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第2話

 刺さるような視線を感じて、隣を窺った。

 隣の席に座る有馬が食い入るように俺を見つめていた。いや、もはや見つめているのではない。観察されているというのが正しいところか。

 恐ろしいほどに美しく伸ばされた背筋、寝癖なんて一つもない美しい黒髪、地味を絵に書いたような黒縁眼鏡。本人は完璧に自分は地味だと思い込んでいるのだろう。確かに彼女は一見すれば絵に描いたように地味だ。だが、残念なことにそう思っているクラスメイトは少ない。

 真面目な彼女は、乱れた服装や髪型が我慢出来ないようで、登校すると目についたものを片っ端から直してゆく。

 間近で見る彼女からは、地味なオーラはまるでない。整えられたあと、

「はい、素敵です」

 と微笑まれる。地味の鎧をかぶっていても、全身から隠し切れない美しさを醸し出している。その笑顔を見てしまったクラスメイトは、男女関係なく一瞬にして惹かれてしまうのだ。

 彼女に直して貰いたくて、わざと寝癖を直さずに来る奴までいる始末だ。

 そんなクラスメイトたちに彼女はまるで気付いていない。

 このクラスの中で一番彼女にお世話になったのは、間違いなく俺だろう。

 同じクラスになったその日から半年以上がたった今でも彼女は俺の身嗜みを直してくれている。

 クラスで一番だらしない、なんて自慢にもならないが、それが事実なのだ。

 別に彼女に直して貰いたくてわざとそうしているわけではない。朝が本当に苦手な俺は、どうしても起きられず、ぎりぎりの時間になってしまうのだ。

 そして今日も、ショートホームルームが終わると同時に彼女に捕まった。

「中村君、直ちに立ってください」

 有馬のオーラに気圧されたように立ち上がった俺の全身を、一通り下から上、上から下と眺めると、うーん、と小さく唸り声をあげた。

「相変わらず、だらしなさが素晴らしいです。やりがいがあります」

 貶されているのだろうが、なんとなく嬉しく思ってしまう自分はどうかしているんだと思う。

「すみません」

 踏みつぶした上靴を片足を上げながら直していく。汚い上靴も汚い足も――一応足は洗っているから綺麗だが――全く気にならないのか、躊躇することなく俺の足を掴む。

「今度、家からブラシを持ってこようと思います」

「は?」

「中村君、あなたいつ上靴を洗いましたか?」

「いや、一度も洗ってない」

「そうだと思いました。ですので、金曜日の放課後に学校で一緒に洗いましょう。そうすれば、上靴は綺麗になりますし、家に上靴を忘れることもないでしょう」

 妙案とでも言いたげな彼女の微笑みを見下ろし、頬が赤くなっていくのがわかる。

 今の言葉から察するに、彼女は俺の上靴をともに洗ってくれると言っているのだ。一度も洗っていない、もう手遅れなのではないかと思うほどに真っ黒なこの上靴を。

「いや、悪いからいいよ」

「いいえ、必ず洗います。このままでは、上靴が可哀想です」

 問答無用というように、下から睨みつける彼女は、少しも怖くない。むしろ可愛いと思ってしまったことは、彼女には内緒だ。

「分かったよ」


***********


 隣の席の中村君のだらしのなさは天下一品だ。

 彼の登校時のだらしなさといったら、公園などで生活をするホームレスと同レベルと言ってもいいのではないか。場合によっては、ホームレスのほうが身だしなみはしっかりしている。

 私の朝の毎日は、彼の身だしなみを整えることから始まると言っても過言ではない。

 恐らく彼は、相当朝が苦手なのだろう。とりあえず制服だけを身に着けて、学校へ現れたのだ。

 上靴のかかとは履きつぶされ、ベルトはだらしなく垂れて、ズボンはずりずりと腰どころかパンツが半分以上出るほどにずり落ちている。ブレザーの前ボタンは全開、そこから覗く白いブラウスは皺くちゃで、ボタンは掛け違えている。ネクタイは首からぶら下げているだけだ。

 目じりには目やにがついたまま、恐らく歯磨きをする時間もなかっただろうと推察する。頭はもはや爆発コントの後のありさまだ。アフロじゃないのにアフロになっている。

 上靴をきちんと履かせた後、ブラウスのかけ違いを直した。そのとき、若干自分が男の人の衣服を脱がせているような気がして恥ずかしくなった。ちらりと上方を覗けば、中村君も恥ずかしげに頬を染めているのを見ると、同じ思いを感じていたようだ。

「あのさ、有馬。俺、それくらい自分で出来るからさ。そこまでやってもらわなくても……」

「そうですか? では、ご自分でやってください」

 ここは大人しくその申し出を受け入れる。が、きちんと事を成すか始終監視することは譲れない。

 中村君は、ネクタイを締めるのが苦手なようだ。見かねて私が手を出す。どうやら相当苦手なようで、あっさりと私に委ねた。そのホッとした顔を見ると、くすりと笑いが漏れるのだ。

「では、中村君。流しで顔を洗って、歯も磨いてください。その頭も豪快に水をつけてしまったほうがいいかと思います」

「ん」

 中村君は、私がこんなにしつこくしても決して怒ったり、鬱陶しがったりすることはない。

 きちんと身だしなみを整えていれば、中村君の姿はとても優雅なのだ。一般的に見て整った顔も、一般よりも多少高い身長も、物腰の柔らかい笑顔も、女の子には人気がある。登校したときの中村君を見て、驚く女の子も多いが、そんなだらしないところもなんだか可愛い、と思っている女の子はあまりに多い。

 私の立場を羨ましいと思っている女の子は多くいる。変わってほしいと願い出る子がたまにいるのだが、そういう子が中村君に近づくと、彼は困った顔で断るのだ。

「ごめん。やって貰っても、きっと最後は有馬にやって貰うことになるからさ」

 確かにミーハーな女の子の身だしなみチェックは甘く、あとでこっそり私が直すのが常だ。

「ごめんな」

 そう言ってほほ笑む彼を見て、女の子たちは撃沈しても嬉しそうに帰っていく。それがたとえアフロでも。彼の笑顔の威力は凄まじいことを物語っているようだ。

「なぁ、有馬。いつも、ありがとな」

 水の滴ったまま向けられた笑顔に私は思わず惹きつけられた。


読んでいただいてありがとうございます。

この作品は、第17話で完結する予定で、もうすでに書きあげてあります。その間に中途半端になっている「無邪気な恋心」を書き進めていき、こちらが完結次第そちらも更新を再開するという形にしたいと思います。

最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

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