第一章 『ミステリークラブ発足』①
第一章 『ミステリークラブ発足』
「だ・か・ら、盗ってないものは盗ってないんだって!」
新校舎一階、角部屋に位置する西桜小学校内交番から、橘颯太の怒声が廊下まで響いた。
続けて、
「嘘を言うな!」
と、それに負けない大声が返ってくる。こちらは、“鬼の権蔵”こと、権田恵蔵巡査部長だ。
交番前の廊下では、颯太の姉、橘朱音が、二人のやり取りを耳にしながらも、何もできずにまごまごしている。
「だいたい、『家庭科室の砂糖と塩入れ替え事件』も『プールに浮かぶ人骨模型事件』も、颯太、お前が犯人だっただろうが。ゆえに、今回の『“ウンテンドー3DS”盗難事件』もお前の仕業に違いない!」
名探偵が示しあばくそれのように、権田巡査部長は颯爽と告げた。
しかし、容疑者颯太は観念しない。
「確かに、家庭科室とプールの悪戯は俺がやったよ。でも、それとこれとは話が別。人様の物に手を出すような恥ずかしい真似、俺は間違ってもしないんだよ」
負けずにそう言い返した。
「ほう。では、誰がやったというんだ?」
権田巡査部長が問う。
すると颯太は、
「そんなの知るかよ。第一、それを調べるのが警察の役目だろ?」
と小馬鹿にするように吐き捨てた。
「ぐむむ……」
これにはさすがの権田巡査部長も、低く唸ることしかできなかった。
こうして、九歳の少年と警察官の対決は、少年颯太に軍配が上がったのである。
ひと先ずではあるものの、弟への嫌疑は晴れた。それは、廊下にいる朱音にとって安堵すべきことのはずだった。だが、実際はその正反対。彼女の顔面は蒼白で、まごまごだった態度はおろおろに変わっていた。
全身に不安の色をにじませる朱音。それは何故か?
理由は簡単だ。颯太が生まれた時から一緒に生活しいている彼女は、知っていたのである。弟が、非常に執念深く、ねちっこい性格であるということを……。そんな彼が、学校で二番目に楽しみにしている昼休み(一番は給食)に、やってもいない窃盗の容疑者として交番に呼ばれたのだ。苦情のひとつもぶつけずに、大人しく帰ってくるとは思えないのである。
朱音は、神に祈るように胸の前で手を組み合わせると、瞳を閉じた。
それから、願いをこめて心の中で呟く。「颯太。どれだけ頭にきても、“あの言葉”だけは駄目。“あの言葉”だけは言っちゃ駄目よ」と……。
直後、ドア一枚隔てた交番の中から颯太の捨て台詞が聞こえてきた。
「まったく、折角の昼休みが台無しじゃないか! 今日は友だちとドッジボールをする予定だったのに、どう責任とってくれるんだよ。この“ハゲ”!」
「い、言っちゃった!」
自らの口元に手を当て、朱音は目を大きく見開いた。
そう。言ってはならない“あの言葉”とは、“ハゲ”だったのである。
人には、気にしていること、つまり、コンプレックスというものが多かれ少なかれ存在する。権田巡査部長にとってのそれは、“頭髪が薄いこと”だったというわけだ。
そして、そこに触れるは逆鱗に触れるも同じであり、当然……、
「警察官に向かって“ハゲ”とは何事だ! もう許さん! 颯太、お前を刑法二三一条侮辱罪で逮捕する!」
そんな怒髪天を衝く大声が交番を震わせる結果となってしまった。
「た、逮捕って、ちょっと待ってよ。少年法で守られている俺たち小学生は、逮捕なんてされないはずだろ? それに、自分がハゲだと認めている人に“ハゲ”って言ったからって、どうしてそれが侮辱になるんだよ? 横暴だ!」
慌てて颯太が諫めるが、権田巡査部長の怒りは収まらない。
「横暴だろうが無謀だろうが関係ない! お前は独房に入れてやるから覚悟しろ!」
そんなことまで言い出す始末だ。
元から穏やかではなかった交番は、さらに一線を越えて騒然となった。
「ど、ど、どうしよう。このままじゃ、颯太が牢屋に入れられちゃう」
途方に暮れた朱音は頭を抱えてその場にうずくまった。
そこに、廊下をひとりの少年が歩いてきた。
あれは……、
「優冴君!」
朱音は、飛び上るような勢いで立ち上がった。それからスカートをはたき、シャツの襟を整え、先ほど頭を抱えたことで乱れてしまった髪の毛を撫でつける。そうこうしている間に、彼は目の前までやってきた。
慌てる朱音とは対照的に、穏やかな口調で優冴は尋ねた。
「朱音ちゃん。随分と困っているみたいだけど、どうしたの?」
「う、うん。実は……」
うろたえている姿を見られたことに恥ずかしさを覚えながらも、朱音は、弟が窃盗容疑で交番に連れて行かれたのだと伝えた。
「なるほど。それで、颯太君は本当に盗ってないんだね?」
確認する優冴に、朱音はきっぱりと答えた。
「うん。絶対に盗ってない。だって颯太、人の物に手を出すような恥ずかしい真似は間違ってもしない、って言っていたから。私は、颯太を信じる」
「分かった。じゃあ、僕は、そんな弟思いの朱音ちゃんを信じるよ」
優冴は朱音に微笑みかけた。
「ありがとう。優冴君」
謝意を伝える朱音の胸に、「これで大丈夫」という安心感と、言葉では表現できない温かな気持ちが湧き広がる。
幼なじみで家が隣どうしで同級生。そんな優冴に、朱音はこれまで両手の指だけでなく足の指を足しても足りないほどたくさん助けられてきた。そんな彼が、今回も味方についてくれることになったのである。
「さて、そうと決まれば、早く真犯人を見つけて颯太君を助けてあげないとね」
早速、といった様子で、優冴が交番の引き戸へと手をかける。
「あ、今は取り調べ中だから立ち入り禁止、って、権田さんが……」
そう朱音が忠告するも、彼は、意に介す様子なくそれを開いた。
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