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第1話

 鏡に映る姿を念入りにチェックする。

 染められることのない髪は肩よりも若干短く、前髪は目にかからない程度に、制服の乱れは一切なく、スカートの丈は膝まで。

 最後に黒縁の眼鏡を装着して、完璧な真面目人間が出来上がった。

 出来上がりに満足した私は、家族の待つダイニングへと足を向けた。


「おはようございます」

「おはよう」

 朝の挨拶はしっかりと相手の目を見て。

 父も新聞から目を外して私を出迎えてくれる。

「今日も完璧だな」

「そうですか? ありがとうございます」

 嬉しそうに微笑む私を複雑な表情で父は見た。父とてこんなに真面目くさった姿で真面目くさった挨拶をされるのは寂しいのだろう。

 家族なのだからもっとフランクに、もっと楽しく過ごしたいと思っているのだろう。その気持ちは分かっているつもりだ。でも、今の私にはこうすることしかできないのだ。

 真面目に、地味に。

 それが今の私の合言葉なのだから。


 私の通う学校は、最寄りの駅から3駅、駅を降りて徒歩でおよそ10分といったところにある。

 電車は必ず女性専用車両に乗る。朝の女性専用車両には、女性特有の化粧品や香水の臭いが充満しており、息が詰まるほどではあるが、一般車両に乗るよりはましだろう。

 電車に乗り込むと必ず決まった席に着き、カバンの中から読みさしの文庫本を取り出す。本を読んでいれば3駅などあっという間の時間だ。

 駅の改札を潜ると、同じ学校の生徒たちが歩道からはみ出して通行車両の邪魔になっているのを気付かぬふりで歩いているのが目に入る。

 注意したいが、注意をすれば決して時間内に学校に入ることはできないだろう。それほど多くの人が交通マナーを守っていないということなのだ。

 私は歩道をきちんと歩き、前を見据えて歩く。

 顔なじみの近所の老人に会うと、挨拶を交わす。

 女生徒が大きな声で笑っているのが目につく、私は少し眉を潜めるものの、何も見えなかったかのように再び前を見据える。

 校門を潜り、昇降口に入る。教室に入ると目の合ったクラスメイトに挨拶をする。相手が聞いてなくても構わなかった。

 自分の席に着く前に、通りすがった男子生徒の腕を掴んだ。

「ネクタイが曲がっています。直しますので、まっすぐ姿勢よく立ってください」

 驚きながらもぴしりと姿勢を伸ばした。ネクタイを真っ直ぐに整えると、にっこりとほほ笑む。

「はい、出来上がりました。とても素敵になりましたよ」

 軽く一礼すると自分の席へと再び足を向ける。

「あっ、少し髪が乱れていますね。こちらを向いてください。直します」

 結い上げられていた髪に若干の乱れがある女生徒を見つけて、有無を言わさずこちらを向いて座らせた。

「なっちゃん。今日は大人っぽい感じにして。今日は彼とデートなの」

 女生徒は私にリクエストをつける。

「解りました」

 素早く結い上げられていた髪を解くと、手際よく再び結い上げていく。

 終えると大げさすぎる賛辞を受け取り、漸く席に着く。

 これが真面目人間、有馬那津子ありまなつこの朝の風景である。


*********


「ババアっ。なんでもっと早く起こしてくれなかったんだよっ」

「バカだねっ。起こしたに決まってんだろう。起きないあんたが悪いんだ。あんたの飯はもうないよ。健太郎が食っちゃったからねっ」

「ざけんなよっ。俺は朝食わないと授業に身が入らないんだよ」

 ボサボサの頭を掻き回しながら、不平不満をぶつける。

「あんたが授業なんて聞いたことがあんのかい。聞いてたらもっといい成績を貰ってるだろうがっ。腹が減ってるんであれば、コンビニにでも行くんだね。私はもう出るんだから、あんたの相手している暇はないんだよ」

 身ぎれいに整えられた母親はもうすでにカバンを肩にかけていた。

 寝起きの苛立ちを壁を蹴ることで発散させ、急いで部屋へと踵を返す。

 鏡なんて見ていられない。髪がぼさぼさなのを直す暇もない。顔を洗うことも、歯を磨くこともせず、制服を身に着けると、何も入っていないカバンを持って家を出た。

 家から学校まではチャリだ。かっ飛ばせば5分で着くだろう。普通の人だったら15分~20分はかかる距離だ。

 籠の中にカバンを放り込むと、髪が乱れるのもお構いなしに全速力でチャリをこぐ。コンビニに寄る時間は悔しいが残されていない。

 仕方ない。クラスメイトから弁当を掠め取るしかなさそうだ。

 校門の前には、風紀委員の生徒と先生が立っていた。先生は校門を今まさに閉めようとしているところだった。

 その隙間をチャリですり抜けた後、大きな声を挙げた。

「先生、おはようございます」

「こらっ、中村。もっと余裕を持って来いといつも言っているだろうがっ」

「いいじゃん。遅刻はしてないんだからさっ」

 先生がさらに何かを喚いていたが駐輪場までチャリを走らせた俺には聞こえない。校門はクリアしたが、まだチャイムまでに教室に入らなければならないという使命が俺にはあるのだ。先生の小言には付き合っていられない。

 籠の中のカバンをむんずと掴むと俺は一目散に走りだした。鍵はこの際かけない。こんなオンボロチャリを盗む奴はいないだろう。盗まれたら、いい加減新しいチャリを買ってくれるだろう。そんな期待を若干含みつつ。

 俺が昇降口に入った頃には、生徒の姿は一人も見当たらない。みなもう教室に入っているのだ。チャイムが今か今かと迫っている。

 不運なことに俺の教室は四階。三段飛ばしで階段を駆け上がるとさすがに息が乱れるが、毎日同じことをしていれば自然と体力もつく。

 結局俺は、チャイムと同時に教室に滑り込んだのだ。

「中村っ。お前はまたぎりぎりかっ。まったく。とにかく早く席につけ。よーし、ホームルームを始めるぞ」

 俺はぜえぜえと肩で息をしながらどかりと席に着いた。

 これが少々だらしなさが否めない、中村小太郎なかむらこたろうの朝の風景だ。


 

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