第10話
正直なところ、俺は有馬に無理強いをするつもりは毛頭なかった。
彼女が地味な格好をしようが、くそ真面目をモットーにしていようが、俺的に何かが変わることはない。ただ、今も尚犯人の男に怯えているのなら、その恐怖を消してあげることは出来ないだろうかと思うのだ。
大人にも成り切れておらず、完全に子供の域を脱し切れてもいない中途半端な俺に一体何が出来るだろうか。
「俺に何か出来ればいいのにな。役不足でごめんな」
「そんなことありません。私にとって中村くんは居てくれるだけでホッと出来る存在です」
有馬の言葉は非常に曖昧だった。ホッと出来るというのは、男として意識すらされていないということなのだろうか。
だが、今はそれでもいいと思う。俺に恐怖を感じないということは大事なことだ。
「なあ、有馬。男が怖いか?」
「自分から近付く分には怖くはありません。ですが、近付かれると怖く感じることが少なからずあります」
「俺のことも怖い?」
「中村君は怖くありません。中村君は優しいですから、人を傷つけたりしない人です。もう、それを知っていますから」
有馬は男を分かっていない。思春期の男がどんなものか。好きな女を前にして、手を出さずにいることがどれだけ辛いことか。この状況がどれだけ俺の心臓を乱しているか。
有馬に釘を刺されたようなものだ。
「俺はそんなに優しくないよ」
「いいえ。優しいです。中村君は凄く優しいです」
邪気のない顔が更に追い打ちをかける。
「分かった。分かったから、それ以上言わないで欲しい」
首をかしげる有馬に苦笑をもらした。
「なあ、有馬。俺なんかに話して良かったのか?」
「はい。聞いてくれてありがとうございました」
「いや、お礼を言われるようなことじゃないよ。有馬。あのな、俺に送らせてくれないか?」
意味が分からなかったのか、キョトンと首をかしげた。
「帰り、家まで送りたい」
「いいえっ。大丈夫ですからっ。私一人で帰れます。授業終わったら直ぐに、明るいうちに帰りますから。それにそんなの中村君に迷惑になります」
「迷惑じゃない。迷惑じゃないよ」
つい有馬を覗き込んで、勢いこんでそう言った。有馬の驚きの表情を見て、自分が距離感を間違えたことに気付かされた。
「ごめん。でも、迷惑じゃないんだ。俺が俺の気を済ませるために送りたいんだ。どうしてもイヤなら無理強いはしない」
「電車代がかかります」
「平気だよ。小遣いは十分すぎるほど貰ってる。有馬が気にすることじゃない」
どうか頷いてほしい。
どうか俺の手を取ってほしい。
そんな願いを込めて有馬を見つめた。有馬は戸惑いつつも、了承を伝えるために頷いた。
「本当はまだ少し怖いんです。だから、この間中村君が一緒に帰ってくれたとき凄く安心できました。私の方からお願いしたいくらいなんです。ですが、中村君に少しでも負担を感じたら直ちに止めていただいて結構ですので。よろしくお願いします」
これで有馬を一人で歩かせずに済むとあってホッとした。
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中村君が私を家まで送るようになったことを一番喜んだのは――表向きではあるが。実際は私が一番に決まっている――母だった。
初めて中村君に会った日から母は彼を気に入っていた。
「中村君。本当にありがとう。私としてはとっても心配だったの。そんなに大した距離でなくても、やっぱり心配してしまうのよ」
「いえ、俺が勝手にしているだけですから」
「それでも感謝してるのよ。ありがとう」
中村君の手を両手で包み込んで、拝むように胸の前に持っていく。
いくら母であろうと、中村君の手を握るというのはどういう了見だ。
「お母さん。もういいですよね。中村君が困っています」
私が二人の間に割って入って、手を解くと背後でくすりと笑ったのに気付いた。母が私の行動をやきもちだと解釈して面白がっているのだろう。確かにやきもちだけど、笑われるのは癪に障る。
「それじゃ俺、失礼します。じゃ、またな」
中村君が母にぺこりと頭を下げ、私には軽く手を挙げて去っていった。
「ああ、爽やかねぇ中村君。私が若かったら確実に恋してたわ」
「お母さん。変なこと言わないでください。中村君に迷惑です」
「あらあらやきもち妬いちゃって。好きなのね、彼のことが」
それはもう本当に嬉しそうに微笑んだ母に、顔を真っ赤にして否定する。その表情で何を否定したところで説得力がないことは解ってはいるのだが。
「私、中村君に事件のこと話しました」
嬉しそうに微笑んでいた母の瞳が大きく開いた。
「そう。だから送ってくれるなんて言ってくれたのね。あなたが事件の話をするなんて……、初めてなんじゃない?」
「うん」
「いいと思うわよ。中村君ならあなたの力になってくれるでしょう」
中村君が傍にいてくれたら、私はもしかしたらあの事件のことを乗り越えられるかもしれない。そんなことに中村君を巻き込むことは本意ではないが、私自身が彼を必要としていることは疑いようのないことだった。何かをしてくれなんて思わない。ただ、傍にいてくれるだけで安心できるのだ。
私の本音など、こんな甘ったれた考えなど中村君に話せるわけもないが。
「中村君は優しい人ですから。それにモテる人ですから、私なんかにかまけている暇なんてない人なんです」
「甘えたい人に甘えてはどうしていけないの?」
「だって、私の片思いですから」
「両想いなら甘えられるの? じゃぁ、好きになって貰えばいいんじゃない?」
「どうやったら好きになってもらえるかなんて私には解りません。恋愛なんてしたことないです」
どうやっても中村君は私を好きにはなってくれないだろう。いずれ可愛い女の子と恋をするのだろう。私なんかよりずっと可愛い女の子と。
「努力もしないで諦めるなんてお母さんは絶対に認めないわよ。頑張りなさい」
母の叱咤激励を複雑な気持ちで受け止めていた。
あの事件の前の私だったら、中村君は好きになってくれただろうか。今更どうしようもないことを考えて自己嫌悪に陥った。