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一日目(一)

「――俺聞いた事あるよっ。ええと、何だっけ、ヒト、ヒト何とかって言うんだっけ」

「違う違う、そりゃあジンシンオトモってやつだろう」

「へーえ、オッポの癖に物知りい」

「癖にとは余計だ」


 そう胡座を掻き呑気に会話する二人に、もう一人の男がため息交じりに口を挟んだ。

「まさか、人身御供の事を言っているのかい」

 呆れ顔の大人に、二人は尊敬の目を向けた。

「ツノは本当にすごいやあ」

 のんびりと話す一番小柄な少年が手を叩いて褒め称える。その緩さは一見馬鹿にしている態度にも見えるけれど、ツノと呼ばれた方もオッポと呼ばれた方も慣れた様にその様子を見守っている。


 その囲炉裏を囲んだ三人の輪に、何故か〝私〟も並んで混じっている。

 旅の途中ずっと着ていた橙の着物の上から両手両足を縛られて腰を下ろしている。先程からこっそりと縄抜けを試していたが、生まれて初めてぶっつけ本番では中々難しい。背中側に組んだ両手を、揃えた両足首を、それぞれ太く結った縄が痛いほどに締め付けている。後ろで結んで垂らしていた髪もぼさぼさに乱れて顔に掛かっていた。


 最初こそ見慣れぬ状況に頭が真っ白になったけれど、すっかり落ち着いた今は傍観者と化している。三人の間の抜けた会話のせいだった。

 旅の途中に立ち寄った村で情報を集めるために話をしていた筈なのに。かと思えば、目が覚めればこのような見知らぬ場所に転がされていた。程々に年季の入った食事場に、五徳に置かれた茶釜を温めている囲炉裏に。見れば見るほど人間が過ごすのと変わらない普通の家だ。村人達によってこの見慣れぬ家屋に運ばれてきたのだろうか。


 何より、

(鬼……の、兄弟……?)

 共に空間に居る者たちが人ならざる見目をしているときたものだから落ち着かない。


 確か〝ツノ〟と呼ばれていた一番体格の良い四十路前後に見える男は、額から親指程の角が一本生えている。

 〝オッポ〟と呼ばれたのは、涼しげな一重の――しかし大変目付きが悪い同年代くらいの青年だ。行灯袴の尻に入れられた切れ目から、トカゲを連想させる鱗で覆われた太い尾を生やしている。板間の上で時折跳ねた様に動くから飾りでは無さそうだ。

 よく笑う明るい少年は〝ヒトミ〟と呼ばれ、それを象徴するように少年の顔に目が一つだけある。鼻も口も他は人と瓜二つだと言うのに、大きな丸い瞳が顔の上半分にあった。

 皆珍しい名だ。まるで三人とも体の特徴からとった名前で呼び合っている。


 そんな恐ろしい姿の面々を前に、千代は悲鳴も上げてしまわず失神もしなかった。自分の神経が存外図太い事を知った。

 三人の会話だけ聞いていれば、そこいらの男兄弟の会話と何ら変わりない。この明かりの少ない空間が実家の食事場に似ているから尚更、故郷の幼い弟達を思い出させる。

 板の木目を視線でなぞる。

(みんな元気かな。もう半年以上も旅をする事になって……。母さんから手紙も返ってこないし……)

 嫌な予感がして故郷に戻ろうとしていた、その矢先にこんな奇妙な事態に巻き込まれてしまった。本当に運が無い。


「あの、」

 少女の呼び掛けに三人の会話がピタリと止まった。

 尻を浮かせてしゃがんでいたヒトミが、ぐいっと重心を傾けて千代の右側から覗き込んで来た。零れそうな程大きな瞳が柔らかく弧を描く。

「なあに。姉ちゃん」

「っ、あの」

 やはり見慣れない風体に恐れを感じ体が強張る。つい強張った千代に、上座に座ったツノが話し掛けた。

「千代さん、だったね。お疲れだろうから、まずはゆっくりと体を休めると良い」

 警戒心を削ぐ様な目尻の下がった穏やかな顔。優しく微笑んでいるけれど、その口調は千代に拒否させない強さがあった。


 彼は何故、まだ自己紹介もしていないのに名前を知っているのだろう。そうと分かる手形は元居た村に置いてきた荷物にしまっている筈で、手元には無い。村長には探しものを尋ねる際に自分から名乗ったから、彼から聞いたのかもしれない。


「休むも何も、いい加減解いてやらんと」

 背面から声。正面に座っていたオッポが背後へと回り、どのようにかして縄を切ってくれたようだ。緩んだ縄がはらりと落ちた。自由になった手を前面に回して見てみれば少し赤らんでいた。じんと痺れも残っている。血の流れを圧迫するほど強く縛られていたみたいだ。擦りながらほうと安堵の溜め息を吐く。

「先に説明しないのか。迂闊に出られたら困るだろう」

 厳しいツノの指摘に、どうやらオッポは苦笑したようだ。千代の足首を掴んでそちらの縄も切った。足に触れた手は、酷く人間の体温と離れて冷たい。

「今まで問題は無かった。考え過ぎだ」

 オッポは持っていた小刀を懐にしまった。

「……、そうか」

 ツノは目を伏せて短く髭の生えた顎を掻く。


 誰も、という事は何人もこの鬼たちに捧げられてきたのだろう。生贄を捧げる習慣が未だ根強く残っているのは、旅の途中に見聞きしていた。

 千代が生きて此処を出る為にも、鬼達の機嫌を損ねる事は避けた方が良さそうだ。


「私が勝手に此処から出ると困るのですね」

 ツノは目を伏せたまま頷き、湯呑で茶を飲んでいた。この話題を続けたくはないようでもう何も言わない。追求したい気持ちを無理くり押し込めて、千代も聞き出すのはやめた。

 ヒトミがこてんと首を横に倒した。

「なあ姉ちゃん。腹減ってなあい? 今から飯の用意するんだあ」

「ご飯、ですか?」

 それは遠回しに「今からお前を喰ってやるぞ!」と宣言しているのだろうか。無垢な顔をして恐ろしい言葉をさらりと吐く。

 坊主頭が左右にふわりふわりと揺れる。

「姉ちゃんも魚好きでしょう? 今日はたぁくさんお願いしてくるね」

 魚があるという事は此処は海に面した場所なのだろうか。潮の香りも波の音も特にしない。

 だとすれば、意識のない間に山中の村から随分遠くまで運ばれてしまったものだ。生贄儀式にしては些か手間が掛かり過ぎているように思えた。それだけの恩恵を授かりたかったのだろうか。

「確かに……魚は好きですけど」

 海に面した漁村生まれだったから魚とは縁深い生活だった。


 だからといって特別好きかと聞かれると困る。どうせなら、ふっくらと炊けたつやつやの白米をたらふく食べてみたい。町で売っているという流行りの菓子を色々と食べ比べてもみたい。それからそれから――


 うっかり食欲のままに妄想が広がりそうになって、千代は慌てて頭を振り現実に帰ってきた。

「ええと、ヒトミ、さん? どうして私が魚を好きだと思ったんです?」

「だって姉ちゃんも漁村から来たんでしょう? 漁村生まれなら魚が嫌いな人は居ないよ、って聞いた事があるんだあ」

 出身までは村長にも話していなかったのに、何故初対面の鬼が知っているのだろう。

 訝しがる千代に、ヒトミは慌てた様子で首を振った。

「大丈夫大丈夫、俺だってちゃあんと捌けるようになったから、――」

「ヒトミ」

 ツノのぴしゃりと厳しい一声に呼ばれた彼は、「ひゃい!」驚いて肩を震わせた。

「暗くなる前に早く運んできなさい」

「はあいっ」

 まるで親に叱られた子供のように唇を尖らせている。跳ねるように立ち上がり、千代から見て右側に隣接する土間へと軽やかに降り立ち、たったと風の様に駆けていった。その後ろを無言でのそりと立ち上がったオッポがついて歩いて行った。


 土間の玄関口付近でオッポとヒトミの会話がうっすらと聞こえる中、食事場にツノと二人残される。

 柄杓で注がれた湯呑を差し出される。果たして鬼からの施しを素直に受けていいものか、毒など入ってないか――と悩んだのも一瞬で、香る茶葉の良い匂いに負けて素直に口をつけた。ほっと一息つけば、穏やかに笑みを浮かべているツノと目が合う。

「人ならざる身に見えるだろうが、僕らに人肉を喰らう習慣は無いよ」

 千代の考えを読んだのだろう。気まずく千代が言葉に詰まるも、ツノは微笑を浮かべる。

(確かにこの人達からは、敵意や悪意を感じない……ような)


 男はすっと立ち上がり千代の後ろの襖を開けた。振り返れば箪笥や文机くらいしかない居間があり、更にその奥、襖の隙間の向こうには縁側が窺えた。

「……んぇっ?」

 思わず間抜けな声が出てしまう。

 桜の木の隣に何故かススキが並んでいる。季節が行方不明だ。

「ああ、気付くのが早いね」

 ツノは朗らかに笑った。縁側へと歩いていく。

「不可思議で面白い場所だろう。僕は来て暫く気付かなかったのだけれど」

 そういう方面に無頓着というべきか、ただ鈍感なのか。ツノはそういう男らしい。千代は口元を押さえて苦笑を零した。

(何だか父さんを思い出しちゃった)

 円座の上で体の向きをツノの方へと変えて座り直す。

「皆さんは……此処にずっと住んでいる訳では無いのですか?」

 いいや、と男は首を振る。

 居間と縁側の境の襖に両手を掛けて、すぱんと全て開き切った。


 桜やススキだけでなく、紫陽花や山茶花や更に彼岸花に加え、他にも色とりどり植えられている。夕日に照らされて花弁がほんのり赤く色付いて映る。青々とした緑の横では枯れた落ち葉が小山を作っている。

 一見適当なようにも見えるが、それなりに手入れはされているようだ。季節感の統一されていない奇天烈な、しかしどこか幻想的な庭が広がっていた。


 ツノはそのまま縁側の板に腰掛けた。額の角が見えなければ、ほつれがちの総髪頭で使い古された着物を着たどこにでもいる男だ。

「皆どこからかやって来て、そしていつの間にか消えていくんだ」

 黒い鴉に似た――それにしてはやけに尾が長い――謎の鳥が、彼の膝に折封の手紙を落としてそのまま飛び去って行った。顔見知りなのだろうか、ツノは親しげにねぎらいの声を掛けている。

 読まずに畳んだ手紙を持ったまま、半身を千代の方へと向けた。目が合う。

「千代さん。どうか、無理にこの敷地から出る事を考えないで欲しい」

 千代は足の上で重ねた両手をぎゅうと握った。

「私には急ぐ目的があるのです」

「駄目だ」

 千代はじっと男の眼を見つめ返す。

「いずれ分かる」

 いずれ、とはいつになるのだろう。大人がこうして言葉を濁らせる時は、大抵この場しのぎではないか。

「せめて、家の者に文を出す許可を頂けませんか」

「……、そうだね、()の者が許せば」

 鬼達三人の他にも誰かいるのだろうか。今届けられた手紙の相手だろうか。

 答えたツノの顔には少し苦い物が混じっている。

 機嫌を損ねるのは良くないと思うけれど、千代には何が彼らにとって禁句なのかまだ分からない。

「ありがとうございます」

 千代が礼を言っても、男の苦い表情は晴れなかった。


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