白銀の女王(前)
(ルーク・シルヴァ、僕の方を全然見ない)
後ろ姿を見ているのも辛くて、クライスは俯いた。
「離してよ、クロノス殿下」
手首を掴まれたままで、立ち去れない。振り払いたくて腕をひいてみる。けれど、クロノスの力が強すぎてびくともしない。
「ここに留まりなよ」
「やだよ。あの人が見せたくないものを、見たくなんかない。僕はここにはいられない」
手首の位置で繋がったまま離れるだけ離れて、お互いに相手の顔を見ないで交わす言葉。
不意に、クロノスが前を見たままよく透る声で言った。
「ばーか」
「なんだよ」
つられて顔を上げたら、魔力を帯びて金色がかった瞳がクライスを見ていた。
「聞き分けいいこと言ってんじゃねーよ。知りたいくせに。ここにいろよ」
「やだよ。そういうのはだめなんだって……っ」
ぐっと腕をひくのに、クロノスは絶対に離してくれない。目も逸らさない。
(……こんなところで、そんなに男感出さないでほしい。なんでそんなに力あるんだよ。僕だって鍛えてるんだっていうのにっ)
クロノスの目は、澄んでいて底が知れない。
口調はいつもより、すこしだけ乱暴だった。
「面倒くさい奴って思われたくないだけだろ。嫌われるのが怖いだけだ。本当は知りたいくせに。踏み込んで、気まずくなったら、壊れてしまうのか? あの人とお前の関係ってそんなものなのか」
「そんなこと、クロノス殿下には関係ないし、言われたくない……!!」
ぐいっと腕を引くと、あっさりと離される。
クライスは咄嗟に、手首をもう片方の手でおさえた。ついで非難がましい目を向けたが、クロノスの眼光に射すくめられて息を止めた。
「関係あるし、言うよ。俺は好きな相手のことはできるだけ多くを知りたい。知らないのが怖い。知っていれば対処できたかもしれないことを、見過ごすのが嫌だ。適度な距離感なんてクソくらえだ。線を引かれても、必要なら踏みにじって越えてやる。今は、そういう時じゃないのか。逃げるなよ。ここで背を向けてどこかに行けるなら、二度と『恋人』なんて言うな。お前さ、中身なさすぎなんだよ。ガキかよ」
傍で聞いていたアゼルは、意味もなくロイドの脇腹をつついていた。「なに」と言われても、首を振るだけ。内心では忙しく悲鳴を上げていた。
(出た~~~~!! ルミナスにだけ超絶厳しい正論のステファノ、健在だった……!! 微に入り細を穿つ容赦のなさっていうか、完全に逃げ場を絶って徹底的に追い詰めるやつ……!)
言われ放題のクライスは、大きく目を見開いたまま固まっている。息をしているかも怪しい。していないかもしれない。
クロノスは深い溜息をつき、クライスをまっすぐに見つめた。
「ここにいろよ。そんなに怖がるな。俺が側にいるのに、何に怯える必要がある」
「怯えてなんか」
身体が固まり切っていたクライスは、クロノスの動きに対して鈍い反応しかできなかった。
見越していたかのように、一動作で距離を詰めたクロノスは、そのままクライスを両腕で抱きすくめた。
「知ってしまうのが不安なら、耳をおさえて、目を瞑っていてもいい。だけどここにいろ。オレの隣がお前にとって一番安全だってわかれよ」
ロイドが、アゼルの髪の毛の先をつまんでぴんぴんと引っ張った。
「いたっ。いたっ。気持ちはわかるけど痛っ」
「いや~~~~? 殿下のあれ、なに……? ごめんよくわからないなりになんかこう……アゼル? ああいうの放っておいていいの?」
どことなく機嫌を損ねている様子のロイドに、アゼルもまた、すねた口調で答えた。
「止められないのよ……、ステファノのあれ。多分、素なの。混じりけなしなの。ルミナスに対しては全力直球体当たりで攻撃的だし、溺愛も海より深いの。本気なんだもん。最後の最後まで本気でルミナスの致命傷を自分の身に引き受けたような関係だよ。止められないんだって」
物言いたげな、含みのありまくる視線をアゼルへと流して、ロイドはひそやかな声で言った。
「よくあんなに見込みのない相手をずっと好きでいられるね。アゼルはオレが思った以上に強いらしい。尊敬するよ」
* * *
騒いでいる面々に立ち去る気配がないのを感じ取り、ルーク・シルヴァは動いた。
すべき警告は終えていた。後は関知しないと決める。
「本当は丸一日たたないと使えないんだが……。少し、世界の理に無茶をしてもらおう」
歌うような優雅さで告げると、右手で左腕をおさえて目を瞑った。
その身から、青い光が溢れて天へと立ち上る。
目を焼かない、温度も眩しさもない光なのに、咄嗟にクロノスは目を細めた。捕らえられたまま、首をひねって光を見たクライスもまた、同様に目を細める。
視線の先で、ルーク・シルヴァは姿を変えていた。
腰の下までの長く艶やかな銀の髪。
男物のシャツをひっかけた肩が、折れそうなほど華奢だ。すんなりとした全身の作りが恐ろしく繊細に見える。
(『ルーナ』じゃない……!?)
女性型だが、彼がいつも変化するものとは明らかに異なる存在。
横顔。年齢的にもう少し上に見える。
腰から下に履いていたものはサイズが合わなかったようで、すとんと落ちてしまっていた。大きなシャツを羽織っただけの膝下から、真っ白で細い素足がのぞいていた。
呆然と立ち尽くしているイカロスに対し、白銀の乙女となったルーク・シルヴァは繊手を差し伸べた。
「ディートリヒ」
耳朶に沁みる、玲瓏たる声音。
「レティシア……、どうして」
イカロスは、ゆっくりと両手で顔を覆った。どうして、どうして、と少年の声で繰り返している。
靴も脱げてしまった乙女姿のルーク・シルヴァは裸足で地面を踏みしめて一歩進んだ。
「会いたいかと思ってな」
甘やかな声音に、ルーク・シルヴァの意志がのる。
顔を覆う手の、指の間から赤い目をのぞかせたイカロスは、やがて震える手を乙女へと伸ばす。
氷像のように、冷ややかでうつくしい。
ルーク・シルヴァや女性型であるルーナの、圧倒的に華のある美貌とは趣を異にする。
この世ならざる冴え冴えとした幻想の美だった。
それでいて、その面差しはどこか似ているのだ。
「ルーク・シルヴァの妹……?」
恐々と呟いたクライスに、ロイドが視線を流す。
クロノスの腕に抱かれていることすら忘れているような赤毛の少年に向けて、ロイドは一瞬だけ普段の彼に似合わぬ嗜虐的なまなざしをした。
「妹で、恋人だったよ。あいつらは強い子を残すことを周囲に期待されていた。それで、組み合わせ的に、そうするのが一番良さそうだってなったんだ。実際、仲も良かったし、本人たちにも不都合はなかったんじゃないかな」
淡々とした説明に対し、耐え切れなかったように口火を切ったのはアゼルだった。
「私は知らないんだけど」
「アゼルは若いからね。彼女が命を落としたのは、もうずいぶん昔のことだ。落としたというか、殺されたんだけど」
ロイドが唇に薄い笑いをのせる。
「ディートリヒはその時代並ぶ者のいないと言われた強い魔導士だった。その彼と、とても強い剣士によって、見るも無残に殺された。たぶん殺した側に、深い意味はなかった。強い相手を求めていたんだろう。力試しってやつ?」
クライスは鋭い痛みのはしった胸をおさえた。何が起きたのかわからない。ただ、ロイドに目を向けられた瞬間、猛烈な痛みに貫かれた、錯覚がした。
(なんだろう。この嫌な感じ)
まるで、この時、それを言うのがどうしようもない運命によって予め定められていたかのように。
ロイドはしずかに告げた。
「あの一件がなければ、ルーク・シルヴァが世界を憎むこともなかっただろう。我が一族を率いる女王の死によって、ルーク・シルヴァは自らが王として立つことを決めた。すべてはあの時あの二人の人間がレティシアを手ひどく殺したからだ。恥知らずの蛆虫ども。地獄に落ちて永劫の苦しみにのたうち回ればいいと思っていたけれど……。ま、あの有様を見る限り、ディートリヒは『記憶が途切れることのない存在』となり果て、それなりの苦痛を味わったみたいだね」
まったく、ひとかけらの同情も寄せていないのは、その酷薄そうな表情に明らかであった。
動悸がする胸、知らずこめかみを伝う汗に目をさまよわせながら、クライスは唾を飲み込んだ。
「もう一人は……? 剣士は」
ロイドが目を細める。
「知らない。人として生きて死んだのなら、どこかで生まれ変わっているかも。オレにはきっとわからない。だけど、ディートリヒに気付いたルーク・シルヴァならわかるのかもしれない」
ロイドとクライスの視線が絡む。空で結ばれる。
クロノスは、クライスを抱き寄せる腕に力をこめながら、慎重に言葉を選び尋ねた。
「ただ者ではないと思っていたが、あの人は、あなたがたの王なのか。強い魔力、端麗な容姿、そして長命。人とは、少し違う種族のようだ」
「そうだね。だけど、家族や恋人がいて、感情もある。この先何があってもそこはちょっとだけ覚えておいてよ」
冷え切った調子で言うと、ロイドは口をつぐんだ。
何があっても。
何があるというのか、との追求を許さない、厳然たる口ぶりだった。




