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一日目(二)

 夕餉の時間、千代はその茶碗を持ったまま、はうと浮かれた息を吐いた。

 先程憧れたばかりのふっくら白米が手の内にある。盛られた上にはアジのなめろうがこんもり乗せられている。他にも汁物や小皿のおかずが用意されていたけれど、千代は真っ先にそこに目が奪われていた。

「そんなに好きか」

 向かいに座るオッポが可笑しそうに口角を上げている。人相が悪くても笑顔は愛嬌がある。びしりと粋に決まった本多髷も相まってさぞ女性にモテたのだろうと推測出来る。

「何だ、儂の顔がどうした」

「い、いえ、何でも」

 じいいっと観察してしまった千代に気付いて、また仏頂面に戻ってしまった。千代があんな浮かれた事を考えていたと知られれば益々怒らせてしまいそうだ。

「頂きます」

 漆塗りの赤い箸を取り、口に運ぶ。途端に、千代の顔はふにゃりと蕩けた。十五年生きてきてこんなに美味い米は初めて食べたのだ。

 口の周りに米粒をつけたヒトミが千代の顔を覗き込む。

「あれえ? もしかして姉ちゃんは白米が好きなのか?」

「はい! 良いお米ですねえ。噛むほど甘みが出て……」

「そうそう、お茶漬けにしてもねえ、ほらねえ、ウマイよお」

 ヒトミは千代の返事も待たず、椀に熱々のだし汁を注いだ。ツノに窘められるも、少年は千代のすぐ隣に陣取り坊主頭を揺らして千代の反応を待っている。

 軽く混ぜて飯を掻き込んでみれば、確かにイケる美味さだ。ついはしゃいでしまうと、

「二人とも行儀が悪いよ」

 ツノがまた静かな声で窘めた。


 すでに食べ終わり襖に凭れて寛いでいたオッポが笑みを零す。

「此処に来たとき儂らに慄いていたのが嘘のようだ。それともただ男に慣れていないだけか」

「オッポ、お前」

 渋い顔のツノに触れず、オッポはハンと笑い飛ばす。

「どうせならこんな貧相なガキじゃなくてよ、もっと――」

「やめなさいって」

 目も合わさずため息をつくツノを、鉄の煙管(きせる)を銜えたオッポが嘲り笑う。その顔からは、ツノを馬鹿にしたというよりも何かを放棄したような寂しさがあった。

(ひんそう……)

 千代は自分の胸に手を当て見下ろした。

 確かに今はまだ大きくはないけれど。まったく失礼な鬼だ。


 ***


 彼らの見た目さえ気にならなければ、少し贅沢な団欒の時間を過ごした気分だった。

「生贄に捧げられるというのも、そう悪くないものなのですね」

 腹が満たされた幸福のまま、千代がそう何気なく零すと。茶を飲んだばかりのツノがむせた。

「ああっ! すみません! 私、何か変なことを言いましたか!」

 急いで彼に手拭を差し出した。口にはそれほど含んでいなかったらしいのが幸いだった。

 オッポもヒトミも目を丸くして千代を見ている。

「おいおい、お前の予想が当たっていたぞ」

 千代を見たままオッポはそう零した。予想を的中させたヒトミの方は呆けた表情でウンウンと頷いている。

 目元を赤くしたツノが咳をする。

「ええっと、千代さん、君があんな風にふん縛られていたのって」

「はい、旅の途中立ち寄った村で……恐らく?」

「そこは覚えていないのかい?」

 千代は迷ってから頷いた。


 ――深刻な日照り続きが続いていてもう限界なのだ。千代を泊めてくれた年老いた村長はそんな話をしてくれた。

 それから徐々に眠くなる間に、その村の風習である生贄の儀式の話を聞いた。曰く、村中央にある深い涸れ井戸へ生きたまま若い娘を捨てて、水にまつわる鬼神に捧げるのだと。娘が逃げられぬようにしっかりと縄で結んで。


 つまり千代はその村の為の貢ぎ物とされたのだろう。村人の中に適齢の娘がいなかったのか、それとも差し出すのが惜しくなったのか。いずれにせよ千代はあの村に泊まるべきでは無かった。後悔してももうどうにもならないけれど。

 オッポは尾を揺らしながら鼻で笑った。

「災難だったな」

「そんな顔に見えません」

「うむ、社交辞令だ」

 千代はオッポを責めるような視線を向けたが、彼は何処吹く風とばかり平然としている。

 千代の隣に座ったヒトミが、彼女の両手をしっかりと握った。オッポと同様かそれ以上に生命を感じさせない冷たい手だ。

「大丈夫だよう姉ちゃん。此処にいれば良いんだよ」

 大きな単眼が潤んでいる。他人の境遇に同情出来る優しい子だ。……誰かさんと違って。

「ありがとう、ヒトミさん」

 すべすべの頭を撫でれば、彼は猫のように喉を鳴らしてじゃれた。

「ですが、ずっと此処に居る訳には……」

「――千代さん。〝外〟に出ない限り此処は安全だと思うよ」

 千代の焦る心情を知っている筈のツノが一番にそう遮った。知らないオッポもそれに同調した。

「そうだな。〝外〟よりは」

「〝外〟って……、どういう意味なんですか」


 彼らの言い分ではまるで、この家の外が危険な場所のように聞こえる。捧げられた生贄が逃げないように警告しているようには聞こえない。本当に生贄として此処に運んできたのなら、縄だって切る必要も無かったしこんなに良い食事を同じ席で振る舞う必要だって無い。

 そもそも千代が生贄としてやってきたとも知らない様子だった。しらばっくれているだけなのだろうか。


 腕を組んだツノが徐に語り掛けてくる。

「千代さん。さっきも言っただろう。『皆どこからかやって来て、そしていつの間にか消えていく』のだと」

「はい」

「皆……そう、()だ。僕もいつの間にか此処に居たし、オッポもヒトミもある日突然此処に居たと言う。他に居た者は入れ替わるように皆どこかへ消えてしまったよ。何の前触れも無くね」

 ツノは額の小さな角の形を確認するように触る。

「まあ、()()は一つの前触れと呼べるかな」

 オッポがその呟きに「だろう」と頷いてみせた。

 そして千代の方へと視線を向ける。鋭い眼光が突然向けられるのは心臓に悪い。

「な、何ですか」

「お前は本当に〝千代〟という名なのか」

 男が懐から取り出して渡したのは、酷く皺くちゃになった千代の手形だった。

 何故これを、と顔にも出ていたのだろう。オッポは答える。

「お前が此処に居るのを見つけた時、縄との隙間に差し込まれているのを見つけた。大方その鬼神サマへの紹介状代わりってところだろう」

 千代の名や出身をこの男達が知っていたのは、先に旅の手形を見つけられていたからだったようだ。

「私の名は千代です。間違いありません」

「……、奇妙なもんだな」

 オッポは火の付いた煙管を銜える。

「奇妙……? どういう意味なのですか?」

「あのね、姉ちゃんだけなんだよ。ちゃんと覚えているの」

 間近からヒトミが見上げてくる。

 千代は呆けて口を半開きにしたままで、三人の顔を順に見る。


 彼らの名前を聞いた時の違和感が甦る。この人達は本当に、体の特徴から名前を付け合っていたのだ。これまで来た者達が皆名前を覚えていないのなら、自然とそう迎える流れにもなっていたのだろう。

 この三人はきっととても驚いた事だろう。前代未聞、仮名を付ける必要が無い〝人間〟がやって来たのだから。


 ツノは囲炉裏の中の灰をぼんやりと見つめながら顎を掻いている。

「名前だけでなく、此処に来る前の人間()()()頃の記憶も朧げなんだよ」

「えっ……」

 千代が思わず驚きの声を上げたのを勘違いして、「生活するのに必要な基本の知識は別としてね」とツノは付け加える。一切合切を忘れてしまっては、手紙も読み書き出来ないし料理も拵える事も出来ないという事らしい。

(人間だった、って、どういう……まさか……!)

 オッポは鱗の生えた尾を床に乱暴にぺしゃりと叩き付けた。

「チッ。名さえ取り戻せば何か変わるかとも思っていたが、違うのか」

「ううむ、千代さんだけが特殊な状況だとも考えられるけれど……」

 坊主頭を振りながら目をつむって唸っていたヒトミが、元気よく右手を上げた。

「あっ、はーい! はいはい! ツノの文通相手さんに聞いてみようよ!――イッタァ」

 少年のこめかみが刀の鞘で小突かれた。犯人のオッポが意地悪に笑んでいる。

「ばあか。またはぐらかされるだけだぜ」

 その返事にヒトミがぶうと頬を膨らませている。その膨らみを面白がってオッポがつつき、ツノが優しくも呆れた様子で二人に制止を呼び掛けている。


 そんな和やかな様子も目に入らず、

「み、皆さんは、元々人間だった……? 此処に居ると、わ、わたしも、鬼となってしまうかも、しれないのですか?」

 千代は強張ったまま三人に尋ねた。

 少しの重い間が空いて、

「だろうよ。普通は此処に来た時点で変容しているものだがな」

 オッポがぶっきらぼうに切り込んだ。そんな彼をツノが厳しく戒めた。

 千代は円座の上でさっと立ち上がった。

「……っ、私は! 私は、早く故郷に帰りたいんです……! こんな場所で無駄に時間を過ごす訳にはっ、しかも人外にへんげするだなんてっ……そんなのっ!」

 叫んだ途端にくらりと眩暈に襲われて、千代は背後の柱へと縋った。

 ――早く此処から出なければ。

 誰かの手が掠めるのも振り払い、千代は一目散に玄関口へと向かった。


 閉じられていた木の引き戸を開けた瞬間、強烈な生臭さに益々視界がぶれた。

「ううっ……」

 気持ち悪さに口を両手で押さえる。後ろから伸びてきた手が素早く戸を閉めた。

 二の腕が強引に後ろに引かれて土間に尻餅をついた。扉の前に立つ男の腰からはぶら下がる鞘が見えた。

 千代は口元を手で押さえたまま動けない。

「うあ、ああっ、あれは……何ですか……ッ!?」

 一瞬で見えた光景が脳裏にこびり付いている。


 どこまでも広がる赤い荒地に、老若男女混じる屍が転がされていて。

 そして、十尺――大人の二倍以上の丈――は優に超えようかという黒い巨体が、何か赤いモノを喰らっていた。しゃがれた悲鳴の不協和音が今もまだ耳に残っている。

 あれこそが正に、人が恐れる〝鬼神〟と呼べる悍ましい存在だった。


 あの大きな瞳と目が合っていた。距離は開いていたのに千代をしっかりと捉えていた。ばくばくと煩く苦しい胸元を両手で掴む。

「姉ちゃん大丈夫?」

 傍に駆け寄ったヒトミが千代の顔を覗き込む。その華奢で冷たい腕を千代は夢中で掴んだ。

「ヒ、ヒトミさんっ、に、逃げ……逃げないと……此処から……!」

「何処に?」

 少年は首をかしげる。

「何処……何処に、それは……」

 この家を出てあの巨体の化物の死角に潜みながら、――仮にその行動が成功したとしても、何処へ向かえば良いのだろう。

 どうやって此処に来たのかも千代は何一つ覚えていない。いつの間にかこの家に転がされていたのだから。

「誰にもなぁんにも、分かんなかったんだって。みんな怖かったけど、どうにも出来なかったんだって」

 恐らくヒトミが言っているのは、これまでこの家に居た者達の証言だろう。

「明るい内なら大丈夫だよ。それにねお家の前にいつでもね、たあくさん食べ物や色んな道具を置いてくれるんだぁ」


 ――それではまるで、〝誰か〟に飼い殺されているようだ。


 ツノもオッポも否定しない。少なくともヒトミが見当違いの法螺話をしている訳では無さそうだ。

 ヒトミはその大きな単眼を細めて微笑する。

「お外は怖いからね、姉ちゃんも気を付けてね」

「……」

 千代はただ頷くしか出来なかった。


 その晩、中々寝付けない上に酷い夢見に襲われた。


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