大陸南西の農村にて:終
「……っと」
灼けるような陽の光の下、両手で抱えていた麻袋を馬車の荷台に置いて汗を拭った。
倉にある作物の中である程度日持ちするものはこれで最後だ。残りは今日使って、余った分はそのまま置いていく事になる。
「……やっぱり、納得はできねぇなぁ……」
心の内に靄がかかっているような不快感に、空を仰いで大きく溜息をついた。
やはりあの時、無理矢理にでもついて行くべきだったんじゃないだろうか? 急いでいたあいつの事だ。荷台にでもかじりついていればその内諦めてそのまま連れて行ってくれたかもしれない。
「んな事今更行っても仕方ねーか……」
全く持ってその通りだ。一片の余地もなく完璧に正論だ。
それでも感情は言う事を聞かない。これで良かったのか、ともうどうしようもない事をいつまでも責め立て続ける。
「おい、何をそんな所でボーっと突っ立ってんだ。終わったなら母ちゃんの所行って飯の支度でも手伝え」
背後から聞きなれた野太い声が響く。親父の声だ。振り向くとそこにはやはり親父が似合っていない髭を弄りながらむすっとこちらを見てきている。一見睨んでるように見えるが、目つきが悪いだけでそんな事は別にない。
「ちょっと考え事してただけだよ。今行くって」
そう言うと親父の人相の悪い顔が更に怪訝そうに歪んだ。
「お前が考え事だ? 似合わない真似すんなよ気持ち悪い」
「気持っ……言いすぎだろ! 俺だってたまには考え事くらいするわ! 何でそこまで言われなきゃならねーんだよ!」
「だってお前ほら、お前は俺の息子だし」
「……嫌に説得力がある事言うなよ」
馬鹿にしているのか自虐なのか……いや、口髭をいじりながらちょっといい顔しているのを見る限りは単純に事実を指摘しているつもりなのだろう。
俺は再度溜息をついた。この人はきっと、今この状況の事すら何も考えては――。
『君も明日にでも話してみるといい――』
そこで、去り際のあいつの台詞が脳裏に蘇る。
きっと解る。あいつはそう言っていたが、今こうして見ている限りではとてもそうとは思えない。だが、あいつが嘘を言うとも思えない。……勘違いしたり誤魔化されたりはするかもしれないが。
まぁ、それでも何か減るわけでもなし。とりあえず聞いてみるのもいいかもしれない。
「なぁ親父」
「ん? どうした?」
「昨日、あいつと話したろ? その時あいつに何て言ったんだ」
「あいつ……あぁ、あの勇者兄ちゃんか」
急に聞き慣れない呼び方をする。あいつ、俺だけじゃなくて親父にもあんな話したのか?
「あいつがすぐ出てくっていうから馬を馬車に繋ぐの手伝ってやってたらよ、俺の態度が気になってたのか唐突に『この村がなくなるかもしれないのに平気なんですか』ってな。妙な奴だよなあいつ」
「妙っていうか……うん、まぁ今まさに村を追われる人間にする質問にしては非常識だよな……」
とは言いながらも、少しあいつの気持ちもわかる気がする。一晩経ってようやく落ち着いてきて気付いたが、目の前にいるこの親父は余りにも平然としている。
俺よりも長くこの村で生きてきて、俺よりも深く愛着を持っているはずなのに……。
「どうしてそんな……平気なのか? 悔しくないのかよ」
「んなわけあるかアホ。こちとら43年住んでんだ。目の前にお隣さんの兵士が立ってたらすぐにでも縊り殺してやるよ」
顔色一つ変えずにそう言った。その言葉に嘘はない……ように見える。
だからこそ余計にわからない。それほどまでに大事なのに、どうしてそんな……。
「じゃあ、なんでだよ? ここを護ろうとか、戦おうとか思わないのか?」
「んー。まぁ、これは人前で言う事じゃないから、この話は誰にもすんなよ?」
真顔で発せられた前置きに思わず喉がごくりと鳴った。俺はただ黙って頷く。親父は髭を弄っていた手を胸元で組み、ゆっくりを口を開いて――
「俺は軍人じゃないからだ。以上」
――そしてたった一言で口を閉じた。
逆に、俺は開いた口が塞がらなかった。
「何だよそれ、そんな理由で……」
「だってそうだろ。村がなくなっても、俺達は死なんし」
さらっと核心を突きつつ、更にそのまま続けていく。
「そもそも今戦ってる軍人だって、ありゃ国の土地を護るために戦ってるんじゃねぇよ。そこに住む人を護る為に戦ってんだ。そんな所に百姓が現れて『生まれた村がなくなるのが嫌できました!』とか言ってへっぴり腰で敵陣に突っ込んで死んだら飲んでるお茶噴出されちまうわ」
親父はそう言って笑った。確かにそうかもしれない。それが正しいんだろう。
けど、理解はできてもとても納得できるものじゃない。
そんな俺の顔を見ていたのか、親父は気まずそうな顔で溜息をつく。そしていくらか迷うように唸る。
「それともう一つ。これはまぁ、ただの俺の感情なんだが……」
この場に及んでも、尚言い淀む。何とも言えないような顔を逸らし、そっぽを向きながら親父は言った。
「俺が人を殺すのを喜んで欲しくないんだよ」
もう何度も呆けさせられ、そろそろ慣れる頃かと思ったがそんな事はなく、むしろ今までで一番、親父が何を言っているのかわからなくなった。
「戦うってのは、相手を殺すって事だ。もしくは殺されるかだな。死んだら終わりだから、死ななかった場合の話をするぞ。戦から帰ってきた俺をお前や村の連中は笑ったり泣いたりしながら迎え入れてくれるだろう。よく村のために戦ってくれたとか、さぞや盛大に持て成してしてくれるだろうよ。だけど、村を護るために戦ったって事は要するに、村と人殺しを天秤にかけて村を取ったって事だ。んでそれを賛美するって事は凄まじく遠まわしにだが、殺人の肯定になる。毎日日の下で鍬もって土を耕してた奴等が、血煙の中剣で首を刎ねてきた男を持ち上げるようになるのが、俺は怖い」
言葉が出てこない。
切羽詰りすぎて言われるまで考えもしなかったが、そりゃ確かに村を護る……戦で勝つってのは、相手を殺してくるという事だ。
俺が戦に行って無事帰ってきた時、親父の言う通り、きっとみんな俺を歓迎してくれるだろう。よくやったとか褒めてくれるだろう。その時、敵憎しで戦に行った俺は、皆の目を真っ直ぐ見返す事ができるだろうか。純粋に俺のやった事を褒めてくれる皆を、前と変わらずに見てやる事ができるだろうか。
「どっちかって言えば、俺にとっちゃこっちの甘ったれた我侭が本音だ。それを耐え忍んで戦ってる奴等がいるのに情けない事だとは思うが、俺はお前らに暢気な百姓のままでいて欲しいんだ。村なんかよりも、そっちの方が大切なんだよ。住処と違って、平穏な心の持ちようは取り返すのが難しすぎる」
そう言い、最後にあ゛ーっと苛立たしげに唸りながら俺に背を向け、片手で髪を掻き回した。
親父の背中を見つめながら、俺は酷く冷めた気持ちになっていた。静かと言い換えてもいい。何か、心の内でささくれだっていたものが抜け落ちたような不思議な、けして悪くはない気分。
『君ならきっと解るよ』
あぁ、あいつの言う通りだった。
親父が何を考えてるのか、確かに解った。俺なんかと違って、大切な物の順番をちゃんとわかってるんだ。
「……くだらねぇ事話してる間に随分時間が立っちまったな。もう出発の準備が終わっちまうぞ」
気恥ずかしいのか、顔を見られないよう背中越しに行ってそのまま足早に去っていく。
「親父」
それに声を掛けると、親父が立ち止まりその仏頂面を肩越しに半分だけ向けてくる。
俺は空を見上げる。いやに明るい空。雲ひとつない、眩い快晴。
「今日ってこんなにいい天気だったっけか」
朝から何も変わってないはずの、でもどこか変わって見えた空を見上げながら、俺は親父にそう尋ねた。
やけに遅れたのは別に一話の締めくくりに時間をかけたわけじゃなくて、盆で怠けてたのと書くのに詰まってただけです。しかも前話のシメであんな事言ったのに何て言わせるのか細かいとこ迷いすぎでグダグダ。
2話はもうちょっとよく考えてからの投稿になるかもしれません。