勇者
「俺、ぜったいに勇者になるんだ」
兄さんはいつもそう言ってた。
その話をするときの兄さんの目は、きらきら輝いてすごく楽しそうで、そんな兄さんの姿をみているのが、僕は好きだった。
兄さんは勇者になるため、毎日、スライムと戦って経験値を稼いだり、HPの回復に備えて森で薬草を探したり、ヒノキの棒を装備して、敵を倒すための訓練をしていた。
勇者になるための道のりには、確かに少しばかり遠かったれど、兄さんはいつだって、強くなろうと真剣だった。
真剣に、強くなるために、頑張っていた。
……けど、村のみんなは、そんな兄さんをいつもバカにして笑った。
「ひのきの棒を装備して、村の周囲のスライムを追いかけ回すぐらいの力しかないくせに、勇者になるだなんて、よくもまあそんな大きなことが言えたもんだ」
「あそこの倅、いつか勇者になるんだとよ。まったく、現実ってものが見えてないよな。魔法も剣も使えない宿屋の息子が、勇者になんてなれるわけがないのに」
僕たちの母さんでさえ、
「あんたがなにを考えてるかなんて知らないけど、今の自分は仮の姿だなんて、バカなことを考えるんじゃないだろうね?
よくおきき、おまえは私と父さんの子で、ただの一村人、正真正銘、宿屋の息子でしかないんだ。
魔王に魔法をかけられたどこかの王子かもしれないなんて、そんなことはありえないんだから、いい加減、夢ばかり見てないで、もっと真面目に生きたらどうだい」
そう言って、兄さんを叱りつけた。
僕よりもまだ幼い、ほんの小さな子どもまでもが、
「うそつき」
「ゆーしゃになるなんて、無理に決まってんじゃん」
と、兄さんをバカにする。
僕はそんなみんなのことが悔しくてたまらず、ある日とうとう、どうして兄さんがみんなにバカにされないといけないのか、どうして兄さんはみんなに怒らないのか、泣きながら兄さんを問い詰めた。
「……だってさ」
困ったような目を向けながら、兄さんは僕に教えてくれた。
「戦士に必要な剣技の才能があるわけでもなければ、格闘家にふさわしい身体能力をもっているわけでもない。魔法使いに必要な頭の良さも足りないし、僧侶として神を身近に感じる力だってありやしない。
みんなが、俺なんかが勇者になんてなれるわけがない、ってバカにしたくなる気持ち、正直俺にもよくわかってる。
だって、戦士や格闘家や魔法使いや僧侶になるのはきっと難しいって、俺が一番よく知ってるから」
どこか寂しげな兄さんの口調に、僕は間違ったことをしてしまった気分になる。
「……でも、俺、信じてるんだ。
勇者はきっと、戦士や格闘家や魔法使いや僧侶や、そんなのとは違うんじゃないかって。
勇者は、たぶん、そんなんじゃないんだって」
祈りや願い、そんな思いが込められた言葉が、兄さんの口から綴られる。
「知力や筋力や才能。
勇者に必要なのは、そんなんじゃなくて、それとは別の力なんだ、って。
知力と腕力と才能とか、そんなのなくても、人はきっと、勇者になれる。
見る人を勇気づけたり、この人がいるから大丈夫って、姿を見ただけで安心してもらえたり。
それが勇者が持つ力で、努力は確かに必要だけど、でも、何の才能もない俺だって、ものすごく頑張れば、勇者になれるかもしれない。
俺みたいな奴だって、俺以外の誰かに勇気を与えられる存在に、努力すればなれるかもしれない。
……そう信じたいんだ」
そう話した後、照れ臭そうに笑う兄さんなら、勇者に慣れると信じたくて、必死に、僕も兄さんに言った。
「大丈夫。なれるよ、きっと。兄さんなら」
……大丈夫。
兄さんならきっと。
それからしばらく経ったある日、兄さんは宿に泊まった冒険家たちの後を追い、村を出ていった。
母さんは、この親不孝者が、と泣いて兄さんを責め、父さんは、おまえなんてもう二度と帰ってこなくていい、兄さんを殴りつけ、そのあとはもう兄さんと、顔を合わせようとしなかった。
兄さんは何を言われてもどんなに追いすがられても何も言わず、ずっと前から長い時間をかけて準備していたのだろう荷物を一つだけ背負うと、誰も見送りに来ない村の入り口で、父さんと母さんをよろしくな、と僕にだけ言葉を残し、ひっそりと姿を消した。
僕は兄さんにしがみつき、行かないで、と泣いて頼みたかったけれど、兄さんが何のために頑張ってきたのか知っていたから、泣いたり追いすがりたくなるのをぐっとこらえて、兄さんの夢への門出を見送った。
兄さんが村を出てしばらくは、どこかの村のモンスターを退治した冒険者のグループに兄さんを見かけた、とか、知り合いの商人がどこそこの街で宿屋の息子を見たそうだ、などといった話がときどき村まで届いたが、兄さんがいなくなって数年すると、そんな噂が村に届くこともなくなってしまった。
年月が流れるうち、兄さんの存在が少しずつ忘れ去られていく。
あんなに色鮮やかに胸の中にあった兄さんとの思い出も、岩が波に削られていくように、少しずつ、僕の記憶から失われていく。
そして、もう二度と会えないかもしれないと覚悟していた兄さんが突然村に帰ってきたのは、それからさらに数年過ぎたある日のことだった。
久しぶりに会う兄さんの体には筋肉がつき、少し痩せ、そしてやはり、少しだけ年を取っていた。
村の人間はみんな、突然現れた兄さんの姿に驚き、そして、兄さんが村に戻ってきたことを祝った。
過ぎ去った長い年月に、母さんは泣き、父さんも兄さんを許した。
「村を出ていったあと、一体どうやって暮らしてきたのか」
「冒険はどんなものだったか」
「魔王にあうことはできたか」
そういったことについて、みんなが興味をもって質問したが、でも兄さんはどの質問対してもあいまいな笑みを浮かべるばかりでなにも答えようとせず、ただみんなに囲まれてひっそりと笑っていた。
何も話そうとしない兄さんの姿に、村人たちは、
「なんだい。もったいぶりやがって」
「どうせ家を飛び出したものの帰るに帰れず、別の村でほとぼり醒めるのを待っていたんだろうよ」
と、また兄さんを悪く言いはじめたりもしたけれど、それを知ってもまだ、兄さんは黙って笑みを浮かべたまま、何も話そうとはしなかった。
兄さんと僕はまた以前と同じように同じ家で暮らし始め、むかしと同じような、けれど前とは明らかに違う日々が繰り返される。
兄さんは旅に出ていた間の経験を活かして、村人にモンスターから畑を荒らされないようにする方法、街で商品を高く売るためのまめ知識などを村人たちに教えはじめ、それに伴い、兄さんに対する村人の評価は徐々に良いものに変わっていった。
「あいつは本当に冒険をしたんだ」
「たとえそうでなくても、見知らぬ地で頑張ってきたことには間違いない」
モンスターが村に出没し、村が不安に陥った時も、兄さんは進んで自衛団を組織し、村の同年代の若者と、見回りを行ったりした。
森の洞くつで迷子になった子どもを兄さんが見つけて村に連れ帰った時の、みんなが兄さんに感謝し兄さんを称賛した姿を、僕はいまだに忘れられない。
何かある度、みんなが兄さんを頼りにした。
兄さんがいれば安心だ、と誰もが笑顔で口にする。
僕は、兄さんが認められることが嬉しかった。
兄さんが、皆に頼られ、自慢におもわれていることがただうれしくて。
だからこそ、しばらくの間、気付けなかった。
村に帰ってから、兄さんが一度も、昔のように僕と話してくれないことに。
僕と、だれとも、距離を置いていることに。
僕はずっと、気付けずにいた。
「兄さん」
そう僕が呼びかけると、兄さんは顔をあげ、僕を見る。
兄さんはいつものように笑みを浮かべている。
「ねえ、兄さん。僕にくらいは話してくれてもいいでしょう? 秘密にしてないで教えてよ。冒険ってどんな感じだった? 敵は強かった? 旅の間、毎日どんなことして過ごしてたの?」
兄さんは目線をそらし僕から顔をそむけると、すこしだけ固い口調になって、僕に言う。
「……話すほどに特別なことなんて、何もなかった。毎日何かが起こって、気付けばあわただしく一日が終わってて。そんな日を、ずっと繰り返していただけさ」
そんな兄さんの言葉に、だけど、と僕はなおも言い縋る。
「でも、気になる。兄さんが、どんなふうに過ごしていたのか」
少し照れ臭かったけど、ついでに、兄さんにずっと伝えたかったことを言葉にしてみる。
「ねえ、兄さん。僕、兄さんの弟で、ほんとよかったって思ってるんだ。自慢なんだ、兄さんのこと。だから知りたい。兄さんの冒険の話を聞かせてよ」
兄さんはただだまって、しばらくの間、僕のこと見つめていたかと思うと、ようやく口を開いて、僕に言った。
「……俺は。俺はただのうそつきだ。みんなの言うとおり。俺はうそつきで、うそつきのままで。うそつきにしかなれなかった。勇者になるなんて、空想を抱くのも大概にしろ、と昔の俺を怒鳴りつけたい。
俺なんて、お前に自慢に思ってもらえるような、人間じゃないんだ」
「でも、兄さん。兄さんは僕たちにとっては本当に勇者……」
兄さんの言葉を否定しようとした僕を、兄さんは久しぶりに正面から見据え、睨みつける。僕から見た兄さんの瞳には、怒りと悲しみをごちゃまぜにした、奇妙な光が宿っていた。
「俺に勇者なんて言葉を向けるな!」
兄さんの声が悲鳴のようにあたりに響く。
「でも……」
なおも言いつのろうとする僕に、兄さんはいらいらした様子で言葉を続けた。
「そんなに知りたいなら、教えてやろうか? 俺が仲間に入れてもらってやっていたことは、食事の用意とか食材の管理、あとはせいぜい荷物運びさ。朝起きたら、食材の在庫をチェックして、次の村までどのくらいかかるか計算しながら、その日の献立を決める。荷物を背負って、森の中や草原を歩き、モンスターが現れたら、仲間たちが倒してくれるのを隠れて待った。……闘いの中、俺にできたことは、せいぜい足手まといにならないようにすることだけ」
「だけど、例え最初は弱くても、そんなの訓練して戦っていけば少しずつ……」
「俺もそう思っていたよ。だから、夜、時間ができると、パーティのみんなに武器の使い方とか魔法の唱え方とか教えてもらってさ、練習した。みんなすげえいいやつらでさ。疲れてるのに嫌な顔せず、ああだこうだ、と親身になって教えてくれた。俺、筋がいいって褒められたんだぜ」
兄さんはそこで、今にも泣きそうに顔を歪ませる。
「みんな、本当に、すげえいい奴らだったんだ。あほみたいに、いいやつらで……。いいやつら過ぎて。それよりなにより、俺が弱かったから……」
兄さんは僕に言う。
「なあ、弱いってことは罪なんだよ。俺はバカだから、そんな当たり前のことを知らなかった。勇者が強いって信じられてる理由がわかるか?勇者は人を守れる力と何があろうとそれをあきらめない覚悟があるから、勇者って呼ばれるんだ。誰も守れない奴は、勇者になんてなれない。そんなの、当たり前のことだったのに」
涙は流していなかったけど、その声の響きで、僕には兄さんが泣いているのがわかった。
兄さんは村に帰ってきてから、ずっとずっと、だれにも見えないところで、泣いていたのだと知った。
「俺、勇者になりたかったんだ。本気だったんだ。本気で……。だけど弱くて。弱かったから、あいつらの足手まといになって、死んじゃって。みんな俺を守ろうとしたんだ。頑張れば、俺は勇者になれるから、だから逃げろって。強くなるまで、頑張れって。……馬鹿じゃないか。俺は怖くて、怯えていただけだったのに」
兄さんは言う。
「強く、どうしてもっと強く、なろうとしなかったんだろう。どうしてみんなと同じように、立ち向かっていけなかったんだろう。どうしてこんな弱虫のくせに、勇者になんて、なれるとそう思ったんだ。
俺は俺が許せない。
……なあ、どうして俺は、今ここで、普通に生きていられるんだ?」
「……兄さん」
兄さんにかけられる言葉が、僕には思いつかなかった。
兄さんの旅の途中に仲間が死んだこと。
兄さんが、戦いの中、何もできなかったこと。
そのことに、兄さんがひどく傷ついていて、夢をあきらめかけている。
わかったのは、それを無理やり、僕がききだしたということだけだった。
けれどそう。
それでも。
僕がまだ、兄さんならきっと勇者になれる、と信じてる。少なくともこの村の中で、僕にとって兄さんは勇者なんだ。
そう話したら、兄さんはどんな顔をするのだろう。
やはり兄さんを、僕は傷つけてしまうのだろうか。
僕には、昔から、なりたいものなんて何もなかった。
村の外に出て冒険することなんて、考えることさえしなかった。
ただ一生、宿屋の息子として生き、そして死んでいくのだと、そうずっと思ってた。
だから、兄さんが眩しかった。
兄さんが誰に何と言われても頑張るたび、僕も頑張ろうという気になれた。
兄さんの夢がかなうことが、僕の夢だった。
兄さんは僕に昔、勇者とは「見る人を勇気づけたり、この人がいるから大丈夫って、姿を見ただけで安心してもらえる存在」なんだと教えてくれた。
僕は兄さんを見ていると、勇気をもらえる。
兄さんが、今ここにいるだけで、なんだかすごく、安心する。
村の人たちだってそうだ、兄さんがいることを、どんなに心強く思っていることか。
……兄さん。
僕は、どうしたら、兄さんにそのことを伝えられるだろう。
兄さんはうそつきなんかじゃない。
そう伝えたいのに、僕には兄さんに向けるための言葉が、何一つ、見つけきれないまま。
僕らはただ黙って、その場に立ちすくみ続けていた。
色々自分で突っ込みたいところはありますが、どう直していいかわからないまま、投稿します。
アドバイス等ありましたらよろしくお願いします。