01-15 『やさしい世界』を創った男の伝説
それから一月ほどたった頃、ようやくアレクの元へ竜の目撃情報が届いた。
「銀の魔女様、お待たせして申し訳ありません、以前頼んだ竜の討伐をフィリスと一緒に行って欲しい」
「わかりました、場所はどこですか?」
地図を見せながらアレクは説明する。
「場所はここボスカ山、よく竜がやって来る場所でここ首都エルメニアの北だ」
「ここは行ったことが無いので転移は出来ませんがひとっ飛びすればすぐなので、その後姫様を転移で迎えに来ましょう」
アリシアは段取りや準備を頭の中で組み立ててゆく。
「待ってくれ、馬車を用意するのでそちらでフィリスと一緒に行って貰いたい」
「何故です? わざわざ遅くなるようなことを?」
「⋯⋯今後銀の魔女様には、我々と共に馬車で行軍しなくてはならない、といった事態も予想される。 その時おそらく不便を強いる事になるだろう、なので今回は余裕があるのでこの際に一度体験して貰っておいて問題点の洗い出しとその対策など考えてみてほしい」
「ああなるほど、わかりました」
この時アリシアは素直にアレクの提案を受け入れた。
出発は次の日の早朝、アリシアの到着を待っている間にアレクとフィリスは最後の打ち合わせを行う。
「フィリス、ボスカ山までは着くだけなら三日の距離だ、それまでに何としてでも銀の魔女様との親密な関係を築いて欲しい」
「はい、分かりましたお兄様」
アレクはこの時少し焦っていた、自分が銀の魔女の担当になってもう一月になる、その間アリシアは週に一度の頻度で宮殿へ来ては仕事の話や雑談を交えながら親睦を深めて来た⋯⋯という手応えはある。
しかし、信頼する臣下位の距離感がせいぜいといった限界も感じはじめてきた、しかしアリシアはアレクの臣下などでは断じてない、懇意の取引相手でしかないのだ。
直ちに何かが起こるとは思っていないが、もし何かあった場合アリシアに断られたり後回しにされるのではないかという不安がぬぐい切れない、そこで今回の遠征でアレクは欲を出した。
竜の討伐をするだけならば恐らく直ぐに終わる、しかし最初っからフィリスを同行させ移動も馬車にすれば三日間はアリシアとフィリスは一緒に行動できる、その間寝食を共にすればきっとこれまで以上に親密な関係になれるはずだ⋯⋯フィリスが。
これが自分との関係でない事は残念ではあるが、男である自分にはこの方法は無理だと割り切る、いつも危険なことばかり押し付けているフィリスが妹であった事に感謝したのはもしかすると初めての事かもしれなかった。
そしてそんな思惑など全く気付かないアリシアが到着し、ボスカ山へ向けて一同出発した。
随行する人員に関してはドラン・ルックナー将軍の指揮の元選び抜かれた精鋭たちである。
しかし今回の編成は馬車五台で騎士たちも三十人位という、竜討伐を目的とするにはあまりにも小規模な編成であった、あくまでもアリシアがどうやって竜を倒すのか、それを見定める事に主眼が置かれたためできるだけ身軽にである。
そしてアリシアとフィリスの乗る馬車は隊列中央に配置されていた、そんな中でアリシアは初めて乗る馬車を楽しんでいた。
しかしそれも街道に出るまでであった、城門を出て城下町を移動中の時は窓の外をチラチラ見ていたりしていたのだが、街道にでて変化が乏しくなると⋯⋯飽きた、そして本を読み始めてしまう。
そんなアリシアとの距離を詰めるべく、フィリスは話しかけようとする。
「魔女様、今何をお読みなんですか?」
「多次元干渉に関する考察」
「へー、多次元? ⋯⋯難しそうですね」
「難しい、今の私には命がいくらあっても足りない、かな」
そして会話が終わる、暫くして⋯⋯
「今回の竜、どうやって倒すんですか?」
「現地で見てから考える」
⋯⋯会話が続かなかった。
無論失礼な態度の自覚はあるが特に話す事もなく、無意味な会話をし続けるというような高等技能をアリシアは持ち合わせてはいなかった。
そんな気まずい針の筵のような時間が二時間ほど続き、馬車が止まった。
急にアリシアの体調が悪くなった為である⋯⋯
「うぇぇぇ⋯⋯」
「魔女様、大丈夫ですか?」
馬車を止め、アリシアは近くの木陰で⋯⋯吐いた。
アリシアの背中をさすりながら水の入ったコップを差し出すフィリス。
「これで、うがいをしてください」
「ありがとう」
うがいをしながらアリシアは考える、今自分に何が起きてるのか。
これまで吐いた事くらいは何度もある、しかし今回は原因がわからない⋯⋯未知の病気や呪いにでもかかったのか?
「どうやら乗り物酔い、みたいですね」
「乗り物⋯⋯酔い?」
「はい、馬車なんかの細かい揺れが原因で体調を崩す⋯⋯本なんか読んでるとなりやすいと聞いたことが⋯⋯」
「⋯⋯もっと早くに言って欲しかった」
しばらくその場所で休憩となり、アリシアの回復を待って再出発となった。
その後の対策としてアリシアは本を読むのを止め、馬車を魔法で少し宙に浮かべて細かい振動を防いでいた。
馬車の中はこれまで以上に、重苦しい空気に包まれていた。
人前で無様をさらした事によってアリシアは非常に気まずかった、魔法で時間を戻して無かった事にしたいがアリシアが戻せるのはせいぜい数秒が限度で二時間も戻すのは不可能、いっそ命懸けで時間遡行の魔法を試してやろうかとさえ考え始める。
「あの魔女様⋯⋯気にしないで下さいね、人間誰しも苦手なものはありますから」
「⋯⋯」
フィリスが気を使ってくれている事は分かるが、それにどう答えれば良いのかアリシアには分からない。
結果、気まずい時間だけが過ぎてゆく⋯⋯
フィリスは焦っていた、自分の不注意でアリシアに恥をかかせたと思い込んで。
これでは親睦を深めるどころではない、こんなつまらない事が原因で終わってしまう訳にはいかない。
しかし何とかしなくてはならない、こんな状況で話しかけるのはフィリスであっても困難であり、後一回話しかけるのが限界だと、何となくフィリスの勘が告げていた。
何を言う? なんて声をかける? どうやったらこの重苦しい空気を吹き飛ばせる?
そんな焦りと緊張の中で、フィリスの頭がぐるぐる回り何かとっかかりが無いかと、アリシアと出会ってからこれまでのやり取りなどが、浮かんだり消えたりし⋯⋯
そして、あり得ないような言葉が出てきた。
「『ナーロン物語』お好きなんですか?」
『ナーロン物語』とは何か? それにはまず、その作者のナーロンについて知らねばならない。
今から約二百年前の帝国にナーロンは生まれた、当時の帝国は巨大な軍事力で東へ南へと戦火を広げ日々国境線を塗り替えていた。
皇帝は己が野望しか見えず民をないがしろにし、貴族たちはその民たちから税を絞りつくす事しか考えない、そんな時代だった。
そんな時代の中ナーロンは何を思ったか作家の道を歩み始めた、そしてその本は民衆の間で流行し売れた、何故か?
ナーロンの物語には夢があったから、いやむしろ夢しかなかったのだ。
豊かな国、幸福な民たち、それを護る貴族や王の姿、今の帝国にはない物ばかりだった。
そんな都合の良い妄想の様な物語に支持が集まるほど、当時はひどい時代だったのである。
やがてナーロンの本は、目障りに思う貴族たちの知る所になり、ナーロンは捕えられることになった。
しかしナーロンは素早かった、きな臭い匂いを感じるや否や逃亡し東を目指した。
今でいうアクエリア共和国へと逃げ延びたナーロンは、しばらくほとぼりを冷ますべく各地で職を転々とし、潜伏した。
しかしナーロンはいつまでも燻っているような男ではなかった、紙と筆さえあれば何処でも小説を書き続ける、命知らずの作家馬鹿だった。
それでも新作を発表する時は、さすがに名義を変更し帝国を欺くことにした、だがしばらくしてナーロンは大きなミスをする。
新作にナーロンであった頃の、作品の設定・人物を使ってしまったのだ。
しかもまずい事に新名義の方もそれなりに名が売れ始めていたため、この出来事は業界内に知れ渡ってしまう。
ナーロンは焦った、この新名義を捨てるのは構わないが今後名義を変えて新作を出していることがバレれば、いずれ自分は捕まる。
しかしナーロンはこの窮地を逆に利用することを思いついた、それはナーロンの名義で次の様な声明を出す事だった。
「私の作品の設定や人物を使って本を書きたいと、とある別の作家に打診を受けた、それに私は許可を出し出来上がった作品はとても良くできていて面白かった、なのでもし私の作品の設定や人物を使って作品を出したいと思った作家の方は好きに書いて欲しい」
この時代に著作権という概念はまだ無かったが、それでも他人の作品の設定や人物を使う様な事はタブー視されていた、今でいう二次創作を正式に許可した作家はナーロンが初めてだったのである。
この事によりナーロン以外の作者の、ナーロンの物語が大陸中へと広まり始める、中にはナーロンを騙って捕まる者もいたがそれでも新作の『ナーロン物語』は増え続けてゆく、その結果帝国は完全にナーロンの消息を見失う。
そしてその帝国もやがてナーロンになど構っては居られなくなっていく、革命が始まったのだ。
最初に革命の火を灯したのは、大勢いた皇帝の子供たちの中で帝位継承権も最下位に近かった小さな皇女だった。
そんな革命など、帝国なら即座に踏みつぶして終わり⋯⋯にはならなかった。
帝国各地で革命が同時に起こり始めたからである。
小さな皇女は僻地の領地で育てられ、大した人脈など無かった、しかし各地の心ある人々は来るべく時の為の準備を進めていたのである。
小さな皇女の奮起に呼応し各地で同時に革命がおこる、これが個別にバラバラに起こっていれば各個撃破されて終わっていた事だろう。
小さな皇女の奮起という切っ掛けこそあったが、事前にそれぞれの革命の指導者同士が連絡を取りあっていた訳ではない、しかしこの時期に彼らは同時に革命を決意し準備を進めていたのである。
それは何故か? 彼らたちは同時に同じ夢を見たからだ。
〝ナーロンの物語〟という夢を。
その後、革命は成功し多くの血が流れた後、その小さな皇女が帝位を継いだ。
そして戦争は終わり、諸外国との友好的な関係の構築など信じられないほどの復興を成し遂げる。
後の歴史学者の間ではそれ以前の帝国を〝旧帝国〟そしてこれ以降を〝新帝国〟と呼ぶのが習わしとなったほどだ。
結局ナーロンは一度も歴史の表舞台に立つことは無かった。
革命の当事者たちで、ナーロンに出会った者もいなかった。
しかしそれでも彼の物語は多くの人々に届き、大きな国をも変えてしまった。
平和な時代の訪れを見届けた後、ナーロンは消えてしまったと伝えられている。
⋯⋯なお、全くの余談ではあるが、この後ナーロンが平和の象徴として作品内に創りあげた理想の国『聖国 エドバーン』が数多くの作家たちの手によって、何百人もの主人公たちが悪人を倒し続けても悪が絶えない魔都と化してしまったことは、今では笑い種とし語り継がれている。
――シュヴァルツビルト出版『ナーロン、その男の伝説』より抜粋――
あれから三日経った、あの日以来アリシアとフィリスはほとんどの時間を馬車の中で過ごしている。
現場に⋯⋯ボスカ山の麓に着いてしまった。
この隊を指揮するルックナー将軍は隊列を停止させ、姫と魔女の乗った馬車の前に立つ。
彼の王家に対する忠誠心は絶対である、もしフィリスが危機に陥ればルックナーは迷わずその身を代えることも厭わないであろう。
しかしそんな彼が躊躇する任務⋯⋯それが今この馬車の扉をノックし、中に乗っている二人に出て来てもらう事である。
今なお停止しているにもかかわらず馬車から降りて来ない、それどころかずっと話声が続いている。
あの時からずっとだった。
敬愛する姫がどんな魔法を使えばこうなるのか、ルックナーにはわからなかった、もしここで止めてしまえば奇跡は終わってしまうのでは無いのか?
そんな思いが扉を開くことを躊躇わせる、しかし出て来てもらわない訳にもいかない。
「姫様、銀の魔女様、現場に到着しました、準備の方よろしくお願いします」
馬車の中の会話がピタリと止む、そしてしばらくして馬車の扉が開きフィリスが降りて来る。
「ご苦労様です、待たせてしまってごめんなさい」
そしてアリシアも降りてきた。
「もう着いたんですか、速かったですねフィリス」
そしてじっと山の方を見つめた後アリシアは呟く。
「ああ、居ますね竜が、百五十歳くらいのかな?」
「えっ、分かるのアリシア?」
「まあこの位は⋯⋯さて参りましょうか『白百合姫』」
「うむ、頼りにしておるぞ『風車の魔女』よ」
こうして二人の竜討伐が始まる。
どうしてこうなったのか、ルックナーにはまるで解らなかった。
ちなみに『白百合姫』と『風車の魔女』とは『ナーロン物語』に出てくる登場人物である。
ナーロン自身は歴史の彼方へ消えてしまったが、彼の作品は多くの作家たちによって今なお受け継がれている。
そしてそれは、これからもずっと⋯⋯
〝やさしい世界の物語〟は終わらない。
お読みいただきありがとうございます。
これと同時に短編を一つアップしてあります、もし興味があればぜひ読んでください。
読まなくても本編には一切不都合はありません、ちょっとした悪ふざけですので。
お読みいただき、ありがとうございます。
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