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第7話

 まるで二人だけの特別な秘密が出来たかのように、私と中村君の間には何か目に見えないものが出来たように思う。

 それはただ私の希望的観測かもしれない。そうでないかもしれない。

 どちらにしろ二人の関係は他人には見分けることが出来ない程度には親しくなったように思える。

「なあ、有馬。ここの解き方教えてくれ」

 隣の席の特権だろうか。こんな風に中村君に勉強を教えたり、試験前にノートをコピーしてあげたり、そんな些細なことに舞い上がっていた。

 自習の時間、試験も近いこともあって、あちこちで自主学習をしている姿が見受けられる。もちろんただひたすらお喋りに夢中になっている者も多くいた。

「ねえ、有馬さん。私にも勉強教えてくれる?」

 中村君に数学を教えている最中に声をかけられ、私と中村君は同時に顔を上げた。

「はい、大丈夫ですが、少しだけお待ちください」

 そのクラスメイトは、私の記憶が確かならば、元々勉強の出来る人で、他人に質問せずとも自力で十分出来るはずだ。教えを請うよりも、教える方が多いはず。というより、教えを請う姿など見たことがない。

「と、なります。いかがですか。解りました?」

「ああ、分かった。ありがとな」

 私の前の席に座り――前の席の人はどこへ行ったんでしょう――、ちらちらとこちらを窺っている視線をたえず感じていた。

 なるほど、総合的に考えて、彼女は中村君に好意を持っていると考えてよいのだろう。

「あの、山内さん。どこが解らないのでしょうか?」

「ああ、ここなの」

 私が説明を初めても、彼女は説明を聞く姿勢にはなかった。

 ノートに数式を書きながら説明しているわけだが、彼女の視線が私の手元を追うことはなかった。おそらく私が説明をスッ飛ばしても、彼女は気付きもしないのだろう。

「と、なります。解りましたか?」

 数式を最後までさらりと書き、そう告げれば、彼女は驚いたように顔を上げた。そんな早くに説明が終わるわけはないと思っているのだろう。

「解りませんでしたか? もう一度説明しましょうか?」

 彼女が困惑した表情を浮かべている。少しいたずらが過ぎただろうか。

「おい、山内。終わったんだったら早く退けよ。そもそもお前聞かなくても自力でなんとかできるだろう? 俺は今回やばいんだよ。譲れよ。しかも、お前の目的は有馬じゃねぇだろ? 見え見えなんだよ」

 驚く勢いでまくし立てたのは、中村君とは反対側の席に座る石原君だった。

「石原君、そんなに怒らないでください。どこが解らないんですか? 教えますから」

「ここだ」

 石原君は山内さんを睨み付けたまま教科書のある一点を指し示した。

 山内さんは、石原君の怒気に恐れをなしたのか、そそくさとその場を後にした。

 申し訳なくも思ったが、石原君が威圧的な視線を向けてくるので、仕方なく問題の解説を開始した。

「と、なります。解りましたか?」

「分かった」

「石原君。あまりあんな言い方をするのはおすすめ出来ません。女の子にはもう少し優しくしてあげてください」

「なんでだよ。別にいいだろ。俺の勝手だ」

 不貞腐れたような顔に、私は苦笑が漏れた。

 彼はいつまでもあまり変わらない。それが私を安心させてくれる。



*********



 有馬と石原が親しげに話しているのを見て、正直ささくれだった気持ちになってくる。

 それがただの嫉妬であることは、充分理解している。

「なあ、有馬。いつんなったらその地味な格好止めるんだよ?」

「止めるもなにもこれが私です」

 石原は声が大きいので、会話は筒抜けだ。

 有馬と石原が同じ中学校の出身だというのは、石原本人から聞いたことがある。

「そんな見え透いた嘘俺に通じるわけないだろ? 俺を誰だと思ってんだ」

「石原君です」

「そうだ。俺は石原だ。だが、ただの石原じゃない。お前とは幼稚園のころから一緒だったし、小学校だって中学校だって高校だって、何の因果か同じクラスだ。お前とは腐れ縁の石原だ。その俺がお前の異変にこれまで目をつぶっていたのは、いつかお前もそんなくだらないことに自分で気付くはずだと思ったからだ。一体いつまでお前は自分を偽り続けるつもりだ」

 この話の内容は、他人が聞いていい類の会話ではないはずだ。それをまるでクラス中に聞かせるように声を張り上げる石原に、俺は腹が立った。

「石原。もうその辺で止めておけよ。有馬が困ってるし、こんなところでする話じゃないだろ?」

「うるさい。止めるな。こいつには、目を覚まさせる必要があるんだっ。こんな地味な格好して、視力なんて悪くもないのにメガネなんかかけて、いつも丁寧なしゃべり方しやがって。あの事件さえなきゃ、お前は今でもあの時のままの有馬だったはずだ。みんなが大好きだった有馬だったはずだっ」

 俺がいなしたことが、石原をさらに興奮させてしまったのかもしれない。

 隣の席で、有馬が頭と耳を抱えて、石原の声を遮断しようと努めていた。

 石原の語っていることは全て、有馬の地雷だ。それを知っていて石原はそれを爆発させようとしているのだ。

「俺があの男を殺したらお前は元に戻んのか?」

 石原の叫び声に、有馬の甲高い悲鳴が被さった。

「石原、いい加減にしろっ。委員長、有馬は保健室に連れて行く」

 いつの間にか静まり返っていた教室で、俺の声だけが静かに響き渡っていた。じきに騒がしさに耐えかねた教師が教室の様子を見に来るかもしれない。そうなる前に有馬をこの教室から解放するべきだ。

 泣き続ける有馬を抱き抱えるように、教室を後にした。

 誰の声もなく、視線だけが俺たちを見送っていた。その中に、当然その発端となった石原もいるのだ。石原に対する怒りを鎮めるのは容易ではない。だが、そんなことをするのは今ではない。有馬のことが先だ。

 有馬が抱えている何かは、俺が想像しているよりも遥かに大きなものなのかもしれない。

 俺が彼女の力になりたい。彼女は力にならせてくれるだろうか。泣き崩れる彼女の肩はあまりにも細く、今にも崩れてしまいそうなほど心許なかった。

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