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勇者の旅は終わらずに  作者: ネキア
第2話
8/35

大陸南西、国境の町及び町付近の森にて:1

 町を捨てる。あの日の朝、神父様がそう言った。

 あたしは信じたくなかった。そうしなきゃならない、そうせざるを得ないのはわかってるけど、あたしはこの町で生まれたか、絶対にここから離れたくなかった。

 だから、抜け出した。町の皆のところへ一度行ってからこっそり隠れれば、見当たらなくても他の人達と一緒にいると思うはず。移動の初日は魔獣の生息域を抜ける為に夜も休まない。1日半も気付かれなければ、もうあたしがいない事に気付いても戻ってはこれない。大勢では時間がかかり、町を攻め落とした敵軍に捕まる可能性が高くなるし、少人数なら道中で魔獣の餌食だ。

 そんな危険を冒してまであたし一人を探したりしない。半日分ほど歩いた所で隙を見て森の茂みに入って、そのまま夜を明かした。更に半日、誰も探しにこないのを確認してから街道を戻り始める。

 馬鹿な事をしてるってわかってた。いらない危険を被りに行ってるって。

 でも、それは本当に頭でわかってただけで、実感としては理解できていなかった。


『ウオォーーーン……』

「っ……!」


 近い。逃げた時に臭いを覚えられたんだろうか。

 今すぐ走って逃げるべき。そう解っていても、もう息が続かない。もう足が動かない。微かな希望に賭けて必死に体の震えを押さえて息を潜ませるしかできない。


 ――やっぱり、やめておけばよかったのかな。


 怖い、怖い。怖くてたまらない。死が、すぐ背後に迫っているのが今なら解る。

 ぼろぼろと、押し殺した泣き声の代わりに涙が止まらず溢れてくる。


 ――死にたくない、まだこんな所で死にたくない。

 ――お願いだから、あたしを見つけないで。


 がさり。

 そんな草木を掻き分ける音と、湿った獣の息遣いによって、祈りはあっさりと踏み躙られた。

 野犬がいる。四足で立った背の高さが大人の腰元まである。くすんだ灰色の毛並みの間から餓えてぎらついた目と黄ばんだ牙が覗いている。

 魔王がいなくなり大人しくなった魔物や魔獣に変わり、異常成長した体躯のままに魔王の支配から解かれ野生に戻される事により、現在における人類の最大の敵となったもの。

 もう身を隠すとか息を潜めるとか、そういう段階じゃない。今逃げなきゃ、すぐ逃げなきゃ、殺される。

 それでも、体は動かない。あたしと野犬の間には遮蔽物はひとつもない。背を向ける素振りを見せただけで、一呼吸もしない間に距離を詰められ息の根を止められる。もう、少しでも命を長引かせる方法は喉笛を噛み千切られる瞬間までそこでじっと立ち止まってる事だけ。それは同時に命を諦める事でもあったが、それでも動いて一瞬後に死んでいるのが怖くて、どうしようもなかった。

 ぐるると唸り、口の端から涎を零しながら野犬が少しずつ迫ってくる。

 一歩、血に餓えた息遣いが辺りに響き。

 一歩、獣臭が鼻先を掠め。

 そして一歩。伸ばした鼻先が顔に触れた。

 いよいよ、命が終わる。野犬の顎が粘ついた音を立てて開かれるのを聞き、耐え切れずきゅっと瞼を閉じた。

 そして、首筋に鋭く暖かい牙が触れた時だろうか。

 さわ、とほんの僅かな木々のざわめきが響いた。同時に、首に触れていた牙が離れ、獣の咆哮が轟く。獲物を追い立てる物ではない、殺意と戦意を滾らせたそれに思わず瞼を上げ、それを見た。

 真っ黒な影が凄まじい速さで地面の上を滑っている。速すぎて形も掴めないが、たぶん四足の生き物で、後ろ足だけで走っているのだと思う。野犬はこれに反応して私から牙を退けたのだ。

 体を伏せた野犬が、それに向かって駆ける。速い。目の前にいたはずのそれが、身を縮ませた次の瞬間にはもう五歩ほど先まで跳んでいた。僅か二歩目にして最高速に達した野犬が、その勢いを乗せたまま顎を開き、その黒い影の首筋を狙う。

 その瞬間、影が消え、鈍い音と共に野犬の頭が少量の血を周囲に舞わせつつ跳ね上がった。

 ……いや、消えたというのは間違いだ。消えたはずの黒い影は、上体を起こされた野犬の前で足を振り上げている。たぶん、野犬と同じ事をやったのだろう。体を沈ませ、その反動で野犬の頭を蹴り上げた。目で追うのがやっとの野犬よりも速く、目にも留まらぬ迅さで。

 振り上げた足を引き、そのまま影は横に廻る。そのまま今まで隠れていた前足……腕? を、浮き上がった野犬の胸元に叩き付けた。何かが砕け散る音と、苦痛に喘ぐ悲鳴を撒き散らしながら、野犬はあたしのすぐ横の大木に打ち付けられた。……のだと、思う。

 曖昧なのは、つい数秒前に自分の命を奪おうとしていたそれがすぐ近くにいるというのにも関わらず、あたしは全く違う物を見ていたからだ。

 影が翔ぶ。その勢いに反して、ふわりとでも形容されるような優雅さであたし……いや、あたしの横の野犬に迫る。それによって、遠さと尋常ならざる迅さで目に映らなかった黒い影の姿を、あたしの目はようやく捕らえる事ができた。

 それは、頭から足先までを隠せるような黒いローブを被った人間だった。巨大な野犬を生身で吹き飛ばすとは思えないほど体は細く、ローブの隙間からは腰まで届くような黒い髪が伸びている。

 宙を舞う黒がぐりんと体を捻る。先程野犬を吹き飛ばしたあの回転を、今度は飛びながら、縦にやっているのだ。その勢いで頭部を覆っていた布が外れ、漆黒に輝く絹糸が溢れ出した。

 もうそれは私の眼前にまで迫っていた。黒色はローブから細く長い足を伸ばし、回転の勢いを全て載せられた右の爪先は轟風が吹き抜けるような音を立てて、野犬の鼻先を掠めた。外れた? いや、違う。黒の動きに戸惑いがない。


「っふ」


 小さく短く、息を漏らす音が聞こえた。

 瞬間、黒い影はその場で体の軋む音を立てながら、更に一回転半廻り、雷鳴のような爆音と共に左踵が野犬の頭を砕いていた。

 野犬の頭部から舞った血が頬を汚す。でも、あたしはそんなもの全く気にならずにただそれに見入っていた。

 一言で言えばそれは、果てしなく漆黒(くろ)くて、限りなく純白(しろ)かった。

 腰より下まで覆い隠す真っ直ぐな長髪と、こちらを射抜いてくる冷たい瞳は煌く黒を。ローブから覗く細く艶かしい肢体は輝くような白を携えている。そして、その体の全てが、余すところなく完璧に均整を取り、現実離れして美しく、まるで最初から美しくなるように作られたよう。

 そう、信じられない事に目の前で野犬の頭を踏み潰しているそれは、異常なまでに美しい少女だった。


「おい、娘」

「ひゃ、ひゃい!」


 その、芸術品のような姿と砕かれた獣の頭部のアンバランスさ。そして脅威が去った事への安心に放心していたせいで妙な声が上がり、急速に顔に熱を持つのが感じられる。俯くこちらにも全く構わず、その少女はすっと、純白の腕を伸ばしてくる。その肌の艶かしさに思わず息が漏れた。少女は血の気の通わぬ、白く艶のある唇を開き、やや低く、しかしよく響く声で言った。


「ここがどこだかわからん。村まで案内しろ」


 ――チュンチュン、と小鳥の鳴き声が響いた。


 ……その、私の命を救ってくれた。

 漆黒く。

 純白く。

 強く。

 美しい、その少女は余りにも自信満々な迷子だった。

1話も終わったのでややペースダウン

戦闘書くの(こんな短いのに)ちょうつかれる……しばらくやらない……

※誤字修正しました

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