商談先へ
ぼくは、先方の会社に行った。
電車が遅延してから、15分が過ぎていた。
ただ、予想していた時間よりは短かったので相手も許容範囲内だろう。
「・・・あのー、すいません」
先方の会社の自動ドアをくぐると、
受付には女性が一人座っていた。
ただ、下を向いてなにやら作業しているようだが・・・
「はい、なんでしょうか?」
にこやかに答える。
咄嗟に受付嬢の顔がこちらを向いたので、思わず目線を逸らしてしまった。
「えー、今日の2時から会議を予約していて・・・遅れると先ほど連絡を入れた田中と言う者ですが・・・」
と、彼女の顔が一瞬「ピクっ」っと引きつった・ ・・ような気配を出した。でもほんの一瞬。彼女はすぐに接客用の高いトーンの口調で対応する。
「2時から会議の・・・はい、田中様ですね。今、担当者をお呼びします。」
と、受話器を取り、内線で連絡する。
「・・・です。はい、よろしくお願いします。」
ガチャ。
「今、担当者が席を離れているとのことでしたので、しばらくお待ち下さい。」
「はい・・・」
「・・・」
「・・・」
・ ・・しばし無言が続く。 僕は、彼女が昨日のカバンを渡してくれた『彼女』かどうか確証が持てないままだったので、何か話しをしながらそこはかとなく聞こうとした。
「あ、あのー今日はいい天気ですね。」
「・・・」
返事はない。どうやら彼女から見て、僕は空気と同化しているようだ。
「あ、あー・・・」
なんて、言えばいいんだろ。
思い浮かぶセリフの全てが全部、無言で返ってくるのが目に見えてわかっている。
ううーん、
僕は頭を掻きながら、逸らしていた目線を彼女に向けた。
彼女はうつむいてしまっていた。
長い黒髪だけが視界に入っている。
そういや、一度もちゃんと顔見たことがないな。
「あのー・・・」
「・・・」
もう、いいや。素直に言っちゃおう。昨日みたいに人間違いしていたら、その時はまた謝ろう。
「この間、・・・ってか昨日か。カバンを渡してくれてホントありがとうございました。」
「・・・」
相変わらず、返事はない。いいや。このまま続けよう。
「あの時は、ホント失礼なことしました。初対面の人に・・・それもカバンを見つけてくれた人に」
「えっ?」
初めて彼女がこちらに顔を向ける。
「・・・初対面?」
「・・・!」
「あのー・・・」
「え・・・。あっ、そうです!初対面です!あぁ、昨日会ったことはノーカウントで・・・あれ?どっかでお会いしたことありましたっけ?」
「いえ、別に・・・」
そう言うと、彼女はバツが悪そうにまた顔を下に向けた。
・ ・・ビックリした。正直驚いた。
昨日は辺りが暗かったので、黒髪しか見えてなかったけど、
なんていうか・・・『タカナシさん』はとてもキレイな人だった。
思わず、見とれてしまっていた。
クライアントの顔を覚えておくために、顔の特徴を把握する力を見につけていたけれど・・・
それが必要ないくらいに一発で印象に残る程、キレイな人だった。
「え、えっと、あの・・・」
いかん、いかん。見とれていて次の言葉がでやしねぇ。
「いや、カバン見つけてくれたお礼とか何も出来ずに・・・えぇと。」
「・・・」
「もし、良かったらいつでもいいんでお礼にご飯でも一緒に・・
・」
ウイイィィィン・・・
自動ドアが開く。
「いやぁ、またせてすみません。」
中年の男性がこちらに来る。どうやら担当の人のようだ。
「あ、いや。こちらこそすいません。時間通りに来ることが出来ずに。」
「いやいや、電車が遅れたなら仕方ないですよ。それじゃ、すぐに始めますかね。」
「はい、よろしくお願いします。」
と、担当者にぺこりとお辞儀をする。
内心、ちょっとホッとっと思ってしまった。
この場をどう切り抜けるかずっと考え続けなければいけないと考えると会議をする前から疲れてしまう。
けど、
もうちょっと、話したかったな。
僕は、彼女を後にして、担当者と一緒に会議室へ向かった。
ちらっと彼女の方を見る。
彼女はこちらを見ることもなく、新しく入ってきた来客の対応をしていた・・・