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海の異世界1

 さあ。さあ。

 優しく撫でるような周期的なアクセントが耳を撫でる。

 ゆっくりとした音が律動となり、独奏にも関わらず連弾に次ぐ連弾を重ねうねり、調和を描き出す。

 重たい潮を含んだ水の匂い。

 鼻からの空気の移動が、演奏者の正体が海であることを伝えた。


 パジャマ姿でそこにいた。


 がっしりした材質で出来た壁。

 意外に広い。

 その中心に、木造のベンチ。

 山積みになった紙束が載っていた。


 つるりとした石がその山になった紙束の上に置かれていた。

 数枚抜き取りじっくり眺めるが、全ての紙に同じ模様が記されている。

 より正確には、文字だということは分かるのだが、その連続したつながりの意味が分からない。

 一応念のために、一枚を丁寧に折り畳みポケットに入れておく。

 

 後に分かったのだったが、この建物は、海神への許可願いとして機能していた。

 習俗儀礼。

 これこれこういうことを行いますという、神への一方通行的ポストといった役割を持つ物らしい。

 伝統文化は奇怪に見える物だ。

 考えてみたら、七夕や神社の絵馬も似たようなものだ。


 建物から出て、辺りの様子を伺う。

 三六〇度のパノラマがまぶしい。

 抜けるような青空と美しいオーシャンブルーに水平線がひょいと区切りをつける。

 そびえ立つ入道雲が、日に照らされて真っ白な城壁のようだ。


 だが、それだけしか見えない。

 完全に孤立していて、無人島のように海面にぽつんと突き出ているだけ。

 天気良いなあ。


「誰かいますかー!?」

 こんな現実離れした場所なので、必要は無いかもしれないが、大声で叫び、誰もいないことを確認する。

 返事は無かった。


 ま、だよな。


 異世界ルールその1。

 異世界のスタート時点では、必ず一人。

 わけの分からない異世界の、わけの分からないルールの一つ。


 さて、ここは一体どんな世界なんだろう。

 大して期待しない疑問だ。


 建物の中に戻り、何かこの世界についての情報は無いだろうかと探り、ため息を吐く。

 探さないとなあ。

 紙束を軽く小突く。

 相当な重量が、ぐらりとバランスが崩れかけ慌てて直す。

 意外に強い力だった。

 体の調子を確かめる。


「難易度二ってところか」


 再度、息を吐く。

 経験上、これからの工程を考えると、めんどくさかったからだ。


 ○


 ――現在。

 大衆料理屋「食事処 カッコウ」でバイト店員として生計を立てているのには、真っ当な理由などビタ一文無い。

 分かりにくくいうなれば、卑怯な陰謀により貨幣経済への反旗を翻せざるを得なくなり、結果返り討ちにあったため。

 分かりやすく言えば、無銭飲食だ。

 パジャマの中にはビタ一文無かったからだ。


 ○


 町は活気に溢れていた。

 大通りには屋台がひしめき合う。

 まるで通行人の足止めをすることが目的であるような足場無くずらりと並ぶ商品陳列。

 大小様々などぎつい蛍光色をした葡萄らしき何か。

 手裏剣のような形状の得体の知れない真っ赤な野菜。

 天井にずらり吊らされる足が六本もある動物。

 客引きの掛け声と値切りのためのケチがぶつかり合う。

 

 喧々騒々。


 通行人を呼び止め、身分証明不要で即日即金の働き口はあるか、という旨の質問をする。

 大体の答えは、そんな働き口があったら教えてくれ、というそっけないものであった。


「そんなにお金に困っているなら、斡旋所にでも行きなさい」


 道端に座り、怪しげな小道具を広げている親切な老婆が教えてくれた。

 老婆は続けて言う。


「ただし、命の保証はしないよ。きひひ」


 目的の、斡旋所と呼ばれる場所に足を運んだ。

 隙間無く美しく岩を積み上げられた堀が印象的だった。

 跳ね橋の奥には面構えの立派な堅牢な門が設置してある。

 槍を持つ二人の門番が、びしりと隙の無い直立で威嚇する。

 さらに奥には小ぶりの城の様な建物が見えた。


 若い方の門番に「ここに来れば仕事がもらえると聞いたのですが」と尋ねる。


「そうですか。では、受付にご案内いたします」


 若い門番は思ったよりも柔らかい礼儀正しい声を発した。


 門をくぐり、長々と続く石畳を歩き、噴水と極彩色の花が華麗に彩る玄関を通りすぎた。

 城の一階にある部屋に入るように言われ、従う。


 門番が受付と言った場所は、机と椅子がずらりと並ぶところだった。

 机の向こう側に、作り物のように綺麗な顔立ちの女がいた。


「どうぞお掛け下さい」


 女がよく通る声で言った。

 胸元がゆるい。

 ちらりと見える目の保養とも毒とも言われる白い丘の曲線。

 女は、分厚い書類を机の上に置き、前置きのように、にっこりと微笑んだ。

 契約の説明を受ける。

 ――このようなごく一部の成功例を見ましてもビジネスチャンスはご本人様のやる気に比例してどんどんどんどん増えていきますわ。

 私どもはご本人様のやる気を買い取らせていただく形になりますけれども微力ながらサポートさせていただきますの。

 やる気のあるヒトにお仕事をお任せするのは世の常でございますからね。

 さらに高レベルになれば各種の特典としてなんとなんと装備のスペシャル格安貸与。

 系列宿泊施設のロイヤル割引ご紹介。あるいは新発見未開拓地のエグゼクティブ優先受注権。

 またはゴールドマルチプルアドバイザーによるチューターコンサルティングなど枚挙に暇がありません。

 私の個人的な感想といたしましてはアットホームな職場環境で和気藹々と――


 鼻の下にある歯並びの良い器官がやたらと早口で喋り、長い爪がペラペラとページを繰る。

 説明があっちへ行ったりこっちへ来たりするため、何の説明をしているのか追うだけで精一杯だ。

 何もかも胡散臭く、作り物めいていた。


 いくつかの質問をし、その答えを聞いて席を立った。


 女が、顔を歪め酷く汚い言葉を吐いた。

 その言葉を無視し、門番に丁寧に挨拶し、その場を去った。


 再び大通りに戻る。

 どうやってお金を工面しようかなあ。


 呼び込む店、呼び込まれた客。

 それらを目の端で捕らえつつ、今回はどうやって作業するかを考えて一人ぶらぶらと散策を続けていた。


 刹那。

 路上の一角から、防ぎようの無い強烈で卑怯な攻撃にあった。


 スパイスの効いた肉のこげる匂い。

 そいつが腹の虫を徹底的に叩きのめした。

 ジューシーフレーバーはあっという間に店の中にふらふらっと俺を誘い込み……記憶が飛んだ。


 ふと気付いたら、お腹が一杯になっていた。

 ミステリアス。

 何たる不覚。

 罠だ。

 陰謀だ。

 そうに決まっている。


「あ、あのぉ」


「お勘定ですかあ? まいど」


 やたらと柔らかい笑みを湛えたふわっと可愛らしい栗毛の店員。

 般若のような表情で俺をなじるのはこの一〇秒後だった。


 ○


「ユウ! 三番、五番テーブル!」


「はいよっ!」


 懇願に懇願を重ね、土下座に土下座をかぶせた結果、警吏に突き出さない代わりに、バイトとして生計を立てるようになった。


 日当三〇〇ライザという破格の悪条件に頷いたのは、この世界の物価感覚が無かったからではない。

 愛想の良かった店員さん(後にミツコ先輩だと知る)のツーペアの巨大質量的ふくらみに思考回路が引っ掻き回されたからでもない。

 恐ろしい形相の男が研ぎたてのギラギラした包丁を眼前に突き出したからでもない。

 六本足の謎めいた獣肉のリアルな解体作業を突如として実演したからでもない。

 毎日出る生ゴミの処分方法について詳しく意味ありげに話し始めたからでもない。

 健全なる奉仕の心がそうさせたのである。

 喜んでその悪条件に賛意を示させて頂いた。


 土下座のまま。


「すんごく意外なんだけど、ユウ、結構良い仕事するんだよね」


「一言多いですよミツコ先輩」


「力持ちだし、計算出来るし。そろそろワタシのことをみーちゃんって呼ぶ?」


「ふっふっふ。一から一〇〇までを全部足すと幾つになるか知っていますか?」


「え? そんなの数えられるわけないじゃない」


「五〇五〇」


「……あんた、何者なのよ。いっつもワタシのオッパイばっかり見てるくせに」


「一言多いですよミツコ先輩」 


「だから、いい加減みーちゃんって呼べよお」


「あ、お会計ですか。四〇ライザになります。丁度ですね。まいど」


 お昼時の台風一過。

 常連の犬顔の客が、いつものメニューを食べそれを見送った。

 彼が帰ると、雲一つない晴天のように客席もがらがらになった。

 暇つぶしに俺とミツコ先輩はグダグダと取り留めのない言葉を交わしていた。


 裏口から呼びかける声が聞こえた。

 

 野良のクロが餌をねだりに来ていた。

 尻尾が鞭の様にしなる。

 全身真っ黒な美猫。

 残り物でゴメンな、と言いながら肉の切り身を分けてあげた。

 クロは飛びあがって喜び、ガツガツと食べた。

 食べ終わると、特に何の挨拶も無く、後片付けもせず、お尻の鞭をしならせて帰って行った。

 

 現金なヤツだなあ。

 せめてお礼ぐらい言えよ、と思う。


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