米式論理的思考術(笑)
笑い事ちゃうで。
辞めておくべきか否か。
彼は確かに迷った。
決して悪い意味ではなく、正しい判断を下そうと必死に足掻いて藻掻くという意味で、彼は迷ったのだ。
そして当然決断しないわけにもいかない。決断せずにいることはほぼ不可能。辞めるか否かという二項は放棄出来ない。
言い方を変えれば、やるかやらないか。
人聞きの悪いと人は言う。「やめる」、「やらない」。
確かに、自分でも一種後ろめたい心持ちがする。が、妙な事だ。誰がやることがプラスだと決めつけたのだ。やらないよりやるほうがマシだなんて、思考放棄でしかない。状況によってはやらないほうがいい事もある。義務教育で教わっただろうに。
さあ詭弁だ。妄言だ。本旨など無い。時系列はどうなったのだ。因果など逆転も逆転、万物は流転する?笑わせるな。あるのは論理の摩り替えただ一つ。客観的に見せるな。結局主観自己中心忖度推量主義の言い訳ゴマすり後付け論理。いよいよ笑える。御託ばかり並べてその上に舌を回して回して、イヤ目が回る。笑える。笑えない。
どうしろと言うのだ。諌められているのか。諌めているのか。自戒?自虐?誰に正義があるのか。正しくてどうするのだ。振りかざして何を得る。自らの中ではそんな通貨は紙切れ同然。自分は自分に嘘をつけない?ふざけるな。自分は自分に嘘をつかれ放題なのに?些か一方的だ。
決めろと言われても知らん。決断力が大事?そんなのアメリカンな企業のトップが身振り手振りとともに発揮してりゃいいのだ。
だから、もう少し待ってくれ。
サイドメニューをポテトにするか否かぐらいもう少しだけ考えさせてくれ。
笑うわこんなん。