大陸南西の農村にて:4
「何だよ……何か用かよ」
そっけなく言ったつもりが、実際に上がったのはしゃがれ裏返った奇妙な声だった事に、自分で驚いた。重ねて言えば鼻づまり声でもありこういう場面でなければ相手が噴出してもおかしくない情けない声だ。顔に血が集まってくるのを感じながら、表情を隠すついでにと袖で思いきり顔を擦る。
「……すぐここを発つ事にしたんだ。まだ戻ってきてない彼の事も探さなきゃならないし、時間が余り無いみたいだからね」
「……他の皆に手伝って貰ったらいいのに」
「それは……無理かなぁ」
「そうか。お前ってそういう奴だったよな」
ずずっと鼻を啜りながら答え、納得した。この10日間の間も、こいつは決して人の助けを借りようとしなかった。わからない事を尋ねたりはするものの、一人では困難な事に対して手を貸そうとしても笑いながら断るのだ。
何故そうするのかはわからないが、それがこいつという人間の在り方なんだろう。……それで、結局一人でやり遂げてしまうから気に入らなかったのだが。
「じゃ、僕はそろそろ行くよ。今まで楽しかった。ありがとう」
「……あぁ。じゃあな」
立ち上がり、無理矢理に笑う。
うまく出来ているかはわからないが。
この暗闇の中見えてるかわからないが。
きっとこいつは今、目の前で笑って去ろうとしてるだろうから。
俺は、ぎこちなくでも笑って、そいつの差し出してきた手を掴み返した
……その時、ふと疑問が脳裏を過ぎった。
「そういやどうして俺がここにいるってわかったんだ?」
親父達大人は今集会所で話し合っていて俺の居場所など知らないはずだ。まだ詳しい話を知らない子供なら日が落ちる前に外を歩いていた俺を見たかもしれないが、もう子供は寝ている時間だ。途中で話し合いから離脱してきた大人達か? いや、そういう連中は皆子供の世話なり何なりの理由があって抜けてきたんだ。そんな忙しい中で俺がどこに行くのかわざわざみてる奴がいるだろうか? それに、たとえ偶然で誰か見ていて、それを覚えていたとしてもここは場所が場所だ。好き好んでこっち側に来る奴などいない、見間違いだろう。そう思うのが普通だ。
「あー……いやその、実はね。集会所で話を聞いた後から探してたけどどうにも見つからない内にこんな真っ暗になっちゃって。悪いと思ったんだけど、君のお父さんに伝言を頼んで出て行こうとしたんだ。それで馬車に乗って村から出ようとしたんだけど、すぐそこで人影を見つけたから君じゃないかと思ってここに来たんだ」
指差した方向に目を向けると、村を抜ける道の真ん中に馬車らしき大きな影がある。
「あぁ、そう……」
なんて事はない。ただの偶然だった。
そう、納得しかけた。
「じゃあ、またいつか、どこかで会えるといいね」
「待てよ」
それは去ろうとするそいつを引き止める言葉ではなく、沸いて出た疑問に思わず口を突いたものだったが、結果的にそいつは背を向けたまま立ち止まった。
おかしい。それは理屈に合わない。
俺は、誰にも会いたくなかった。だから、わざわざ誰も来ない、来たがらないような場所を選んだ。そりゃそうだ。今の状況で、こっち側に好んで来たがる奴がいるわけない。ほんの少しでもこちら側からは離れたいはずだ。
そして、その誰もこっちに来たがらないのと同じ理由で、村を出ようとして道の途中で偶然俺を見かけるなんて有り得ない。
「待てよ、おかしいだろ。だって」
だって、ここは――。
だって、そっちは――。
「そっちは西に抜ける道、だ……」
はっきりと声に出した途端に、合点がいった。
『――そっちの方向から村にやってくる客は珍しい――』
それはそうだ。わざわざ安全な方から戦闘地域側に向かって来るような物好きはいない。商売目的の行商人ですら来なくなって久しい。なのにこいつは、東の街道を抜けて村に来た。
つまりこいつは……いや、こいつらは、最初からそのつもりで。
「西を……違う、戦場を目指してたのか、あんた達は……」
そいつは振り向かなかった。ただ、背を向けたまま小さく頷いた。
信じられなかった。事実を目の前にしても、この男と戦という言葉がどうしても結びつかない。何時何処を思い返しても笑っていた記憶しかないこの男が、一体どんな理由で戦場へ向かうのか。
尋ねたい。だが恐らく聞いても答えないだろう。また困ったように苦笑して、そのまま去っていってしまうのが目に見える。
黙っていると、あいつが足を踏み出した。あいつの背中が一歩、また一歩と離れて行く。
「待ってくれ!」
自分でもわけのわからぬ内に思わずそんな叫びが響いていた。足を止め、しかし背を向けたままの奴の後ろで俺は震える胸を押さえ込もうと唾を飲む。
「俺も一緒に連れてってくれ……頼む」
声の震えは上手く隠せた……と思う。
「一応聞いておくよ。君は、そこへ行ってどうするんだい?」
「俺も戦う。このままここを……他所の奴等の好きにさせてたまるか!」
「駄目だ。連れて行けない」
もう答えがわかっていたかのように……いや、この状況で俺が言い出す事なんか誰でもわかるか。一息の間もおかずに奴は俺の願いを切り捨てた。
「どうしてだよ! 俺が弱いからか?! ガキだからか?! そりゃ俺なんかが行ったってどうにもならないさ! でも何もしないで逃げ出すなんて耐えられないんだよ! 考えただけでも悔しさと自己嫌悪で押し潰されそうだ! 頼むよ!」
必死に食い下がる。声に嗚咽が混じるのも構わずに。情けなくてもみっともなくても、とにかくじっとしているのだけは嫌だった。
「僕が君を連れて行かない理由はそんなんじゃない」
対照的に、あいつは静かだった。その声色には、奴の印象からは全く似つかない冷たさすら感じる。顔が見えなくても笑っているのが見えてた表情が見えない。
空気の変わる気配に息を呑む。そしてあいつはその先を口にする。
「僕は、殺すのが嫌いだ」
何を言っているのかわからず、おもわず呆けた声を上げそうになる。いや、実際上げたかもしれない。
そんな俺に気付いているのかいないのか、あいつは構わずにそのまま続けた。
「自分がやるのは勿論、他の誰かがそうするのも嫌だ。君は戦場へ敵を殺しに行くんだろう? だったら君は僕の敵だ。だから連れて行けない」
はぁ? と、今度は確実に声が漏れた。
何を言っているのかわからない。思わず聞き間違いかと思うほどに馬鹿げている。
「そんな……バカな理由……じゃあお前は何で行くんだよ……」
「僕は嫌なんだ。人を殺さなくちゃ助からない人がいるなんて事は。そんなのは間違ってる。誰も殺さずに誰もが幸せになれるはずだ。それが間違ってるなら僕が正しくしてやる。そのために僕は、まだ旅を続けてるんだ」
馬鹿げている。馬鹿げすぎている。「みんな仲良く、喧嘩しないで」なんて、そんな戯言を言うのは純真な子供くらいだ。いい大人が……それも、今から戦地に行く人間が本気で言う事じゃない。
でも、その戯言は今のあいつの雰囲気とは裏腹に、あいつの印象にこれ以上ないほど似合っていて、それを本気で言っているんだと確信ができた。
あいつが馬車に向かって歩いていく。声は出ない。足も動かない。あんな馬鹿げた、まるで世界を救おうとする勇者みたいな理想に押されて、身動き一つ取る事ができない。
とうとうあいつは馬車に乗り、手綱を握る。馬が小さく嘶き動き出した馬車の上で、最後にこちらに顔を向けた。
「……僕は村を出ようとする前に、君が言ったような事を君のお父さんに尋ねたんだ。あの人は凄い人だ。君も明日にでも話してみるといい。君ならきっと解るよ」
去っていく馬車の上で、あいつはそう言いながらたぶん、いつもの笑顔に戻っていた。
ちょっと(この勇者)何言ってるかわかんないです