔力の輝きでした。血が飛び散ることもなく火が燃え移るわけでもありませんでしたが、凄まじく鈍い音を立てて聖騎士長は殴り倒されました。


「は、はは。ユーリ、なんだそれ」

「……切り札について話す気はねえよ」


 声が小さいので聞こえないように返したのかと思いましたけど……剣を覆っていた火が消えてふらつき出したのを見て、魔力を使い切ったのだと気付きました。

 膝から力が抜けるように崩れ落ちた悠理を受け止めようかと思いましたが、体格差があるので無理です。それでも頭から倒れ込むのくらいはなんとか防げました。


「ごめんララ。今度はほんとに限界」


 大きく息を吐いた悠理は、言葉どおりの青い顔をしていました。魔力枯渇は私の魔法でも治せません。回復魔法はかけておきますけどね。

 でもしばらくこのままでいいかな。なんて思っていたんですが、


「あの、聖女様? できれば僕も回復していただけると」


 無粋な声で邪魔されました。いえ、そういえば最初はそのためにそばに来たんでしたっけ。多少。


「この者の傷を癒したまえ回復ヒーリング

「……寛大なお心に感謝します」


 嫌味ですかね。終わったのなら早く場を片付けてマナポーションでも持ってきてほしいところです。

 ヴァリーは立ち上がって背を向け、


「ごゆっくり」


 一言だけ残して、やられている聖騎士の元に歩いていきました。ほんとに、下世話なのかお世話なのか。

 ともかく、これでこの騒動は終わりですかね。

 また同じようことがあるんでしょうけど。私はもう大丈夫ですよ、悠理。



「……出て行かなくてもいいじゃないですか」


 そう思っていたのにこれですよ。

 魔力探知とか身体強化とか無詠唱とか、一通り教えたらもう用済みですか。それはこちらの役目では。そんなことやる気もないですけど。


「せっかくだから世界を見たいってのも本音だからな。俺の考えてた世界と違うからって剣と魔法の世界に憧れがないわけじゃないし」

「それでも、それこそ命の危険はあるじゃないですか」


 ああもう、これじゃ駄々っ子みたいです。こんな子供みたいなことはしたくないのに。

 自分でもわかった口の尖りを悠理も見つけたのか、苦笑が返ってきました。


「そこはどこでも一緒だって。そもそも俺がここにいるのはそのせいだろ?」

「だから。それなら私も」


 あ、ダメだ。これは迷惑になるだけだ。ただのわがままだ。

 悠理は、子供にそうやるように……かどうかはわかりませんけど、私の頭をポンポンと叩いて笑いました。


「ララは聖女でいることが嫌だったわけじゃないだろ」

「いえ、それは」

「俺にはそう見えたけどな。助けられない人を助けられないことが嫌だっただけで、それを周りにわかってもらえなかったことがもっと嫌だっただけだろ」


 そうなのでしょうか。

 私が聖女になった理由……は、成り行きではありましたけど。

 誰かを治してあげたいと思った理由。それはあのとき強く思い出して。


「そう、ですね。悠理の言うとおりです。私は聖女ソーマとしてまだやることがあります」


 ここで投げ出すのは駄目ですね。何より、悠理に胸を張れない。


「まあ、子供は子供らしくってのもそれはそれで幸せなんだろうけどな」

「最後の最後でなんでそういう扱いをするんですか!」


 ずっと考えないようにしてきたのに! あの聖侍女や聖騎士長にも言われたとおり、どうせ私は十二歳の小娘ですよ!


「い、いや、そうじゃなくてだな。許されないことは誰がやっても許されないけど、子供だから許されることって言うか、子供の目線でしか見られないものだってあるわけだから、それを損に思わないといいなっていうか、大人の中で揉みくちゃにされるのも不幸なんじゃないかっていうか」


 上手い表現が見つからないのか、悠理はダラダラと言葉を続けながら苦い顔をしていました。でも、なんとなくわかりました。その意味。


「それもあるかもしれませんけど、こうしていなかったら悠理と出会えなかったからいいんです。大人に揉まれて達観しているおかげで話も合いますし」

「……なるほどな。そうも言えるか」


 そうです。悪いことばかりでもないです。それに、目標もできましたから。

 さて、そろそろお別れですね。

 あの夜の一幕から波及して聖国内部も多少は再編されましたが、おそらく一過性のこと。そのうちまたこうやって自由に歩き回ることもできなくなるのかもしれません。それでも、今できることはやらないと。これはやらないと後悔するはずですし。

 悠理が言いましたからね。子供だからできることがあるって。というわけで、子供っぽく抱きついてみたりして。


「いつでも待ってますから」

「ああ」


 背中を抱かれずに頭を撫でられるあたり、子供だと思われているのでしょうか。それとも、扱いに困っているのでしょうか。後者の方がいいですかね。私もたぶん、顔が真っ赤になってるはずですし。

 それにしても、聖女の服を着ていないだけでこんなことをやっても驚かれたり咎められない辺り、ほんとに認知度あるんでしょうか私。

 抱いた手を離して、悠理の胸を押して離れました。よし、もう大丈夫。完璧。


「また必ず会いましょうね、悠理」

「必ず。またな、ララ」


 聖都の入口。今はここが私達の境界線。

 けれどいつかここを超えてみせましょう。役目ではなく、私自身の意志で。

 その姿が見えなくなるまで、悠理は何度も振り返り、その都度苦笑しながら手を振って。

 その姿が消えて、泣いてしまいそうになりましたけど。でも私の胸にあるのはたくさんの希望ですから、泣かずに笑顔でいましょう。

 どうか、今度は幸福な人生を。願わくば、いつか私も。



 これが九羽鳥悠理のこの世界での初めてのお話。

 そして私と彼の、続く絆の最初の一結びです。

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