僕を知っているこの人を、僕は知らない
「フィリス、嬉しいよ。僕との約束を守って君は」
イカロスが両手を広げ、親し気な笑みを浮かべてクライスへと語りかけた。
ざくざくと歩き出したクライスは、無言のままイカロスに近づき、顔も合わせずにその横を通り過ぎた。
広げた両手を綺麗に無視されたイカロスは目をしばたいてから、振り返った。
「えーと……、フィリス? どこへ?」
すでに遠くへ進んでいたクライスは、足を止めて肩越しに振り返る。
「音のした方を確かめてくる。絶対何かあった」
「僕を置いて? こう、運命的な再会をしたってわかってる……!?」
赤い目を見開いて非難がましく言うイカロス。
ぼさっと見つめたクライスは、一応身体ごと振り返り、軽く腕を組んで小首を傾げた。癖のある赤毛が風になびく。
「ごめん。何も感じないんだ……。運命って何?」
クライスより幼い少年の姿をしたイカロス。
死んだはずの片割れの名前を知り、二人の間にあった約束を匂わす発言もあった。
それでも、クライスはどうにも素直に「驚けなかった」。
(たぶんこの人は僕が驚くと思っていた。でも、実際何も感じなかった。偶然も必然も。それこそびっくりするくらい、心が動かなかった。「僕を知っているこの人を、僕は知らない」)
少し待った。
イカロスの赤い眼差しには戸惑いばかりがあり、言葉はなかった。
待つのは終わり。
「何かあったなら調べないといけないんです。危険かもしれませんので、殿下はこの場に留まられるのが良いかと思います。誰か……、カインが近くにいます?」
仕えるべき主筋の人間に対し、最低限の礼儀を尽くしつつ、近衛騎士としての職務を伝える。
元来クライスは上に媚びたり取り入ったりする気が微塵もない。悪感情を抱かれても、譲れないところは譲る気が一切ない。
「行く必要はない。お前はここにいろ。僕と一緒に来るんだ……!」
「殿下。それはきけません。僕は国に仕える身ですが殿下の私兵ではありません。その命令に意味があるようには思えない。ここに二人でいて、何が解決します? 確認して、明らかな危険があるようでしたらすぐ戻ってお守りします。何もなければそれでいい。何かあった場合が問題なんです。行きます」
時間の浪費を気にして、クライスは背を向ける。
寸前、イカロスの瞳が紅蓮に染まったのが見えた。
(怒った)
だからといって、引き返す気はない。
距離をとりたい一心。
彼の言動、存在。
あまりにも心が動かないというのに。
いきなり「お前の片割れだよ」と言ってきたとして、どう受け止めれば良いというのか。
肉親としての片割れはとうの昔に死んでいる。
今現在自分が「片割れ」のように心を寄せている相手といえば、圧倒的美貌の銀髪の魔導士のみ。
その姿を思い描くだけで、甘苦い痛みが胸を疼かせる。
(好きだと伝えあっているはずなのに、いつもつきまとうこの痛みは、いつまで続くのだろう)
他の誰も、心のその場所に踏み込ませることなどできない。
自分に言い聞かせるその一瞬、暗闇の中からこちらを見つめる瞳を感じる。イカロスではなく、黒髪の魔導士。わかっていながら気付かないふりをする。
一人だけの場所なのだ。
そこはもう埋まってしまっているのだ、と。
だからあなたに心を乱される場合ではないのだと。
要求されているわけでもないのに、言い訳が口をつきそうになる。
締め出したわけじゃない。
心のそこにそんな場所があると、気付いたときにはもう銀髪の魔導士しかいなかったのだ。
たしかに。
ともに戦ったあのとき、眩暈がするほどの相性の良さのようなもの、脳を直接覗き込まれているかのような思考の共有、呼吸がぴたりと添うのを感じたが。
それでも、クロノスの為の場所はもう空きがない。
気持ちを振り切るように前を向き、クライスは突き進む。
(この上、イカロス王子までなんて。完全にキャパオーバーだ。無理)
早足で墓石の間を抜けて、墓地裏手に立つ大樹のもとへと向かった。
そのとき、ここで聞くとは思っていなかった声が耳に届いた。




