三兄弟と狼
「もう、ずーっとずーっとずううううっと!! 比喩じゃなくて、人間の赤子が成長して結婚して子供産み育てるくらいの長い間、ずうううっと好きなの!!」
だん、と拳でテーブルを叩いてアゼルは喚いた。
外に出ても、手持ちが何もなかったために買い物はアレクス頼り。服の予備は断り、最初に用意してもらった袖なしのロングワンピースを身に着けている。
食事を済ませた後は酒場に移動して飲み明かし、帰りしなに酒瓶を買い取ってきて、宿でも飲んだくれている深夜。
何も言わずともアレクスがグラスに注いでくれる酒を飲みながら、アゼルはひとり盛り上がっていた。
旅暮らしが長い上に、歳を取らない外見のせいで、アゼルはひとところに留まれない。知り合いや友達と呼べる人間が少ない。少ないどころか、ルミナスとステファノが死んで以来、いない。
魔族社会にも背を向けているため、そちらにも友達がいない。
旅先でたまに見知らぬ相手と盛り上がることもあったが、下心が透けて見えたり、身体を触られたりすると急激に気持ちが冷え切ってしまう為、「気兼ねなく楽しむ」経験などこれまでほぼなかった。
その反動は、自分で思っていた以上に大きかったらしい。
大大大好きなステファノと再会したことを誰かに言いたい気持ち。
翌朝には落ち合う予定のロイドが、近くにはいてくれるという安心感。
気の大きくなる要因があった上に、アレクスが食事の間から外を歩くときもずっと穏やかな微笑を湛えて話に耳を傾けてくれているという心地よさがあり、大いに気が緩んでしまっていた。
「本当にね、なんでこんなに好きなのか自分でもわからないんだけど。なんかもう、ふわっと笑われたり、駄目だよってたしなめられたり……。もう、それだけで好き。だけど、気が付いたら側にいて身を挺して守ってくれていたり、どこに目がついてるの!? って角度からいきなり助けに来てくれたり。あ〜、好き」
魔導士だから後衛でも充分戦えるのに、ルミナスの突撃をフォローすることが多いから気がつくといつも前線で接近戦している。そして普通に強い。正直、ステファノの実力は、剣一本の勇者より総合力では上だったのではないかと思う。
(なのに無駄死にしちゃって。あり得ない……もったいない。人間としてはかなり好きな顔だったのに。今の顔も嫌いじゃないし、ああ〜好みかも〜って思っちゃったけど)
脳裏に「クロノス王子」を描いて、うんうん唸ってしまう。悪くはない。ステファノのことは懐かしいけど、黒髪のクロノスも悪くない。あの顔で迫られたらそれはそれで。
小さなテーブルに両肘をついたまま額をおさえていたら、不意にがくっと頭が落ちた。
必死に目を開けようとする。酔いが回ったせいで、気を抜くと眠りにひきずりこまれそうだ。実際、すでに半分以上寝ている。
何しろ、ここまで後先を考えない飲酒は初めての経験なのである。
それもこれも、アレクスが朝まで責任を持って護衛するなどと申し出ていたから。
身体が熱くて、思うように動かない。瞼が重い。
ぐらぐら揺れていたら、捕まえられた。
「寝るならベッドで」
指先まで痺れてぐにゃぐにゃに頼りない身体を抱え上げられる。
「お酒って、飲むと酔うんだね」
目を閉ざしたまま言うと、「そうだ」と低い声に答えられた。
身体の底に響くようなしずかな声。火照った身体を持て余して、温度の低いアレクスの胸にすがりつく。あまりにも心地よくて。
「アゼル」
(この声、誰かに似ているんだよね。最近聞いたはずの。クロノスっぽいと思っちゃうのは欲目かなー)
何の気なしに浮かんだ考えだったが、妙にひっかかった。
「もっとしゃべってみて」
「何を」
「なんでもいい。声が聞きたい」
少しの間を置いて、アレクスが語り出した。
「あるところに三匹の仔豚がいました。狼に狙われていると知り、家を作ることにしました。一番下の弟は楽をしようと藁で作り、狼に一息で吹き飛ばされてしまいました。二番めの弟はそれなりに努力をして木の家を作りましたが、簡単に壊されてしまいました。二匹はほうほうのていで逃げてきて、一番上の兄の作った煉瓦の家へと助けを求めました――」
目を開かぬまま、アゼルは腕を伸ばした。指先が何かに触れる。手を広げてそれを確かめて、顎だな、と結論付けた。
「わたしの知っている話と違う気がする……。煉瓦の家って長男だっけ?」
呟きながら指で探索を続けると、人差し指の先が唇に触れた。
「長男でいいんだ。下の弟たちに負けるつもりはない。とはいえ、助けるのもやぶさかではない」
話している間唇に置かれたままであった悪戯な指先は、何を思ったのかぱくりと食べられてしまった。
「ひゃ」
くすぐったさに、小さく悲鳴を上げて指をひく。
それから、こみ上げてきた笑いに身を任せた。
「長男、負けるの嫌なんだ。アレクス、もしかして弟いるの?」
「下に二人」
「ぶふっ」
遠慮なく噴き出す。
掌で胸や首をぺしぺしと叩きながら、重い瞼を持ち上げた。
「創作実話! お兄さん、弟たちを助けてあげるつもりはあるのね?」
「私はね。弟たちの考えは知らないが、私は結構可愛いと思っているんだ。好かれてはいないようだが」
真面目くさった顔で見下ろしてきたアレクスが、アゼルを抱えたまま歩き出す。
寝台にはすぐにたどり着いて、アレクスにそっと置かれた。
無性に、手を離されたくなくて、アゼルは片腕をアレクスの首にまわしてしがみついた。
「弟がいるって言った。あなたと似ているの?」
中途半端にかがんだ状態になったアレクスは、アゼルの腕を掴んで首から引き剥がした。離れていくことはなく、そのまま寝台に腰かける。
「髪型や服装を揃えれば、もしかしたら」
アゼルは、腰の革袋を漁って、大切にとってあった黒縁眼鏡を取り出す。
「これつけてみて」
差し出された眼鏡を表情を変えずに見えていたアレクスだが、黙って受け取ると装着した。
酔っ払いの半眼で注意深く見守っていたアゼルだが、目が合うとにへらっと笑った。
「似ているかもー。わたしの、好きなひとに! そっか。好みのはずだわ」
あーすっきりしたー、と朗らかに言ってから、アゼルは寝台にひっくり返るように身を横たえた。
すぐに弾かれたように起き上がり、アレクスの手を掴むと、ぐいっと引っ張る。問うような視線に、微笑みかける。
「わたしが眠るまで、そばにいて」
「すぐに寝そうだ」
「うん、眠い。そんなに時間はかからないから。それまで」
「アゼルの好きな相手とは、別人だぞ」
「知ってる。大好き。愛してる。一度も言ったことないけど」
アレクスの手を、両手で包み込むように捕まえて、アゼルは儚く笑った。
やがて目を閉ざした。唇を震わせて、小さな声で「ごめんね」と囁く。
「謝るようなことはない」
「ううん。わたしが経験豊富な女だったら、好きにしていいよ、って言ったと思う。だけど言えないの。辛い?」
「……耐えられないほどではない」
「そっか。じゃあ、この手は離さないでね」
言うだけ言って、アゼルはころんと身体を倒して寝台の上に横になった。
手を握られたまま、わずかに引っ張られる形になったアレクスは動きに合わせて軽く腰を浮かせて、より近くへと移動する。
そのまま、眠りに落ちていくアゼルを長いこと見ていた。
シーツに広がる長い髪。呼吸にあわせて上下する張り合のある胸。睫毛の一筋に至るまで造形の粋を凝らされたような容貌。
「ひとではなく、人形だと思えば」
賑やかな話し声の途絶えた部屋で、アレクスはひとりぽつりと呟いた。
狼になるわけにはいかないのだった。
もう朝が近いと感覚的に悟り、溜息をこぼす。
慣れぬ眼鏡を外したいと思いながら、繋いだ手を離せずに、しばしそのままの姿勢で固まっていた。
かすかに、地震のような揺れを感じたが一瞬のこと。
アレクスもまた、疲れ切った顔で瞼を閉ざした。




