二話
無意味ともいえる七文字の吹き出しが、モウゼの海割りの奇跡のごとく、なじる言葉の奔流を止めた。
不思議なことにこの動物園ではあるコンセンサスが取られている。
絶滅種の発言は優先されるというものだ。
別段強制されているわけではないが、皆それを守っている。
故人を偲ぶといった日本人的感傷なのか、一四〇万分の三〇〇が珍しいからなのか分からない。
ログインするごとに動物の種類は変わるのだからはっきり言って意味の無いリスペクツだと思うが、こういった無駄に洒落た遊び心があるのはギークダムたるネットの世界ではいまさらだろう。
【《絶》ニューイングランドソウゲンライチョウ】
「異世界うんぬんの真偽はこの際おいておこう。でもね、高校生になってもおねしょをするっていう悩み。幼馴染であるところの君はそこを一番心配しているんじゃないかい? もちろん、僕だっておねしょについて知っていることは少ないから適当なアドバイスは出来ないけど、問題提起が間違っているかと思ってね。おっと長文失礼した」
なんと。
信じられないほど的確且つジェントルな意見。
まさしくそれだと俺の心がぶるんぶるん揺さぶられた。
あれらの世界が本当に存在するかどうかとか、初対面の人に一から説明して証明するなど、この際どうでも良い問題だ。
リリカのおねしょ癖さえ治せば問題解決じゃないか。
絶滅ライチョウの言葉が終わり待機モードになると、また賢者たちが騒ぎ出した。
しかし、今度はちょっとばかり流れが変わっていた。
【メキシコオヒキコウモリ】
「確かに高校生でおねしょはきついかもなあ。「漢方たかだい」見た?」
【コモンツパイ】
「筋肉の衰えが関係しているのかもよ。ああ、でも高校生じゃそれはないか」
【ダイアンチルヨタカ】
「頻尿か過活動膀胱だろ。ってか「健康たかだい」行けよ。荒らされても気にすんな」
【キボシイワハイラックス】
「寝る前にトイレに行かないとたまに私もしちゃうから、人事じゃないかも」
【シロメジリハチドリ】
「そんなに変なことじゃねえって。焦らすゆっくり治すように」
時間が経つにつれ、肯定的な意見が占めるようになってきた。
ちらほらと体験談もアドバイスとして見て取れた。
皆と違うわけじゃないかもしれない。
そういう安心感が俺を包み込む。
最初に叩かれたせいかもしれないが、砂漠にオアシス的な励ましは俺の目頭を熱くした。
【エリマキキツネザル】
「正直、こんなにたくさんの暖かいご意見をいただけるなんて思っていませんでした。後で全部のログを印刷して一つ一つ読ませていただきます。ありがとうございました」
「おいおいやめろよさっき帰れとかいっちゃったよ頑張れよ」という照れ照れした言葉や、「大丈夫だよ幼馴染さんにもよろしくね」といった暖かい言葉の羅列が俺の琴線に触れた。
はっきり言って、やり取り自体にはほとんど意味は無かった。
諸問題が解決したわけでもない。
ただ、悩み相談をして、それについて語り合っただけだ。
的確なアドバイスであるかどうかも怪しい。
だが、誰にもいえない悩みを吐き出すことが出来たことと、得体の知れないそのお悩みに応えてくれる誰かの存在を実感した。
そんな体験をした俺はこの動物園が好きになった。
なるほど。
人気があるのもうなずける。
だから、つい調子に乗ったのもしょうがないことなのだろう。
魔が差したというのはまさしくこのことを言うのだ。
俺は貴重な絶滅種に向かって言った。
【エリマキキツネザル】
「ところで、ニューイングランドソウゲンライチョウさん。居られますか? もし、よろしかったら「あなぐら」でお話させてもらってもいいですか?」
「あなぐら」とはお互いが合意した特定のアバターとだけで話すことが出来るチャット機能のある場所を指す。
そこは完全密室でプライバシーが保たれている。
公開されたくない、もうちょっと踏み込んだ話の出来る場所として活用されているという。
今まで大人しく話の流れを見守っていた絶滅種の返事はすぐに返ってきた。
【《絶》ニューイングランドソウゲンライチョウ】
「もちろん、いいよ」
自分で誘っておいて何だが、全てに身を任せた。
僕のほうが早いからという絶滅種の言い方はちっとも嫌味を含まず、事実このアプリについて初心者だった俺は特に穿った見方などしなかった。
《絶》ニューイングランドソウゲンライチョウさんから「あなぐら」に招待されました。招待を受けますか?
ぽちっとイエスボタンを押すと、あっという間に「あなぐら」と書かれた古めかしい門扉の前に出た。
ぎぃぃぃがしゃあんという不気味な電子音が鳴り、キツネザルとライチョウが二匹だけの完全密室が出来上がった。
「あなぐら」という名にふさわしい、粗粒子なダークブルーの配色で彩られていた。
岩盤をくりぬいただけのごつごつ岩が突き出た洞窟のような半球状の空間に、あたりはおどろおどろしいしゃれこうべやちらちら瞬くたいまつがあるが、作成者のセンスと意図が理解できない。
密談を交わすことに暗いイメージでもあるのだろうか。
それともお菓子の国の恐ろしい舞台裏を暗に示しているのだろうか。
「君は動物園は初めてだろ?」
〝わいわいずー〟になれた人はこのアプリを動物園と呼ぶことが多いようである。
「そうです。さっきの質問のちょっと前くらいに新規登録しました」
「やっぱり。全くブロック機能使わなかったから、凄いことになってたよね」
なんと。そういう機能があったのだ。
「敬語は使わなくていいよ。イーブンな関係の方が話しやすいと思うから」
何とも紳士的に、絶滅種はそう語った。