昼_食事処
二台の馬車は、果樹園を抜け、田園地帯を走る。
大街道沿いといっても、辺りの生活に、どこの郊外とも変わりは見えない。
ひっきりなしに馬車が行き交うわけでもなし、人が通りかかることもほとんどなし。ただただ、広く、綺麗に整備された道が、どこまでも続いている。
住居らしきものは、たまに霞んで見える程度。それも二、三軒連なっては、またしばらく距離を置く。今は空き家も多いようだ。農閑期は他の町に住むという人も多いらしい。泰陽に家を借りられるなら重畳。でなければ、彭交で人足になるか、他の町まで脚を伸ばすか。
それでも、この辺りは恵まれていると言える。夏に嵐で吹き散らされることも少なく、冬に雪に埋もれることもまずない。近くには央都があり、反対へ進めば万年人手不足の交易都市がある。
それも他と比較して、の話。
泰陽での暮らしに慣れた碧流には、雪混じりの風にさらされる農村は、やはりどうしても寒々しく見えた。
「そろそろかな。あ〜、お腹空いた〜」
同じように窓の外を眺めていた橙琳が、座ったまま大きく伸びをする。
それに合わせるかのように、馬車が静かに速度を緩め、やがてその車輪を停めた。
ガチャリ、と扉が開けられて。
「お疲れ様でした」
御者が深々と頭を下げる。
橙琳、蒲星と馬車から降りて、訳もわからず、碧流も後に続いた。
快適だったとはいえ、慣れない馬車だ。久々に地面を踏みしめると、脚にまだ振動が残っているような感じがする。不思議な感覚に戸惑いながら付いていくと。
「ご苦労だったな」
と、待ち構えていた黄希に声を掛けられた。
そこで、碧流もようやく理解する。
黄希の後ろに建つのは、大街道唯一のお食事処。つまりは、昼食だ。
「なんか、都合よくあるものなんですね、こういうのって」
案内されるままに席について、改めて感心する碧流。
そこに茶々を入れるのは、やっぱり橙琳で。
「都合よくあるんじゃなくて、都合よくなるように作ったんでしょ」
「……あ。なるほど」
ぽん、と一つ手を打つ。
ここは泰陽と彭交のほぼ中央に位置していた。それはつまり、どちらの街からでも、朝に出れば昼過ぎにはここに着けるということで、まさに行き来する者には格好の食事処だ。
ただ、それにしては。
「都合はいいんでしょうけど、やっていけてるんですかね?」
それとなく、店内を眺める。
理屈では、今が唯一の掻き入れ時のはずなのだが、客は碧流たちの他に一組しかいない。店の前に停まっていた馬車も、他には一台きりだった。
そんな、余計な不安まで抱えてしまう碧流に。
「碧流。ここを一番利用するのは、どんな人だと思う?」
杏怜からの問題が飛んだ。
ここは泰陽と彭交を結ぶ大動脈、なのだから。
「商人、ですか?」
しかし、杏怜はにこにこ笑顔のまま。
「はずれ。商人のほとんどは、自炊かお弁当ね。時間も惜しむから、のんびりお昼ご飯なんて食べないの」
庶民には外食は贅沢だ。商人とて稼いでいる者ばかりではないし、輸送を中心に請け負うような者たちではなおさらだ。その上、当然、輸送は早い方が喜ばれる。そう考えれば、こんなところで優雅にランチではないだろう。
だが、そうなると。碧流にはもう選択肢がなかった。町を離れて旅をするなんて、商人くらいなもの、というのが、いわゆる常識だ。
杏怜は、そんな碧流を嬉しそうに覗き込むと。
「正解は、お役人です」
と、人差し指を立てた。
「泰陽と彭交を行き来する役人が多い、ってのもそうなのだけれど、四方国から来た方々も必ず彭交へ泊まってから泰陽に入るの。そういう時に、ここを使う」
「なるほど」
と、納得しかける碧流だったが。
「でも、東征国の方とかは、船でそのまま泰陽に入ったりはしないんですか?」
東征国とは、国境から泰陽まで泰河で繋がっている。水路の方が楽だし、早そうだが。
「よっぽどの急用なら、そういうこともあるかもしれないけれど」
杏怜は、立てた人差し指を一度その細い顎に当ててから。
「通常は、彭交から陸路を取るわ。泰皇への謁見前に、始原 (シゲン) 門をくぐらないのは、不敬に当たるから」
くるくるとよく動くその人差し指を眺めながら。碧流は礼節の講義を思い出す。
そう言えば、泰皇への謁見前には必ず、泰陽の東端にある始原門で来意と泰皇への忠誠を宣誓しなければならない、と教わった。西柏国や、泰陽の北西に位置する流族にとっては、なんと面倒なしきたりかと思ったのだが、東征国にとっても面倒だったとは。
「ふふふ。基本的なことを忘れていたね。減点一〜」
こちらも嬉しそうな橙琳につつかれるが、図星なので仕方ない。もちろん、橙琳は流族の採点官ではないが。
「そういうわけで、ここは公立のお食事処なの。だから、採算については心配しなくて大丈夫」
そんな解説とともに、他者への心配を解いてくれる、杏怜の優しい微笑みと。
「ついでに、私たちのお支払いについても、ね」
財布への心配を解いてくれる、橙琳の悪い笑い。
あんた、そもそも昼食代なんか気にしなくていいお嬢様だろう。
「そうだ。気にせずに、なんでも食べるがいい」
さらには、どこまでも尊大な黄希に促されて。
碧流も、改めてお品書きを覗き込む。先ほどとは打って変わった真剣な視線で。
そうしながら。自分が食事に関して何の注意も払っていなかったことに気づく。
誘われたのだから、なんとかしてもらえるんだろうと漠然とは思っていたものの、もしそうじゃなかったら、どうなっていたことやら。
これが頭でっかちの世間知らずというヤツか。今さらながらに自分の迂闊さを呪うと同時に、蒲星のことを笑えないお坊っちゃんだったとうなだれる。
一方で、その蒲星は。
「気にせずに、と言ってもだな、これは公費であり、本来は職務のない我々の分まで支払ってもらうというのは、ある意味、横領と言えなくも――――」
誰も聞いていない正論を、ずらずらと並べ立てていた。
店員が注文を聞きにきて、橙琳がすらすらと料理名を挙げていく。
共にお品書きを見ていた杏怜はともかく、他の二人も口を挟む様子は一切ない。不満がないのか、特に希望もないのか、これが幼馴染の空気感なのか。橙琳も気を回すこともなく、唯一、碧流に向かってだけ希望を訊いてきた。すでに充分な量はあったが、川魚の唐揚げだけ追加させてもらう。あんかけだし。
少しずつ料理が届いて。ゆったりとした会食が始まった。
使者と御者は少し離れた席に着いている。こちらに、というより主に黄希に気を使ったのだろう。あちらは特に会話もなく、それなりの料理を一人分ずつ頼んでいた。小市民としては気が引ける状況だったが、皇太子の友人が変に気を回しても仕方ない。
しばらくは杏怜と橙琳が、会議中の時間の使い方について相談するのを聞いていた。会議に参加するのは黄希だけで、他はその間は自由行動となる。碧流が初めての彭交ということもあって、碧流も同行させるつもりでいるらしい。異論はないので、黙って聞いていたが、そのうちに、どうしても別のことが気になってきて。
思えば。碧流の口を開かせたのは、寄せられる気安さのせいだったか。
「――――黄希。ちょっと、訊いてもいいですか?」
碧流は、隣に座った皇太子へと話を向けた。
反対側では、やっぱり呼び捨てだのなんだのという声も聞こえるが、無視。
「なんだ?」
悠然とした所作で、黄希が手にした箸を置いた。
「そんな、重大な話でもないんですが」
箸まで置かれると、こちらが緊張する。
食べながらでいいとアピールするように、わざと漬物を一つ口に入れてから。
「今回の会議、勝算はあるんですか?」
碧流に合わせて箸を持ち直した、黄希の手が止まる。
「……それは、重大な話じゃないの?」
ツッコミは、やはり反対側から。
碧流はそれも無視して。
「いろいろと僕なりに調べてみたんですが、今回の件を商人側に納得してもらうのは、なかなか難しいように思えたものですから」
「……なおのこと、重大性が増しましたよね」
ツッコミがもう一つ。
さらに。
「碧流。我々はただの同行者に過ぎない。公務に口出しは――――」
す、と。
さすがにツッコミとは呼べない蒲星の叱責は、黄希が片手で遮った。
「なぜ、そう思った?」
問い返し、黄希も再び箸を動かす。これは重大な話などではないのだ、と。
碧流も、もう一口食べる。そして思い出す。
一方的だ、という意見があった。
為政者が統制するためだ、という主張もあった。
制度の善悪は利用する人によるのだ、という見方もあった。
その結果、碧流は――――
「すみません、なんとなくです」
なんとなく。
受け入れられない政策だ、と、そう感じたのだ。
「……そうか」
薄ぼんやりとした意見を向けられながら。
怒るでなく、嘲笑うでなく。
「やはりお前は、自分にわからないことは答えないのだな」
黄希は小さく、そう呟いた。
そして、本人以上に納得した風で、もう一つ頷いてから。
「碧流は勘違いをしている」
顔を上げた皇太子は、突き放すように言った。
「此度の会議に勝ち負けなどない。私は、中央議会の決議を伝えに行くだけだ」
もう決まったこと。それはそうなのだが。
「反対も不満も出ますよ。どうするんですか?」
伝えるだけならば、皇太子が出張る必要などない。向こうは当然、自分たちの意見を聞いてもらえると思っているはずだ。しかし。
「どうもしない。制度が変わって不満が出るなら、それに合わせてやり方を変えれば良い」
「そんな、一方的な――――」
勝手に変えておいて、帳尻合わせは好きにしろ、では世の中通るまい。
それでも、それは承知の上とばかりに。
「一方的で何が悪い。税が高いと言われれば下げ、制度が悪いと言われるたびに変えるような政府がどこにあるか。現状の微温湯に浸っていたいだけの輩に、どう思われようと知ったことではないわ!」
皇太子は、上からの主張を傲然と言い放った。
これでは、もう、碧流から返せるものは何一つなく。
「……黄希、声が大きい」
橙琳の静かな声に諭されて、黄希が箸を置いた。
きつく握りしめられていた拳も、ゆっくりと解かれて。
「すまないが、私は先に戻る。皆は好きなだけ食べてからで良い」
椅子を引かれるのも待たずに、黄希が席を立った。
つられて立ちかける使者たちを片手で押さえて、そのまま店を出る。
すぐに蒲星がそちらへ行き、なにやら事情を説明する。そして、彼もそのまま店を出た。恐らく、黄希へなんらかのフォローをしに行ったのだろう。
残された卓上には、気まずい沈黙が下りていた。
「――――すみません、僕が余計なことを言ったばっかりに」
二人に、頭を下げる。
「……まぁ、余計なこと、か」
一拍置いてから、橙琳が苦笑した。
「久しぶりね。黄希が、あんなに怒ったの」
杏怜も俯いていた顔を上げた。
橙琳は鬱屈した空気を払うように伸びを一つ。礼節も何もあったものじゃない。
「な〜んで、あんなに怒ったかなぁ」
黄希が怒った理由。
それは碧流が、場所柄も弁えず、分不相応に、公務へ嘴を突っ込んだから。
だが杏怜は、そんな碧流の心中を否定するように。
「黄希はね、どんなに反論されても、頭ごなしに否定されても、怒りはしないの。考えが足りなかったり、ズルしようとしたり、サボろうとしたら、怒るけれど」
その言葉に、橙琳が心当たりでもあるかのように、笑った。
そんな黄希であるにも関わらず、怒った。その理由。
「――――ひょっとして、黄希も、今回の使命に納得しては、いない?」
碧流の出したその答えに、橙琳は頷きこそしなかったが。
「人ってさ、本当に痛いところを突かれると、怒るよね。まして、自分でもわかってて、それでもどうしようもない時、とか、さ」
それで、碧流は初めて気づいた。
いつからか、黄希の口調が変わっていたことに。
それはきっと、皇太子としての黄希で。
碧流の知っている黄希とは、違ったのかもしれない。
「でもあの時、余計なこと言われるってわかってて、止めなかったのも、黄希なんだよね」
なんだか、ちょっとだけつまらなそうに、橙琳が呟いた。
あの時。
蒲星の叱責を止めた黄希。
碧流の言葉に、頷いた黄希。
あれは、碧流の知っている黄希だった。
だとすると。
やはり黄希も、苦しんでいるのかもしれない。




