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二日目

「おはようございます」

 そう挨拶しながら土間に降りた千代を迎えたのはツノだった。

 白抜きで大きく「酒」と書かれた前掛けをつけている。後ろ手に玄関口を閉めながら、手には山盛りの食材が入った竹籠を抱えている。

「おはよう。酷い顔だね」

 言いながら男は台所に籠を置いた。庭と同じく季節を無視して様々な野菜が入っている。この点だけを考えれば食事情は非常に恵まれていると言えた。毎日汗水流して働かずとも、収穫済みの新鮮な物を人数分以上、安定して届けてもらえるのだから。

「あんなモノを見て、安眠出来る筈ありません」

 げんなりと返す千代に、無理もない、と男は穏やかに笑う。むしろもっと狂気にとりつかれた者の方が多かったと、記録にはあるらしい。……そう教えてくれるツノはどうだったのだろう。

「君は強いと思うよ」

「はあ……」


 高い鳥の鳴き声が耳に入って、縁側へと目を向ける。板の上には小鳥のような小さな生物が二羽飛んだり跳ねたりと自由に動いていた。朝日に照らされて白い羽が輝いて見える。その小さな赤い目と視線が合った、ような気がした。

「さあて、二人が起きてくるまでに支度を済ませてしまおう」

 手伝ってほしいと言われ、千代は遅れて返事をした。


 ――羽があればこの世界から飛んで逃げられるのだろうか。

 どうせ体が変化するのならば、とまで考えて、千代は一人かぶりを振った。昨日受けた衝撃が強過ぎて考え方が消極的になっているみたいだ。


「ああそうそう、この(こうがい)が落ちていたんだ。千代さんの物だよね」

 渡されたべっこうの髪飾りを両手で受け取った。左右の端に白い花模様が描かれたこれは確かに見覚えがある。代々受け継がれている品の一つで、旅に出る前に母からお守り代わりに預かっていたものだ。失念していた事に今更気付く。

 大事に両手で握り締める。目頭が熱くなった。

「ツノさん。ありがとうございます」

 良かった、と男は朗らかに笑んだ。


 千代は纏めた髪にその笄を差した。家族が村で待っているのだ。千代はまだこんな所で挫けていられない。髪を纏める事で良い方向に気持ちを切り替えられた。


 ***


 この家屋は部屋が一つ一つゆとりのある大きさで、農家によくある田の字型に構成されていた。

 囲炉裏のある食事場から南に居間、その西に客間、そして寝室と時計回りに四角に並んでいる。食事場と居間に隣接して東側に土間があり、居間と客間に隣接して南側に庭があった。


 居間で手紙を書いている男の前に向かい合って千代は座っていた。先程渡された木の箱を畳の上で開ける。

 昨夜ヒトミが言っていた事が気になって、朝餉の用意を手伝いながら質問してみたのだ。過去此処に連れられた人間達の証言があるのなら、是非千代も読んでみたかった。

 そして食事後にこうして渡されたのが箱に入れられた古い紙の束だった。纏めて持つのも苦労するほど分厚く、この家で過ごしてきた者達の歴史を感じさせる量があった。紙は古い物も混じっているが、大切に保管されてきたのだろう、さほど傷ついていない。

 硯で墨を擦る音が聞こえる中で、千代は一枚一枚その紙を手に取り読んでいく。

 誰かに宛てたように書かれていたり箇条書きのようであったりと、書き方や字の癖はまちまちだった。字が滲んでいる箇所も少なからずある。

 淡々と出来事を連ねるそれらから悲哀や苦悩の叫びが今にも聞こえてきそうだと、千代はそう感じた。

 己が助かりたいが為に過去の記録を読み、そして次に訪れるだろう者の為に起こった出来事を連ねていく。これが延々と繰り返されてきている。そして、それが千代の番で終わる保証はどこにも無かった。


 この家は、――未だ姿が見えぬ家主は、一体何が目的で千代達を此処に集めているのだろう。


 コツリと軽い音が聞こえて、千代ははっと我に返る。ツノが硯に筆を置いた音が鳴ったようだ。

「千代さん。昨日の件も頼んでみるけれど、あまり期待はしないでおくれ」

「はい。それでもお願いします」

 深々と頭を下げれば、ツノは困ったように「上げなさい」と告げた。

 ツノ自身もやり取りしている相手が誰なのか正体までは知らないと言う。偶然始まって惰性で続いているのだ、と男は眉間に皺寄せ微笑む。

「彼の者が僕らよりこの世界に詳しいようなのは確かだ。人が来る時期を何度も言い当てられてしまった事もあってね」

 消える時期までは教えてもらえなかったが、と肩を竦める。ツノはツノなりに手紙の送り主の正体を探っているようだ。

 何はともあれ、千代が家族宛てに手紙を出したいのだと要望も併記してもらえたようだ。もしも断られたとしても、せめて最低限の言伝だけでもお願いしたかった。すでに筆を借りて書いた手紙に気持ちを込めて、ツノに手渡す。


 受け取った男は自身が書いた手紙と纏めて封をしながら、何か思いついた様子で言った。

「あれらは夜にしか出てこないんだ。〝外〟は明るい内なら安全なんだよ」


 さっき食材を運ぶついでに恐る恐る外を窺った時には、濃霧で視界が悪いものの、一般的な村の光景が見えただけだった。平らにならされた道に沿って並ぶ家々がこの周囲にあった。普通に歩く黒い人影も複数見えた。

 一晩寝ただけで荒地が村に変わるなど有り得ない事だ。この場所が千代の知る常識から外れていると再度知らされていた。


「外ですか……、とても出ていく気には……」

「ああ無理に出ろとは言わないよ。迷ってしまったら大変だしね」

「――ならせっかくだ。儂についてこい」

 縁側で折りたたんだ座布団を枕に寝転がっていたオッポが、此方に背を向けたままでそう言った。眠る猫のように尾をゆらり波立たせている。

(いつの間に!)

 ツノと千代が居間に来る前からそこに寝ていたのだろうか。全く千代は気配に気付かなかった。

「一番歳も近そうだし、そうだね、案内がてらそれも良いかな」

 思わず「えっ」と返した千代に、ツノは微笑んだまま不思議そうに首を傾げ、オッポは豪快に笑い飛ばした。彼は身軽に起き上がると千代の傍に腰を下ろす。右手で刀の鞘を畳に突き付けた。

「何だ貧相娘。儂と二人だと不満か」

「……多少」

 嫌な感情も隠さずに千代は悪人面を見つめ返す。すると益々男の顔はあくどく化けた。

「正直者め。特別に儂の用に付き合う許可をやる」

「オッポ。お前という奴は本当に……」

「なんだツノ。文句があるのならお前が外に出てみるか」

 オッポがそう問い掛ければ、ツノはため息をついただけで首を横に振った。そう反応するのが分かっていたのだろう、オッポは満足そうに頷いている。

 そして千代を見下ろしながら立ち上がった。

「さっさと支度をしろ」

「は、はいっ」

 千代も木箱を片付けて立ち上がる。

 ツノの様子を窺えば、若干顔が青いようにも見えた。

「二人とも気を付けて。くれぐれもあまり長く歩いてはいけないよ」

 手を振られて見送られる。千代は小さく頭を下げて返した。


 ***


 オッポは家の中の襖と同様に至極平然と、玄関口の引き戸を開けて外に出てみせた。

「……」

 唾を飲み込み、千代も恐る恐る一歩を踏み出す。昨夜の血生臭さも無くむしろ爽やかに草木が青く香り、アレは悪い夢だったとしか思えなかった。

「ええい遅いぞ!」

「キャアッ」

 短気な男に腕を引っ張られた。夢中でその腕にしがみ付く。やはり昨日と同じく着物越しでも体温が低いのが伝わる。鬼に化けると体温も人間らしさを失ってしまうらしい。

「くそっ離れろ、歩き辛いだろうが!」

「で、でも、ううっ、怖いものは怖いのです!」

 何とかしがみ付きながら男を見上げて訴える。

 何の変哲もない農家の軒先に居るだけ、という事は千代も分かっている。しかしいつあの地獄のような恐ろしい光景に変わってしまうかと気が気でない。

 はああ、と長くわざとらしいため息がつかれた。

「分かった。分かったから、少し力を緩めろ。これではいつになっても先に行けやしない」

「はい……」

 少し腰が引けたまま、オッポの腕に縋る手から力を抜く。

「儂の腕を掴んだまま歩いて構わん。だから落ち着け」

「あ、ありがとうございます」

 オッポにだって優しいところもあるようだ。温かな気持ちになり礼を述べて、――しかし千代はすぐに後悔する。

「まな板を押し付けられていても、さっぱり嬉しくないからな」

「……」

 この人はどうしてこう、一言余計に多いのだろう。


 ***


 村の中は何も無かった。言い方を変えれば、一本の道が果てなく続きただ延々と家が並んでいるだけの奇妙な場所だった。

 初めは千代達のような者がそれぞれの家に籠っているのかとも考えたが、出入りするのは人の形をした黒い何かばかりだった。時折千代達の隣をすれ違っていく。襲われもせず話し掛けられもせず、ただそこを動いているだけ。

 その人擬きは、靄のように向こう側が透けて見える。オッポは特に反応を見せていないから、見慣れているのだろう。特別珍しい現象という訳では無いようだ。試しに男に尋ねてみてもぶっきらぼうに「儂が知るか」とだけ返された。


「あ、あま、余り遠くへ行くと、心配されてしまいます」

 家の周りを少しだけ、とツノが言っていた通り千代もそのつもりだったのだ。ここまでしっかり歩いてくると、段々と不安が募ってくる。

「あの家も正体は知れない」

「……」

「〝外〟だってからくりも知ってしまえば、さほど恐ろしくなくなるだろう」

「ですが、……」

 常識の通じない世界だ。がむしゃらに行動しては最悪命に関わる。

 中々はっきり同意出来ない千代に、オッポは鼻で笑っただけだった。


 その時、

「……?」

 複数の視線を感じた。まさか人影が千代達を認識しているのだろうか。

 オッポに尋ねても、「怖がりめ」と一蹴されてしまった。


 その後も盛り上がらない会話がぽつぽつと発しては消える。話題を広げるより流すオッポが相手なのだ。仕方がない。

 千代はオッポの右手にしがみ付きながら、反対側に差された刀が目に入った。そういえば、あの家の中で刀を携帯しているのはオッポ一人だけだ。

「オッポさんは、その刀を持ったまま此方に来たのですか」

「そうだが。何だ突然に」

「良い刀だなあと、お見受けしたので」

 ほう、とオッポは愉快そうに尾を跳ねさせ片眉を上げる。

「千代お前、女の癖に刀に詳しいのか」

「癖にとは余計です。詳しくはないですが、大事にされているのだろうとは何となく」

 ヒトミの頬や畳やあちこち乱暴につついたりもするけれど。常に携えていて、彼にとってその打刀は大事な物だろうと思われる。

 オッポは腰に差す刀の柄をぽんと軽く叩き撫でてみせる。

「儂もな、何故かは知らんが、持っていないと落ち着かんのだ」

 一時期はヒトミに玩具にされた事もあった、と愚痴っぽく零す。

 軒先に置かれる荷物の中には、ご丁寧に刀の手入れ道具が入れられている事もあるらしい。そしてオッポも遠慮なく使用しているとのことだ。

「オッポさんはどこかにお仕えしていたのでしょうか」

「いや儂ほどの器なら、そうだな、数万数十万の駒を従えるぐらいは余裕だったろうさ」

 だとしたらきっと、下に就いた人達は苦労するだろう。思わず千代はくすりと笑ってしまって、慌てて手で口を隠した。

 そろり慎重に隣の男を窺えば、剣呑な眼が此方を見下ろしている。

「どうした千代。言いたい事があるなら遠慮せず言え。さあ」

「ああっあっ、駄目です、腕を外そうとしないで下さいっ! 後生ですからっ!」


 似た家が並ぶばかりな上に濃い霧のせいで、あの家屋への帰り道などハッキリと分からないのだ。そんな場所で一人置いて行かれてしまっては困る。その間に夜になってしまったら、と考えるだけでも恐ろしい。


 青い顔で狼狽える千代を見下ろし、男はフンと鼻で笑った。

「もしもはぐれても案ずるな」

 どういう意味かと尋ねる千代の額を指でつつかれる。

「行きたい場所会いたい者を念じれば良い。己を信じて歩みを止めるな」

「一本道なのですから、来た道を戻れば……あう」

 額に立てられた指が更にぐりぐりと力を込めて突かれる。

「馬鹿め。此処が普通の道と同じな訳ないだろう馬鹿め」

(二回も言った!)

「適当に歩いたところで、果てにも辿り着けない」

 その言葉の意味を尋ねようとする前に、再びオッポは歩き出す。千代も引っ張られるようにして続く。男の歩みに迷いはない。

 痛みの残る額を押さえながら千代は後ろを何となく振り返る。


 振り返った事を後悔した。

 ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。

 さっき確かに通った道の筈なのに、全く知らない道に見える。有り得ないと口元が戦慄いた。一見無害そうなのは、巨体の化物も屍の山も見えないからか。

 この世界が千代に対して静かに牙を剥いているのは変わらないのだ。


 千代はどうにか考えを前向きにと心掛けて、一番に思い出した事をオッポに尋ねてみる。

「よ、用、とは何だったのです?」

「ただの散歩だ。あそこで寝てばかりでは体が腐る」

 こんな辺鄙な場所に用事など出来る筈も無い。そう男は嘲った。

(私の知ってる〝散歩〟と違い過ぎる!)

「――とか、思ったろう」

 考えていた事をオッポに読まれてしまった。

 驚いて千代が反射的に見上げれば、オッポはからりと笑った。


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