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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 冬 〜  作者: 都月 敬
2日目
14/15

夜_屋敷


 寝不足に、慣れない酒が、こんなにツライとは、知らなかった。

 碧流は、一人、中庭のベンチで酔いを覚ましている。

 凍るような夜風も、火照った頭には丁度いい。

 三重にも見えていた月の姿も、ようやく二重くらいには減ってきた。


 朝から行われるはずの会議が、昼からに変更となり。

 着座形式だったはずの会食が、立食に変更となった。

 もちろん、その間には、会議が成功裏に終了した、という要素が挟まる。

 会議における黄希の姿を見て、大老院が我も我もと会食に参加したがったのだ。急に言われても、全員分の席は用意できないため、急遽の形式変更となったわけだが、もちろん、お嬢様二人は大きな歓声を上げていた。

 そうなると、鄒欣もいつまでも部屋に籠ってはいられず。

 時間こそ短かったものの、きちんと皆と挨拶を交わし、今後一層の活躍を約束させられていた。あれならば、もう自らに刃を向けることもないだろう。

 今も、大広間では、若き皇太子を讃える言葉が飛び交っている。鄒欣よりも歳上の一人などは、この首尾によらず、永遠の忠誠を誓うと、涙ながらに語っていた。いったい、何を話したんだろう、あの皇太子は。

 もし、再審請求が通らなかったとしても、黄希がこの街にこれだけ大きな味方を得たのだから、央香国の経済は大崩れしないんじゃないだろうか。

 そんな夢想を弄んでいたところへ。


「――――あ、碧流」


 か細い声に呼ばれて、振り返る。

 冬なお枯れない樹葉に遮られた、わずかな月影の下で。

 幽けき光を清かに照り返すのは、糸より細い金色の髪。


「おやすみ中、だったかしら」


 杏怜が柔らかに微笑う。

 その情景が多分に詩的に見えたのは、たぶん酒のせいだ。


「いい?」


 隣を指され、小さく頷く。

 ベンチの端まで尻をずらして、片手で着座を促した。


「そんなに寄らなくても、大丈夫なのに」


 苦笑しながら、座る。

 そして、目の前の夜陰へ向けて、白く息を吐いた。


「お酒、強いんですね」


 立食だから、見るとなく、ではあったが、杏怜は結構飲んでいたように見えた。

 だが、杏怜はころころと笑いを返すのみで。

 それ以上は言葉もなく、碧流も太陰を見上げた。

 どれだけ、そうしていただろうか。

 雪はないが、夜は寒い。流れる風も冷えてきた。

 その、手先が赤くなっているのに気づいて。


「そろそろ、入りますか?」


 見ると、彼女は両手をベンチについたまま、深く、深く俯いていて。


「杏怜?」

「――――私、すっごく、反省しているの」


 杏怜は俯いたまま、でも、その月影にも似た帳の向こう、わずかに覗く瞳は、強く大地を睨みつけていて。


「私、調子に乗っていたわ」


 学院一の才媛は、強い口調で述懐する。


「俊才と呼ばれて、学院生なのに中央議会にも呼ばれた。財部省の会議にも、商部省の会議にも参加して、意見も出した。取り上げられもした」


 それは、碧流からすれば、調子に乗るだけの充分な功績だ。


「いつの間にか、四神というあだ名がついて、みんなとまとめて呼ばれるようになって。それまで以上に一緒にいる時間が増えて。元々仲は良かったけれど、それ以上に、まるで同一視されているような気にも、なっていたんだと思う」


 いつしか、杏怜は微笑っていた。だけど。


「こういう会議はお留守番だけれど、そこで話す内容は、私たちでもよく話し合っているものだし、黄希の意見は、私たちの意見のようなもの、だとも思っていた」


 その笑みは、苦く。


「でも、違ったの。当たり前のことなのだけれど」


 ひどく、自虐的だった。


「他の人たちにとっては、黄希は皇太子だから尊くて、橙琳は丞相家の娘だから恐れ多くて、蒲星は大僧正の息子だから尊崇を集めるわ。でも、私は違う」


 いつも優しく、穏やかで、柔らかな、杏怜。


「あの時、すごく怖かった。黄希はいなくて、橙琳も蒲星も、手も足も出なくて。そんな中で、鄒欣さんと目が合った時」


 碧流の見ていない光景。それが、杏怜を苦しめている。


「何かを失う、って脅されて。自分は大丈夫だって思い込んでいる、って叱られて。それで、私だけが、捕まった。私なら、傷つけてもいいから」


 ぶるり、と身を震わせて、杏怜が自分の身体を掻き抱く。


「結局、二人から離されて、別の部屋に閉じ込められただけだったけれど。碧流が助けに来てくれるまでは、私、一人で、すごく、すごく怖かった」


 碧流は、鄒慶さんに鍵を渡されて、迎えに行っただけだ。

 それでも、あの時の、扉を開けた時の杏怜の表情は覚えている。


「――――私、ただの、人だったんだわ」


 杏怜は目を見張ったまま。

 虚ろな瞳は大地へ落とされたまま。細い十指は腕に食い込んだまま。

 杏怜の心は、あの暗い部屋に、独りで取り残されたまま、なのか。


「……ただの人、ですよ」


 これが、杏怜の欲しい言葉かどうかはわからないけれど。


「――――碧流?」

「杏怜は、ただの人です。橙琳も、蒲星も、黄希だって、ただの人ですよ」


 碧流に言えることは、それだけだった。

 皇太子だろうと、丞相家の娘だろうと、大僧正の息子だろうと、士族の娘だろうと。公族の息子だろうと、それに使える娘だろうと、少数民族の娘だろうと。姓を失った流民だろうと、認められぬ流族だろうと、讃えられるべき四神だろうと。

 結局のところは、楽しければ笑い、悲しければ泣く、ただの人なんだ。


「……ただの人、なのかな」


 その指から、力が抜ける。


「みんなも、ただの人、なのかな」


 ゆっくりと顔が上げられる。

 その瞳を見つめて。


「もちろん。僕だって、ただの人ですし」


 できる限り、優しく、暖かく。碧流は、柔らかな笑顔を返す。

 いつもの杏怜には、遠く及ばなかったとしても。


 ――――ふふ。ふふふ。


 もう一度、その顔は伏せられたけれど。

 聞こえる笑い声は、決して苦くも、冷たくもなくて。


「……じゃあ、いいのか」


 小さく、呟いた言葉は、ひょっとしたら、暗い部屋を開く鍵。


「いいに決まってるじゃないですか。ほら、あんまり冷えると、みんなが心配しますよ」


 碧流は先に立ち上がって、そっと手を差し出す。あの時のように。

 杏怜の細い指が、その手の上に載せられて。


「ほら、冷たい」


 痛くしないよう、丁寧にその手指を握り込む。どうしても、少し照れながら。

 杏怜も、小さく笑いながら、立ち上がった。そして。


「そう言えば。さっき、橙琳のこと、呼び捨てにしましたよね」

「……う。しましたっけ」


 凹んでた割に、鋭いツッコミ。

 でも、あれで橙琳だけさん付けはおかしいし。さすがに忘れてたし。


「このことは、秘密ですよ」


 空いている方の人差し指が、口の前に当てられる。


「はい」


 即答。

 このこと、が、正確にどのことを指しているのかはわからなかったが、碧流にはここでのことは丸ごと誰にも話すつもりはないので問題はない。


「あ〜。杏怜いないと思ったら、碧流と手なんか繋いでる〜」


 暖かそうな明かりを背に。

 大広間から出てきた橙琳が、早速に絡んできて。


「うらやましいの? はい」


 悪戯っぽく笑った杏怜が、反対の手を橙琳の頰へ。


「うひゃっ!」


 お嬢様らしからぬ悲鳴とともに、橙琳が大きく飛び退った。


「って、どんなに冷えてるんさ。デートもいいけど、冷えすぎだよ。ほら、早く、火の近くに寄りんせ」


 ……どこの方言だ、お嬢様。これは、そこそこ酔ってるな。

 気づけば、繋いだ手も解けていて。


「碧流も、ほら」


 招かれる二人の笑顔につられて。

 碧流も、暖かな家の中へと戻っていった。


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