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泰皇国立皇統学院記 〜 一年目 冬 〜  作者: 都月 敬
1日目 〜 夜 〜
12/15

夜_郊外


 パチパチ、と。薪の爆ぜる音が聞こえる。

 視界の中に、炎は見えない。後方からは、ぼんやりとした明るさが伝わってくるから、首をひねれば見えるのかもしれない。

 だが、黄希はそれをしなかった。

 彼の視線は、小さな円卓を挟んで向かいに座る、仮面に向けられていた。

 柄も模様もない暗緑色一色の服に身を包み、同色のフードを被っている。

 手は長い袂に、足は同じく裾に隠れ、首元にまで同色の布を巻いている。

 そして顔には、劇で使うような仮面。

 肌も、髪も、瞳も、すべてを隠したソイツは、最初からそこにそうしている。

 この屋敷に連れて来られた時、黄希は拘束されてはいなかった。

 鄒欣に促されるまま馬車を降り、二人の男に挟まれながら門を潜った。

 途端に、黄希は押し倒され、押さえつけられて、縄で縛り上げられた。

 そして、この部屋に運ばれて、椅子に縛り付けられたのだ。

 その時から、ソイツはずっとそこにいた。一部始終を、黙って見ていた。

 鄒欣も、縛られて、視界の端に転がされている。猿轡もされているようだ。理由は、黄希にはわからない。二人の男がどうなったのかも、わからない。

 仲間割れか、騙されていたのか、それとも、こうなる予定だったのか。

 呻き声一つあげない鄒欣を、黄希は心配している。

 攫ってきた犯人を心配するというのもおかしな話だが、彼には、皇太子に対する敬意があった。理由も、狙いも、はっきりしているし、正直、共感もできる。

 しかし、正面の仮面にそれはなかった。

 理由も、狙いも、語りはせず、男か、女か、ともすれば、人間かもわからない。

 であれば、いかな黄希とても、ただ大人しく、縛られているしかなかった。


「――――何も、言わないのだな」


 初めて聞いたその声は、押し殺したようでいて、妙に高い、やはり男とも女ともつかないものだった。


「話を始める権利が、こちらにあるとは、気づかなかったものでな」


 黄希は視線を動かさずに答える。

 話しをする相手なら、やりようはある。


「そうか。王公たるもの、常に主導権を掴んで離さないものかと思ったが」

「意外と見識が狭いのだな。王公も日々進化するものだ」


 軽口の応酬。

 とりあえず、相手は王公ではなさそうだ、と予測を立てた。


「それで、主導権を与えてやったら、何を話す?」

「別に。期待させて悪いが」


 知りたいことならいくらでもあったが、こちらから探るのは好みではない。

 煽ったくらいで、口を滑らせるような輩でもなかろう。


「つまらぬ男よな。では、こちらから訊こうか」


 黄希が手放した主導権を、相手の方から握ってきた。

 もう少し、無駄なやりとりが続くかと思ったが。


「香の王になったら、何をする?」


 その質問は、さらに意外なものだった。

 だが、この手の問いに遁辞を構えることは、黄希にはできない。


「変わらぬよ。国中の民の平穏を守る」

「小さいな」


 即座に戻されたのは、失笑。

 黄希は、あえてそれを平然と受けて。


「そうか。オレには一生の大望と考えているが」

「四国を併合して、嵩泰を一つにする、くらいのことは言えないか」


 煽りか、誘いか。

 いずれにせよ、黄希の前には正道しか見えない。


「言いたくもないな。今どき、剣を振るって、血を流して、でもあるまい」

「流行に敏感な方だったとは、恐れ入った」


 声に出して、嘲笑う。

 黄希も口元に笑みをたたえて。


「そちらは、どうにも時勢に疎い方のようだ。どうだ、そのような仮面など取って、市井に顔を出してみては」

「……これが、気になるか?」


 すう、と。

 仮面の頰を撫でてみせたその手は、やはり手袋に包まれている。


「残念だが、輝かしい皇太子の御前に晒せるような容貌ではない」

「気にされるな。容姿など、取るに足らぬもの」


 突然、仮面が弾けるように、笑い出した。

 暗緑色の人差し指が、黄希を指して。


「それが、不足を知らぬ者の言葉だ」


 呪いを、かけられたかのように。

 黄希の背筋に、冷たい汗が伝う。

 仮面はなおも嘲笑っている。

 それへ、向けて。


「すまなかった。意識してではないが、礼を失した。詫びさせてもらう」


 仮面の笑いが、止んだ。

 椅子に縛り付けられたままの皇太子は、できうる限り深く、頭を下げていた。

 四方の支配者の証である、皇冠を載せるべき、その頭を。

 仮面が見つめる間も、黄希の姿は変わらない。


「顔を上げられよ。一度吐かれた言葉は、いかようにされても戻ることはない」


 許されたわけではなかったが。

 その言葉を受けて、黄希が顔を戻した。再び、視線が交わされる。

 仮面に感情は映らず、黄希の表情も変わらない。

 それでも。


「本当に、つまらぬ皇子だ。命乞いもせず、逃亡もせず、他者の心配もせず、懐柔も、説得もしない。へりくだって靴でも舐めれば、救われる命もあろうほどに」


 少し、風向きは変わったようだ。


「生憎と、芸の少ない男でな。よほど暇にでもなれば、どれか一つくらいやってみるかもしれんが」


 くつくつ、と。

 仮面の奥が、楽しそうに笑った。


「惜しいな、これで覇者であれば、歴史にその名を刻めただろうに」


 仮面の言葉は、どこまでが本心だったか。


「興味はないな。後世でどのように語られようと、今のオレには関係ない」

「ますます惜しい。これで、せめて、孝子でさえなければ、な」


 初めて、黄希の眉根が寄せられた。


「ほう。孝行息子と、失望されることがあるとは思わなかった」

「いや、お主の責任ではあるまいて。だからこそ、どうにもならぬこともある」


 くつくつ、と。

 惜しいという割には、その笑声はやけに愉しそうで。


「孝子であると貶され、さりとてオレの責任ではないと言われる。これでは一体、どうしたものか」


 口調は変わらず。だが、その中には、どうしても、感情が混じってしまう。


「わからぬか。気になるか。いや、実は、わかっているのであろう」


 仮面は、そこをくすぐるように。


「興味はない、と捨ててしまえば、違える道も無くなるかもしれぬぞ」

「これでも、人並みの好奇心はあるのでな。どう脅されようと、自分の評くらいは気になるさ」


 煽られているとわかりつつも、黄希には止めることができない。

 孝子であることが罪で、しかも黄希の責任ではないのなら、悪いのは――――


「だから、お主の評ではないと言っておるに。悪いのは、そう、お主の――――」


 唐突に。

 仮面の言葉が止まった。


「残念だったな。時間切れだ。もっと早くから、語り始めればよかった、か?」


 くつくつ、と。

 嘲るような笑い声だけを残して。


 ――――待て。


 呼び止めそうになるのを、黄希は喉で止めた。

 待つはずがない。だがそれ以上に、待って欲しくなかった。

 続きを、言葉にされたくなかった。


 パチパチ、と。薪の爆ぜる音が大きくなっていた。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 夜闇の中、馬車はわずかな灯火だけを頼りにひた走る。

 刻はもう深更を過ぎ、傾いた弦月も、今は見えない。

 黎勾の邸宅は、彭交の郊外の、さらに外れた場所だった。

 一等地に居を構えるほどの商人ではないが、それにしても外れ過ぎている。

 鄒慶に聞けば、店は市場の外れ、倉庫も倉庫街の外れと言う。新興だから良い立地を取れなかったと言えばそれまでだが、むしろあえて目立たない場所を選んでいるようにも思えた。


「あそこです!」


 御者台に座った鄒慶が叫んだ。

 蒲星が窓から身を乗り出す。鄒慶の馬車は泰陽から乗ってきたものほど豪華ではなかったが、その代わりに大きな窓がある。


「怪しい雰囲気だね」


 反対側の窓から顔を出して、橙琳が呟く。

 その邸宅は、森に抱かれているように見えた。

 幅は小さいながらも、しっかりとした二階建て。印象はこじんまりとしているが、ぐるりと囲む植木は屋根へも届くほど。やはり、その窓すら覗かせない。


「どうします?」


 鄒慶が、御者台と繋がる小窓から顔を見せる。

 すぐに碧流が小窓に張り付いて、屋敷の全景を見つめた。

 だが、答えは窓の外から。


「突っ込みましょう。門さえ抜ければ、どうにかなる」


 蒲星の意見は物騒ではあるが、ここにきて他に策はない。

 強硬策は二の舞を踏む可能性もあるが、ここで二段の罠を張る意味もないだろう。程統の話からも、鄒欣老にあの周到さは窺えない。


「はい!」


 鄒慶が強く頷いて、御者へも同じ指示を出した。

 馬車は速度を落とすこともなく、その門へ向けて直進する。


「そんなこと言っても、馬車で門に突っ込んだら、馬、大変よ?」


 どこか呑気な杏怜の声。

 しかし、それに答えたのは、まさかの御者だった。


「鄒慶様、門が開いています」


 杏怜を除いた全員が、距離の近づいた門に目を凝らす。

 突っ込むとは言っても、門の前までと思ってはいたけれど。

 門は、ほぼ全開まで開いていた。


「よし、突撃〜ッ!!」


 最大の関門を除かれて、蒲星が右拳を突き上げる。

 彼の脳内では、今まさに進撃の太鼓が打ち鳴らされているのだろう。

 しかし、鄒慶の指示は。


「門の中へ入れて、止めてください。馬車は、そこで待機で」


 当然ながら、至極、現実的なものだった。


 充分に減速して、馬車が敷地内へ乗り入れる。

 待ち切れず、蒲星が窓から飛び降りて。


「おい、どうした、何があった!?」


 すぐに、その場に屈み込む。

 御者台から鄒慶が、馬車の扉が開いて他の三人も続いて降りて。


「これは、父の可愛がっていた護衛の者たちです」


 鄒慶が、一人を助け起こしながら説明する。

 倒れていた男は二人。気を失っているらしいが、念入りに、手も縛られていた。

 黄希と鄒欣はいない。


「ここは任せます」


 そう言って、蒲星が屋敷へと飛び込む。

 碧流がすぐ後に続き、杏怜も倒れた男たちの顔色を確認してから、中へ。

 内門はなく、最後に橙琳が両開きの玄関をくぐると、そこがロビーだった。


「……また、誰もいない?」


 杏怜が周りを見回している。

 結構な音を立てたはずだが、集まってくる気配は一切ない。

 それどころか、どこか、生活感がない。本当に、ここに人が暮らしていたのか。

 躊躇なく、橙琳が正面の大扉を開く。中は大広間。その向こうは中庭のようだ。

 ごく一般的な造り、調度。すぐにでも会食が開けそう。だが、個性がない。

 なんとも言えない気持ちの悪さを抱え、大広間から出てきた橙琳に。


「どっちだ?」


 辺りを警戒していた蒲星が訊いてくる。

 橙琳は、妙な気持ちを振り払うように、指で頭をとんとん、と叩きながら。


「造りはさっきと似てる。黄希がいるとしたら、たぶん二階」


 大雑把に間取りを想像して、右の階段を指す。

 大広間と中庭から見て、四合院の簡素版なのだろう。方角は適当だが。

 それでも階段を登った先が客室だろうとは予想がつく。ただ。


 ――――なんだろう。


 何かを見落としているような、胸騒ぎがした。


「急いだ方がいいかもしれない!」


 自分でも、わけもわからぬままそう叫んで、橙琳が走り出した。

 事情はわからないままで、三人も続く。

 駆け登った先、廊下は二方向へ分かれていて。

 正面の扉を開ければ、恐らくさっきの大広間を見下ろす回廊へ。

 そして右手には、やはり客室らしい扉が並んでいる。ただ、それ以上に。


「火!?」


 その廊下の突き当たり、頑丈そうな両開きの扉の前で、うず高く積まれた薪が燃えていた。


「ふざけるな!」


 蒲星が扉に向かって駆け出した。すぐに橙琳も続く。

 ようやく見えてきた扉の取っ手に、太い鎖が何度も巻きつけられていて。

 蒲星は、そのままの勢いで、扉に身体をぶつける。


「危ない!」


 背後で杏怜が叫び、弾き返された蒲星に駆け寄った。

 蒲星の肩はなんとか扉までは届いたが、破るには遠く及ばず。

 むしろ燃えた薪が崩れて、その身体に降り掛かっている。

 慌てて、杏怜がその袂で、火の粉を振り払った。

 しかし蒲星は自らのことには頓着もせず。


「黄希!」


 炎に炙られながら、扉の向こうへと叫ぶ。


「黄希! いるのか!」

「――――蒲星、か」


 中からは、苦しげな、それでもはっきりと、懐かしい声が。


「黄希! 無事なのですか!?」


 杏怜も叫んだ。

 それに応えた声は、咳混じりではあるものの、いつも通りの調子で。


「怪我はない。ただ、煙がすごくてな。あと、椅子に縛りつけられている」


 中も、燃えているのか。


「それを早く言えよ、馬鹿野郎!」


 不敬丸出しの暴言を吐いて、蒲星が再び扉から距離を取る。


「無茶だよ、あの扉は破れない!」


 その前に立ちはだかったのは橙琳。

 炎がなくとも、あの扉を破る前に蒲星の肩が壊れる。


「何か、探してきます!」


 碧流が階下へ走る。厨房か、納屋のような所を目指すのだろう。


「待ってられるか!」


 蒲星の巨体が、碧流を追い越して、駆け抜けた。

 目的地は、大広間を見下ろす回廊。いや。

 蒲星はそこも駆け抜けると、中庭へと張り出したバルコニーへと飛び出した。


「……本気?」


 窓越しに、橙琳が半笑いで呟く。

 だって、もう、笑うしかない。

 信じたくないけど、あの蒲星だ。残念だけど、本気以外にあり得ない。

 そんな視線を受けて、案の定、蒲星は飛んだ。

 狭いバルコニーで強引に助走を取って、手すりの角を思い切り蹴って。

 橙琳がいる廊下の、屋根を目掛けて。


 ガシャンガシャン、と。


 けたたましい音を立てて、天井から轟く着地音。

 どうやら、落ちはしなかったようだ。数枚の瓦以外は。


「……本気、だったね」


 ぽつり、と。杏怜も呟いた。

 落ちなくて、本当に良かった。これ以上怪我人を増やされても、対応順が決められない。

 ガシャガシャと派手に音を立てながら、蒲星が屋根の上を移動していく。

 橙琳と杏怜は、他に為す術も無く、その真下であろう辺りを付いていく。

 やがて、黄希のいる部屋の上まで辿り着くと。


「黄希! 窓から離れてろ!」


 言っても、縛られてるから。

 そもそも聞こえているかどうかもわからない警告とともに。

 蒲星が、再び宙を舞う。

 窓の真上の庇を掴むと、空中で身体を翻す。

 後は振り子の要領で、そのまま、部屋の中へと突っ込んだ。


「……木製で良かったね、窓枠」

「……炎に飛び込んだり、しなかったのかな」


 もう二人とも呆れるしかない、が。

 蒲星が飛び込んだ窓からは、もくもくと大量の煙が溢れ出してきて。

 それで、結構な危機だったことを思い出す。


「中から開けられるの、扉!?」


 橙琳が扉に駆け寄って、叫ぶ。近寄るだけで、すごい熱気だ。

 すぐに蒲星の大声が返ってきて。


「無理だ! 中からも焼いてる!」


 両面焼きか。

 いっそ燃え尽きるのを待つ方が早そうだが、中の人はそれまで待てまい。


「鄒欣さん? 鄒欣さん!」


 中からは、取り乱す蒲星の声が響いている。

 どうやらあの老人も中にいるらしいが、一体どういう状況なのか。

 ともあれ、今はなんとかして、無事に外に出さなくては――――


「蒲星! 外です! 中庭!!」


 外から届いたのは、碧流の声だった。

 見ると、先ほど蒲星が飛んだバルコニーから身を乗り出して、なにやら下を指差して。……下? そうか!


「蒲星! 飛んで! もう一回!」


 碧流の意図を理解して、橙琳も扉に向かって叫ぶ。


「蒲星! 黄希!」


 ――――お願い。届いて。


 もう一度、窓枠の砕ける音がした。

 二つの窓から飛び出したのは、黄希と、老人を抱えた蒲星。

 二つの影は、放物線を描いて、中庭へ。

 その中央にある、プールへと。


 だぱ〜ん、と。


 二人と少し分の水飛沫が舞い上がった。

 深さなんて、確認してはいない。

 上からの三人の視線が、四角い水面を彷徨う。

 この暗さでは、赤く染まっていようとわかりはしないが。

 やがて、わずかの間を置いて、浮上してくる、二つの影。

 ああ、泳いでいる。大丈夫だ。


「まさか、中庭のプールにまで感謝する日が来るとは、夢にも思わなかったよ」


 肩からも膝からも力が抜けて、その場にへたり込もうとする橙琳を。


「良かったねぇ。でもほら、今はここが一番危ないんだから」


 穏やかに笑いながら、杏怜が屋外へと急き立てる。

 ここまできて、二人が火災に巻き込まれたんじゃ、冗談にもならない。

 慌てて駆け出す橙琳の元に。


「寒いわ、馬鹿者ッ!!」


 珍しい、皇太子の怒声が届いた。


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