プロローグ
『告白された罪は半ば許される
――ジョン・レイ――』
なるほど。
では、告白しよう。
おほん。
確かに、幼馴染のおねしょについて、ばらしたのは俺だ。
個人的な欲求の解消がその理由だった。
「むしゃくしゃしてやった」という主に刑法がらみで「バールのようなもの」の次によく使われる法律の専門用語。
実に的確に心情を表す言葉。それである。
若きウェルテルよろしく思春期のお悩みという不発弾は圧縮され続けた挙句ビッグバンを迎えた。
宇宙の起源がこうやって出来たのだとしたらそんなばっちいところに住みたくなどない。
長きに渡る完全なる証拠隠滅の努力が水泡と化し、絶対に口外してはならぬという約束をビリリと破いた。
全て事実だ。
よし。
罪状認否は終わった。これで半分は許されたはずだ。
次に、意見陳述と言う名の言い訳を始める。
かしこまっていうなれば、広く一般に考えられている常識的日常と、目の前で起きる数々の非常識な珍事。それらの差異が原因の不安によって引き起こされる血圧の上昇・脈拍増加・動悸・息切れ・夜更かし・朝寝坊・机上睡眠・寄り道・買い食い・赤点答案などなどが、俺を押しつぶそうとしていたからである。
特に裏の意味などない、そのまま受け取ってほしい……のだが、かしこまりすぎて逆に意味が分からない。
もちろん解説が必要だと思う。
小難しく言って有耶無耶にしようなどと、か、かか、考えていない。言うまでもないことだ。
言うまでもないこととは、大抵、言ってから言う言い訳のようなものである。
自分が普通人ではなく、特別な存在として認められたいと願う。
なんらおかしなことではないと思う。
しかしながら、逆も真なりだ。
自分が他人とは違い、非常識であるかもしれない。それを不安に思う。
何もおかしくない。
こういった相反する感情はいったいいずこの泉から湧き出るのだろう。
鉄の斧を投げ入れると金の斧を持った美女がぽろんと出てくる万物の法則を無視した泉でないことを祈る。
正直者であると胸を張って言えない者にとって、あの泉は危険だ。
正直者であると胸を張って言える者は、正直者でない可能性がある。
つまり、あの泉は危険だ。
個性が大事と人は言う。しかし、大多数にそれを求めるのは酷ってものだ。
一方、人はこうも言う。普通が一番。誰もがうなずく魔法の言葉。
個性が大事。
普通が一番。
じゃあいったいどうすればいいのだ?
そういった交差しないパラレルステレオ義務教育を終えたばかりの俺が、個性と普通の価値観の違いを起こしひねくれた精神構造を持ち個人的な欲求の解消にいたるのはごく当たり前のものではなかろうか。
作用と反作用だ。
エヌ極とエス極だ。
光と影だ。
イケメンとブサメンおっとこれは違う気がする。
「モテる者モテざる者」といったいっそ清清しいほどの現実的ヒエラルキーの話はまた後でするとしよう。
長々愚痴愚痴してみたが、要するに俺は、みんなと違うかもしれないことが怖かったのだ。
だから誰かにそんなこともあるよね、と言って欲しかったのだ。
だが、結果的には結構正しいことをしたんじゃないかなあ、などとも思う。
個性と普通は本来的には共存できるはずだと。
さて、一般論をじゃんじゃんぶつけて色々煙に巻いてみたがうまくいっただろうか。
反省の色が見えない? では説明してもらおう、それは何色なのだ。
きっと洗濯したばかりのシーツのような色だろう。
ちなみに俺のベッドシーツはこげ茶色だ。
よって俺の反省の色は茶色なんだろう。
あまり綺麗な色ではない。
待て待て。
道端にたたずむゴミを見るような目を向けるな。
もっと詳しく陳述する。
まさかと思うが、為になる話が聞けると思い違いをしていないだろうな。
よろしい。君は聡明な人間であるようだ。
そもそも、青春と恥は等式関係にあると有史以来決まっている。
そう考えると、あれはやはり青春であったのだ。
〝わいわいずー〟という交流アプリをダウンロードし、ネットの賢者たちに相談したのがその発端だ。
まさかこのネット渦巻く現代社会でそうそうたやすく個人を特定できるなんて思わないだろう?
しかし、あっという間に俺は特定され、そしていとも簡単にリリカの秘密をゲロって、三人を巻き込み異世界に行き、すったもんだの末、ハードランディングをかました。