人事を尽くして天命を待つ
秋の、朝や夕方の一時にかすかな肌寒さを覚えはじめたころ。少年のたどたどしい手付きで、柔らかなペパーミントグリーンの毛糸が編み込まれていく。一度解いて球状に巻き直した毛糸の玉は、五十嵐竹千代が針を動かすたびに、籠の中で解けて、くるくるくるくるくるくるくる回る。猫がいたら喜んでとびかかってきそうだ。
危なっかしい手元ながらも、懸命に編み棒と毛糸と格闘する彼をぼんやりと眺めていた涼月菊子が、使われていない毛糸玉を転がしながら、こてんと首を傾げた。
「ねぇ、五十嵐君」
「ん、んー?」
「それって、難しいですか?」
「まぁなぁ」
一心不乱に、指と毛糸を手懐けようとしている竹千代は顔を上げない。ひとつのことに没頭し出すと周囲が見えなくなる友人の癖を菊子はよく知っている。だから竹千代のおざなりな返事に怒るでもなく、視線を竹千代の横で同じようにキャロットオレンジ色の毛糸を編んでいたスピカへと移した。スピカはおっとりと微笑んで、菊子の視線を受け止める。
「スピカさん、難しいですか?」
「ううーん、どうだろう。菊子ちゃんは不器用だからね」
「…………」
編み棒を動かす手を止めず、スピカが困ったように笑う。今、竹千代が必死の形相で編んでいるのは太い毛糸で編むざっくりとしたモヘアのマフラーだった。
何を思ったか、急に編み物を始めた竹千代に釣られてスピカまでもが編み棒を手にしたのが数日前。それ以来、ふたりはずっと休み時間中毛糸と格闘している。正しく言うなら、格闘しているのは竹千代だけで、慣れているスピカはするすると余裕の表情で毛糸を編んでいるのだけど。
スピカが苦笑するしかないように、菊子はあまり器用ではない。料理はサムゲタン以外出来るくせに、なぜか裁縫限定で、壊滅的なまでに不器用さを発揮するのだ。今までに折った針の本数は数知れず、ミシン台は扱えば壊すので、すでに教師から使用禁止が言い渡されている。そんな曰く付きの自分の両手をじっと睨み付け、菊子が眉を顰める。
「そうだわ、かぎ編みで太い毛糸を編んでいくものなら、菊子ちゃんでもなんとかなるかしら」
「……本当ですの?」
「う、うーん。ほしょ、保障は出来ない、けど」
引き攣った笑みを浮かべ、視線を外すスピカをじとりと睨み付け菊子が訊く。己の壊滅的な不器用さを自覚している彼女は、編んでみたいという気持ちはあるのに素直に口に出すことが出来ずにいる。きっとどんなに壊滅的に下手くそなマフラーでも、菊子の恋人は喜んでくれるのだろうけれど、あまりみっともない物は贈りたくないプライドもあるわけで。
「興味があるなら、やればいいじゃないか」
ぐずぐずと思い悩んでいる菊子に、編み物男子初心者の竹千代がざっくりと言い切る。まだキリのいいところまでいかないのか、視線は網目に落としたままだ。
「五十嵐君、」
「失敗したら失敗した時に諦めればいいさ! まだクリスマスにもバレンタインにも時間はあるぞ!」
一段落ついて顔を上げた竹千代が、ぴしりと菊子の額を優しく叩く。きゅっと眉を顰めた菊子を覗き込んでスピカが優しく問いかけた。
「おし、教えるから、頑張ってみましょうよ」
「毛糸を買いに行くなら早めにな! 本なら図書館に専用コーナーができていたぞ」
「……お願い、いたします」
「はい。じゃぁ、教えましょう」
耳まで真っ赤にして、俯きぼそぼそと礼を述べる縦ロールの乙女の頭を撫でて、スピカは柔らかく微笑んだ。