あの空に放つ放物線
あんたの番だよ、そう目で促された。
「え、私?」
「そうだよ、みんな話したんだから、あんたも。」
女の子が二人になると必ず話題が恋愛話になる。
私は、恋愛話、いわゆる恋バナは嫌いじゃない。けれど、そのネタは持っていない。
時刻はもう十二時を越えて、真夜中に変わっていっていた。
修学旅行の1日目。まだみんな元気だ。寝る子なんて、ほとんどいない。
布団の真ん中に頭を寄せ合って、お菓子を広げて、何となく話す。
話題は何でもいい。友達の事。明日の予定の事。そして、今までの恋愛の事。
「好きな人、いないの?」
「えー、好きな人?」
確かに私はネタを持っていない。けれど、一つだけそれに近いものは持っていた。
みんなの瞳が異様に輝いている。仕方ない、私は話すことを決めた。
「みんなの話よりつまんないと思うよ?」
「いいよ、で?」
「・・二年前の話なんだけどね」
私は少し目を閉じた。
引越しが決まった、そう父さんに言われた。
元々決まっていたのを、
せめて私が中学卒業してからと先延ばししてくれていたのは知っていたから、
さほど驚きはしなかった。
高校も引越し先の学校に入学予定になっている。
だから、何も寂しくない。
住み慣れたこの街だって、いつか帰ってくる事が出来る。
友達だって、いくらでも連絡は取れる。
新しい場所で、新しい友達と送る高校生活。そんなに悪くないものだろう。
ただ、一つ、心残りがあるとすれば、あの子の事。
家の近くの公園で、遅くまで一人でサッカーの練習をしている、男の子。
毎日、毎日遅くまで一生懸命ボールを追いかけていた子。
私はサッカーのことをよく知らないから、その子の上手い下手は分からなかったけれど、
その子の着ているユニホームは近くの高校のサッカー部のものだとは知っていた。
強豪のその高校は、遠くからサッカーの強い子が入学してくるぐらい、有名校だった。
その子がレギュラーかどうかは、知らないけれど、一生懸命のその姿は、
何か、自分にないものを持ってるように見えた。
だから、私はその公園に行き続けたんだと思う。
憧れ、そういうものを、私はその子の中に見出していた。
引越しは、いやじゃない。でも、引っ越したくない。
あと少しだけ、その子のその姿を見ていたかった。
その子と、一度だけ話したことがある。
その子が蹴ったボールが、私の座っているベンチに当たった時だ。
私にボールは当たらなかった。
「すいません、大丈夫ですか?」
初めてその子の顔を近くで見たときでもあった。
一目で好青年だと分かる顔立ちをしていた。
「あ、はい、当たらなかったから」
「よかったー、本当にすいません」
そう言って軽く頭を下げると、ボールを抱えて練習に戻っていった。
憧れが恋に変わる瞬間、もしくは、人が誰かを好きになる瞬間を私はその時体験した。
引越しが明日に迫った日も、私は公園にいた。
いつものように、ベンチに座って、あの子が来るのを待っていた。
あの子がボールを追う姿を最後にもう一度見たかった。
気持ちを伝えようとか、そんなんじゃなくて、
ただ、あの姿を見たかった。
でも、
神様が意地悪をしたのかどうかは分からないけれど、
その子が公園に来ることはなかった。
「待ったんだけどね。でも、来なかったの」
「じゃ、その子とは・・・」
「うん、それっきり。・・、でも、今でもね、たまに思いだすんだ。元気かなとか、レギュラー
になれたのかなとか」
「そっか・・。」
「あ、ごめん。暗い話だったね。・・はい、私の話は終わり。次どーぞ。」
私はあえて明るく言った。何となく空気を悪くした、そんな気がしたから。
私の言葉のおかげかは分からなかったけれど、
みんなすぐに次の話に移った。私は少しほっとした。
上手くいかなかった恋愛話はみんなに好まれない。
みんなハッピーエンドの方が好きだから。
でも、この思いはこれで良かったんだと思う。
それに―――
引っ越して、数ヶ月。
新しい環境にも友達にも慣れてきた頃。
休み時間、友達といつものように話していた時だった。
「ねぇ、そう言えばあんたN県出身だったよね?」
「うん、そうだけど」
「じゃあ、この中に知ってる人いないの?」
そう言って目の前に雑誌を広げられた。
「何、これ」
「高校サッカーだよ。今度全国大会があるからその増刊号」
「へぇ」
私は差し出されたページを眺めた。
そのページには前住んでいた近くの高校の特集が組まれていた。
顔写真とポジション、少しのインタビュー。
どの顔も見覚えがなかった。
「知り合いなんていないって」
「そーだよね、有名人と苗字一緒だからって親戚って訳でもないし」
友達の言葉に笑いながら、私はもう一度、ページを眺めた。
―まさか―
「この人ってさ・・」
「あぁ、好青年だよねー。人気高いんだよ。今回の大会で初スタメンになってさ」
「・・そう、ねぇ、その日、その人が初スタメンになったの何日かわかる?」
「うん、第一回戦ってことでしょ?・・えーっと」
友達が言った日付は、私が神様に意地悪をされた日だった。
「そっか、ありがと」
「どうも。・・あ、もしかして知り合い?」
「ううん、ちょっと気になって」
「ほんと?」
「うん、ほんと」
私は笑った。
少しだけ、目を瞑る。
一瞬だけ、緑のフィールドで、ボールを蹴るあの姿が見えた気がした。