里帰りへの道
──再会は、最高のシチュエーションで。
確実に手に入れようと罠を張り巡らしていたのに、あの時の獲物はすべて潜り抜けていった。
痛快なほどに。
それが面白くて、怒る気になんかならなかった。むしろ感心した。罠の張りがいがあると思った。
次はどんな罠にしよう。
前世のように、死によって失われることなどないように。
今度こそ逃がさないように。
罠は、ずっと前から。
* * *
街道を進むごとに、人馬とすれ違うことも稀になっていく。
乾いた道は埃っぽく、道の両脇にはまばらに木々が並んでいたが、いつしかまるで森に踏み入れたかのように木の密度が高まって、辺りには瑞々しい緑の匂いが立ちこめていた。
とはいえ、道は人の行き来に十分踏みしめられて広さもあり、この先にも人里があることを示している。
クライスは先を急ぐように軽快な足運びで進んでいた。
王都から離れたところで、近衛騎士の姿ではなく、いかにも一般人に偽装している同僚を見かけて、気になって追いかけてきてしまったところ。
(カインとは仲は良いけど、任務で離れることは今までもあったし、なんらかの機密に関わっているらしいときはお互いにその内容に触れないように気を付けていたから……)
相手の携わっている仕事、そのすべてを知っているわけではない。
それにしても、王宮の問題児・第三王子イカロス案件というのは少し意外だった。
カインは出世が約束された優秀な近衛騎士であり、かつ第一王子のアレクスと裏でもしっかり繋がっていたわけで、イカロスに関わる利点が無い。
命令であればもちろんある程度従わざるを得ないだろうが、国王に次いで実権を掌握しつつあるアレクスがそれを許可するものだろうか。
(考えられるとすれば、カインはアレクス王子に忠誠を誓った上で、イカロス王子の身辺を探っている……?)
イカロス王子はまったく王宮では存在感を示していない。特段に派閥などを持っていないクロノス王子よりもさらに、重臣たちに相手にされていない。
探る必要があるようにも思えない。
後継争いなどが万が一起きたとしても、誰も気にかけないだろう。第一、公式の行事にすら滅多に姿を現さないのだ。気難しいとか病弱だと言われてもいるが、お忍びで城下に出ることもあるらしいとの噂も根強く、実態はよくわかっていない。
「よくわかっていないのが、問題なのかな」
呟きつつ、一本道の先を見る。
人影ひとつない、なだらかな登り坂。そこを越えた先に何があるかはもちろん知っている。
取り立てて特色のない田舎町。
クライスの生家があり、両親が今もそこに住んでいる。
(突然帰ったらびっくりするかなぁ)
久しぶりの里帰り。偶然とはいえ、少しだけ口元がゆるむのは止められない。
この時のクライスは、もちろんそこで何が起きるかなど予測できているわけがない。
一部の魔族に妙な動きがあるとはいえ、太平の世。
事情を抱えている身とはいえ、目的地は慣れ親しんだ実家。
気がかりなことを確かめたら、今日は思う存分羽を伸ばすのもいいかもしれない。
そんなことを考えていたせいで、足取りはいつになく軽かった。
* * *
久しぶりに会った大魔導士ステファノは、完璧に死んだおかげで別人として転生していた。
濡れたように艶やかな黒髪に、繊細な面差しをしていて、彼がかつて大変毛嫌いしていた女性の面影を宿している。
瞳は金色がかっていて、アゼルを見る時は相変わらず優しい。
(唇は薄くて上品な形。顎の線が細い。横顔がすごく綺麗)
鏡で彼自身では見ることができない角度。
並んで、盗み見るようにのぞきこんで、アゼルはそれだけで胸がいっぱいになる。
「どうしたの?」
気づいたステファノ(今はクロノスというらしい)が、小首を傾げておっとりと微笑みかけてくる。
「なんでも、ない……」
「そう? さっきから俺のこと見てるけど、そんなに慣れない? 困るな」
「困る?」
問い返すと、軽く目を見開いてから、無骨な眼鏡をのせた目元に笑みをにじませた。
「もともと可愛かったけど、今のアゼルはすごく綺麗だよ。そんなに見つめられると、男として落ち着かないものがある」
「お……」
アゼルの横を歩いていたロイドが、じゃりっと足下の小石を踏みしめた音が聞こえた。
一方アゼルは一瞬足を止めそうになった。
(男として。こ、これは前世のステファノには一切感じなかったいわゆる「脈」では。「脈あり」では!?)
アゼルは緊張に口内を干上がらせ、きゅっと拳を握りしめた。
その見つめる先で、黒髪の青年であるところのクロノスは微笑を深めて言った。
「なーんてね。俺にそんなこと言われても困るよね? 俺はあくまで引率のお兄さんだから。昔よくルーナと話したんだよね。世界が平和になって、みんなそれぞれ家庭を持ったりして。そういうの全然向かない人も中にはいたけど。とにかく、『アゼルの結婚式に呼ばれちゃったらどうしよう、泣いちゃうよね?』なんてね。気分はお兄さんというより、親だよね、親。今はもうルーナ……ルミナスはいないけど、アゼルに好きな男ができたら、一番じゃなくてもいいから教えてよ。俺が君に相応しいか見定めるから。約束してよね?」
抜群に感じの良い笑みは残像まで眩しく心を深く抉り。
クロノスは、そのまま少し先を行くルーク・シルヴァのもとへと、足を早めて行ってしまった。
何か楽し気に話しかけている横顔が見える。笑い声が聞こえる。
(はい、死んだ。今生でも私の恋、死んだ。討ち死にッ)
「あれでわざとじゃなさそうなのが、王子の恐ろしいところだよね。本気の優しさに見える」
傍で見ていたロイドがしみじみと呟いた。
アゼルは全力同意で頷いてから、感慨深げに言った。
「実際優しいのよ。ステファノ、何度私をかばって怪我をしたことか……。そういうのいいからって怒っても、そのたびに『大丈夫ですよ、アゼルに治してもらえると思えばこのくらい』って。ほんっと、ぐっずぐずに甘かったのよあの男。それでいて気が強くてヘタレじゃないし、ルミナス相手にはときどき妙にキツかったりして、『隠れドSの貴公子』なんて言われていたの」
溜息交じりに両手を胸の前で組み合わせて明後日の方を見上げているアゼルに対し、ロイドはごく控えめに「へ~……誰に言われていたの? アゼルが自分で言ってただけじゃないの?」と相槌を打った。特に興味はなさそうな口ぶりであった。
「今生でも、優しいのは確か。うん、でもドSな感じもわかるといえばわかるかな。なんかこうちょっと、彼は複雑」
ロイドは考え考え呟く。
アゼルからじーっと見つめられていることに気付いて「何?」と顔を上げた。
「ロイドも、あの人のこと気になるのかなって」
声の響きにかすかな苛立ちか焦りのようなものがある。
ロイドは困ったような笑いをもらした。
「オレは色んな人や魔族に興味があるから、推測したり考えたりはする。クロノス王子が特別なわけじゃない。もうそこは、自然なんだ。この人のこういう反応ってなんでかなとか、いちいち考えちゃうの。アゼルはわかりやすいけどね! 好きなんだよね、殿下のこと。さっさと告白して押し切っちゃえはいいと思うよ。身体も子どもじゃないんだし、問題なし」
さらっと言い終えてから、前を行く二人と距離があいているのに気付いて、足を速める。
立ち止まってしまったせいで、置いていかれる形になったアゼルは、慌てて追いかけた。
肩を並べてから、思い余ったように口を開く。
「ロイドはそういうの、いいの……? 魔族と人間が、とか」
濁していても伝わったであろうその意味。
すっと視線を流してきたロイドの顔には、およそ表情らしい表情がなかった。
「構わないと考えているよ。いずれ寿命で引き裂かれるけど、そんなこと言っていたら恋なんてできない。魔族だって死ぬときは死ぬ」
そのまま、前を向いてしまう。
先行していた二人が分かれ道の看板の前で立ち止まり、こちらを振り返っていた。
早足で追いつくと、クロノスがおっとりと微笑んで言った。
「この道をまっすぐだね。周りに人がいなくなったら浮遊術を使おう。歩くのはあと少し。アゼルは疲れてない? 大丈夫?」
「大丈夫」
「そう? 昔はよく『歩けないから運んで』って言ってたよね。無理しなくていいからね」
クロノスは笑顔だが、ロイドと銀髪の元魔王からの視線が妙に刺さる。
どうしようかと思う前に、長身で呆れるほど凄絶な美貌の男が言った。
「俺の知る限り、俺の同族は、作りは頑丈に出来ているはずなんだがな」
この程度で疲れるわけがない、と言わんばかりの。
しかしクロノスは彼に蕩けるような笑みを向けて言った。
「俺が、頼られるのが好きだったんだよね。甘えちゃって可愛いなーって。ほら、俺は尽くすのも甘やかすのも好きだから。ルーク・シルヴァもたくさん言ってよ。なんでもするから」
「しなくていい」
銀髪の元魔王、ルーク・シルヴァは嫌そうに顔を逸らす。
(この二人は二人で、仲が良いのか悪いのか……)
温度差がすごいな、という感想を抱くアゼルの背後で、ロイドがそっと肩をすくめた。




