プロローグ 価値観
『人は皆、自分の靴のサイズで物事を測る』
これはノーベル物理学賞を受賞した、かの有名なアルベルト・アインシュタインの言った名言の一つである。
今ではドイツの一般的な諺として広く知れ渡っている。日本の諺では『自分の物差しで、人を測る』のようなものでる。
彼は、一般相対性理論や特殊相対性理論など様々な業績を挙げている。
偉そうにこのようなことを私は言っているが、『相対性』とはなんだ?という問いに私は科学者ではないから答えられない。
しかし彼は、6歳の子供に教えるかのようにこう例えている。
『可愛い女の子と一時間一緒にいると、一分しか経っていないように思える。
熱いストーブの上に一分座らせられたら、どんな一時間よりも長いはずだ。
相対性とはそれである。』
アインシュタインが日本を訪れた際、当時住んでいたアメリカではすでにモータリゼーションが起こり、自動車での移動が一般的になっていた。
そんな中で彼は、日本での移動手段に人力車に乗ることを薦められる。
当時、世間では人種差別が当たり前の時代であった。
しかし彼は非人道的な奴隷労働と解釈して乗車を拒否したそうだ。彼と世間との価値観の違いがみられる。
まあ、昨今では人力車が人種差別などの観点とは別に安全やエコなどで見直され、イギリスやフランスでも多く走っているから時代の流れには驚きである。
価値観とは十人十色、百人百様、千差万別。自分が正しいと思っても、周りの人間は正しくないということはざらにある。
芸術だって自分が素晴らしいと思っても世間は評価せず、死後に評価されたり・・・なんてことも。
そんな彼は、ナチス人であったために戦争で国を追われアメリカに渡り、軍の兵器を改善に尽力した経歴もある。
戦争終結後、彼は『我々は戦いには勝利したが 平和まで勝ち取ったわけではない。』と演説した。
人間は生きていくためには食べ物となる生き物を殺し、草木を伐採し田畑を耕す。それは人間が『生きる』ということに価値を感じているからであろう。
人間にとってそれは極々当たり前のことだ。
殺される動物も子孫繁栄、子々孫々のために似たように生きている。
中には悪魔と呼ばれる者たちも・・・。
『生きるための価値』そこにはが存在していて、一方には『生きていくために仕方のないこと』そしてもう一方には『生き甲斐ともいえること』。
お互いが実行すればどうしても相容れぬために衝突が生まれ、やがてその波は大きく拡大し手の施しようがないものとなる。
どちらかが服従、世界を統一するか。もしくは『生きていくため』という基準を下げるか、それとも『生き甲斐』を新たに見つけるか。
はたまた、暗黙の了解で両者ボーダーラインを引くか。
戦いに勝利することを目的とするのか。
それとも、その先にある平和が目的なのか。
『人の価値とは、その人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる。』