本能
ペタリ、ペタリと響く緩慢な足音。
黒髪に裸、右手の尺骨は中程から手先までは無く、右肩の肩甲骨は剥き出しで周りの肉は焼け焦げている。
俺はそいつの背後に立っていた。
俺と背丈は同じ位かな……
何か目的は有るのだろうか、フラフラと彷徨っている。
そいつの向かいに、顔の左半分から左胸の脇腹までの肉が削げ落ち、頭蓋骨も肋骨も見えていて、残った右半分の顔が青年だとわからせる死体が立っていた。
頑丈そうな黒革のズボンとブーツを履いているその下は腐っているだろう。
其の死体を認識したのだろうか彼の酷く緩慢だった足取りは敏捷なものになり、死体に覆い掛かった。
死体は何の抵抗もしない、いや死体が抵抗するというのもおかしい話だ。ただ、俺のような存在だと勝手な先入観があったんだろう。
頭を掴み捻り千切る。口の周りを赤黒く汚した頭を放り投げ、申し訳なさそうに肩に張り付いた肉が彼の口で咀嚼されて行く。
骨にこびり付いた肉を舌で舐めり取り、骨を周りに散らかす。
彼がまた一口と咀嚼する度に、背中の肉が盛り上がり、剥き出しだった肩甲骨を覆い隠して行く。
最後の肉を舐めとった時には、なかった右手は、生えていた。
どうなってるんだ、コイツ。
俺もコイツの様に、捕食為れば右手が戻るのか……?
デザートだと言わんばかりに、残った右目を上機嫌に口に放り込んだ。
そして、彼が振り返る。
歪な笑顔に舌の上で目玉を転がしている。
「俺」だ。
固まった血の塊でよく分からなかったが、正面から見たその顔はどう見ても俺だった。
身を縛られる感覚が全身に行き渡り、気付けば俺は目の前にいた。
淡いピンク色の右手が俺の頬に伸び、触れられた感覚と共に視点が変わる。
剥き出しだった右肩、失くなった筈の右手に酷く燃える様な熱さと痛みが走った。
「ッグ?!アアァアァアアッ……ガッ」
突然の痛みに、口内の眼球を噛み潰した。
「アァ……何だこの痛み……」
溢れた液体が喉を伝わる度に、痛みが引いていく事が救いだ……
悶える様な痛みの中、壁に左手をつき立ち上がり、床にある黒革のズボンとブーツを拾いに行った。
「ハァ…ハァ……ハァ、今思えば裸だったんだな……とりあえず、隠し部屋を探そう……」
酷く滑りを持つズボンとブーツに着替え辺りを見回した。不規則な間隔で小さな血の塊が落ちていた。
これは、辿って行けば……
両脇の壁に足を当て調べながら辿って行く。
おっさんのポーチは、隠し部屋の中か……
◆◇◆
辿って数十分、遂に血の塊が途切れた。
恐らくこの辺りの筈、足元を調べればやはり隠し部屋があった。
隠し部屋へ這いずりそのまま横になって、先程の光景を思い出す。
紛れもなく俺なんだとわかったあの瞬間を。
あの時の俺は、精神と体がバラバラだった。
どうしてこうなったかは分かりやしないが、もしこれが本能だとすると、欠損した部位を回復させるという事が今回の切っ掛けだったんじゃないかと思える。
しかし、俺が食していたあの青年はどうだったろうか。
身体の至る所に欠損が見受けられていたあの青年は、何故欠損したままだったのか。
ただ単に死体だったと考えれば、欠損していてもおかしくはないが、突っ立っている事が唯の死体ではないとわからせる。
もしや、通常のアンデットは同族に攻撃されても反撃しないのかもしれない。
そうだとするならば、強引だが納得できる。
うーむ、青年がアンデットだとするとあの欠損の仕方に疑問が沸く。
彼は何も捕食出来ずに肉が腐り落ちただけなのだろうか。いや、彼の肉体は削がれたような欠損だった。口の周りは赤黒くあったし、何かを捕食していた筈だ。
俺と青年の間に何の違いが有るのだろうか……
情報が足りなさ過ぎる。
とりあえず、現場確認とステータスを開いて見る。
【Level】 9/60[限界値]
【種族/階級】アンデット:ゾンビ[覚醒体]
【固有名】
【STR】 81
【DEF】 67
【INT】 101
【MR】 114
【AGI】 75
【HP】 214/220
【MP】 88/277
なッ?!
レベルが上がっている……
1体捕食しただけで、ここまで上がるものなのだろうか……
伸び幅も随分大きい……のか?
分からないにも程が有る。
あぁ、もう!保留だ保留!
分からなすぎて腹が立つわ……
よし、おっさんのポーチの中身を調べよう。
中のものをすべて出すために空きっ放しのチャックに手を突っ込む。
あれ、あれれ何だこれ。
すげえ広い。どうなってんだ?
見た目は30cmちょっとだが、中は5、6倍ぐらい大きい。
とりあえずすべて掻き出す。
床の上には小山が出来るほどに色んな物があった。
その中で最初に目に着いたのが、刃渡り20cm程の無骨なナイフだ。
これは何かと使えるだろうし、あの緑の小人も容易に殺せるのではないだろうか。
身に付ける為に何かないか小山を崩して行くと、黒革のベルトと硬い布を見つけた。
丁度良い
刃に布を巻きベルトに備え付ける。
おお〜、中々イイじゃんか。
他には何か無いかと調べると、硬貨、いろんな形の指輪や腕輪、イヤリングなどの装飾品、何か液体が入った小瓶が6個、唯の布切れ、ピンセット、親指サイズの緑色の金属片、針金、頑丈そうな黒く染まった糸玉が2つ、そして糸玉と同色の針がたくさん入ったケースが入っていた。
どれもどう使えば良いのか……
試しに糸玉を掴んで見た。
手に伝わる感触は、絹の様に触り心地の良いものだった。
軽く目に掛かる前髪を括る為に10cmぐらい糸を引っ張り出しナイフの刃に当てる、が全く切れない。
刃に当てた部分をよく見ると、細くさえなっていない。
何だこの糸は……
どう使おうか、あ、身体に巻けば衝撃は防げないだろうが、刃はある程度通さないだろう。
早速手首サイズの糸をインプルーブド・クリンチ・ノット用いて結ぶ。
さて、問題のどう切るかだ……
もう一度ナイフで試してみるか。
両足でナイフを固定し上下に動かす。
20分ただひたすらに動かしていると手にかかる負荷が大きくなったような感覚とブーツの上に光る破片が散らばっているのに気づく。
何の破片だろうか、もしや……
案の定、糸を退けると刃が潰れたナイフがあった。
げ……此れじゃ先で突くしか使えない。
それにしても、どんだけ頑丈なんだ。
糸は全く変化が見れない。
ナイフをしまい何か他には無いかと物色する。
この緑色の金属片は何だろうか。
掴んだ指先が痺れるような痛みを感じ、慌てて離すと中指の指先が、骨が見える程に切り裂かれてたいた。
やっぱり血は出ない。
生前と比べ痛みに鈍感なのかもしれない。何時もなら呻きの一つ出してしまう所だ。
だが、小人に殴られた時と火球をぶつけられた時には痛みは感じなかった。
ある程度の痛みは遮断するのだろうか……
いや、確かな情報がない今、下手な仮説を立てたせいで大失敗が起きるかもしれない。
とりあえず、傷口は観察する事にして、今は何故切れたか調べるべきだ。
金属片を手に取り、よく見ると一辺だけ刃が付いていた。
恐らくここで切ったのだろう。
とりあえず、次はこれで糸を切ってみるか。
軽く糸に押し付けると、いとも簡単に切れた。
唯の金属片ではないな、うん……
切れた糸を見つめていると、二度と腕を失いたくないという想いが胸を埋め尽くす。
よし、四肢と首全体に巻き付けてしまおう。手先から首にバンテージの様に糸を巻き付け、脚も同様足先から太腿の付け根まで巻き付けた。
まだまだ糸は残っている。
他にはどう使おうか。
そういや、ゾンビって頭が弱点だったな。
糸を編み込んで包帯を作るか。
編み込み初めて数時間だろうか遂に不恰好な包帯のような物を作った。
こんなものでいいだろう。
それを頭に巻き付け目と口の周り以外全て包帯で隠す。
此れである程度はどうにかなる筈。
さぁ、次は仮説を確かめに行こうか
隠し部屋から這いずり出て、細かく千切った布切れを目印とし、実験体を求め奥へ進んだ。
難しい