プロローグ-1
動物、人間の生死に関しての描写があります。
ご注意です。
昔の話をしよう。
俺、杉村 亮二がまだ社会人なって間もない頃。
仕事になかなか慣れず、上司には毎日のように叱られ、失敗ばかりしていた時だ。
当時の俺には癒しという物が無く、精神的にかなり消耗していた。
そんな俺に追い討ちを掛けるように唯一の肉親の母親が死去。
さすがに参ってしまった俺は、長期休暇に何の前触れもなく遠方にある山に行った。
今考えると何ががしたかったのかよく分からない。
もしかしたら無意識の内に両親の後を追おうとしていたのかもしれない。
俺は険しい山道をふらふらと彷徨っていた。
地面が湿って滑りやすくなっているので、注意しながら歩を進める。
朝方なので少し寒く、木漏れ日が眩しく暖かい。
そんな時。
「ミー、ミー」
葉擦れの音が森に響く中、それは確かに聞こえてきた。
足を止めて耳を澄ませてみるが、小鳥の囀りが聞こえるばかり。
気のせいかと思い、止めていた足を再び動かす。
すると。
「ミー、ミー」
それから十分ほど鳴き声のした辺りを探し続けた。
そして、山道から外れた森の中の、周りより一際大きい木の陰にそいつは居た。
全身が土でどろどろになっていて落ち葉が所々にくっついている、小さな生命体。
それは、生まれたての子猫だった。
そのすぐ隣には母親らしき猫が、子猫を守るように横たわっていた。
足音を立てながら近づいてみるが親猫が動く気配はない。
しかし、その足音に反応する物がいた。
「ミー」
子猫だった。
子猫の目は開いていなく、何かを求めるように頭を忙しなく動かしている。
親猫は未だに動かない。恐らくもう・・・。
俺は迷った。
このまま見て見ぬ振りをすればこの子猫は助からないだろう。
だがこの子猫を拾ったとして、俺は動物を飼った事なんてないし、住んでいるマンションはペット禁止だ。管理人は強面で怖いし。
それに、親猫が動かないのはただ眠っているだけという可能性もある。
ふと、今は亡き母親の顔が目に浮かぶ。
最後に会ったのはいつだっただろうか。
医師に聞けば、母親は余命宣告されていたという。
たまには顔が見たい、とよく電話がきていたが仕事が忙しいと後回しにしていた。
死ぬ前に顔が見たい、とそう言えばよかったのに。
あの優しすぎる母親の事だ。遠慮して言わなかったのだろう。
父親が数年前に死んで寂しいはずなのに。
何故、最期くらい言わなかったのか。
何故、息子に遠慮したのか。
何故、気付けなかったのか。
葬式の時以来、気にしないようにしていた感情が、とどまる事無く溢れてくる。
「ミー」
鳴き声がしたかと思うと、親猫の隣にいた子猫が、此方まで歩いてこようとしていた。
まともに歩けるはずもない子猫は、覚束ない手足を必死に動かして地を這うようにして歩く。
そして、俺の立っている場所の数センチ前で止まった。
子猫の目は、まだ一度も開けられていない。
「ミー・・・」
子猫は俺の目の前で、静かに横たわった。
それからの事はよく覚えていない。
持っていたタオルで子猫を包んで、車を目指して猛ダッシュで下山。
急いで近くの動物病院を携帯で探し、子猫を抱いて木の葉まみれのまま特攻。
そんな男が突然現われた動物病院は、待機していた飼い犬が威嚇して吠えたり、他の動物たちが吃驚して逃げ出したりと、ちょっとしたパニックになった。
動物病院の人、ごめんなさい。
子猫は結構ギリギリだったそうで、もうちょっと遅かったら危なかったらしい。
結局、飼うことを決めた俺は医者に飼育の際の注意点などを詳しく聞いたり、携帯で詳しく調べたり、ペットショップで必要な物を買い込んだり。
あと、マンションでペットを飼うのを管理人にお願いして特別に許可してもらった。
あの強面の管理人が猫好きとは驚きだったが。
長期休暇が全て子猫で埋まったが、趣味の無い俺には有意義な時間が過ごせたと思う。
・・・両親への罪滅ぼしも含んでいたのかもしれない。
子猫の性別はメス。女の子だ。
「ミー」と名付けた。
ミーミーと鳴いていたからな。
単純だな、と自分でも思う。
ミーはすくすく育って、身体もだんだん大きくなってきた。
ミーの毛色だが、全身真っ黒。尻尾のさきっちょだけ白色だ。可愛い。
ミーに初めて家の留守番を任せた時は、心配しすぎて仕事に支障が出るほどだった。
もちろん上司に怒られた。
急いで帰宅し玄関を開けた俺を出迎えてくれたのはミーだった。
「ミーミー」と鳴いているのが「おかえり」と言っているような気がして、嬉泣きしてしまったほどだ。
それからもミーとの生活は続き、五年の月日が経ったある日。
仕事にはすっかり慣れたが、残業で帰宅する時間が遅くなる事が多くなっていた。
最近、ミーはご飯を残すようになってきた。
異変に気づいて光の速さで病院に行き獣医に診てもらったが、やはりそうだった。
寿命。
いつか来ると分かっていた。
覚悟はしていた。
余命は、もって一ヶ月だろうと獣医に言われた。
俺は約束した。
「有給を取ってでも絶対に、絶対に最期まで一緒に居てやるからな、ミー」
残業を終えて帰宅した時は深夜二時を回っていた。
玄関を開けて、ふと異変に気付く。
鳴き声が聞こえてこない。
ミーはもう動くことすらままならない所まできていた。
それでも俺が夜遅くに帰ってくると玄関が開いた音を察知して、
必ず「ただいま」と鳴いて言ってくれた。
焦燥感に駆られる。
いや、寝ているんだきっと。
荷物を投げ捨て早足に廊下を抜けリビングへと向かう。
ミーは居た。
俺とミーとのツーショットの写真が入った、写真立ての前で。
ミーは静かに横たわっていた。
「ミー・・・?」
呼び掛けるが返事はない。
「寝てるだけ・・・だよな・・・?」
余命はあと一ヵ月と言っていたはずだ。
ミーの元まで行き、ミーの背を撫でる。
冷たい。
いつもの暖かさは、そこには無い。
まるで・・・死んでいるかのように。
「・・・嘘・・・だろ」
俺はミーを抱き上げる。
まだミーが小かった時のような軽さはなく、すっかり重くなってしまったミー。
だが、いつもの暖かさは、無い。
「俺は・・・」
約束を、守れなかった。
「俺は・・・また・・・」
大切な人の、そばに居てやれなかった。
ミーは誰にも看取られることなく、息を引き取っていた。
あれから三年が経った。
俺は仕事での業績が認められ、昇格やら何やらと良いことが立て続けに起こったが、俺の心は全く満たされなかった。
俺が今まで頑張ってこれたのは誰のおかげか。
なるべく考えないように、思い出さないようにするが。
「ミー・・・」
俺の心にぽっかりと空いた穴は未だ癒えない。
ある日の残業帰り。
時刻は深夜二時過ぎ。
点滅信号になっている横断歩道を歩いていると、エンジン音が道路の方から聞こえてくる。
音の方へ向くと大型トラックがヘッドライトを眩しく照らしながらこちらに向かって猛スピードで走ってきていた。
そのまま速度を落とすことなく---
スローモーションに見える視界の中。
最期を看取ってやれなかった愛猫が思い浮かぶ。
(ミー・・・ごめんよ・・・)
そこで俺の意識は途絶えた。
素人が書いていきます。
生暖かい目で見守ってくれると嬉しいです。
不定期更新です。