昼_食堂
彭交から帰ってくること、早数日。
泰陽の赤い街並みを眺め、やはり住み慣れた街が一番だなんて思って。自分も、もうこの街の住民なんだ、と再確認する。日頃は目も向けない通りの屋台へまで、つい足を運んでみたり。
学院に戻って早々に、紫絡には、土産話の一つもない、とボヤかれ、雪祈には、土産自体が一つもない、とがっかりされたりもしたけれど。
観光するヒマも、買い物をするヒマもなかった上に、公にできる話はほとんどないのだから仕方がない。遊びに行ったんじゃないんですよ、と言い訳をしてはおいたが、元々は遊ぶ予定が入っていたことは秘密だ。
結局、彭交の町を見ることはほとんど叶わなかったけれど、想定外の充実感は得られた。自分の成長には繋がったはず、と碧流は感じている。
「いただきます。」
今日も一人、豪勢な昼食に手を合わせる。今日は酢豚だ。つい肉まんを付けてしまう呪いは、今も継続中だった。
「碧流って、見た目の割に食べるよね」
トレイとともに姿を見せたのは、彭交以来、もう少し距離が縮まった感じのある橙琳だった。今日は珍しく一人のようで。
「いい?」
向かいの席を指してくるので、大きく頷く。口には、豚肉がすでに入っていた。
橙琳の昼食は、煮魚定食ご飯抜き。せっかくの白いご飯をあえて拒否するのは、碧流には理解のできない泰陽文化の一例だ。主に女子だけのようだが。
よく噛んでから飲み込んで、碧流が尋ねる。
「黄希や杏怜は、相変わらずですか?」
「そみたいだね。顔も見てないよ」
ちまちまと、魚の身を骨から外しながら答える橙琳。
彭交から帰って以来、二人の顔を学院で見ることはなかった。
黄希が持ち帰った報告は、中央議会を大きく揺るがした、らしい。
決定済の事案に関して、皇太子が、再審請求を求めたのだから、騒ぐのはある意味予想の範疇ではあったのだが、予想以上に騒動が広がったのは、黄希に賛成する議員が思っていた以上に多かったことによる。元々からの反対派に加え、本来、不干渉であるはずの泰皇による口出しが前決議を左右した、ということに対する不満分子も多いのだとか。いずれにせよ、燻っていた火種に、皇太子が自ら旗を立てたことによって、一気に燃え盛った、というわけだった。
こうなってしまっては、議会側も簡単に取り下げるわけにはいかない。未だ事態の趨勢を図りながらの、再審議を行うかどうかの話し合いの準備段階というから、最終的な結論が出るのはまだまだ先のことになりそうだ。
しばらくは、黄希も、そしてこの手の問題に一家言のある杏怜も、あちこちに引っ張り出されて、大わらわだろう。次に学院で、二人に会えるのは、いつの日か。
「でも、まぁ、きっと楽しんでるから、いいんだけどね」
すべての身を外し終えて、橙琳が微笑んだ。
制度の撤廃はならずとも、話し合いが長引けば長引くほど、施行は遅れる。その間に対策も取れるわけだから、商人側としてはそれだけでも助かっているはずだ。
二人もそれがわかっているだろうし、そもそもこういう件に関わること自体にやりがいを感じる方でもあると思う。だから、きっと楽しんでもいるのだろう。
市井でも、皇太子を讃える声をよく聞く。ただ、心配性の碧流としては、それが泰皇派と皇太子派の対立、というような図式を産まないことを、こっそりと祈っていた。黄希は、決してそんなことを望んではいないのだから。
ほぐし終えた煮魚ではなく、スープの方へと先に手を伸ばしながら、橙琳が話題を変える。
「それよりもさ。私としては、胡散臭い方が気になるんだよね」
少し、声を低めた橙琳につられて、碧流も小声で聞き返す。
「胡散臭い方?」
「そ。放火魔の方。……あ、酢入れ過ぎた」
放火魔。
彭交で、黄希と鄒欣を縛り上げて、自分の邸宅に火をつけた、あの黎勾とかいう女商人のことか。
「結局、今回の主犯は、黎勾、ってことでいいんですか?」
碧流は、探るように問い掛けるが。
「え〜、主犯もなにも、黎勾の単独犯じゃないですか〜」
なんて、橙琳は若干腹の立つ口振りで建前を返す。
最終的には、すべて黎勾の仕業という筋書きにはしたが、実際の言い出しっぺが鄒欣なのか、黎勾なのか、碧流はまだ聞いてはいない。
そんな碧流の視線を受けて。
「計画を立てたのは、事実。それをいつの間にか黎勾に話していて、気づけば黎勾の邸宅に連れていくことになっていた。今思えば、いつ、本当に実行しようと決断したのかも定かではない。唆されて、その気になったのかもしれない、だってさ」
橙琳は、伝聞をそのまま話す。
あえて、誰が、という主語の部分は隠して。
「鄒慶さん、ですか?」
「うん。会議の次の日に聞き出したって。すぐに手紙をくれたよ」
その頃なら、碧流たちはすでに泰陽へ向かう馬車の中だ。
鄒慶のことだから、父の不利にならぬよう、多少の歪曲もあるかもしれないが、それももう些細なこと。もちろん、警備隊にバレなければ、の話だが。
「じゃあ、ますます、怪しいのは黎勾ですね。何かわかったのでしょうか?」
碧流が聞いていたのは、彭交では中の下の目立たない商人で、妾にしたくなる影のある美人、だということくらい。まだ捕まっていないこともあり、橙琳はその後の調査報告も集めていたようなのだが。
橙琳は、レンゲに口を付けたまま、不満げな上目遣いで。
「なんにも出ないらしいよ」
「なんにも、とは?」
問い返す碧流に、軽く両手を上げて、首を振る。
「文字通り、なんにも。姿も、影も、過去も、人脈も、金の出所も」
「……それは、怪しいですね」
黎勾。
出身は北厳国だということは、何人もの商人が聞いている。そもそも彼女の店の本店が北厳国内にあって、彼女は彭交の支店を任せられているだけだ、ということだった。しかし。
「彭交の警備が北厳国まで行って調べたらしいんだけど、そんなお店は無かったって。黎勾と取引してた商人は見つかったんだけど、そっちへは、央香国の商人だって名乗ってたそうだよ。名前も変えて」
「随分と、手の込んだことをしてますね」
商人が国籍を詐称するのは、関税の支払いなどで法に触れる可能性が高い。どうしていたのかは知らないが、適当な嘘でやり過ごせる問題ではないだけに、大きな背後関係を想起させる。
「もっと言えば、北厳国での黎勾を知っている者も、一人も見つからなかったらしい。本店がある町も、生まれた町も、住んでた町も、誰も知らないんだから、見つけようもないんだけど」
ちゃんと、聞いとけ、と言わんばかりに顔をしかめる橙琳。
大々的に報道こそしていないものの、ことは皇太子の殺人未遂だ。彭交の警備としても、手抜かりはできない。日数を考えれば、その迅速さに感心するほどだ。
それでも、何も出ない。
央香国内でも、繋がりのある取引先はなく、関係の深い友人、知人などもない。
「彼女を狙っていた大老院の方々は?」
「顔と身体しか見てないさ。寝台まで行けりゃ、寝物語にでも聞けたのかもしれないけど、二人で晩餐って話すらなかったらしいよ。この、甲斐性なしどもが」
お嬢様らしからぬコメントが漏れるが、碧流にしか聞こえないからご愛嬌。
妾も冗談半分で、本当に入れあげていたご老人はいなかった、ということか。
では、なおさら。
「本当に、活動資金が謎ですね」
通常、彭交の店は大口の、いわば卸売が中心であることが多い。
ある地方で安く仕入れたものを彭交で高く売り、また違う地方のものを買い入れて、持ち帰っては、さらに高く売る。様々な地方からものが集まる彭交ならではの商売方法ではあるが、少量で行っても利幅は薄い。大量に仕入れて、大量に売るには、やはり、それぞれの地方にも店舗や倉庫が必要だ。
黎勾が目立たなかったということは、取引量はそれほどでもなかった、と考えられる。しかし、彭交では中の下といっても、他の町では大店だ。土地代含めた維持費だけでも馬鹿にはならない。それを一店舗だけで、しかも取引量は少ないでは、成り立つはずもなかった。
「活動資金、っていうと、本当に犯罪組織みたいだけどね」
そう、一度茶化してから。
「本店も系列店もない。大口の取引先も見当たらない。金を持て余していた素封家の生まれでもなければ、大商人がパトロンに付いているわけでもない」
指折り、可能性を消していく橙琳。それに、碧流も頷いて。
「にも関わらず、邸宅を簡単に焼き捨ててるんですよね。あれだって、一財産じゃ収まらないでしょう」
「一商人が、ぽん、と建てられるおうちじゃなかったのは、確かだね」
美味しい昼食を前に、腕を組みながら、眉間をしかめる二人。
ただ、ここでそうしていても、ごはんが冷めるだけだ。
箸を持ち直した橙琳は、煮魚の身を、やはりちまちまと食べながら。
「これは、でっかい黒幕でもいないと、話が合わないやね」
「そうですね。でも、そうすると、今度は動機が問題になりますよね」
黒幕がいたとしても、多額の資金を供出して、あんなことをやらせるからには、なんらかの動機が必要だ。それも、黒幕のサイズに合わせた、でっかい動機が。
「動機は、皇太子の、誘……?」
拐、の部分は音には出さず、語尾を濁す橙琳。
碧流もそれには頷くが。
「なんでしょうけど。まず、それ自体の目的も不明ですし、もっと言えば、それにしては詰めが甘い、というか、簡単に諦め過ぎじゃないですか?」
それは、碧流がずっと気になっていたこと。
順を追うなら、まずは、誘拐の目的だ。
「黄希は、なんの要求もされなかった、と言ってる」
「そうなんですよね」
つまり、不明。ただし、政府なりへ要求するつもりだったが、それ以前に解決されてしまった、という可能性は残る。だとすると、内容は想像の域を出ない。
次に、碧流たちが着いた後の、犯人側の行動。
相手には戦力があったはずだ。すでに囚われの身だった黄希や、鄒欣老はともかくも、蒲星が手も足も出なかったレベルの護衛を二人、争いの痕跡も残さずに拘束している。だとすれば、碧流たちの襲撃にも、対応しようと思えばできたはず。にも関わらず、こちらの姿を確認もせずに、速やかに逃げの一手を打っている。
「それは、そうだね」
考えながらも、橙琳が頷いた。碧流の疑問は続く。
例え、逃げるしかなかったとしても、あれだけ綺麗に逃げられるのならば、黄希を連れていく、という選択も取れたのではないか。しかし、黄希の話にも、そんな素振りは微塵も感じられず、むしろ、落ち着いて去っていく様子が窺える。
「連れていくつもりは、そもそもなかった、ってこと?」
「だとしても、まだ納得できないんですよ」
黄希を殺すのが目的だったとして。黄希一人を殺すのに、邸宅に火を掛ける、という方法は、いかにも回りくどく感じる。その火だって、本当に焼き殺すつもりであれば、もっと確実な方法はあったように思えるのだ。
「殺すだけが、目的じゃなかった?」
さすがに対象の名は口に出さず、橙琳が確認してくる。
黄希を助けた後、燃え落ちる邸宅を眺めながら。碧流が覚えたのは、後始末、といった印象だった。黎勾の名前は残さない。そのために、汚してもいなかった跡を、適当に消そうとした。そんな風にしか、感じられなかったのだ。
「ばたばたしてる割に、逃げっぷりだけ、妙に鮮やかだった、ってことだね」
「言ってしまえば、そうなんですけど」
誘拐の目的は、わからぬまま。連れ去ろうとした形跡はなく、さりとて殺そうとしたにしては手段が雑で、違和感も残る。その割には、邸宅一つを惜しげも無く、綺麗に焼き落としている。全体に、筋が通らず、意図が見えない。
ただ、そんな碧流の力説を聞いた橙琳の反応は、あまり芳しくはなく。
「そう言われちゃうと、そうも思えるんだけど。でもそれも、結果論からの逆算でしょ、と言えば、そうとも言えるよね」
冷静に指摘され、碧流が口ごもる。
得てして、手の内が読めない相手は、完璧な計画を遂行した、と想定しがちだ。
だが、実際は、そんなに上手くいくことなんて、そうそうない。今回だって、何か想定外の不都合があって黄希を連れていけなくなったのかもしれないし、火の回りが想定ほどではなくてたまたま助けられたのかもしれない。そもそも、その夜のうちに監禁場所を割り出されるなんて想定していなかった、とも考えられる。
「……それは、そうなんですが」
ただ、黎勾の存在一つ、あの邸宅一つを取っても、今回の計画は単純なものではない。時間も費用も掛けた割には、結果がお粗末で、お粗末な割には、消えた黎勾がその尻尾すら掴ませていないというのが、やはり、なんともちぐはぐで。
そのまま、言葉を失ってしまった碧流を見やりながら。
「今日のところは、すんごい黒幕の、気まぐれなお遊び、ってことにしとこっか」
綺麗に食べ終えた橙琳が、そうまとめる。
碧流も、顔を上げて、苦笑して。
「そうですね。まさかもう、こんなことがあるとも思えませんし」
デザート代わりの肉まんにかぶりついた。
これ以上は、考えようにも、材料がもうない。
これくらいが、いい落とし所だろう。
しかし、自分でまとめておいて。
「わかんないよ。なにせ、私たちのお友だちは、皇太子様なんだから」
にやりと笑うと、橙琳はトレイを持って立ち上がる。
不謹慎だ、と目だけで告げて、碧流は去っていくその背中を見送った。
皇太子の命がそう何度も危機に晒される国なんて、長くないな、と思っては。
むしろ、自分の方が不謹慎だと気づいて。
「ごちそうさまでした。」
ちょっと、頭の中が物騒になっている。
気分を変えよう、と窓の外へ目をやると、ふわふわとした綿雪が、静かにゆっくりと落ちていた。
――――雪だるまでも作ろうか。
そんな子ども染みた考えが、頭を過ぎる。
誘ったら、さすがに断られるだろうか。
そこへ。
「あら、碧流くん。今日はのんびりだね」
いつものように、背後から。
聞き覚えのある声がした。




