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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 冬 〜  作者: 都月 敬
1日目
8/15

夜_倉庫


 立ち去る老人を見送った姿勢のまま、しばらくは誰も動かなかった。

 気圧された、というのとは少し違う。力ではなく、知恵でもない。それでも現在の彼らではとても歯が立たないなにかで、ねじ伏せられたような。そんな脱力感を、碧流は感じていた。


「――――で、どうするの?」


 真っ先に口を開いたのは、橙琳だった。


「まずは、一晩ここで大人しくしてるか、なんとかして抜け出すか。そして、もし抜け出すなら、そのまま逃げるか、黄希を助けに行くか」


 選択肢を樹形にして、一つひとつ確認するように。

 こんな状況でも、いやだからこそ、彼女はあくまでも議長だった。


「選択肢を増やす必要はない。助けに行く、一択だ」


 無駄な議論だと言い放ち、蒲星が皆を振り返る。


「そうね。私たちが何をしようと、黄希には傷つけないと言ったわ。そんな口約束がどこまで守られるかは、わからないけれど」


 賛同するように、杏怜が立ち上がった。

 碧流は少し意外だった。こういう時は穏健策を取るのが杏怜だと思ったのだが。


「そうだね。こっそり助けられるならそれが一番。それが無理そうなら、その時にまた判断、でいっか。そこさえ踏み間違わなければ、黄希に迷惑をかけることもないでしょ」


 軽い調子で、それでも押さえるべきところは押さえて。

 座ったままで橙琳がまとめる。

 強引に踏み込みさえしなければ、確かに危険はないように思う。


「じゃあ、次はどうやって助けるか、だね。まずは、黄希がどこに捕まってるか、なんだけど――――」


 と、橙琳は、そこまで進めたところで。


「ところで、さっきのじいちゃん、誰だっけ?」


 誰のものとも知れぬ、ため息が舞った。


「……覚えてないの。」


 呆れる杏怜に、橙琳は悪びれもせず。


「じいちゃんなんて、みんな同じに見えるって。まして彭交で会うのなんて、ほとんどがじいちゃんじゃん。個体識別ムリムリ!」

「鄒欽 (スウキン)。大老院の長とも言われた男だ。今日、我々を迎えてくれるはずだった男でもある」


 同じく、呆れ顔の蒲星に説明されて、橙琳もぽん、と手を打つが。


「ああ、どうりで見覚えがあるはずだ」

「……うそつき」


 誰にも、信じてもらえはしなかった。


「さて、黒幕が鄒欽だったことはわかったけど、そこから導き出せそうな、黄希の居場所って、どこかある?」


 真顔に戻った橙琳に振られ、杏怜が人差し指を顎に当てる。


「う〜ん。。。お屋敷の場所は知っているけれど、別邸まではわからない。倉庫とまでなるとそれこそ星の数だろうし、急拵えの貸家という可能性もあるし、、、」


 肩をすくめて、お手上げのポーズ。

 それを引き取ったのは蒲星だった。


「あの口振りを信じるなら、倉庫に押し込めたり、間に合わせの家に住まわせたりはしないように聞こえたがな。さすがに本家はないだろうが、匹敵するようなどこかには匿っていそうだ」


 碧流も、鄒欽老の言葉を思い出す。


『できる限り、存分に、もてなさせていただきますよ』

 

 あれが本当なら、黄希の居場所は、彼の心が行き届かない場所ではないだろう。


「ってことは、そういうのに使えそうな、別邸なり別宅なりの位置を特定するのが手始めだね」


 まだ五里霧中ではあるが、倉庫の可能性が減っただけでも大きな進捗に感じる。

 同時に、こちらは倉庫に寝台置いただけかよ、という不満も湧くが。


「誰か、知っていそうな者でも捕まえて、絞りあげられれば楽なんだがな」


 大僧正の息子らしからぬ発言をする蒲星。

 今度は、杏怜がそれに応えて。


「そう言えば、知っていそうな方なら、そこにいるんじゃなくて?」


 全員の視線が重なって、同時に大きく頷いた。

 倉庫の外。離れる馬車の音は、まだ一つしか聞こえていない。


「じゃあ、次は、教えてもらった後の行動予定だけど――――」


 橙琳が筋道を立て、蒲星と杏怜が提案して、再び橙琳がまとめる。

 決断役の黄希はいなくとも、そもそも彼らに迷いはなかった。

 友が苦しんでいるのだ。救う以外に道はない。



「――――さぁ、来い」


 壁を背に、蒲星が腰を落とす。

 膝を深く、両手はその前で組まれている。

 その気迫に、吸い寄せられるように。


「行きます」


 碧流は走り出した。蒲星へ向かって。

 互いの視線は、互いだけを見つめて。

 ぴたり、と合った呼吸。

 寸時のズレもなく、碧流が跳ねた。

 蹴り足とは逆の、左足を蒲星の両手の上に。そこでさらに深く踏み込んで。

 同時に、蒲星の身も沈むのを感じる。二人分のバネが、極限まで縮んで。

 弾けた。

 蒲星に打ち上げられた碧流の身体は、そのまま真上へと舞い上がり、壁の最上部、梁の手前に開いた、風通しの窓の枠へと、真っ直ぐに。


「あ、ちょい飛びすぎ!」


 小声で、でも鋭く。橙琳の警告が飛んだ。

 勢いが付き過ぎだ。このままでは、梁にぶつかる。その、瞬間。

 碧流の両手は、狙いを窓枠から、その梁へと変更する。

 両手で梁を掴んで方向を変えつつ、勢いを殺すことなく身体を持ち上げて。

 真上への力が消えたのに合わせ、振り子の要領で身体を振り下ろす。

 その両足は、当初の狙い通り、風通しの窓を塞ぐ板戸へと向かって。


「やった!」


 杏怜の歓声に送られて、碧流の身体は板戸を跳ね上げ、窓をくぐり抜けて、そのまま倉庫の外へと飛び出した。

 だが当然、外には掴まるものなど何もない。

 放物線を描いて飛び出した碧流は、やがて自由落下で地面へと叩きつけられる。

 その途中で。


「ぐふっ。」


 腹部に急激な圧力がかかって、身体の空気が抜けた。

 碧流の身体を中空に止めたのは、その腰帯に結ばれた、綱状のシーツだった。

 倉庫の内から伸びたシーツが窓枠にかかって、碧流は再度振り子運動を始め。

 そのまま倉庫の壁へと戻ってくる。まずまず、勢いよく。


「げふっ!」


 碧流は、板の優しさを感じた。これが柱だったら、これでは済むまい。


「大丈夫〜?」


 倉庫の内から届く、心配の伝わらない橙琳の声に。


「……大丈夫で〜す。今、解きます〜」


 宙ぶらりんのまま応えて、碧流はなんとか帯に結びつけたシーツの端を解く。


「ぐえっ。」


 これで倉庫の中から、窓を通って壁を乗り越え、外へと抜けるシーツの道ができた。壁への激突に続いて、解いた拍子に地面にも落ちたが、高さがなかったこともあって、どちらも怪我はなし。まぁ、随分と無様ではあったろうが、目撃者がいなかったのでよしとする。作戦は成功だ。

 解いたシーツを二度引いて、中へ合図を送る。

 中からも同じく合図が返ってきて、シーツが強く引っ張られた。慌てて、全体重をかけて支える。

 初めに橙琳が、続いて杏怜が、そして最後に内側の端を押さえていた蒲星が抜け出てきた。蒲星は特に厚みがある分、窓を抜ける時に苦労しながら。


「第一関門、突破だな。碧流が思ったより軽くて驚いたが」


 音もなく飛び降りた蒲星が笑った。碧流は苦笑を返すしかない。

 すぐさま橙琳と杏怜が引っかかったままのシーツを引っ張り下ろして、小さくまとめて、物陰へ。これで怪しまれることもない。

 その手際を眺めている間に、蒲星は早くも次の関門に掛かっていた。

 足音を殺して、倉庫の正面へ。

 そこには、碧流たちが連れてこられた時のままに、馬車が停車している。

 怪しい影に気づいたのか、馬が小さく鼻を鳴らした。馬装を外され、手近な樹に繋がれている。近くに、御者の姿は見えない。

 蒲星はさらに近づく。

 倉庫の陰から覗く碧流の隣に、橙琳が並んだ。いつでも飛び出せるよう、姿勢を低く。杏怜は後ろに控えているようだった。

 馬車の隣まで近づいた蒲星が、窓から中を覗く。

 すぐに視線をこちらへ寄越して、大きく頷いた。御者は、中にいるようだ。ここまで反応がないということは、もう眠っているのか。

 それを受けて、橙琳が蒲星の元へ走り出す。

 しかしそれも待たず、蒲星が馬車の扉に手を掛けた。

 一気に開き、飛び乗る。

 馬車が大きく揺れたのは、一度だけ。


「大人しく、降りろ」


 外から掛けられる橙琳の声。

 蒲星がゆっくりとその大きな身体を外へ出して。

 続いて御者が降りてきた。無抵抗を主張するように、両手を上げながら。

 御者が蒲星と橙琳に挟まれたのを見てから、碧流と杏怜も近づいた。


「余計なことはするな」


 それは連れてこられた際の意趣返しか。両手を腰に当てた橙琳が命じる。

 御者はもう逆らう気もないように、両手を上げたまま、等分に四人を見回した。


「答えろ、黄希はどこにいる?」


 蒲星が詰め寄る。

 御者は一度だけ蒲星へ視線を返すと、大きなため息とともにうなだれた。


「――――住所を言って、わかるのか?」



 黄希の軟禁場所の住所と行き方、念のために近くの目印まで聞き出して。

 蒲星は御者の両手を後ろに縛ると、馬車の中へと放り込んだ。こうしておけば、自力では扉を開けることもできないだろう。鄒欽も、四人が泰陽に向かったかどうかの確認ぐらいはするだろうから、遅くとも明朝には助けてもらえるはず。

 後は、それまでにこちらが黄希を救えるかどうか、なのだが。


「ではな、碧流。そちらは任せたぞ」


 そう声をかける蒲星と、手を振る二人と別れて、碧流は別の道を進む。

 碧流に任されたのは、彭交の警備隊への通報だった。

 彭交の警備隊は大老院に逆らわないとは聞いているが、さすがに皇太子の身柄を押さえられてなお、大老院側に付くとは思えない。少なくとも、この通報が大老院側へ伝わることはないはず。警備隊が黄希の奪回に動いてくれればよし。それが無理でも、泰陽へ救援を要請してくれれば充分だった。

 その後、碧流は上手くいけば警備隊の馬車で、それが無理なら乗合馬車で、泰陽へと向かう手はずだった。最悪、三人が捕まっても、泰陽を動かすためだ。

 奪回と通報の二面作戦。

 そして、碧流には、自分を潜入から外した三人の考えもわかっていた。

 学院生とはいえ、あの三人は有名だし、家柄を含めた後ろ盾もある。何かがあれば、余計に傷を広げることに繋がる。そう考えれば、いかな大老院とは言えど、そうそう物騒な手は使えないだろう。

 それに引き換え、流族の碧流には後ろ盾がない。そのため、新たな人質にされる可能性すらあった。それも、実際に手を出せる人質、としてだ。

 そこまで踏まえれば、彼らの立てた作戦に、異論があるはずもなかった。


 それでも。

 碧流は、三人の背中を振り返った。

 そこに感じる、一抹の不安。

 それは、あの老人に感じさせられた脱力感に起因している。

 彼らが、いや碧流も含めた四人が、あの老人を出し抜くことなどできるのか。


 それでも。

 彼らは決して、後ろを振り向くことはなかった。


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