七話
「まず、おねしょという名称は適切じゃない。ここは夜尿症と言っておこう」
かなんくんは、語り始めた。
そもそも、保健適用のれっきとした医療分野の話である。
一番良いのは、専門の医者に掛かり、投薬治療と指導で、専門的且つ適切な治療を受けることをお勧めする。
最も効果が期待されるし、何より早いだろう。
僕たちは素人だ。
もしかしたら手に負えないだろう。
もしかしなくても力不足だ。
「……で、でも」
リリカは、借りてきた猫を又貸ししたくらい大人しく反論らしきものをした。
声を出来るだけ抑え、出来るだけ音が周りに届かないようにした。
俺の方を見て、どうやって答えれば良いか、判断を仰いでいる。
「リリカがお医者さんに行けるようなら、そもそもここまで悩んでないんだ」
俺はリリカの視線を受け止め、代弁した。
大丈夫。
喋るのは俺がやるから。
「……まあ、そうだよね。でも僕たちが出来るのはせいぜい民間療法だから、効果に保証はない。本とネットの知識のみの経験も無い付け焼刃で不確かなものだ。それでもいいなら協力しよう」
「それで良い。これでダメならスパッと諦めさせて、病院に行かせる。約束するよ」
「うん。我がまま、かもしれないけど、お願いします」
「ミカンリョウホウって何?」
すずめがくちばしを挟んだ。
うるさい。
辞書を引け。
「…………」
ナベは相変わらず影が薄い。
お前はもっと喋ってもいいよ。
今更だが、我々が何者か、明かすとしよう。
我々は「秘密結社 財団法人 アスク23」である!
命名センスへの文句は、受け付けない。忙しい。
活動目的は、リリカのおもらしをストップすることである。
成功報酬と口止め料を餌に、長年に渡るお年玉と小遣いの預金で組成された無認可組織である。
ちなみに「アスク23」は「ASC2~3」の日本語読みで「奄美諸島サンセットクルージング付き二泊三日の旅」の略だ。
何故、奄美諸島なのか。
すずめの持ってきた格安旅行代理店パンフレットに書いてあったからだ。
構成人員は、俺、リリカ、かなんくん。
それと、ナベとすずめだ。
ナベとすずめが参加したのは深い不快理由がある。
盗み聞きしてやがった。
最初はかなんくんへのお礼兼口止め料として、単純に現金を考えていたが、流石にそれは無礼なんじゃないかと思い、何か品物をと本人へ直接提案した。
もちろん、超高校生級の聖人であるかなんくんは、当たり前のようにそれを拒否した。
そもそも口止めなどしなくてもこの人なら口外しないことぐらい分かる。
のだが、突然のすずめの闖入、パンフレット片手に旅行の話を、凄腕営業マンもかくやたる勢いで直訴した。
すずめのテンションの高さがうざい。
水着を買わなくちゃ、いついくのいついくのいついくの。
聞き耳を立ててあまつさえ乱入してくるような不行儀なヤツを黙らせるには三つの方法しかなかった。
一つ目は、縛り上げ簀巻きにして筑波山中に埋めること。
二つ目は、縛り上げ簀巻きにして利根川に流すこと。
三つ目は、参加させ絶対に口外しないことを誓わせること。
お勧めは筑波山中だったが、残念ながら前述二つは実行出来ない。
なぜなら、どちらも2003年に改正された廃棄物処理法に引っかかる恐れがあるからだ。
世界に冠たる美しい自然を持つ先進法治国家の住人として、山河を汚すなど許されない。
仕方ないだろう。
すずめのなし崩し的参加と同時に、奄美諸島への旅行もなし崩し的決定となった。
そもそもかなんくんと俺だけだと、女の子であるリリカは相談しづらいこともあるだろうから、女子の参加はいずれ必要なことだった。
もう一人の女子、ナベは気付いたら参加していた。
マジでいつからいたのか気付かなかった。
薄々思っていたことだが、忍者かステルス戦闘機の類に違いない。
「まず、このレジュメを見て欲しい」
どさっと紙袋を机の上に置くかなんくん。
A4用紙の左隅にホチキスでまとめてある束を三部ずつ各人に配る。
『 夜尿症
①夜間の尿量が多いこと。腎不全・尿崩症・糖尿病などに見られる。
②睡眠時、無意識に尿を漏らす状態。5~6歳以上になっても排尿の抑制調節が十分でなく、睡眠中排尿を繰り返すものを病的とする。 』
「僕たちのターゲットは当然、この分類で言うところの②になる。さらに――」
『 遺尿症ともいう。膀胱にたまっている尿を無意識のうちに漏らしてしまうことを尿失禁といい、夜尿症はその一つの型である。乳児期から続いているものを一次性夜尿症。いったん止まって再び始まったものを二次性夜尿症という。夜尿症には身体的素因が関係しているものもあるが、二次性夜尿症では心因によるものも多い。一般的には年齢が長じることに従って減少し、自然に治る。治療法は原因によって異なり、薬物療法や精神療法が用いられる。 』
「二人の話を総合すると、心因性である可能性が高い。
だが、素人判断だ。再三でも再四でも何度でも言うけど、病院で検査することがベストだよ。
それを踏まえた上で言おう」
かなんくんは、言った。
「僕の考えた結論。身体的素因があるまたは気質的な疾患がある場合、僕たちではお手上げだ。
ここでは、心因性であると断定する。ストレス解消と原因究明、それを解決の糸口としよう」
「……ぐ、ぐぐぐ具体的に、は?」
ナベが本当に久しぶりに喋った。
最早なじみとなった吃音を気にする俺ではない。
「良く遊び、良く学ぶ」
ペラリと紙束の中から、日程表が出てきた。
二学期までの学校内外におけるイベント情報一覧だ。
「……ななな、にそれ、ふざけてる、の?」
ナベが、怖い。
「大真面目だよ。僕たち程度が現実的に出来るストレス解消と原因究明だ。
気にしても仕方ないところはあるんだ。
そもそも特効薬的な治療法は無い。原因も不明。
だが、話によると一月に一回以上という規則性はある。
リリカちゃん。悩まなくても良い。
しちゃったらしちゃったで、分析材料が増えたと考えればいいんだ。
その時の精神状態を引き起こした原因をね。急がずゆっくり治すとしよう。
皆で遊ぶ口実、くらいの気持ちでいこうよ。これから楽しく遊ぼう」
ね、と最後に一万ルクスくらいの笑顔をリリカにぱっきーんとぶつけた。
リリカは、一万ルクスを照らされて妙に顔が赤くなった。
それを見てイラっとしたのは気のせいだ。
それからの一ヶ月を最短で語れば「ただ遊んでいただけ」というわずか九文字で終わる。
一ヶ月という区切りからも分かるように、残念ながらリリカが次のおねしょをするまでの期間の話だ。
土曜日。カラオケ。日曜日。ショッピング。
といった具合に何とも珍しさのないルーチンが続いた。
カラオケを、卓球ビリヤードダーツに、ショッピングを映画図書館ショートゴルフに変えれば出来上がる。
もちろん楽しかったし、文句はないが。
日曜から次の土曜までのその間「秘密結社 アスク23」はミッションを発令した。
ジョギング。ストレッチ。腹筋、腕立て、スクワット。基礎体力を向上させる目的だ。
リリカは中学時代、文化部に所属していたため、これはキツそうだった。
もちろん俺も付き合ってあげた。最近のジョギングウェアは薄い素材でピッタリとしているくせに、やたらとヒラヒラしている部分もある。とても良い事であると思います。
意外なことにかなんくんは歌がヘタクソだった。
何か不思議な魔法を掛けられたカエルがうっかり王子様の姿を取っているのだろう。
濁点をつけることが困難な文字に濁点をつけるという離れ業をいとも簡単にやってのけた。
カラオケでマイクを独り占めして連続で選曲することを偉大だが傲岸な元チャンピオンを揶揄して、マイクタイソンと呼んだりするとかしないとか。
ナベのマイクタイソンぶりは大層酷かった。
一般的なマイクタイソンは、メジャーなポップ曲を入れたりしてデュエット的に皆で歌えるようそこそこ楽しめるように気を使ったりするのだが、インドミュージック、超マイナーアニメソング、アングラ系ヒップホップなど誰がわかるというのだ。
ヒューマンビートボックスには感動した。
演歌の繋ぎにデスメタルを入れられたとき、俺は正直、引いた。
おいタイソン。
何階級制覇だ。
そんなこんなで一ヶ月が過ぎた。
いつものように閣下に就寝のご挨拶をして、寝た。
目を開けたら、そこは異世界だった。