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異形と新人類  作者: saki
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其の零

 緑竜の本分は、自然を育むことにある。

 それは古来からの習性であり、特性そのものである。

 件の事から緑が少なくなった現代にとって、貴重とも呼べる能力だ。故に重宝され、その能力を渇望される。

 そのことから、緑竜に寄せられる依頼は少なくない。そして、その緑竜の存在が希少であるのなら尚更のことだ。

 今日とて、森林を育むバイトの帰りであった。少なくとも日常の範囲内であったのだ。

 それなのに、これは一体どういうことであろうか。

 春ノ木樹は思わず息を呑んだ。

 今目の前で展開されている光景が到底信じられなかったのである。

 木樹とて新人類に分類される人種だ。母は人類であるが、父が緑竜という種族の出であり、ベースこそ人間ではあるが、新緑色の髪や瞳だとか、側頭部から生えた木の枝のような角だとか、四肢に纏わりつく鱗だとか、凡そ過去の人類とは異なる姿をしている。

 しかし、目の前の生物は違う。

 そんな外見的なものではなく、もっと根本的なものが違うのだ。

 それは生物としての格である。

 ヒエラルキーなどをすっ飛ばし、その遥か上に存在する上位種。そう思わざるをえない程の圧倒される何かを秘めているのが肌で感じ取れた。

 思わず逃げ腰になり、無意識の内に木樹は普段収納している翼と尾を出していることに気が付いた。

 抑制が効かない。

 正面切っては向き合いたくなどない何かがそれにはあった。

 だが、それにとって木樹などはまるで眼中にはない。視線の一つだってくれやしない。それなのに、否、それ故に及び腰になってしまうのだ。客観的な位置に居て尚、その異常さであり、その異様さを感じられるのだから。

 それは深く被ったフードから、髑髏の仮面が覗いていた。

 上から下まで黒尽くめの格好をした者であった。長い外套は勿論、手袋も靴も首元に巻かれた襟巻さえもが闇のように暗く、黒い。その上、手袋に包まれた手には凶悪なまでに大きな鎌を持っている。

 死の神――。

 そのフレーズが頭を過った。

 人の形をしてはいるが、それは死、そのものであるのだ。瞬きも、呼吸も、それさえも忘れてしまう程の不吉さそのものであった。

 そして、それと向き合っているのは正しく異形である。

 醜悪さが固められたかのような、原型の付かない姿であった。

アメーバ状であるそれは様々な負のものと混じり合い、どろどろとした汚泥を巻き散らかしている。そこから異臭が漂い、無数の声が叫んでいる。周囲の者を絶望へ引き摺りこもうと蠢いているのだ。

 これも到底お近づきにはなりたくない姿である。お近づきになれる者が居たとしたら、それは既に取り込まれているのだろう。

 それは即ち――

「狂っている」

 木樹はそう呟いた。

 そう、狂っている。それは狂気であり、凶器そのものなのだ。それ程にまで異質な異形であった。その様はどんな生き物とも違う。例えば、目の前に居る黒衣の人物だって十分に人のようには思えないが、それ以前にあれは生物にさえも思えなかった。

 そんな異質な異形を前にした、仮面の下の表情は読めない。仮面をしているからではなく、纏っているその雰囲気さえも微塵も変わりがない。

 しかし、呼吸さえも感じさせない動作で大きな鎌が揺らめき、その軌道が光を反射した。

 音もなかった。

 正に一閃。

 滑らかで、ごくごく自然の動作の一つとして行われたそれはある種の芸術でさえもあった。それは、侍の居合抜きでも見ているかのような鮮やかさであった。

 そしてそれを受けた異形は文字通り真っ二つになった。だが、それでも尚蠢くそれを鎌で払った。

 大きく弧が描かれる。

 満月のようでさえもあった。

 そして、それは消滅した。

 異形は文字通りその場から姿を消した。しかし、あれが完全なる無になったのだと木樹は本能的に悟った。

髑髏の仮面は踵を返した。

「待って」

 反射的に木樹は叫んでいた。

 目の前で足が止まる。

 本来ならばこの危険な存在が去ることは喜ばしいことだ。それなのに何故か、どうしようもなくその存在が去って行くことがどうしても惜しくなったのである。

 そんな気分になったことがどうにも信じられず、木樹は息を呑んだ。呼び止めてから初めて自分が何をしでかしたのかと思い至ったのである。

「えっと、あの……」

 意味のない言葉が喉から滑り落ちる。

 言葉なんて形を成さない。ただ、唇から零れて行くだけだった。

 木樹は人生でこれまでにない程てんぱっていた。頭の中が真っ白になって、何が何だか理解できなかったのである。

「用がないのなら行くぞ」

 男の声であった。その紛れもない声はあの仮面の人物から発せられたものであった。

「待って」

 またしても反射的に出た言葉であった。一拍と置かずに返答したことに、寧ろ本人である木樹の方が驚いた。

 それでも矢張り言葉に詰まる木樹を前に、黒尽くめの男は「何だって言うんだ、まったく」と非常に面倒くさそうに頭を掻き、そして仮面を外した。

 息を呑む程に端正な顔立ちである。

 闇のように黒い長髪を三つ編みにし、それに反するかのように肌は黒子一つとしてない処女雪の如くのような白さだ。いっそ女性ともとれるような中性的な顔立ちではあるが、彼は紛れもなく男である。そして、何よりも目を惹くのはその瞳だ。

 深淵を覗き込んでいるかのようであった。

 その瞳は底が知れない。

 それだけに、木樹は随分と落ち着かない気分にさせられた。まるで、己の弱いところや醜い所全てが見透かされているかのようなそんな感じがしてならなかった。

 そんな木樹の心情に気が付いたのだろう。男は溜息を吐いた。

「悪いことは言わない。このことは忘れ、さっさと家へ帰れ」

 言うなり、男は再び仮面を着け、歩き出した。

「ちょっと待って。あれは何?」

 そんなことを聞きたかったわけではない。それどころか、何か魂胆があって彼を呼びとめたわけでもなんでもなかったのだ。

 しかし、彼は答えた。

 怨嗟の念さ、と。

 怨嗟の念――それは何とも言えないような、禍々しい響きであった。

「待って。それはどういう意味なの?」

 問いを投げかけようにも、彼の背中は遠い。闇の中にすっと溶け、そして消えた。

木樹は自身が彼に向かい「待って」と言う言葉を連発していたことに気が付いた。彼とは初対面だ。それどころか、あんな物騒な人と関わり合いになることが良いこととは思えない。しかし、それでも何故だか、心がざわめいたのだ。

「怨嗟の念、か」

 その言葉は空で消えた。それこそ、そう、あの異形のように。


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